原点
クーガンに兵は常駐兵が1000人、そしてハーデン聖堂にいる聖騎士500人。述べ1500人のみである。各学校や教会にある備蓄庫の備品や食材などの数を改めて確認し、それを全て記載された紙は、すべてハーデン聖堂のユンの元へ送られた。
残念ながらこの場に兵を取り纏める為にいるのは、常駐兵の団長と聖騎士団長のみであり、ユンを含め3人で対策を練ることになった。
ユリアはミランダと軽装に着替えると、さすがに手伝わないという選択はなく、ハーデン聖堂に集まった避難民のところへ向かった。
しかしそこでユリアが現れた瞬間、不安と動揺、混乱に陥っていた市民は目を見開き、ざわめきが静寂に変わる。
貴族を目にしたことはない市民がほとんどであるが、ユリアの所作は気品に溢れ、彼女は貴族だとほとんどの者が気づいた。流し目で見られた者はどきりと心臓を高鳴らせる。何よりハーデン聖堂にある全長2メートルもある女神の彫刻とユリアは立ち姿が瓜二つであった。
…………何かしら、この注目度。
混乱したのはユリアである。
ざわめきと動揺の中に入ったからには、誰もユリアに気づくことはないと思っていたのに、もはや誰もがユリアを見ている。壇上の上にいる司祭に話しかけたかったから、壇上に上がったのがまずかったのだろうか。
ユリアは気まずいと思いつつ、司祭に近寄る。司祭もまた呆然とユリアを見ていた。
「手伝います。」
ユリアがそう一言言うと、司祭はハッとした。そして、ユリアを見、そして静寂となった広場の市民達を見、交互に何度か両方を見た。そして何かを閃いたが如く表情を明るくする。
「こちら、カエサル家のユリア嬢です。」
は??
市民に向かって紹介しだす司祭をユリアはガン見する。
「カエサル家のユリア様って言えば王太子の婚約者ではなかったか。」
「国一番の美女と噂の…」
「悪女とも聞いたわよ。彼女に目をつけられたら」
静寂していた広場が、ユリアの正体が分かるとざわざわと騒ぎ出す。ユリアはどういうつもりなのかと司祭を睨むが、司祭はそれは満面の笑みを浮かべた。
「ーー今から、彼女の指示に従って下さい。」
ピキッとユリアはコメカミが動いた。
司祭の意図が分かった。この混沌と化した状況は指示を広めるにも難しい。だから、ここは注目度の高いユリアを使おうとしたのだ。
中々に強かな奴ね。憎たらしい…
貴族を利用し使おうとするとは、ふてぶてしい。だが、ここでユリアは冷静になった。
父が今回の件に関わっているというのなら、もう貴族でもいられないかもしれない。もう王太子妃候補とも言われない。ーー最後だ。
貴族らしく、ユリア・カエサルとして振る舞える最後の機会かもしれない。責務を果たそう。
投げやりのような考えだったかもしれないが、ユリアは司祭より前に立った。ざわめきが再び静寂になり、ユリアへ視線が集まる。
司祭がユリアに資料を渡してくる。目をさっと通せば、備蓄があることや寝具なども提供できることなど細々と記載されていた。
ユリアは資料から視線を外し、視線を市民たちに向けた。こんなにも多くの人に語りかけることはしたことがない。したことはないが、注目は慣れている。そして……
アーサーが王太子を戴冠する際、国民に向けた演説をする光景が脳裏に浮かんだ。喝采を浴び、華やかな後ろ姿や横顔。堂々とした国の核とした姿。アーサーの努力が実った日。
彼の堂々とした振る舞いは、誇らしくて。今は、その姿が心を奮い立たせてくれる。
「ーーーユリア・カエサルと申します。」
ミランダは、自己紹介からの現在の状況を要点のみ説明し、避難した市民に何を求めているのかを淡々と述べていったユリアを壇の下から見上げていた。
決して大きな声でもないのに、ユリアの声はやけに耳に届く。
ああ、初めてだなぁ。こんな気持ち。
フィリップにも思ったことがない。
ミランダは、ユリアに仕えたいと思った。侍女として、ユリアの傍にいられたらどれだけやりがいと幸せがあるのかと、少しだけ泣きたくなる不思議な気持ちをミランダは抱いた。
「ここは安全ですかっ…!?」
市民の誰かがそう叫んだ。
あ、決壊するとミランダや司祭達も思った。予想通り不安は決壊するように、市民各々がユリアに向かって不安を吐露する。安全なのかそれだけを聞きたかったのだ。
不安の連鎖が起こってしまった。広場がパニックを起こす。ミランダは危機を感じ、ユリアを守るために壇上に上がろうとした。
パァンっ!
