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異世界に迷い込んだ愚か者は、元の世界へ戻ることなど考えもしない。  作者: ikenaki
新たな始まり

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1/8

心臓を凍らせるほどの美

「平凡な朝、懐かしい痛み、そして世界は反転する。」

17歳のトオルにとって、その日はいつもの「遅刻ギリギリの朝」から始まるはずだった。

全力で自転車を漕ぎ、音楽を聴き、学校へ急ぐありふれた日常。

休憩時間、元恋人・ブリサとのぎこちない再会と、彼女からの謝罪。

少しずつ動き出した関係の中で、トオルを包んだのは温かな感情ではなく――突如発生した謎の「黄色い光」だった。

目を開けた彼が立っていたのは、学校でも地球でもない、無限の闇が広がる虚空。

孤独と絶望の中、溢れ出す過去のトラウマ。

そして、泣き崩れる彼の前に現れたのは、圧倒的な「美」と「恐怖」をまとった黒いマントの女性だった。

彼女は何者なのか? そしてトオルの運命は――?

彼女はそこに立っていた。

黒いマントを身にまとい、その布は彼女の身体の優雅さを覆い隠していた。

しかし、その姿から放たれる恐怖のオーラは、俺の心を締め付け、息が詰まるほどだった。

彼女は何も話さなかった。それでも、すべてを知っていると分かった。

――怖い。

――俺はどうすればいい?

――この状況で、何ができるんだ……。

まるで作り物の舞台のように、その記憶――あるいは幻覚は、徐々にぼやけていき、

突然、耳障りなアラーム音にかき消された。

スマホが鳴っている。

画面には午前7時08分、そして未確認のアラームが10件。

「……うげっ、今のは何だ?」

全身が汗でびっしょりだった。

冷え切った表情のまま、枕元で鳴り続けるスマホの音に苛立ち、

まるで宿敵を倒すかのように勢いよく手を伸ばした――

とはいえ、壊すつもりはなく、ただ乱暴につかんだだけだ。

画面を見た瞬間、表情が凍りついた。

恐怖は一気に増幅し、焦りへと変わる。

細められていた目が、大きく見開かれた。

「――――7時08分!?

 遅刻する!!」

ベッドから跳ね起きた瞬間、急に立ち上がったせいで血圧が下がり、

倒れそうになったが、なんとかベッドの背に掴まって耐えた。

(あと37分しかない……。

 なんでこんなに汗かいてるんだ。あの夢のせいか?)

数秒――長くても10秒ほどで落ち着きを取り戻し、

トオルは廊下を滑るように走って浴室へ飛び込んだ。

シャツを脱ぎながら鏡を見る。

少し自惚れが混じった視線だったが、事実として体格は悪くない。

これまで様々な活動やスポーツをしてきた成果だ。

17歳にして一人暮らし。

14歳の時、両親を事故で失った。

その直後、恋人にも振られ、世界が崩れ落ちた。

だが、父の旧友が彼を哀れみ、住む場所を与えてくれた。

無償ではなく、家賃を払う条件付きで。

さらに仕事も紹介してくれた。管理業務だけで、給料は立場の割に高かった。

15分後、シャワーを終えたトオルは制服に着替え、スマホを見た。

「……7時30分!?

 いつの間にこんなに……!」

慌てて靴下を履き、スニーカーを履く。

7時32分。部屋の電気を消し、愛用の自転車へ向かった。

何度も彼を救ってくれた、最高の相棒だ。

イヤホンをつけ、

「Cartas sin marcar」を流しながら、

風のように学校へ向かう。

学校までは遠く、徒歩なら50分。

だが自転車なら10分。

7時43分――ギリギリ。

しかし、すでに門は閉まっていた。

旗揚げを待つしかない。

音楽を大音量で流し、小さく口ずさむ。

Ella es la canción

Que tantos años yo busqué

Ella es un banco de arena

Que acaricia el mar y a los abismos del amor

Ulises baila con sirenas

(神様……長すぎる)

ようやく門が開き、

EETN2に入る。

自転車置き場で友人に挨拶し、教室へ向かった。

―――

一コマ半が終わり、チャイムが鳴る。

休み時間。

眠い。

だが、それ以上に――腹が減った。

(ペベーテ食べないと死ぬ……。

 金持ってきててよかった……

 誰だよ“フライされた”とか言うやつ……)

心の中で愚痴りながら、キオスクへ向かう。

混雑に焦りつつも我慢し、

ペベーテと小さなバッジオを購入。

ベンチに座り、周囲を眺めながら食べていると――

「こんにちは」

明るく、元気な声。

優しく、女の子の声。

振り向くと、彼女がいた。

好奇心から、苦味へと変わる表情。

嬉しくない――でも、少しだけ。

「……こんにちは、ブリサ」

眉を上げ、皮肉めいた笑み。

「その顔なに?

