第五章
十年前。和弘は幼稚園に通う、普通の子供だった。しかし、ある夜にそれが引き裂かれた。
「警察だ。そこを動くな!」
入ったのは三人の警官。
「私たちは見た通り、警察よ。あなたたちの逮捕状が出ているわ」
銃を向けて、そう言った。父と母は、仕方なく手を挙げた。和弘はどうしたらよいか、全く分からなくなり、わんわんと泣きわめいた。
父母は連れていかれ、残った和弘は、一人悲しく立ちすくんで泣いた。やがて、祖母がやって来て、和弘を引き取った。
しばらくして、父と母は帰ってきたが、家には辛い世間の目があった。どれだけいい子でいても、関わるととんでもない目にあう、と言われ、友達とは次々と引き裂かれた。今思うと、あれは父母のせいだったのか。現実に残されたのは、謎に包まれた、育児放棄だった。暗くどす黒い気持ちが、和弘を襲った。
「父さんと母さんは、無実なのに、俺たちが引き裂かれている理由はなんだ?今どうして、家出をしたんだ?」
「分からない。でも、これだけは言える。お前がしっかりと支えてやらなきゃならないことだ。あの家も、そして、香織ちゃんを」
どす黒い気持ちはやがて、香織を守るためのやさしい気持ちに変わった。今、決意した。なんとしても、香織を立派な大人にする。父や母は、なんとかして見つける。それが今の最善策だということを。
交番や区役所へ行って、なんとか親の所在を確認しようと試みたが、ほとんど進展が見られなかった。分かったのは、未だに給料が振り込まれていて、仕事をやめてはいないということ。また、あのビルに入ったのを見た人物が他にも数名いて、なぜか封筒を手にしていたらしい。
「封筒はいったい、なんのために使ってたんだろう?」
和弘は翔に問いかけた。
「さぁ?全く検討がつかねぇ」
「俺、もう一度、明日区役所にいってみるよ。」
和弘は次の日に区役所に出かけた。
「えぇ〜っと、今野さんは、あぁっ。そういやぁ」
取り出したのは、戸籍表。そして、
「ああっ。あった、あった」
この人は親切な人で、僕に結構いろんなことを教えてくれる。いい親戚だ。
「十年前に、御親戚の方が亡くなってるね。まぁ、俺の親戚でもあるんだけどね」
名前を見ると、今野茂明と書かれていた。再び、過去を回想して思い出してみた。
今野家は年に二回、祖父母の家に集まる。大抵、どこの家でもそうだろう。そこで、従兄弟や又従兄弟、叔父さんや、叔母さん。かなり遠い親戚まで、数多くの人が集まった。その中にいた人物……
「あぁっ!」
思い出した興奮で、叫んでしまった。すぐに注意され、静かにまた回想に入った。
そういえば、この人は、父の従兄弟の従兄弟の親で、かなり遠い関係だ。しかし、あの日のことは、一切忘れない。
「はい。今日は君の誕生日だったね。プレゼントだよ」
誕生日のプレゼントをくれた、遠い伯父さん。その記憶を鮮明に思い出そうとした。そういえば、彼はいつも泣きながら、 お金を貰っていた。お金がなく、借金もしているらしかった。
「ごめんな。ごめんな」
いつも謝っていた。
彼の死亡要因は、自殺となっていた。なぜ自殺をしたのだろうか。なにか、深いわけがあるような気がした。
家に帰って、翔が香織の世話をしていた。
「おい、翔。悪いけど、少し動いてもらえないか?」
「ん?どうかしたか?」
「今野茂明って言う人を調べてくれないか?」
「え?誰それ?」
「まっ。調べたら分かるさ」
翔は首を傾げ、
「お前、どこに向かってるんだ?大丈夫か?」
翔には、どうしても、親探しとは思えない。だが、一応やってみよう。思わぬ掘り出し物が見つかるかも知れない。
三日後、翔は自分の手にした情報を、全て和弘に話した。
「今野茂明。1951年生まれ。十年前、自殺により死亡。仕事はバスの運転手。賭け事好きであったため、お金がなく、サラ金に手を出し、自己破産。運転手の仕事をやめ、しばらく無職で、アルバイトばかりの日々を送ったが、突然の夜逃げ。一年間逃げたが、ある日に森で、亡くなっているのを地元の人が発見した。これだけだけど?」
翔はこれだけのことを調べた。