乾いた音が響いた。
混乱の渦がその乾いた音で再び静寂に変わる。壇上のユリアが手を合わせた音であった。
ユリアは表情を変えていなかった。
「戦争が起こった場合、完全なる安全な場所ははっきり言ってありません。クーガンは兵がいるといっても、大軍が来たのであればひとたまりもなく消滅するでしょう。何より私が敵であれば豊富な備蓄があり、兵もいないクーガンは格好の的。首都との戦いが長引けば長引くほど、補充は命綱。首都へ補充できるクーガンは狙われます。」
そんな正直にっ…
ミランダは自分が腰を抜けた事実を、市民達全員に言い放ったユリアに驚く。もはや絶句し青ざめた市民達。
「ここで貴方方はクーガンから逃げなければと思うでしょう。残念ながら、それもまた不可能。クーガンの周囲は敵がいると思っていいです。首都だけじゃなく、他への補充経路を絶ちたいですから。敵に捕縛されるがオチです。」
もはや市民の中から先程のように腰を抜かした人達も現れだした。子供抱きかかえ泣き出す母。じゃあどうしろって言うんだ!と怒鳴る男。
それでもユリアは冷静だった。
「ーーーだからこそ、逃げないで下さい。
不安も混乱も動揺も抱えて、ここで共に戦ってください。お願いします。」
ユリアが深々と頭を下げた。
それは、広場に衝撃的な出来事だった。貴族が頭を下げるなど見たことがなく、況してやそれが悪女と噂される王太子妃候補だ。有り得ない姿だった。
頭を下げたユリアは、下げたまま語った。
「………私の大切な方は、恐らく戦っています。今、最前線にいる気がします。
私が幼い頃から見続けた、私のハルメニアの蒼き水はーー…国のために生きてきました。したいこと、欲しいもの、断りたいこと、多くの矛盾と拘束に縛られ、彼はそれでも笑って生きてきました。ただ国王の息子だから、国に生かされてきたから、ただ王太子になったから。」
飾りの王と嘲笑され、それでも彼は笑った。
ありとあらゆる重責だけを背負わせて、この国は彼に自由を与えてくれなかった。
「でも、貴方方にお伝えしたい。彼は、普通の人です。王太子ではなかったら、ただ普通に今の状況に助けてくれと言える権利がある人です。でも王太子だから、助けてくれと言えません。助けてくれと私達が彼に願っている限り、言えません。」
私もその一人。こっちを向いてと叫んできた。
だからアーサー様は、私を助けようとしていた。
ああ、今更気づくなんて馬鹿ね。
そうだ。彼は王太子だった。アーサー様として生きたことなど一度もない。
「だからこそ、お願いします。助けを望んで結構です。彼に重責を預けて結構です。彼が崩れることはなく、崩れるとしたら…」
‘お姫様になるのが、ユリアで良かった。‘
そうだ。そうね。
愛してしまった。慕ってしまった。
あの時の彼の発言が王太子じゃなくて、アーサー様としての発言だとしたら、何を私は逃げ出してしまったのか。
「ーー私が彼を支えます。私はその為に力をつけてきました。」
もう貴族からも外れるかもしれないのに、今更思い出した。私が何のために生きてきたのか。
逃げ出したくても逃げ出せない立場の人から、私は逃げ出した。ああ、馬鹿。本当に自分を殺してやりたい。
「だから、お願いします。
この戦いから、逃げ出さないで下さい。
国のために生きる彼を、捨てないで下さい。」
彼は、誰よりも孤独だった。
だから私は彼を支えたくて、守りたくて、傍にいたいと望んだ。




