8 開演
召集をかけてから一日ほど遅れてサーキュラーがやってきた。彼が到着した時はちょっとした騒ぎになった。
「あれが? 本当にそうなのか?」
「しっ、聞こえたらどうする」
魔王軍統括総司令という肩書きが先に届いていたため、城中の人間が彼の登場を待っていた。けっこうな美男子であるという噂もまんべんなく城内を駆け回っていた。
「あー、きたきた」
「遅いわよ、サーキュラーちゃん」
サンダーとワンダに出迎えられ、サーキュラーは飛行糸につかまって上空から降りてきた。彼が地上に降り立つと同時に、その両脇にファイとグランデが出現する。見物に集まった人々は度肝を抜かれた。
「魔王は?」
「奥にいるわ。王様と一緒よ」
周囲にはかまわず、彼はワンダとサンダーに先導させて魔王の元に急いだ。後ろにはファイとグランデがついていく。金髪でど派手なサーキュラーにいかにも魔族といった印象のファイと、人の姿ではあるが大柄で颯爽と歩くグランデは、今までの魔王達のイメージを一変させるのに充分だった。城の人間達は温和なサンダーと愛想のいいワンダ、それにいつでも穏やかなセラフィムを見ていて、少々魔王達を馬鹿にしていたのである。肝心の魔王は客先だからというので、登場時にドラゴンの姿であったほかはあえて目立たないようにしていた。それも影響していた。
「只今到着致しました」
注目を浴びているのが分かってサーキュラーは四大将軍を後ろに置き、わざと魔王の前にひざまずいて見せた。魔王がこっそりと苦笑する。そこまでする必要はないからだ。四大将軍達も乗り気でサーキュラーに倣ってその後ろでひざまずいた。
「よい。立て」
サーキュラーと四大将軍達が立ち上がる。何を始める気なのかと思いながら、魔王はそばにいる父王に彼らを紹介した。
「正面にいるのがサーキュラーで、魔王軍統括総司令を務めている。後ろのフードの娘はファイ、定規を持っているのがグランデで、それぞれ火精将と地精将を務めている。以後、よろしくお願い申し上げる」
父王はサーキュラーのことをまじまじと見ていたが、これはまた、とつぶやいたようであった。
「見かけによらず百戦錬磨とみえる。うちの腰抜けどもとは大違いじゃ」
すかさずサーキュラーが返した。
「サーキュラー・ネフィラ・クラヴァータと申します。お褒めにあずかり光栄です」
そのまま頭を下げる。四大将軍達も同じようにした。抜かりがなかった。父王が言う。
「城の聖堂と庭を借りたいということであったな。それから物置小屋か。そんなものでいいのかね」
サーキュラーが一礼し、言った。
「それから城の上空もお借りできますか、国王殿。彼らは空からも来ますゆえ」
「……よかろう」
この地域では対空はあまり考慮されない。使えるものは弓矢くらいであるし、火薬で砲弾を撃ち込むのも高くつくためほとんど採用されていなかった。そういう戦闘の仕方もあるという程度である。なので何をするのか気になりながらも、父王は彼に許可を出した。
「ありがたく存じます」
魔王の指示が出た。
「こちらには一切被害を出さずに御使いどもを捕らえよ。できるな?」
「御意」
にやっとサーキュラーが笑った。周囲の人間どもを震撼させるには充分な笑いだった。
短剣を前に置き、アルノ王子は白く装飾された祭壇で祈りを捧げていた。他には誰もいないはずなのに何者かの気配がして、アルノはうつむいていた顔を上げた。
「あっ、天使」
大きな白い翼を持った天使が二人、聖堂天井付近から降りてきた。片方の顔には見覚えがあったが、もう片方は見たことがなかった。ひざまずいたままアルノが彼らを見上げていると、天使達は彼の眼前に降り立った。
「ダメだったよ。それに強すぎる。僕じゃ勝てないよ」
アルノは彼らに言った。黒髪のほうがアルノに答える。
「王子の御心があれば、何度でも挑戦できるはずです。この城と大事な姉上が魔物に乗っ取られてもよいのですか」
うーん、と王子は言った。すかさず茶髪のほうが畳みかける。
「そんなお気持ちではここを護りきれませんよ。我々もお手伝いいたします」
「えー、だってー」
ごねるアルノに天使達は少々いらだったようだった。しかしそれを押し隠して、彼を説得にかかる。
