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第三章「腐乱先生」1

 カラスよりも声がさらにガラガラと汚く、顔もゴブリンのそれを万力で前後から押し潰したがごとくボッコボコに醜く、羽の色もさらに不吉な漆黒に塗りつぶされし、ギャララスなる怪鳥どもの絹を引き裂くような遠吠えが、山岳全てに調子はずれのバイオリンの音のごとく響きわたり、迫る宵闇で穢れた血のように黒く濁った夕日が、浴室の壁の古びた吸盤フックのついにポロリと落ちるがごとく引っ込むころのことである。

 欧州では有名なコーラスグループ、Earth,Wined & F〇ck(アース・ワインデド・アンド・フ〇ック……地球で酒飲んで変なことをする、という意味)の軽快なナンバー「SEXテンパリ婆あ(「セプテンバー」のくだらないパロディ)がラジオから流れだすと、ティロットン先生の憂鬱が始まる。




 自宅であり修行場でもある、このガジョマルをくりぬいた家は、広い道場と、その隣に生活圏である彼女のささやかな自室。そして、その向こうには弟子の部屋、というつくりであった。

 ガジョマルは幅が百メートルはあるのに、高さが二十メートルもないという寸胴の大木である。短い枝が外向きに飛び出て頂点をぐるりとめぐり、その上に深緑のマフラーを巻いているさまは、平たい頭を覆うツンツン髪か月桂樹のよう。

 この木は、このへんの涼しい気候の山岳には珍しくなく、家を建てるより安くつくので、よくこのように中をくりぬいて住居にされる。



 ティロットン先生。「先生」というからには、ものを教えるのが仕事。彼女は魔女だった。

 この母国ナハトット・クリスタ共和国の魔法学校を主席で卒業後、怪獣退治や悪魔討伐、果ては国家要人の難病まで治癒し、当時の首相クンナ・ナチヤローから魔術最右翼の称号を得た。

 それをきっかけに、よわい三十五にして北欧の魔法の中心地であるアランポラン公国のオカルト最高機関、マジカラリヤから最高位の魔女の証である純金メダルをもらい、数々の優秀な弟子を輩出して、まさに飛ぶ鳥をイケメンのナンパのように落としまくる勢いだが、本人はぜいたくな暮らしを嫌い、このような山奥の小さな丘に立つ、こじんまりした家で満足している。だから幸せなはずだった。

 ところが。


 今の彼女は、この白壁に囲まれた、小さくてきれいでおしゃれでラジオのかかる明るい居間で、普段着の白ワンピを着て安楽椅子にゆったりと背をもたれてはいるが、その顔色は蝋のようにさーっとまっ白、今にも飛び出そうにまん丸な目はぎょろぎょろと病的に見開き、歯は今にも砕けて飛びそうにギリギリと食いしばられ、か細い指でひじかけをぐっと握り締めて、椅子を前後に小さくゆらし長い黒髪を揺らしながら、これから必ず起きる、ある恐ろしい事態を待っている。事情を知らぬ者が見たら、とても絶大な権威を持つ大魔女先生のお姿とは思えないだろう。


 いきなり遠くで野犬の遠吠えがし、目がびくっとそっちを向く。その叫びは飛ばした紙飛行機のように長々と引き伸ばされ、ゆっくりと落ちていくように、伸びて伸びて、終わった。その直後、なにかがどたどたと外から入ってきた。

 女の右の口元だけが笑うように引きつった。目はさらに恐怖にグバーッと見開き、今にも落っこちそうなピンポン玉レベルにまでむきだしたとき―

 バタンッ!

