12月3日 〜桜井可奈の日記〜
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません。
今日は、三ヶ月ぶりの特別な日。
定時を告げるデスクの時計が十八時を指した。
私はマウスをそっと置き、胸の奥で小さく息を吐いた。
逸る気持ちを抑えながら、静かに帰り支度を始めた。
「……あれ? 桜井、なんか今日はいつもと雰囲気ちがくない?」
「あー、確かに。今日は気合い入ってるよね。彼氏と待ち合わせ?」
同僚たちは、私の小さな変化をすぐに見抜く。
「そんなんじゃないよ」
軽く笑ってごまかしながら、私は待ち合わせ場所へと急いだ。
そう、今日は――彼と過ごす、久しぶりの夜。
三ヶ月に一度だけの、秘密の時間。
高鳴る胸を押さえ、クリスマスの気配が漂う雑踏を足早にすり抜ける。
彼との関係は、ほんの些細な偶然から始まった。
行きつけの書店。
仕事の成績が伸び悩んでいた私は、ヒントを求めて販売戦略の専門書を探していた。
専門書コーナーの背表紙を指でたどりながら、目当ての一冊を探す。
自分の視線より少し上の棚に、ようやくそれを見つける。
「えいっ」
小さな掛け声とともに手を伸ばした、その瞬間――
厚く大きな手が同じ本へと伸び、私の指先にそっと触れた。
「あれ? 桜井じゃないか?」
咄嗟に手を引いた私の耳に、懐かしくも少し苦い思い出の声が飛び込んだ。
少女マンガで見たような出会い。
ただ、だからこそ、この再会に私は運命を感じてしまった。
「えっ……もしかして、岸本先輩!?」
振り向くと、大学時代の先輩・岸本誠司が微笑んでいた。
出会った頃と変わらない、人懐こく爽やかな笑顔。
変わったのは、落ち着いたスーツ姿と“できる男”の雰囲気——そして、
頭を掻く左手の薬指に光る、シルバーのリングだった。
先輩……結婚したんだ。
リングを見つめたまま立ち尽くしていると、
「いやー久しぶりだな。何年ぶりだ? 桜井、この辺で働いてるのか?」
と声をかけられた。
「え? あ、はい。すぐ近くです……」
私は我に返り、当たり障りのない返事を返した。
そのあと、お互いの近況を簡単に話し、連絡先を交換して別れた。
岸本誠司。
大学時代、私が所属していたサークルの三つ上の先輩。
入学したばかりで右も左も分からなかった私に、いつも優しくしてくれた人。
笑うと少年のような顔になるその笑顔を見るたび、胸の奥がきゅっと締めつけられ、
甘い眩暈のような感覚に包まれた。
そして、私たちは自然に付き合い始めた。
男女の仲になるまで、そう時間はかからなかった。
私は幸せだった。
初めての彼氏、初めてを捧げた人。
このまま結婚して、この人の赤ちゃんを産んで、
穏やかで幸福な家庭を築けたら……
そんな夢を、何の疑いもなく描いていた。
——終わりは、突然に訪れた。
ほんの些細な行き違い。
若かった私たちは、お互いを思いやるほんの少しの心の余裕が足りなかった。
別れたあと、何人かの男性と付き合ったけれど、どの人とも長くは続かなかった。
そして私は、仕事にのめり込むようになった。
「……先輩、変わってなかったな。
あ、でも……指輪、してたっけ……」
胸の奥に、得体の知れない悲しみと嫉妬が湧き上がる。
次の瞬間、涙が頬を伝い落ちた。
え? なんで……? なんで私、泣いてるの?
止めようとしても止まらない涙。
溢れる感情を抑えきれず、私は慌ててハンカチで目頭を押さえた。
彼とはもう終わった関係。
頭ではとっくに整理できているはずの過去。
でも、あの人懐こい笑顔を見た瞬間、
胸の奥で封じていた熱が、静かに息を吹き返した。
二人で過ごした、懐かしく甘い日々。
触れ合ったぬくもり、交わした言葉、
重ねた身体の記憶——。
そのすべてが、もう取り戻せない。
あれは、私の青春そのものだった。
「……戻りたい。戻りたいよぉ……」
涙は止まらず、ハンカチを濡らし続けた。
家に戻っても、抑えきれない想いは止まらなかった。
行き詰まった仕事、そして孤独な毎日……。
私は、もう一度あの暖かい空間を取り戻したいという感情を、止めることができなかった。
――ダメだよ、可奈。それは絶対にダメなんだよ。
心の中で私が叫ぶ。
しかし感情が、温もりを強く渇望する“もう一人の私”が、その声に耳を塞いでいた。
もう、ダメだった。
あの笑顔……以前は私だけのものだった。
あの大きくて暖かい手……あれは、私だけを包んでくれたものだった。
私はスマホを手に取ると、抑えきれない気持ちを隠すようにLINEを打ち込んだ。
「先輩、ご無沙汰してました。
お元気でしたか?
久しぶりに先輩の笑顔が見れて、何だか癒された自分に驚いてます。
またお会いして、昔話でもしたいですね。
では、失礼します。おやすみなさい。」
簡単な挨拶。
しかし、会いたい思いを滲ませた言葉を送った。
返信はすぐに返ってきた。
内容は「久しぶりに見た可奈が大人の女性になっていて驚いたこと」、
「以前よりも綺麗になっている」という褒め言葉。
そして――
「来週あたり時間が合うなら、一杯やりながら思い出話でもしようか。」
期待していた答えが返ってきた。
私の心臓が早鐘のように高鳴る。
久しぶりに思い出した恋心。
もう止められない。
私は即返信し、「OKです」とだけ伝えた。
――――
電車の窓から流れる光の街並みを眺めながら、自問自答する。
これで、よかったのかな……。
その後、何度か先輩と待ち合わせをした。
そして何度目かの夜、自然とお互いを求め合った。
ここまで望んでいたのか?
いや、これを望んでいたんだ。
私の胸に顔を埋める彼を、私は優しく包み込む。
久しぶりに感じた人の温もり。
熱い体温が、私の肌に伝わる。
求めていたものが、今ここにある。
本当は、こんな関係を願っていたわけではないはずだ。
ただ、孤独の底で埋もれていた私は、
この仮初めの関係に溺れ、沈んでしまった。
――――
「次は○○、お出口は左側です」
車内アナウンスで我に返った。
人混みのホームを縫うように歩き、待ち合わせ場所へ向かう。
改札を抜けると、あの笑顔が私に手を振って佇んでいた。
私は、高まる胸の興奮と、言いしれぬ不安を抱えながら、彼に駆け寄った。
クリスマスの華やかな雰囲気が溢れる街並みを、寄り添って歩く。
繋いだ彼の左手の薬指に、リングの輝きはなかった。
※本作の執筆には生成AIを使用しています。