「今が一大事なのです。今、彼らの侵入を許したらこの城は乗っ取られてしまいます」
「醜い魔物達に姉上や父上が食べられてしまってもよいのですか。このままではアルノ様はひとりぼっちになってしまいますよ」
「うーん」
アルノは下を向いて短剣を手に取った。その手元を天使達は覗き込んだ。アルノが短剣を鞘から抜いたからである。そしてまたそれを鞘に収めた。
「……お前達、ウソばっかじゃん」
「は?」
それから彼らを見上げた。
「おねーちゃんたち、すげえ美人だったよ」
天井付近から真っ青な光がほとばしった。天使達が驚いて天井を見上げる。その隙にサーキュラーは聖堂入口から網を飛ばし、アルノを手元に回収してしっかりと抱え込んだ。
「よく頑張ったな」
「……うん」
天井には、巨大な六枚翼に雷光をまとわりつかせたセラフィムの姿が見えた。ただし、いつもの赤いコート姿ではない。白い天衣に光輪を背負った天軍長の衣装であった。
「こわ……」
入口前のホールで待機しているサンダーがつぶやいた。ワンダはよくあのセラフィムと戦う気になったもんだ、そうも思った。
「てめえ!」
「出たな」
飛び上がろうとする御使い二人に、サンダーは横合いから弱電流を放った。ただし自分は入れないから電流のみである。するとセラフィムからの放電がまっすぐにそこを狙って落ちてきた。セラフィムは特に何もしていない。通常は大気中に流れている分がサンダーの電流に引かれて、そっちに向かって勝手に放電していた。
「どんだけなの、セラフィムさんって」
城内を壊さない、そういう約束からこの方法になった。セラフィムが能動的に動くと建物がなくなるからである。
「嘘つきは堕落の始まりですよ」
地上から飛び立てないミカとウリエルに、セラフィムは微笑みながら言った。二人の脳裏に、彼が天軍長時代に数多の仲間を断罪したことがよみがえってきた。その断罪っぷりも半端なものではない。唯一神の命令を後ろ盾に、御使いだというのに消滅まで追い込まれた者も多数存在する。アルカイックな笑みを浮かべ、光輪を背に上空を漂う彼のこの姿は、御使い達にとってトラウマそのものなのだ。
「ふざけんなよクソが」
言葉は強いが震え声だ。そんなウリエルに、飄々とセラフィムは答える。
「ならどうしましょうか」
サンダーは背筋が寒くなりながらも電流を流し続けた。無傷で捕らえるとセラフィムは言ったのだが、今の状況でそんなことができるとは思えなかった。建物の出入り口と城の上空にはサーキュラーが網を張っている。その網には点々とサラマンダーが配置されており、援軍、もしくは逃走の場合にも対応できるようになっていた。
「くそっ」
ミカが槍を手に、出入り口に隠れているサンダーのほうを見た。どうやら気づいたらしかった。
「女! いるのは分かってるんだ! その電流をやめないと消し飛ばすぞ!」
続いてウリエルも彼女を見つけた。
「ちっ、面倒な」
それからセラフィムが浮かぶ天井を見上げた。覚悟が決まったらしく表情が変わる。そしてすさまじい目つきでサンダーを睨みつけた。
「てめえら消してやる」
ひえええ、と思いながらサンダーは電流を流し続けた。彼女を人質に取ってセラフィムを脅す気なのだろう、放電を食らいながらも御使い二人は彼女ににじり寄ってきた。サンダーは彼らをひきつけながらゆっくりと後退する。内部から御使い達を追い出すためだ。
「きゃああああ」
あえて近寄らせ、攻撃を受けたら悲鳴を上げて逃げ出す。そんなことを繰り返し、彼女は御使い二人の頭に血が昇るように仕向けた。その後ろではセラフィムがそうっと床付近まで降りてきていて、逆戻りできないように逃げ道を絶っている。
「あんた、思ったより弱いね」
黒髪のウリエルがサンダーをあざ笑った。怯えた表情をしているから当たり前である。サンダーは彼らが出入り口の敷居をまたいだのを確認して、さらに大きな悲鳴を上げて走り出した。つられた二人が聖堂入口から出てそれを追いかける。
「ここまで! パス!」
サンダーが叫んだ瞬間にミカの槍が彼女に突き刺さった。その姿が四散し、金属製の髪飾りがコロン、と床に落ちる。さっと男の手が伸びてそれを拾い、ついで彼らの正面に立った。