 元気かなって思って」

くすっと笑うブリサ。

「まあ、元気……かな」

肩をすくめる。

「また遅刻?」

「まあね。

 シリーズ見てたらさ。

 説教しに来た?」

「もっと責任感持ちなさい。うんうん」

だが、彼女の声色が変わった。

「……それだけじゃない。

 最近色々めちゃくちゃだったでしょ。

 過去のこと、やり直したくて……」

トオルは分かった。

彼女は本気だった。

「……過去は過去だ。

 許すよ、ブリサ」

十分ではない。

それでも、そう言った。

「ありがとう……本当に、ごめん」

笑顔が戻る。

「久しぶりだね。

 食べる?」

ペベーテを差し出す。

彼女は恥ずかしそうに受け取った。

「ありがとう、トオル。

 おいしい!」

勢いよく食べる姿に、思わず笑いそうになる。

「ねえ、トオル」

「ん?」

「今日の午後、実習のあと――」

声が遠ざかる。

「……え? 聞こえない」

突然、彼女の顔が黄色い光に照らされた。

(……え?)

光は――俺から出ていた。

時間が、止まる。

「何が……起きてる……?」

「ブリサ!? 聞こえるか!?」

返事はない。

彼女は時の中で静止していた。

光は強くなり――

世界が消えた。

――――

「……」

闇。

身体はある。

声は出ない。

(……ここは……?)

そして、トオルは気づく。

――彼は、もう地球にはいなかった。

確かに、トオルはもう自分の学校にはいなかった。

いや、それどころか――トオルは地球という惑星そのものに、もはや存在していなかった。

彼はしばらくの間、何もない虚空へと歩き続けた。やがて目が暗闇に慣れ、足元の様子が少しずつ見えるようになる。

「……うーん、地面みたいだけど、真っ黒だな。いや、土じゃない……どちらかというと、砂に近いか」

彼はしゃがみ込み、地面に触れてみた。

それは海辺の砂のようにさらさらとした感触で、指に少し付着したが、すぐに払い落とした。

トオルはまた歩き続けた。

何分も、ただひたすらに。

次第に疲労が体を襲い、恐怖が胸に広がっていく。

誰の姿も見えないことが、わずかな安心にはなったが、それでも不安は消えなかった。

――戻りたい。

ブリサの話の続きを聞きたかった。

家に帰りたかった。

そんな思いが次々と頭を埋め尽くし、彼の心を押し潰していく。

やがて、両親のことを思い出し、精神状態はさらに悪化していった。

ブリサとの出来事。

何もかもを捨てて、彼を置き去りにし、別の男を選んだ、あの日。

両親の事故。

まだ幼かった彼と両親を、冷たい言葉で蔑み続けた親族たち。

なぜ、今になってこんな記憶ばかりが蘇るのか。

理解できないまま、トオルの目から涙が溢れ出す。

喉が締めつけられるように痛み、もう耐えられなかった。

彼は声を上げ、何度も、何度も、崩れ落ちるように泣いた。

「……あいつらは俺たちが苦しむ姿を見たかったんだ。

あんな言葉だけじゃ足りなかったのか……命まで奪いやがって。

呪ってやる……地獄で腐り落ちろ……!」

彼は親族たちを罵った。

両親が死んだのは、すべて彼らのせいだと信じていた。

その瞬間、記憶が完全に開かれた。

自分がしてしまった過ち。

他人から受けた仕打ち。

苦しみ、そして誰かを傷つけてしまった過去。

すべてが一気に押し寄せ、彼の心は完全に砕け散った。

泣き叫び、嗚咽を漏らす。

それは確かに地獄のような時間だったが、同時に――

長年押し殺してきた感情を、吐き出している時間でもあった。

「……もう泣かないで、私の子」

「……?」

どこからか、声が聞こえた。

トオルははっとして周囲を見回す。

――誰かがいる。

無防備な自分。

甘く優しい女性の声だったが、油断はできなかった。

「……誰だ?」

周囲を見渡しても、誰の姿もない。

「…………」

返事はなかった。

涙に濡れた顔のまま、熱を帯びた目を逸らさず、トオルは声のした方向を探し続ける。

「そんなに泣いて……お願い、もう泣かないで。

あなたが苦しむのを見るのは、私も辛いの」

再び声が響いた。

その時――彼は、ついに“彼女”の姿を見た。

黒いマントを纏った女性。

その優雅な身体は布に覆われ、顔もはっきりとは見えない。

見えるのは、かすかに光を帯びた、繊細で美しい唇だけ。

どこから光が差しているのか分からない。

それでも闇の中で、彼女の白磁のような肌は、まるでおとぎ話の存在のように淡く輝いていた。

――なのに。

彼女から放たれるのは、圧倒的な恐怖の気配。

トオルの魂は震え、理解できなかった。

これほどの美しさが、なぜこんなにも恐ろしいのか。

彼は耐えきれず、その場に膝をついた。

何かを言おうと口を開いたが――

言葉は、一つも形にならなかった

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