 背後のドアがあいた。


 普段なら、「こらっ、壊れるでしょ」と怒るところだが、今は無理。

 まあ誰だってそういうときはある。風邪でイラついてたり、何かで落ち込んでいて、普段なら言うはずのことが言えない。「あれ、おかしいな」と相手は思う。いつもなら、あっちから声くらいかけるのに。

 だが、たいていそういうときは、まあ体調でも悪いんだろう、で済まされる。そして、それはほとんどのばあい、当たる。

 だが、このティロットン先生の場合は……。


 そうそう、先生というからには―

 教え子がいる。



「先生、道場のぞうきんがけ、終わりました」

 どこかはすっぱな少女の声に、先生は後ろを見ずに、ただ歳相応の低くセクスィな声を震わせ、うわごとのように、

「そ、そう。や、やらなくても、よかった、の、よ……」

「はあ?」

 気を使ったつもりだったのに、少女が不機嫌に返したので、泣きそうな顔になった。だが少女は、女が泣きそうなことを、椅子の背からでもよくわかっていた。いつものことだからだ。

「先生、また……」

 声がねっとりと不吉な意地悪さを帯びた。いつもどおり薄笑いしているのがわかり、女は絶望の目を閉じた。冷酷な弟子は、口元が爬虫類のようにニーッと吊りあがり、思いっきりバカにするように歯をむきだして、ぽつり。

「また、あれ……ですか……」



 直後に女は、わっと立ち上がった。そして、我々一般人には想像もつかない、すさまじい異常行動をしだした。とつじょ、大きくあいた口から、なんと大量の内臓をどばどば吐きはじめたのである。

「げろげろげえええええ――!!」

 野獣のうなりのごとく、きったなくしゃくりあげてうめきながら、長々した腸、胃、心臓などを、にゅるにゅるだぼたぼと足元までたらし、服はもちろん、床一面をまっかな血と臓物の海にした。体内でつながっていたのが、ちぎれて出ているのだから、当然、死ぬほど痛い、苦しい、つらい。息ができず、巨大な手で体をねじ切られているような、地獄の激痛である。


 あらかた吐いて、意識朦朧のまま、これで終わることを願ったが、甘かった。次に、いきなり腹が縦に大きくバックリと裂け、ワンピをぶち破って残りの内臓が派手にぽんぽんと爆発のように飛び出した。中には白い骨まで混じっている。

「ぐぎゃあああ――!! げひょあああ――!! だ、だじげでえええ、じぇのずううう!!」


 身をよじって絶叫しながら、いつもどおり弟子の名を呼ぶが、呼ばれたジェノスは、やはりいつもどおり後ろで丸椅子に大またびらきで座り、背もたれに腕をかけて、面白そうに見物するだけだ。

 このとても酷いのが、今のティロットンの弟子、修行二年目のジェノスである。




 豊富な空色の髪は、たいして手入れもせずぼさぼさ、薄く白い麻のシャツにみすぼらしいカーキ色のズボンは、いかにも修行中の門下生の質素な身なりではある。が、彼女は今、どう見ても自分の師匠の危機なのに、なぜかまるで助けようとしない。そればかりか、まるでその悲惨な姿を鑑賞して楽しんでいるようにしか見えないのだが……全くそのとおりだった。


 彼女は師匠の苦しみを心から楽しんでいた。見た目ものすごい非常事態で、いかにも死にそうだが、あわてる必要はない。それは絶対にないからだ。また、これだけひどく汚すと、あとで部屋の掃除が大変そうだが、ジェノスくらいのレベルなら、魔法でちょちょいと片付けて、すぐに元通りのきれいな部屋になる。

 先生の体も簡単に治るが、心の傷は一生消えない。しかもそれが、日を追うごとにどんどん積み重なっている。休火山のマグマが下から溜まって火口まで膨れ上がるように。

 といって、この哀れな火山が噴火する可能性はなさそうだった。どんなに酷い目にあおうが、その怒りや不満が爆発するには、この弟子があまりにも恐ろしすぎたのである。


 ジェノスは、もう魔法はあらかた覚え、はっきりいって卒業していいくらいなのだが、まだしばらくはここにいることにしていた。理由はもちろん、このエンタメを繰り返し見るためである。繰り返し見て、このビジョンを脳に焼き付け、あとで老後の回想の楽しみにするのである。




 あらかた血と肉を飛ばし尽くすと、恩師はいったんびくっと棒立ちになった。

「……終わりました? 腐乱先生」


 あざ笑うように言われ、ばたんとうつぶせに倒れる。

 ラジオの曲はEW&F最大のヒット曲、「鬱のファンタジー」になっていた。

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