「大事な部下なんでな。落とし前はつけてもらうぞ」
さっき受け取ったアルノは安全な場所に移してあった。彼の顔を見て御使い二人が仰天する。ここに来る前に魔王城に寄って、城内にいるのを確認したばかりだったからだ。
「お前は?」
「なんでいるんだよ」
サーキュラーは跳躍ができない。そのことは敵である天軍も周知の事実だ。代わりに飛行糸で空を飛ぶのだが、それだってここまで来るには結構な時間がかかる。
「確認したのに、ってか。残念だったな、あれはオフクロだ。よく似てただろ」
それで一日空いたのだった。魔王はサーキュラーを呼ぶにあたって一筆書き、それをハエトリに持たせた。そのままハエトリはその手紙をサーキュラーの母親の家に持って行った。サーキュラーも本音はいやだったのだが、魔王の「叔母上しか頼める者がおらん」という言葉で渋々承諾した。それも本当だったからである。留守番と身代わりができ、それなりに不審者を撃退できるのは彼の母親しかいなかった。
「お前らのせいで見合いをしなきゃならなくなった。ぶっ殺してやる」
「殺しちゃ駄目ですよ、サーキュラーさん」
サーキュラーがそう言うと、聖堂入口から出てきたセラフィムが言った。御使い二人はそれを見て愕然とした表情になった。
「しまった……」
ミカがつぶやく。奥の祭壇には天界との通路があり、彼らはそこから出てきていた。セラフィムはその通路を潰してしまったのである。
「必要があるからとはいえ、あの格好は好きになれません」
もう服装はいつもの真っ赤なコートに戻っている。しかも彼は聖堂内部にシールドを張り、御使い二人が中に入れないようにしてしまった。セラフィムはそこに立っているサーキュラーを見て言った。
「それと室内は壊さないでくださいね。戻すの大変なんですから」
「魔王城を吹き飛ばしたヤツがよく言うよ」
それを一晩で元に戻したことを思い出し、サーキュラーは肩をすくめた。いきさつはどうあれ、魔王がセラフィムを手元に置いている理由がよく分かる。危険すぎるからだ。
「とっとと片付けるぞ、セラ」
そうですね、とセラフィムが答えた。
「この後買い出しに行かなくてはなりませんから。いくら魔王様がいいと言ったとはいえ、ちょっと今回は高くつきすぎました」
「だな」
サーキュラーは正面の御使い二人に向き直った。セラフィムはその背後に控えている。御使い二人は追い込まれたことが分かってそれぞれに武器を取り出した。
「サーキュラーさんだけで充分でしょう」
「やる気ねえなあ」
くくっとサーキュラーが笑った。次の瞬間、網を繰り出して御使い二人を捕獲しようとする。とっさに彼らはそれをかわして天井付近に飛び上がった。
「やっぱ速ええな。捕まらなかったか」
サーベルを振り回し、いらついたようにウリエルが言った。
「二人同時とはなめられたもんだ」
「俺を誰だと思ってる」
そう返したサーキュラーに素早く大量の槍が打ち込まれた。しかし全部弾き返される。セラフィムが電撃で防御したのだった。いいねえ、とサーキュラーが口笛を吹く。
「ちゃっちゃとやって下さいよ」
「そう言うな」
聖堂手前のホール内全てに蜘蛛の網が張られている。そのことに気づき、ウリエルは天井付近から少し下がった。そこをサーキュラーの捕獲網が見舞う。ミカはくっついた網から無理やり身体を引き剥がした。白い羽がホール中に舞い落ちる。ミカはそれを忌々しそうに見た。
「それ剥がせるのかよ」
感心したようにサーキュラーが言った。後ろからセラフィムが答える。
「ブーストがかかってますからね。この場所、すごいですよ」
丸腰と見て、ウリエルがサーキュラーに斬りかかってきた。サーキュラーは残り四本の硬くて長い脚を背に呼び出し、剣のように操ってそれを防ぐ。バケモンが、とウリエルが吐き捨てた。
「ありがとよ」
その脚の先には鋭いツメがついていて、かすっただけでもすっぱりと切れる。ミカはセラフィムに向かっていった。彼はさっきから聖堂入口を背にした位置から動いていない。そのことに気づいたのである。
「そこをどけ!」
