7 アルノ王子
何とか会談も終わって、魔王とセラフィムは城の外に出てきた。その前方には姫の父王と側近の姿も見える。父王が魔王のことを呼び、側近とセラフィムには下がるように指示をした。何か内密の話があるのだろう。二人は素直にその指示に従うと、城内に作られた池のほとりに向かった。
「だいたいここで王様を待つのですよ」
「そうですか」
言われた通りにセラフィムは池のきわに腰を下ろした。父王の側近も同じようにそこに座る。するとたたたっ、と足音がして彼らの前に飛び出してきた者がいた。
「やっと終わったの? 長すぎだよ」
見ると十二、三くらいの少年であった。ハエトリと同じくらいだとセラフィムが思っていると、その少年は彼にこう言ってきた。
「君、あのドラゴンのお付き? ねーちゃんが乗ってきたやつ」
「ねーちゃん? フーシャ様のことですか?」
ぽかんとしたセラフィムがそう言うと、少年がそう、と答える。
「なんか魔王が来るっていって、オレ、ずっと閉じ込められてたんだよ。そしたらでっかいドラゴンに乗ってねーちゃんが戻ってきたからびっくりしてさあ。あのドラゴン、ねーちゃんの彼氏なの?」
「アルノ様! 失礼ですよ!」
見かねた側近が少年を叱責した。セラフィムは呆然と少年の顔を眺めていたが、やっといろんなことが頭に入ってきた。こんなに驚いたのは久しぶりであった。
「フーシャ様の弟君ですか。わたくしは魔王様の側近を務めております、セラフィムと申します」
そう、と少年は答えた。
「オレ、アルノ。ここの第一王子やってる。ねーちゃんあのドラゴンと結婚すんの?」
「あの……」
セラフィムが困っていると、父王の側近がアルノ王子をたしなめた。
「そういうお話はきちんと決まってから、アルノ様にお伝えいたします。客人に失礼ですよ」
しかしアルノ王子はへこたれなかった。セラフィムを指差してこう言ってくる。
「魔王のお付きってことはこいつ魔物なんだろ。別にいいじゃんかよ」
「それとこれとは違います。ご自分が失礼なことをご自覚下さい」
なるほど、とセラフィムは思った。顔を赤くして言い募るアルノ王子とその彼に厳しい言葉を投げかける側近に、セラフィムはこう割って入った。
「わたくしが魔物なのは確かですから。それにアルノ様のご質問に答えられることは答えますよ」
にやっとアルノ王子が笑った。父王の側近はすみません、と恐縮した。思ったより彼が温厚なのでほっとしたようだった。
「やっぱ魔物なんだ。弱点ってなに? オレがやっつけてやるよ」
「アルノ様!」
くすっとセラフィムは笑った。微笑ましかったからである。そしてついこう言ってしまった。
「無理ですよ」
なにを、とアルノ王子はむきになった。腰から短剣を取り出し、彼にその先を向ける。
「これでどうだ」
おや、とセラフィムは言った。
「聖別されてますね」
アルノ王子はその剣先を彼に向け、ぐいぐいと押し込んできた。
「退魔の剣だ。さっさとやっつけられちまえ」
青ざめた父王の側近がそっとそこから立ち去った。誰かを呼んでくるつもりだろう。確かに子供のいたずらにしては少々行き過ぎであった。セラフィムがどうするか考えていると、アルノはそれを振り回して彼に斬りかかってきた。
「くらえ!」
セラフィムはひょいとその剣先を避け、アルノの腕をつかんだ。危ないですよ、と彼の持っている短剣を取り上げる。いでででで、と腕をつかまれたアルノが喚いたが彼は離さなかった。
「なかなかやんちゃですねえ」
そこへ父王の側近が数名の兵士を連れて戻ってきた。その後ろにはサンダーとワンダの姿も見える。青い顔をしている側近と比べ、彼女らは非常にのんきそうであった。
「お怪我はありませんか」
「大丈夫です」
側近に王子を引き渡し、彼は手元に残った短剣を見た。相変わらずアルノは騒いでいたが、側近と兵士らに怒られ静かになった。
「魔王様は?」
