4 本当のことは森の奥
一方、城に残ったサーキュラーとファイ、それにグランデはのんびりとした時間を過ごしていた。なにしろ肝心の魔王がいない。小うるさく用事を見つけてくるセラフィムもいない。彼らのすることはただ、城にいて不審者を侵入させないことである。そしてこの城は外部の者は簡単に侵入できないように作られており、その上にがっちりと防御呪文がかけられてあった。なので彼らはそれぞれ好き勝手に城内で過ごしていた。
「サーキュラーさん、お客さんみたいなんですけど」
そう言ってきたのはハンスだった。知り合いですか、とたずねてくる。やや不安そうであった。
「客?」
「はい。なんかサーキュラーさんに会いたいって門の前にいます。黒髪で背の高い男の人なんですけど知ってますか」
その時サーキュラーは魔王城の敷地内で、堅く踏み固められた地面をじっと見ていた。よく見るとぽつぽつと地面に穴が開いており、そこに細長い草の葉が刺さっている。それがいくつもあり、じっと見ているとやがて一本の草の葉が押し出されてきた。タイミングを見計らってその動いている草の葉を勢いよく引き抜く。するとその先に白くて細長い、変な形をしたイモムシが食いついていた。
「あの、ハンミョウなんか釣ってないでお客さんに会ってください」
サーキュラーはそのイモムシの白い部分だけ口に入れ、草の葉に食いついている頭の部分は葉っぱごとその場に捨てた。ここは硬い上に大きな牙があって口の中を切るからだ。もごもごとそれを飲み込んでから彼は言った。
「そいつは客じゃねえよ」
「そうなんですか?」
「ハンス、手を見せてみろ」
言われてハンスは泥だらけの軍手を外した。作業の途中で門番に呼ばれ、そのまま来たのである。
「え?」
ハンスの両手にある紋章はところどころ薄青く光っていた。乗っ取りをかけられた時のような強烈な青ではないが、それでも警戒するには充分な色だった。
「天界から? また?」
瞬時にサーキュラーの両脇にファイとグランデが現れた。ころころと黒い塊が転がってきて、着ぐるみを着た少年の姿に変わる。ハエトリだ。
「こっちにも出たってセラに伝えろ。多分ウリエルだ」
ぽん、とハエトリは跳ねてその場から消えた。どうしますか、とグランデがサーキュラーにたずねてくる。
「網を張る。やつら飛ぶからな。ファイは網の四隅に火焔を乗せて、自分はすぐ動けるようにしておけ。グランデは中で防御にまわれ。やたらと動くな」
「了解です」
「……分かった」
また瞬時にファイとグランデの姿が消え去った。サーキュラーは歩きながら城門入口に手前から大きな網を張り、さらに塀際に足場糸を何本も絡めた。
「本当にクモなんですね」
なぜかついてきたハンスが後ろからそう感想を述べた。ハンスは鈍いのである。危ないのでサーキュラーはハンスをそこから追い出すことにした。
「あとお前は畑で何か捕っておけ。動くと腹が減るからな」
「またですか? さっき食べてましたよね」
「あれじゃ足りねえよ」
戦ってるのを見たかったのに、そう言いながらハンスはその場を去った。残念そうであった。
門番に声をかけて、サーキュラーは城門から外に出た。同時に門番は中に入り、ファイがその場所に立つ。思ったとおり、そこにいたのはウリエルであった。
「人界にいたんじゃなかったのか」
サーキュラーが言うと、ウリエルは彼の顔を見て言った。
「あんなの付き合ってられるか。ミカの馬鹿っぷりには反吐が出る」
ふん、とサーキューラーは言った。
「で、なんでこっちに来たんだ」
「そうだな」
言い終わらないうちに、彼はさっと手を伸ばして目の前を走る黒い塊を捕まえた。
「言ってもいいが……」
ウリエルの右手には襟首をつかまれたハエトリがぶら下がっていた。首を絞められ、見る見るうちにハエトリの顔が真っ赤になる。ウリエルは言った。
「これが邪魔だ。ずっとちょろちょろしてて気になった」
真っ赤な顔で、ハエトリはサーキュラーを見上げて言った。しゃべるのもきついらしく切れ切れの声だった。
「申し訳……ありません……」
「ファイ!」
サーキュラーが言うのと同時にファイの火焔杖が炎を吹き、ハエトリの全身が燃え上がった。熱さでウリエルが手を離す。ハエトリは黒く燃えてその場に転がった。
「ミスは許さないのか。もっと温情があるのかと思ったが、おっかないね」
その死骸を眺めながらウリエルが言った。少々驚いているようでもあった。
「で、何の用だ」
そう、それそれ、とウリエルが言った。
「今ここ、ゼラフも魔王もいないじゃん。だからここ取ったら俺、天軍長になれるかなと思ってさ」
「正気か」
サーキュラーは言ったが、ウリエルはへらへらと答えた。
「俺さあ、調べてきたんだよ。クモの天敵って鳥なんだってな」
上空がざあっと翳った。見上げるととてつもないサイズの怪鳥が一羽、大空を舞っていた。その爪や嘴を見るにどうも猛禽であるらしい。ゾウくらいなら余裕でさらっていける、そんなサイズだった。
「そこでロック鳥を探して参りました。いかがでしょうか、サーキュラー魔王軍統括総司令閣下殿」
ウリエルはさっとその場から飛びのくとにんまり笑った。
ファイが火焔杖を構える。サーキュラーは上空を見上げて考えていた。彼が変化しても意味がないくらいの巨鳥である。しかし、と彼は思った。