「ありがとう。これではっきりした」
「え?なにを?」
由希は間に入って言った。
「間違いなく、今野家は裏社会に関わってしまっている」
「あぁ。サラ金に借りたのだから、恐らく、暴力団が関わるはずだ」
「こりゃ。ただの自殺じゃすまないかもな」
和弘は刑事のように言った。しかし、和弘の親との接点は今だに解明されない。
「もう一度、あのビルを調べよう」
和弘は翔と共に、あのビルに向かった。
そのビルはまた、人を寄せ付けぬ、暗い雰囲気を漂わせていた。
「翔。このビルで、お父さんらは封筒を持っていったんだよね?」
「あぁ。このビルは人目が付きにくそうだからな」
和弘はふと足元を見た。そこには、一つの煙草、吸い殻が落ちていた。
「あれ?煙草?」
和弘は手に取った。その煙草からは、灰がパラパラと溢れた。
「まだ新しいな」
翔も見ながら、そう言った。古い煙草なら、灰は風で飛んでいくだろう。つまり、この煙草は、吸われてまだ間もなく、吸った煙草を、そのまま地面に落としたのだろう。
「こんなのがまだいるんだな」
「あぁ。携帯用灰皿くらい持っとけよ」
和弘はその煙草を、近くのゴミ箱に捨てようとした。すると、不思議なことに気がついた。
「なぁ、ゴミ箱ってさ。普通、人がすぐに目につく場所にあるもんじゃない?」
「まぁな。普通、そうじゃないと、分かりづらいだろう」
「じゃあさ、こんな、雑草の真ん中に置いてあるの?」
そう。何故かそのゴミ箱は雑草の這え伸びた、横の庭にほったらかしになっていたのだった。
「ほんとだ。変だよな」
「あぁ、しかもだ」
このゴミ箱の少し先、そこには何かを建てていたと思われている、跡があった。ゴミ箱をそこに持っていくと、ぴったりとはまった。
「ここに元々はあったんだ!」
「あぁ、通路の途中だな」
通路の両側にある庭は、雑草だらけだ。しかし、このゴミ箱は明らかに不自然だ。それに、よく見ると、
「あれ?凹んでる」
このゴミ箱はなぜか凹んでいた。明らかに人為的なものだった。
「なんか、怪しいものばかりだな」
すこし変なものばかりが目につくなか、後ろから不意に声がした。
「お主ら、何もんじゃ?」
「うぎゃぁぁぁぁぁ!」
「お主ら、そこまでびっくりせんでも」
「急に喋りかけないで下さいよ」
翔と和弘は心臓をドギマギさせながら言った。
「ワシはここの管理人じゃぞ?」
管理人。思わぬ人物が現れた。絶対についてる。
「あぁっ。管理人さん。聞きたいことがあるんです。このビルは、いったい何ですか?」
「あぁ。これはな、昔、会社だったところじゃ。バスの会社じゃったな」
「バス会社?」
二人は同時に聞き返した。
「そうじゃ。ここの庭は本来バスが置いてあったんじゃ。しかし、バスは数台しかなかったうえ、あまり経営もよろしくなかったんじゃな。とっくに大きなバス会社に併合されてしまった。ワシはこのバス会社の先代社長であり、創始者じゃった。だから、ワシはここを買い取ったのじゃ」
「そうだったんですか」
「あと、ここに十日ほど前に、数人いませんでした?」
「あぁ。十日前か。確か、数人がいたな。ワシはそのとき、草刈りをしてたのじゃ」
「そのときのことを詳しく、教えてもらえませんか?」「あぁ。それは、昼間のころだった。急に二人の大人がやって来た。男性と女性で、何か封筒を持っていた。結構大きな封筒だった。彼らは扉を開けて、奥に入っていった。重苦しい雰囲気が漂っていた。後に、男性たちが入ってきた。彼らは柄が悪そうで、とても人数が多かった」
翔はある疑問が沸き上がった。
「あれ?どっかの会社の社長が入ってきたんじゃないんですか?」
「いや。全くそんなことはなかった。ただの暴力団のような様子だった。どうしてそんなことを聞きたがるのかね?」
「いや。大したことはないんですけどね…」
翔の情報に矛盾ができた。今までこんなことはなかったので、翔は愕然とした。いったいどこに間違いがあったのか。分からないが、とりあえず今はこの情報をうまく使うしかない。
「ありがとうございました」
二人はお礼をいって、その場を立ち去った。