正直に
ポタ、ポタポタ…
手の指に滴る赤い血。痛みが染みる。
アーサーの神業ともいえる弓の力は、握力からなるのだが、皮膚はそれに耐えきれない。弦を引く際に皮がめくれ、肉すら抉られてしまった。それでもアーサーは指揮官を10人射り、殺した。イクラニ国側は混乱に陥った。
その様子を小舟に乗りながらアーサーは眺めていた。人が混乱し、ざわめく音。戦場の音。人が痛みで叫ぶ音も剣が交じる音、銃の音、波の音、何もかもがーー不快だと思った。
アーサーが人を殺したのは、初めてではなかった。
王宮で剣を習い、戦術を習い、弓を習い、馬術を習い、様々な戦い方を学んだ。そしてその集大成は、人を殺すことだった。処刑待ちの罪人を殺すことを求められた。何人かを処刑した後、アーサーは人を殺した感覚を二度と味わいたくないと思った。
戦術でも何もかも殺す感覚など味わいたくないと喚き散らしたかった。
肉すら抉った右手が、ひどく痛む。剣で殺したときよりも、実感のない殺し方。でも、今の方が痛みが疼く。
自分の命令で人が死んでいく。自分の殺しが、更なる死者を生み出していく。
「殿下!やりましたね!!イクラニ側の船何隻かが引き始めました!!!後退です!」
後ろで聞こえる称賛すら、不快だった。
アーサーはそれでも不快を滲ませることなく、ただ真っ直ぐと戦場を眺めた。
「ユリア様、眠れませんか?」
その日の夜、ユリアは星空を眺めていた。
ミランダが静まり返った池の傍にいるユリアに近寄る。ユリアは振り返らなかった。
「…アーサー様、怪我されてないと良いんだけど……」
「……。」
ミランダはもう驚きはしなかった。
そっとユリアの横に立ち、ユリアとは逆に池の方を眺めた。
「あの、ユリア様。」
ミランダの中にある仮説が生まれていた。推測でしかなく、証拠はない。
ユリアの意識が向くのを感じつつ、返事はされない。ミランダはでも聞いてくれてると思って、口を開いた。
「今日ユリア様のお話を聞いて、王太子殿下について考えてみました。」
ユリアは心臓を握られた感覚になる。無防備なところに、ミランダがアーサーの話をしてくるとひどく動揺してしまう。ミランダがアーサーについて興味を持つことは、まだ恐ろしい。
「もし王太子殿下が、ユリア様の仰るとおり、王として生きてこられて、我が儘を言えないのであれば。たぶん、あの、クルワン家で仰ってた言葉の意味が変わると思うんです。」
「え?」
クルワン家の話といえば、フィリップとの縁を良縁と言ってきたことだ。譲られたことは、やはり今でも辛い。
ユリアが空から視線をミランダに移す。ミランダは微笑んでいた。
「ーーユリア様のこと、国民や王家より大切にしたいってことだと思いました。」
ユリアは目を見開いた。
「国や王家とか考えたら、今更王太子妃を変えることは難しいですし、不可能だと思うんです。それこそ余程の理由がない限り。王太子妃の座を狙って、争いが起きて、混乱する。ね?想像すると怖いくらい。
ユリア様の言う通り、ずっと本音を隠して生きてこられた王太子殿下は、それこそ理性を働かせます。クルワン家の要望だろうと、ずっとずっと国と王家の為に生きてこられたなら、断ると思います。」
‘ただ、もしも王妃になりたくなかったらその時は正直に言って。ーー大丈夫だから。‘
ユリアの頬に静かに涙が伝った。
「私が考えていた殿下は、ひどい人でした。ユリア様の努力を間近で見てきたのに手放せる、薄情な、愚かな人。
でもユリア様が言う通りの方なら、ー優しい人。国も王家も何もかも、自分を殺してでも大切にしている人。そしてそんな人が、国や王家も全て無責任に考えてしまうほど、ユリア様がとても大切。
手放すことが幸せなら、それがユリア様が望むなら、国よりもユリア様の意思を優先する。」
愛してくれている。
そんなこと知っている。
大切にしてくれている。
そんなこと知っている。
そう、全部全部全部ーー知らなかった。
「ユリア様、今回私達逃げちゃったけど。大丈夫だよ。殿下は、きっと待ってますよ。ユリア様の本音を。」
ミランダがにししっと笑った。
ユリアは涙を流しながら、生意気だとミランダの額をぴしりと軽く叩いた。
再び空を見上げ、ユリアは滲む視界で星空を見、静かに決意をした。
言おう。
話そう。
もう、王太子妃にはなれないかもしれない。それでも、言おう。
貴方が好きだと、お慕いしているのだと。
ずっとずっと貴方に愛されたかったと。
生涯、貴方を愛していると。
自由も何も要らない。
ただ、貴方の傍にいるのが……望みだったと。
正直に言おう。
貴方が、大好きなんだって。