後ろにいたサンダーが聞いてきた。
「お二人でお話中です。少し長引いてますね」
あっそ、と彼女は答えた。ワンダが彼の手にある短剣に目をとめる。
「それ、ちょっと物騒ね」
捕まったままアルノがワンダを見上げ、びっくりした表情になった。すげえ、というつぶやきが聞こえる。
「ですよね。いくら王子でも子供に持たせるものではありません」
二人の会話を小耳に挟んだ側近が何か、とたずねてきた。セラフィムは言った。
「さっきアルノ様がおっしゃってましたが……これ、本物の退魔の剣です。たぶん城内の祈祷所かどこかから持ち出して来たんだと思いますが、かなりの業物ですよ」
話を聞いていたサンダーが近くに寄ってきた。アルノの視線がそっちを向く。サンダーは短剣を見てうっわー、と言い、感想を述べた。
「ずいぶんきつい聖別がされてるね。セラフィムさん以外さわれないんじゃない?」
そこにいた一同が彼を見た。ええと、とセラフィムは簡単に言った。
「わたくしちょっと他の人達と違うんですよ。説明は省きますが。なのでこういう聖別品や破邪系の物品はわたくしの担当なんです」
「向き不向きってところですか」
うーん、とセラフィムは言った。
「まあそうですね。ところでこれ、どこから出てきたのかアルノ王子に確認されたほうがいいと思いますよ」
この時アルノはぶすくれた顔をして、兵士の一人に押さえ込まれていた。側近がアルノにたずねる。
「アルノ様、あの剣はどこから持ち出してこられました? 場合によってはお父上に報告しなくてはなりませんぞ」
ぶすくれていたアルノの顔色が変わる。やっぱり、と側近は思った。
「聖堂地下の宝物庫ですな? なぜあれを持ってこられたのです」
嫌そうにアルノはしゃべった。途中、オヤジに言うなよ、とところどころで念押しが入る。側近はうなずいた。
「天使が言ったんだよ」
「天使?」
なんかさあ、とアルノは投げやりに答えた。
「でっかい羽根をつけた天使がやってきて、結婚の話はウソで本当は魔王が攻めてくるって。んで、宝物庫にあるあの剣なら小さいけど魔物を倒せるって言うんだよ。手始めに魔王の近くにいる白い髪のやつをやってみろって。弱いから簡単だって言われたけど大ウソじゃねーか。それにだいたい何で宝物庫に剣があること知ってんだよ」
実は宝物庫の奥にはもっと大きな、それこそ彼の身長ほどもある剣もあった。刀身には独特の文様が彫り込まれ、美術品としても価値が高そうであった。
しかし持ち上げられないと意味がないので、彼はそちらを放置して天使達の勧め通り手前側にあるこの短剣にしたのである。そっちの剣は大きかったが数百年も置きっぱなしのようで錆びも浮いており、とても使えそうにないと思ったからでもあった。
セラフィムとワンダ、それにサンダーは話を聞いて顔を見合わせた。もしかしてさあ、とサンダーが言った。
「その天使って白い服着てて短い黒髪だった? それとも長くてくるくるパーマで槍持ってた?」
「黒髪だった気がする。けど天使って普通白い服じゃねーの」
こう返されてサンダーはあのねえ、と言ったが、その後にアルノが話したことでむかつきは帳消しになった。
「あっちのねーちゃんとあんたのことも言ってたよ。魔物になったブサイクでかわいそうなやつらだから、それもやっつけて浄化しろって。でも二人とも美人だし、あの天使なんかあやしいよな。ニセモノかもしんない」
なるほど、とセラフィムは言った。そこへ向こうから父王と魔王が連れ立ってやってきた。ようやく話し合いが終わったようだった。
「迎えも出ないで何をしておる」
詰問する魔王のそばにいた父王が、素早くアルノの姿を見つけた。怒り顔になる魔王を制し、兵士に捕まっているアルノの前に立つ。とたんにアルノの態度と表情が変わった。
「今度は何をした」
「えっと、あの……父上、申し訳ありません」
