夢のようで
昔。
神とか悪魔とか、そんな概念が無い時に、人間と異種族はよく互いの世界を行き来した。
人間は魂の形となって、神と悪魔は人の形となって、互いの世界で楽しく過ごした。
異種族の違いは、生きる世界の違いだけではなく、寿命も違い、死の概念、様々なことが異なっていた。何より、悪魔と神は人間の寿命や見た目、病などに干渉ができたが、人間は何も出来なかった。
いつしか悪魔は人間の魂が馳走だと気づいた時、神もまた気づいた、人間の愛しさに。
神と悪魔は争うことを避けた。
彼らは愉しさを愛するのであって。ストレスなどは愛さなかったから。
そして、人間を大切にしたい可愛がりたい神と、人間の魂を食したい悪魔は妥協案を見つけた。
神は、悪魔の食事に手を出さない。
悪魔は、神の愛し子に手を出さない。
単純な決まり。
だからこそ、悲劇が起こった。
「あんた、何してんの?」
人間にシュガーと名付けられた悪魔に話しかけると、シュガーは虚ろな目でこちらを見てきた。
他者を馬鹿にし、自由気ままに生を楽しんでいた悪魔にしては、何ともみっともない姿を今披露している。怪我を治癒することもなく、ただシュガーは建物に入りたくてたまらないようだった。結界に手を当てては、火傷のような傷を負っていく。
その建物は人間がシュガーだけじゃない、悪魔の侵入を拒む鉄壁の結界が張られていた。
「人間を好む悪魔がいるとか言うけど、あんたがそうなるとはねぇ。」
腹も減っているのだろうか。傷の戻りがあまりにも遅い。人間の魂が好物な飢餓の悪魔のくせに、ここしばらくこの結界ばかりに気を取られてシュガーは何も食していない。
情けなくて、みっともなくて、
そして同時に思った。
人間とはシュガーをこうするほどに興味深いのか。
ジュッ…
シュガーはまた結界に触れて、怪我を負った。
「だーれが結界解いてくれたかと思ったけど、賢い奴がいたのねぇ。」
その場にいた誰もが、今話しをしている女体の形を生物が人間ではないと直感した。
ピンク色の髪を巻き、魅惑的な二重の瞳の下には泣き黒子があり、そして唇は厚く人の目を惹く。けれど臀部から伸びている獣の尻尾のような物、そして背中から見え隠れしている烏のような漆黒の翼がピクピクと動いている。
「この地で血の匂いがしたから気になってたけど、まさか棺の蓋まで開けてくれるなんて。結界を解いてくれたのは、貴方?」
蠱惑的な視線がウィリアムに向けられる。ウィリアムは動揺することなく、むしろ敬意を払うかのように頭を下げる。
「はい、ウィリアム・クルワンと申します。」
「ふふ、知ってる。貴方の夢を時々覗いてたから。」
「夢…?」
「私は夢の悪魔。人が眠っている時に見る夢にお邪魔して、良い夢も悪い夢も栄養として貰ってる悪魔。名前はないけど、そうね、ドリーとでも呼んでもらおうかしら。」
ドリーと呼べと呼んだ悪魔は、そのままスッと右足を動かしただけで、ウィリアムの近距離の真正面に辿り着いた。
ウィリアムの瞳を覗き込んだあと、ドリーは視線を棺の中に移す。
「これが、シュガーが好んだ人間、ね。やっと見れた。」
人骨は丁寧に扱われているが見て取れた。きちんとした保全と保管。棺の中には彼が生前好きだったのであろう、本や何かの木箱、宝石などがあった。愛されたことが人目にわかる。
だからこそシュガーは拒まれた。
「ドリーさん。」
「ん?」
「…ここには何をしに?」
ウィリアムの問いに、ドリーは人骨からウィリアムへと視線を移す。
「やだ。貴方が私を呼んだんじゃない?」
ウィリアムの目が見開かれる。信じられないと言ったように瞳を動かした後に、今まで何も光ることなかった虚無だった瞳が希望を少し見出したようにドリーを見た。
「……本当に?」
ドリーはウィリアムの頬を撫でる。
「言ったじゃない?貴方の夢を覗いてたって。」
この人間の夢は、今まで覗いてきた夢の中でも中々に興味深かった。私の随分な栄養になった。
そして望みを知った時に、私は会ってみたくなったのだ。この人間に。
「でもまさか私に会うために、ここまでするなんてねぇ。召喚の儀式もなしで会うには確かに‘こう‘するのが一番よね。」
くすりとウィリアムに対して柔らかく笑い、ドリーはゆっくりと口を開けた。
「ねえ、シュガー?だから私の獲物取らないでね。この人間は私に用があるの。」
誰に話しかけているのかと誰もが思った瞬間、ドリーとウィリアムに対して棺の向こう側にいきなり男が現れた。兵士の格好をしているが、その突然の登場から人間ではないと直感的に誰もが思った。
「ー興味ねえよ。俺は、生きてる人間に。」
そう言って、シュガーは棺から目を逸らさず、渇望していた亡骸に手を伸ばした。
マクシミリアンはこの人智を超えた世界にひどく驚いたと同時に、ウィリアムの仮説が正しいことを言わしめていることを知る。
「ーーやっと、会えた。」
シュガーのその言葉は、まるで…まるでそれは、
「ふ、触れてはならぬ!!!!!!!!」
呆然と虚ろとなっていたユンがいきなり叫んだ。
そして、棺に結界を張る。ジュッとシュガーの指が焼けた音がした。
シュガーは、自分の指を見、そしてユンを見た。
「もう、お前死ぬだろ。何を最後に力出し切ってんだ。」
苛立ったような声色。ミランダはその声色に恐怖を感じながら、震える身体を抑えるようにユンに目を向け、目を見開いた。
ユンは、少年のような姿から老人のようになっていた。
「ユ、ン様…?」
ユンは、シュガーを睨みながらも視界が霞んでいくのを痛感していた。失っていく力。もう死ぬのだと分かったていた。分かっているのに、霞んでいく意識の中で思い出すのは、ユリアだった。
退屈じゃ…
数年前に参加したパーティー。
貴族に寄付金を集めるためとはいえ、パーティーに参加するのは何十年経とうと嫌だった。
自分の力も使いたくもない。秘密を知ってから、力を使う度に人を救っておきながら罪の意識も重なって。感謝の言葉を言われれば、貴方の大切な人を救ったのは見知らぬ人の生命力だと言えなかった。
人殺し。人殺し。人殺し。人殺し。人殺し。
頭に過る、自分を罵る言葉。
そしてその力を永久に守るために、寄付金を募る。反吐が出そうだった。
女神。
女神よ。
我は何故、何故……
自分の中にある信仰心などとうの昔に消え失せた。なのに女神は、それでも力をくれた。
気味が悪くて、どうしようもなくて。
「アーサー・ハサウェイ王太子殿下!パートナー ユリア・カエサル嬢のご入場!!!」
そして、ーー女神とそっくりな其方に出会った。
美しかった。
美貌だけじゃなく、知識も、所作も、立ち居振る舞いも。そして、アーサー殿下に向ける眼差し。
高潔なまでの無垢な魂。
穢れた自分には眩しすぎて、そしてユリアを見ているときだけ浄めれていくのを感じた。
何十年、生きてきた。
でも、救われたのは、初めてだった。
罪が無くなったわけじゃない。
清められてたわけじゃない。
でも、でも、ユリアといる時だけ救われた。
それは、まるで、まるで……




