幼い透を捜索していた竜人が、透を引き渡さなければ街中を殺すと脅迫した。
トオルはそのドラゴンに対して強い嫌な予感を覚え、少女を連れて逃げることを決意する。
一方その頃、魔女一人と二人の剣士で構成された一行は、すでにドラゴンと人間の混成体へと変異したその存在に立ち向かっていた。
なお、パーティーの弓使いは援軍を求めてその場を離れている
かつて威圧的だったその巨竜も、冒険者たちの猛攻に怯え、恐怖の対象ではなくなりつつあるように見えた。
だが、絶望的な状況に追い込まれた竜が後退したその瞬間――巨大な尻尾が二人の剣士を吹き飛ばした。二人は民家に激突し、凄まじい轟音と共に瓦礫の山を築いた。
怒りと絶望に染まった竜の頭上に、回転する魔法陣が出現する。
その下で、竜の身体が異変をきたし始めた。骨や筋肉が軋みを上げてねじれ、翼がぼろりと剥がれ落ちていく。巨体はみるみるうちに縮小し、その姿を変貌させていった。
「くっ!」
弓使いが間髪入れずに連射を浴びせる。しかし、竜の周囲に見えない壁のような結界が展開され、矢は全て無効化された。その隙に、魔女が傷ついた仲間のもとへ駆け寄り、治癒魔術を施し始める。
遠くからその光景を見ていたトオルは、背筋が凍るような悪寒を感じた。
(……待っている暇はない)
彼の本能がそう告げていた。目の前で起きている現象は、もはや制御不能な領域に達しようとしている。
信じがたい光景だったが、トオルは自身の直感に従った。少女の手を強く引き、両親を見つけてすぐにここから逃げ出すために。
「な、なにするの?」
突然手首を掴まれ、少女は困惑した。だが、トオルの顔を見た瞬間、その表情に戦慄した。
そこにいたのは、まるで悪役のような顔をしたトオルだった。その相貌には絶対的な絶望が張り付いていたのだ。
もっとも、それは表情だけの話で、彼の声には迷いがなかった。
「ご両親を探しに行くんだ。ここで時間を無駄にはできない。あの人たちが時間を稼いでくれている間に、逃げるぞ」
トオルは少女の腕をさらに強く握りしめた。焦燥感が首筋を食い破るような感覚に襲われ、鋭い痛みが走る。
「やだぁっ、痛いよ! 怖いよぉ!」
少女が腕を振り払おうとする声で、トオルはハッと我に返った。彼の表情から狂気が消え、いつもの顔に戻る。
「……ごめん」
トオルは申し訳なさそうに身を屈め、少女と目線を合わせた。
「あの人たちは強い。でも、何かがおかしいんだ……悪い予感がする。たぶん、勝てない。だから俺の今の役目は、君のご両親を見つけることだ。必ず見つける。だから、行こう」
彼は信頼の証として、少女に手を差し出し、優しく微笑んだ。
少女はトオルの態度の変化に驚いたが、彼が自分に危害を加えるつもりがないことは理解したようだった。
「……わかった。でも、おんぶがいい。そのほうが速いもん」
「わかった、乗ってくれ」
トオルが背中を向けてしゃがみ込むと、少女は背中に飛び乗った。
「よし、行くぞ!」
少女を背負うやいなや、トオルは戦場から少しでも遠ざかるため、通りを駆け上がっていった。
一方その頃――。
魔女の治癒を受けた剣士たちは、躊躇することなく再び竜へと突撃した。
だが、そのすべては無駄だった。最初の一撃が直撃した瞬間、彼らの剣は砕け散り、剣を握っていた手と手首は無惨にも粉砕されたのだった。
着地した彼らは一度合流し、状況を打開する術を探るべく視線を交わした。
「……で、どうする?」 一人の剣士が問いかける。
「知るかよ。こんなの予想外だ。竜が現れたって聞いて、これでも急いで来たんだぜ」 弓使いが忌々しげに吐き捨てた。