さっきまでの不遜な態度がうそのようであった。側近がセラフィムから短剣を受け取り、父王に渡す。それを見た父王はアルノのことを怒鳴り倒した。
「先祖代々の宝剣を持ち出して何をしておる! しかもこれは退魔の剣ではないか。礼儀を尽くした客人がそれほど不服か!」
アルノは泣き顔になった。すみません、と泣き出した後にだって、と続ける。
「姉さまがやっと戻ってきたと思ったら結婚するって言うし、魔王が来るっていうのにみんな見せてくれないし」
「お部屋を抜け出して勝手にご覧になっていたと思いましたが」
すかさず側近が言った。もう一回、父王はアルノを叱りつけた。
「このバカモンが! 騒ぎばかり起こしおって!」
何と言ったらいいのだろうか。魔王達が困っているとさらに父王は彼を怒鳴り飛ばした。
「まったくそんなことで宝剣を持ち出すやつがおるか。なくしたらどうする気だ!」
「ご、ごめんなさい」
あの、とセラフィムは魔王と父王に声をかけた。父王の側近もそれが出てきた経緯を思い出した。
「この剣なんですが、ちょっと気になるお話が……」
父王はアルノを怒るのをやめ、セラフィムと側近のほうを見た。セラフィムが話し出す。
「これは本物の退魔の剣なんですが、王子にこの剣を持ち出すようにと言った者がいたようなんです。それでそれが……」
「天使だよ」
アルノが言った。もうごまかせないと見て観念したらしい。父王と魔王はそっちを見た。
「でっかい羽根をつけた天使。そいつが言ったんだ。宝物庫に行ってそれを持ってこいって。魔物をやっつけてみたいならそれだって言われたんだよ」
「なんだと?」
父王があぜんとする。だけどさ、とアルノは言った。
「天使のくせにうそばっかりなんだよ。こいつは強いしお姉ちゃん達は美人だし。こんなもんじゃ無理だよ」
「もしかして……斬りかかったのか?」
「うん。負けて捕まった」
今度は拳骨が飛んだ。セラフィムが苦笑し父王をなだめにかかった。
「何もありませんでしたから。そろそろ許してあげていただけますか」
話を聞いていた魔王があきれたように言った。
「姫の弟君か、本当にいい度胸をしている」
「なんでだよ」
「セラフィムは近衛隊長だぞ、王子よ。電撃を食らわなくてよかったな」
「……電撃? なんだよそれ」
アルノはびっくりしてセラフィムの顔を見上げた。さすがにセラフィムはぶすっとした表情になる。
「魔王様にまで言われるとは思いませんでした。わたくしはそんなに危険ではありませんよ」
「さて、どうだろうな。行きの花火は見事だったぞ」
道理で、と父王の側近は随行の将軍達が見ていただけだったことに納得した。子供の扱いも慣れているのだろう。その証拠に、アルノは隠しておかなくてはいけないことをぺらぺらとしゃべってしまっている。
「天使……御使いか。こちらに迷惑はかけられぬな」
魔王が短剣を見ながらいった。
「我々が退けばついてくるか、セラフィム?」
「どうでしょうか」
セラフィムが答えた。
「むしろおびきだして、ここで捕まえてしまったほうがいいかもしれません。ちょうどよく教会や物品が揃っています。ただサーキュラーさん達もいたほうがいいですし、場所もお借りすることになりますが」
それに魔王様もいらっしゃいますし、とセラフィムは言った。魔王があきれ返る。
「私を囮に使うか。いい度胸だ」
父王は興味深そうに魔王とセラフィムのやりとりを聞いていたが、魔王が言った最後の言葉を聞いて笑った。
「とんでもない側近を抱えておるな」
憮然とした魔王が答える。
「こういう者なのでな。仕方がない」
ひとしきり笑った後、父王は言った。
「そちらの力量が見られそうだ。よかろう、この城と聖堂を貸してやる。娘婿殿、信用しておるぞ」
そう言い残すと、父王は高笑いをしながらその場を去っていった。あわてた側近とアルノ、それに兵士らがその後を追う。後には真っ赤な顔をした魔王が残された。火を吹きそうであった。