さようなら
ユンだと思った。
髭も髪も伸び放題で、よぼよぼの皺くちゃの顔なのに、ユンだと確信すら持って思った。
ユリアは、ユンの部屋に向かっていたが途中で声が漏れ聞こえたこの部屋に訪れた。
人間とは思えない身体の生物と、シュガーがいたが、今は構わなかった。足が自然と真っ直ぐに向かったのは、その老人の元だった。
無邪気な人だった。
教皇で、大司祭。この国の、いや、女神を信仰するこの世界の宗教のトップにいるのに、姿だけじゃなく中身も無邪気な子供だった。
何故彼がこんなにも自分を守ろうとしてくれるのか、何故彼が微笑んで特別扱いしてくれるのか。私には、結局分からない。
でも、
そんなこと良いのだ。
貴方の好意も善意も、私には沁みた。
貴方に微笑みかけられるのは、心地良かった。
膝を着き、ユンの手を握る。
ずっと出会った時から変わらない温もりを感じた。
「ユン様、お疲れ様でした。…ありがとう。」
私に祖父はもう死んでいるけれど、もし選べるなら貴方が良い。
貴方がもし私の祖父だったら、私はきっとおじいちゃん子。
そんなタラレバを想像していたら、目の前の人の瞳から光が消えていった。それをジッと見つめ、ユリアは完全に光が失えたのを伺うと、ユリアはユンの手を握る手とは反対の手でユンの目蓋をゆっくりと下ろした。
さようなら、
私に無償の愛をくれた はじめての人。
ユリアも目蓋を下ろし、深く呼吸をする。
自分の頭の中を切り替えるため、ユリアは数秒ほど深く呼吸を繰り返した後に、目蓋を開けた。そして、ユンから手を離し、ゆっくりと彼の身体から離れる。
「マクシミリアン、だったかしら。」
ミランダとユンの傍にいたガリアーノの友人に声を掛ける。マクシミリアンは、ミランダは倒れ、ユンが死んだという現実に戸惑い、放心していた。けれど、ユリアに名を呼ばれ嫌が応にも我に返る。
ユリアは何故ここにミランダとマクシミリアンがいるのかなど考えるのは、やめた。
「二人を頼んだわ。特にユン様のご遺体は、傷一つつけないように。」
ミランダはその次に大切に扱えと言うが如く、ユリアはもうミランダもユンも、マクシミリアンのことすら視界に入れずに立ち上がる。
マクシミリアンの返事が聞こえた気がするが、ユリアは目の前の光景を改めて冷静に見た。
目の前にいるのは、ウィリアム・クルワン、シュガー、そして……女性の形を少し模したナニカ。
「さて、貴方方は全員マルコニアの敵で良いかしら?」
その問いに、ドリーは虚をつかれたように驚く。そして、ふはっとどこか嘲笑したように乾いた笑い声を漏らした。
「人間ですか?って聞かないの?ユリア。」
名前を知られてる。
ユリアは、その事実を受け入れる。
「人間には見えませんが。それに、私にとって人間だろうが人間じゃなかろうかはどうでも良い。」
ユリアの蒼い蒼い瞳が鋭くなる。
「ーーマルコニアの敵か、敵ではないか。それだけが欲しい情報です。」
シュガーは、この状況でも何も変わらないユリアに呆れたような溜め息をつく。
でも、それよりもシュガーの今の興味はユリアよりもアルドレイの遺骨だった。
昨日のことのように覚えている。
アルドレイの魂を食うはずだったのに、奪われた。触れることが出来なかった。
それが、腸が煮えくり返る程に許せなかった。
ドリーは遺骨に優しく触れるシュガーを横目に、ユリアを見る。
人間にして、人間とは思えないほど美しい女ね。
神秘的な美。
その中にある魂は、シュガーが欲しいと思うほど崇高なモノ。美味しそうで涎が出そうになるが、手を出すのはやめておこう。シュガーは人間に興味を抱く変わった悪魔になってしまったが、強さは変わらない。喧嘩は負けてしまう。
「国の争いも人間の争いも、私の興味ではないし。関わる…ことはないわ。今は、ね。」
「どうゆう意味でしょうか?」
ドリーは肩をすぼめる。
「私は、この人間に呼ばれて、興味があって来ただけだもの。この人間が、貴方の言う国の敵なら、もしかしたら敵になる可能性はあるわ。」
ユリアはその説明を聞き、ウィリアムに目を向ける。ウィリアムは顔色一つ変えずにユリアを見つめ返す。
「国民が不幸になったわ、薬物をまかれて。」
「だろうな。」
「クルワン家の名誉も栄誉も汚して、地位が揺らぐわ。クルワン家の領地民だけじゃない、クルワン家に関わる全ての人々、使用人から家族、取引先など、国内外に多大な影響が出る。」
「ああ、それを望んでる。」
「多くの人が、何の意味もない戦いに身を投げ、血を流し、この争いは遺恨がきっと長引く。」
「それが戦争だ。」
「ウィリアム・クルワン。」
ユリアは、この部屋に来るまでに倒れた兵士の懐にあった剣を構える。細い剣だが、ユリアが幼い頃に習った剣術はこの剣からだった。
「改めて、聞くわ。」
「貴方は、アーサー様の敵?」
ウィリアムは、その問いに不敵に微笑んだ。
「ーーいや?」
ユリアは、目を微かに見開く。
ウィリアムはそんなユリアの反応を楽しむかのように、演技かかった動きで、ユリアに膝を着き、まるで部下が王に何かを献上するように両手の平を上に向け、ユリアに差し出す。
「全ては、
アーサー・ハサウェイ王太子殿下を
歴史上類のない偉大な王にする為に。」
突拍子もない言葉に、ユリアは動揺した。
何、を?