青い槍を片手にセラフィムを脅しつける。しかしセラフィムは動かない。それどころか腕組みをして悠然と立っていた。
「嫌です」
無数の槍が乱れ飛ぶが、セラフィムはすべて弾いた。しかし仕掛けてはこない。彼が防御のみで攻撃をしてこないことにミカは不信感を抱いた。何かある、そう思ったのだった。
「もしかしてここだといかづちが撃てないのか?」
セラフィムはそしらぬ顔をしていた。基本的にセラフィムも御使いも同じ聖属性である。この聖堂内という場の力によって御使いのパワーは増幅されているが、ミカはてっきりセラフィムも同じだと思っていたのだった。しかし降魔したためにその恩恵を受けられないというのもありそうな話ではある。
「すっかり魔界に染まっちまったかよ」
ミカは槍を持ち直した。
「違いますよ」
余裕の表情でセラフィムは答えた。次の瞬間、真っ赤な六枚翼がその背に出現し、雷球がホール内を走り回った。
「今いかづちを撃つとこの建物全部とここにいる全員が吹き飛ぶんです。だからできないんですよ」
雷球をかわしながらミカが言う。
「いつもと一緒だろうが。なぜやらない」
そして空中に飛び上がった。
「いまさら何言ってやがんだ。御使い達もお前の仲間達も、みんなお前が消しやがった。今の天界はからっぽだ」
静かにセラフィムは答えた。
「知ってます」
雷球の数が数倍に膨れ上がる。それでもセラフィムはその雷球に指向性を持たせなかった。天界にいた時の彼からは考えられないことだった。
「それを望んだのはあなたたちの創造主ですよ」
へっ、とミカは言った。
「自分は道具に過ぎないって? なら今度は魔王の道具か。都合がいいね」
一呼吸置いてセラフィムは言った。
「道具だからこそ使い手を選ぶんです」
そして彼はその無数の雷球をすべて消した。
「煽っても無駄ですよ。この場所をわたくしが壊せば通路が開いてあなた達は天界に戻れるし、わたくしは魔王様の信頼を失って抹殺される。そう考えたんでしょうが、少々甘かったと思いますよ」
セラフィムの後ろにサンダーの姿が見えた。それを見たミカが瞬時に後ろに下がる。しかしサンダーの雷撃のほうが早かった。絶妙なタイミングで彼女はミカの頭上にいかづちを落とし、サーキュラーが仕掛けた網の上に転ばせた。
「くそ!」
ミカが放つ槍はすべてセラフィムが弾き返した。サンダーは二度、三度といかづちを落とし、とうとうミカを動けなくした。
「早撃ちってきついね」
息を弾ませながらサンダーが言った。上出来ですよ、とセラフィムが返す。
「訓練次第でまだまだいけますよ。スタートが遅い分、伸びしろがあります」
セラフィムは転がっているミカを捕まえた。ホールの隅で戦っているサーキュラーがその様子に気づいた。
「やったか」
「ええ。ほぼ無傷です」
その間もサーキュラーはウリエルの相手をしていた。キン、という音がして、サーキュラーの背から生える細い脚から何かが飛んでくる。ふん、とウリエルが嗤う。
「魔物は消さないとな」
サーベルを逆手に構えたまま、ウリエルはサーキュラーの胸元に突進してきた。その先が胴体に刺さる直前に、ウリエルの眼前に密度の濃い真っ白な網がかぶさってきた。
「やりい」
にやっとサーキュラーが笑う。もがけばもがくほどその網はウリエルにからまり、とうとう彼は動けなくなってしまった。ちきしょうという怒鳴り声が聞こえたが、サーキュラーは構わずにさらにその上から細い糸で絡め取った。
「あっ」
隙をついてミカが網を破り、正面入口から外へ逃げ出した。サンダーが雷球で追いかけたが間に合わなかった。
「せっかく捕まえたのに……申し訳ありません」
半泣きのサンダーにサーキュラーは言った。
「いや、いい。予想はしていた」
え、という表情のサンダーにサーキュラーは説明する。
「自爆したくせに援軍を呼んでやがる。なんとか逃げれば後は片付けてもらえる、そう踏んだんだろう。悪いがセラ、頼む」
特に表情を変えずにセラフィムは答えた。
「まあそうでしょうね。じゃ、行きますか」
そう返事をすると彼はつい、とその場から消えた。サーキュラーはウリエルの入った網を引きずると、サンダーとともに歩いてその後を追った。