「これはただの竜じゃないわ。おそらく、近隣諸国で噂になっているあの教団の『ハイブリッド(混成種)』よ」
「馬鹿言うな。まず女神の教団なんて実在するか怪しいし、だいいち、何で奴らが急にこんな場所を襲うんだよ」
剣士と弓使いが言い争う間にも、竜の姿は変貌を続けていた。その体躯はみるみるうちに小さくなっていく。 頭上に魔法陣が現れてから、わずか15秒ほど。
「……助けを呼ぶべきよ。あのハイブリッド形態が相手じゃ、私たちだけでは分が悪すぎる」 魔女が震える声で進言した。
「時間は残されてねえ。変異が終わるまであとわずかだ。いいか、俺たちが貴女の盾になる。俺たちの力を疑うな。もし俺たちが倒れても、この街の子供たちのために、最後まで戦い抜いてくれ。貴女が癒やし、強化魔法をくれる限り、俺たちは何度でも立ち上がる」
リーダー格の剣士、マルコが深い決意を込めて言った。
「――ええ。勝ちましょう、みんなで!」 魔女は応じると、即座に仲間を支援するための呪文を唱え始めた。 剣士たちは武器を求めて駆け出す。一人は近くの武器屋から代わりの剣を掴み取り、もう一人は納得のいく得物が見つからず、拳に包帯を巻きつけて素手で戦う覚悟を決めた。
5秒後。
竜の変異が完了し、魔法陣が霧散した。
そこには、自身の変異によって巻き上がった濃密な土煙に包まれた、一人の男が立っていた。 身長は約197センチメートル。両手の指先には鋭利な爪が備わり、全身が鱗に覆われている。 だが、顔や掌、急所、腿の裏側などは、鋼鉄と同等の強度を持ちながらも、肌色に近い柔らかな質感の鱗に包まれていた。 対して、手首から肘、胸部、腹部、上腕三頭筋、肩、そして僧帽筋にかけては、それよりも5倍は硬いであろう、黒ずんだ赤色の硬質鱗が鎧のように張り付いている。
その怪物は、傲慢に頭を上げ、冷徹な眼差しで冒険者たちを見下ろした。 やがて怪物は口を開き、かつて自分を攻撃した者たちへ言葉を放った。
「……奴はどこだ? なぜ奴を護る。奴はこの世界にとって、我が女神にとっての『罪』だ。存在してはならぬ者なのだ」
冒険者たちは困惑した。目の前の怪物が何を言っているのか理解できなかった。
「……何の話だ? わけわかんねえんだけど」 「知らないわよ。聞いてみなさいよ」 「俺がか? なんでだよ」 「あんたがリーダーでしょ、マルコ!」
「何の話だ! 護るだと? 俺たちはこの街の全員を護っているんだ。たった一人のことじゃない!」 マルコは己の決意を叩きつけるように叫んだ。たとえ力が及ばずとも、戦う意志は揺るがない。
「……白々しい嘘を。奴の気配はこの街のどこかにある。邪魔をするというなら、貴様らもろとも皆殺しにするまで。それほどこの街が惜しいなら――あの少年を差し出せ」
人型へと変異したその『竜人』は、静かに、しかし絶対的な殺意を込めて告げた。
「誰のことを言っている……。この街には何百人もの子供がいるんだぞ。一人を特定できるわけがないだろう」 マルコが低く吐き捨てた。
「本気であいつの言いなりに子供を差し出すつもりか?」 弓使いが割り込む。
「まさか。……殺す前に情報を引き出したいだけだ」 マルコの瞳には鋭い光が宿っていた。
「……姿など知らぬ。見ての通り、私は盲目だ。だが、この街に漂う歪んだ闇に満ちた魂をはっきりと感じる。それが私の視界を狂わせているのだ。……偶然ここを通りかかったが、やはり『奴』はここにいたな」
怪物の言葉は真実だった。彼の両目は光を失っていたが、竜人としての感覚は常人のそれを遥かに超えていた。周囲に満ちるマナを感知することで、光や火こそ見えずとも、生物の輪郭や大地の魔力、植物の息吹を視覚のように捉えていたのだ。 しかし、その異能の視界さえも、今の彼は紫色の不気味なオーラによって視界を霞まされていた。