今この現状が、何をアーサー様を偉大な王になる為にと言うのか。頭の中で何も繋がらない。
動揺が手の震えとなって現れる。剣を握っている手が、カタカタと剣を鳴らす。意味がわからないのに、何故かユリアの頭に浮かぶ人がいた。
ドクンっ……
「………お父様が貴方に協力したのって………」
ウィリアムは、満面の笑みを浮かべた。
肯定だった。
剣が手から滑り落ちる。
分かっていた。分かっていた。分かっていた。
あの人は、権力を得る為に私を道具として扱った。でも、国までも道具として扱うなんて。
「……ポーロ家も、何もかも犠牲にして、」
「アイツは確かに器が小さいように見えるかもしれないですが、交渉が得意。商人だけじゃない、外交官とかにするのが今後の未来になりますよ。未来の王妃。」
「!ッ、なんでこれがアーサー様を偉大な王にすることに繋がッ!!!…………」
ユリアは、もう一人頭に浮かんだ。
「王妃様も知ってるの……?」
今までユリアを散々いじめていた彼女が浮かんだ。
「あの方には、この国に戻ってすぐに会いに行った時に伝えました。」
ユリアは唇が震えた。
戦争が長引いているというのに、王妃はこの男の計画を知っていたのだ。
ユリアは頭を下げたのだ。ここの市民に。アーサーを見捨てないでくれと、犬死にするかもしれないのに。懇願したのだ。そして、残ってくれた。残ってくれた彼らを守りたかった。だって、アーサー様を信じてくれた。彼の未来は、きっと素晴らしい治世だと夢を見てくれた。
なのに、国を守るべき貴族と王妃が裏切った。
「ふざけんるんじゃないわよッ!!!!!!」
こんな屈辱は初めてだ。
怒りで、目の前が赤く染まりそうだった。
「ふざけんな!!!!ふざけんな!!!!!!」
目頭が熱くなる。
マクシミリアンは目を見開いた。
怒鳴り散らすユリア。こんなにも激情にかられる姿は想像すら出来なかった。冷静沈着な、人形のような女性。でも、今目の前にいるのは、悔しくて、悔しくて、目に涙をためる、ただの女性だった。
『ユリア。
俺は、王になったら、人間ではなくなるんだろうな。孤独で、自分のやりたいことなど何一つ出来ないかもしれない。自由など無縁に。』
王太子に決定となった時、彼は王宮から外を眺めながら語った。
『だから、自由ではないなら、大切にしたいモノは自分で選ぶ。』
『海とこの街の光景が、好きだ。
自由に大切なものを選べる立場ではない。でも、俺が選んで決めたってことにすれば気持ちが楽だ。
………俺は、この国を大切にしようと思う。』
あの時のアーサー様の背中は、とても広くて。
「ふざけんなあッ!!!!!!!!!!!!」
そして、とても孤独のように見えた。
ミアリーは、アンベルクと共に街の光景を見下ろしていた。首都での戦いは落ち着いて、クーガンの戦いの連絡を待っているのみとなっていた。
戦いの後始末は後が立たず、二人は忙しい日々を送っていたが、ふとミアリーが外を見ようと言い、アンベルクとバルコニーに来た。
「……ウィリアム・クルワンは約束を守ってくれると思います。」
ミアリーの言葉に、アンベルクは苦悶な表情をする。ミアリーはそんなアンベルクに申し訳無さそうに笑みを浮かべる。
「ごめんなさい、アンベルク。」
「……良い。君は、黙っていることも出来たのに話してくれた。それでも、この選択をしたことを王として許せない。」
「ええ。」
「アーサーの父としても。」
「ごめんなさい、本当。」
「夫としても、許せない。」
ミアリーは、その言葉に目を見開き、そして目の前に悔しそうに唇を噛みしめるアンベルクを見る。
『ミアリー。俺の后が君で、俺は嬉しい。』
視界が滲んでいった。
海風が髪を靡かせる。ミアリーの瞳から、涙がこぼれ落ちる。
「………アンベルク…、好きよ。」
アンベルクはミアリーを見る。
何十年も顔を見知っているのに、一度も泣き顔を晒したことのなかった女性は、とても幸福そうに泣いて微笑んでいた。
「……大好き。」
アンベルクは、海風に髪を靡かせるミアリーの髪に触れる。アーサーに遺伝された、美しい黄金の髪。
『アンベルク・ハサウェイ殿下。私がこの国の盾となり、矛となる。貴方様の治世は安寧だ。』
『アンベルク・ハサウェイ殿下。王妃になる。でも、私は……この国が愛せない。愛せないんだ。女言葉もこれからは使う。王妃としての務めは果たす。でも、愛すことだけは強要するな。』
『アンベルク・ハサウェイ殿下。またお茶飲みに来たの?貴方仕事はしてるのかしら?』
『アンベルク・ハサウェイ陛下。貴方が本当に王になるなんてね。……あ、今お腹が動いたわ!私達の子、元気に生まれれば良いわね。』
『ねえ、アンベルク。ーー私、幸せね。』
アンベルクはミアリーの唇に自分の唇を優しく押し当てる。
「私も、いや、俺も大好きだ。ミアリー。」
「幼馴染として。」
「友人として。」
「人として。」
「王として。」
「夫として。」
「ずっと、ずっと、好きだ。俺の后。」
ミアリーは、アンベルクの背中に手を回す。
「ーーーーーさようなら。」
「愛してる。」