「どこから持って来たんだよ、これ」
ウリエルはにやにや笑いながら答える。
「天界にはいろんなものがいるんだよ。ここと同じくらいにね」
近寄らせないようにファイが門前に結界を張る。サーキュラーは試しに丸めた捕獲網を空に向かって放り投げてみた。
「キエエエエエ」
金切り声を上げてロック鳥はその丸まった捕獲網に食いついた。ぶんぶんと振り回し、何も入ってないと分かってぽいと放り投げる。そしてまた金切り声を上げた。
「うるさいな」
飼われている鳥だろうと彼は見当をつけた。どんなに大きくてもそれならやりようがある。金蜘蛛族の真の敵は魔界の森に潜む、馴れることのない嘴の長い鳥どもなのだ。変化したところを集団でつつき殺され森に連れ去られるのを、サーキュラーは子供の時から何度も見てきた。
「ほらよ」
彼はもうひとつ、からっぽの網を空中に投げた。巨大な鳥はその網に食いつき、また振り回してぽいと捨てた。何も入っていないので怒っていた。こうやってエサをもらい慣れているのだろう。彼のことをまっすぐに見て、また一声鳴いた。
「うーん」
脚でもちぎって投げてやればあっという間にいなくなりそうだったが、セラフィムにやられた分が最近やっと生え揃ったのでそれも嫌であった。いくら再生が効くといっても結構時間がかかるのである。悩んでいるうちにロック鳥は彼の眼前までやってきて、すぐ近くでほこりを巻き上げながら旋回し始めた。飛びながらキエエエ、と大声で鳴く。迷惑千万であった。
「司令! 大変です!」
鳥とにらみ合っていると、城内側にいるグランデからあわてた感じの遠話が入ってきた。こっちもだぞ、と返す。グランデは切羽詰った様子でこう言ってきた。
「大量のスズメバチがこっちに……ハンスさんが巣を抱えてこっちに走ってきます!」
「なに?」
思わず声が出てしまったが、それと同時にぶわあん、という音が聞こえ、ついでぶぶぶぶ、という激しく羽ばたきする音が響き渡った。城内側に設置した網に、大量のスズメバチがひっかかった音だった。
「司令!」
彼の横にスズメバチの丸い巣を抱えたハンスと、その彼を引きずったグランデが現れる。スズメバチの大群は城壁を乗り越え、ハンスに向かって襲いかかってきた。ファイが火焔で周囲にシールドを張る。スズメバチはまわりをぶんぶん飛び交うだけで彼らに近づけなくなった。
「何やってんだ、ハンス!」
サーキュラーに怒鳴られ、すみません、とハンスは謝った。幸いにもどこも刺されていなかった。かなりの数のハチが城内の網に引っかかったのと、グランデがタイミングよく彼を移動させたおかげだった。
「ハチなんて卑怯だぞ!」
少し離れたところから悲鳴と怒鳴り声が聞こえた。ウリエルだった。
「あっ……」
ウリエルめがけてスズメバチの塊が飛びかかろうとしていた。御使いもそれなりにシールドは張れる。なので刺されてはいなかったが防戦するだけで手一杯のようだった。スズメバチの群れはどういうわけかサーキュラーらには向かってこず、ウリエルをターゲットにしていた。
「あ、髪の毛黒いから……」
ハチの巣を持ったままハンスが言った。そこにいた全員が彼を見た。
「スズメバチって黒い生き物を襲うんですよ。クマだと思うらしいです」
「……なるほど」
サーキュラーの髪は警告色のような金色だし、ファイはオレンジ、ハンスは薄茶である。グランデは黒かったがそんな彼らの間にいて襲われずにすんでいた。
「覚えてろ!」
しばらく果敢に戦っていたが、とうとうウリエルはそう捨てゼリフを残してそこから消えた。逃げ出したようだった。サーキュラーは網を投げて地面に落ちているハエトリの死骸を引き寄せると、軽く揺すった。ぱち、とハエトリの大きな目が開く。
「すみません」
それからもそもそと起き上がった。焼け焦げた黒い毛皮の下に新しく茶色い毛皮がある。黒い焦げた毛皮を脱ぎ捨てると、ハエトリはその場に立った。
「次は見つかるな」
「はい。申し訳ありません」
「行け。セラに知らせろ」
ぽん、とハエトリは跳ねてその場からいなくなった。ファイが残った毛皮を燃やして灰にする。で、とサーキュラーはハンスのことを見た。
「何をした、ハンス」
あの、と彼は話し始めた。
「畑にはもう何もいなかったんで、お城の裏山に行ったんです。そしたらハチの巣があったんでいぶして木の上から一個取ったんですけど、近くにまだいくつも巣があって……」
ハンスは自分が取った巣の親バチは退治したが、それ以外にも巣があったことに気づかず、ほかの巣のハチの怒りをかった。それで大慌てでサーキュラーのところへ逃げてきたのだった。
「何か取ってこいとは言ったが……こんなものに手を出すんじゃねえよ」
「えっ、でも蜂の子おいしいって言ってましたよね」
「それは確かに言ったけどな」
ため息をつく彼の耳にキエエエエ、という金切り声が聞こえた。見ると大量のハチとロック鳥が戦っている。目標を見失ったスズメバチの大群は手近にいた巨大な鳥に、その怒りの矛先を向けたのだった。ロック鳥はロック鳥で、まわりに群がるハチを嘴でつつき食べていて、サーキュラーなど見向きもしなかった。
「まあいいか」
彼は鳥とハチを放置し、城内に戻ることにした。なんだか疲れてしまったのだった。