「貴様のボスは誰だ? なぜその少年を追う。あいつが何をした?」
「貴様らには関わりのないことだ。大人しく少年を探せ。……その身体には何らかの『刻印』があるはずだ」
「断ると言ったら?」
「ならば貴様らも、その少年もろともここで皆殺しだ」
「やってみろよ……。望み通り、相手をしてやる」
マルコと仲間たちは深く息を吐き、戦闘態勢を整えた。 マルコは拳を突き出し、トオルのいた世界の『ボクシング』を彷彿とさせる、頭部を保護するような独特の構えを取る。
刹那、竜人が瞬きする間もなくマルコの懐へ踏み込んだ。至近距離から放たれた強烈なローキックが、マルコの右脚を襲う。
「ぐっ……!」
防具越しに衝撃を殺したものの、凄まじい激痛が走る。もし軽装鎧を纏っていなければ、竜人の脛にある鋭い鱗によって、脚を斬り飛ばされていただろう。
マルコは痛みに耐え、即座に竜人の顔面へストレートを叩き込む。だが、竜人はそれを紙一重で回避すると、空いた脇腹――肝臓を左拳で抉り抜いた。 「がはっ……!」 衝撃でマルコの巨体が宙を舞い、地面を転がった。
「マルコ!!」 仲間たちの叫びが響く。
もう一人の剣士、サトシが躊躇なく踏み込み、神速の刺突を放つ。剣先は竜人の肩を深く貫いた。 並の剣士の攻撃なら弾かれていただかるが、サトシの卓越した剣技と魔力によって、剣は鋼鉄の鱗を突破したのだ。
「……それがどうした?」 竜人が冷酷な笑みを浮かべる。
「えっ……?」
サトシは言葉を返さず、突き刺した剣の柄を強く握りしめた。それを支点にして身体を翻し、竜人の頭部へ全力の回し蹴りを叩き込む。 その想定外の速度に竜人は反応できず、衝撃で通りを挟んだ民家まで吹き飛ばされた。サトシは激突の直前、鮮やかに剣を引き抜いて着地する。
立ち上がったマルコが、再びサトシの隣に並んだ。
「……よし、いけるぞ。二人で畳み掛ける!」
「今の蹴りは最高だったぜ、サトシ!」
「いや……手応えは薄い。あんな攻撃じゃ、大したダメージにはなってないはずだ。……恐ろしい奴だよ」
場に絶望的な緊張感が漂う。全員が「勝つ」という決意を固めてはいるが、一瞬でも隙を見せれば命を刈り取られるという恐怖が、彼らの背筋を撫でていた。
マルコは構えを解かず、サトシは再び剣を構える。 ……すでに弓使いの姿はない。マルコが吹き飛ばされた直後、援軍を呼ぶためにこの場を離脱していた。 そして後方では、魔女が二人を絶え間なく治癒しながら、同時に強大な呪文の詠唱を始めていた。かつて民家を一瞬で溶かしたあの竜の火炎に匹敵する、極大魔法を。
瓦礫の中から、竜人の腕が突き出された。続いて全身が姿を現す。
「ふふ……今の攻撃は悪くなかった。だが、あまり時間をかけるわけにはいかんな。……まだ奴の気配は届く範囲にある」 影の中から、竜人の赤い瞳が冷たく光る。
「……終わらせよう」
竜人が地面を強く踏み抜くと、砕けた岩石が宙に舞った。それを弾丸のごとき速度で、次々とマルコたちへ蹴り飛ばす!
マルコは完璧な身のこなしでそれを回避し、カウンターを狙って肉薄した。今度は同じ過ちを繰り返さない。渾身の力を込めた一撃が竜人の顔面を捉え、その身体を空中で回転させた。マルコは逃さず追撃の跳躍を見せ、腹部へ幾度も拳を叩き込む。
一方、飛んできた岩の礫に対し、詠唱中の魔女は避ける余裕がない。直撃を覚悟した瞬間、サトシが割り込み、迫りくる岩を真っ二つに切り裂いて彼女を護り抜いた。




