女神
『ユリア。』
声がする。
とても温かくて、優しい声。
こんな風に名前を呼んでくれるのは、アーサー様だけなのに、この声は女の人の声。
『ねぇ、ユリア。』
この声を、私は知っている。
誰の声だったかしら。
ユリアとミランダは、追手から逃れるように首都から離れ、ミランダの故郷であるクーガンに向かっていた。学生の街であり、ミランダの侍女になるための学校があったり、そしてユリアの弟ガリアーノが通うアカデミーもある。
「ユリア様、クーガンに行くことはフィリップ様達も気づくのでは?」
馬車を乗り継ぎながら、二人は次は馬の餌となる藁に囲まれた荷台に乗った。少しだけ落ち着きが出てきた。クーガンまでの道のりももうすぐそこまで来ていたからだ。
「気づくけど、少し彼らの地位を持ってしても探し難いところに行くわ。」
「えっ、どこですか?」
「ハーデン聖堂。」
ミランダはギョッと驚いた後に、納得する。確かにハーデン聖堂ならば、フィリップ達も手出しは中々できない。
「そこで、貴女の無罪を待ちましょ。犯人も中々入れないでしょ。」
「た、確かに。」
この国の国教と呼べるハーデン教は、四大貴族が出来る前よりあった。そのハーデンから名前を取られたハーデン聖堂は、国一番の神聖な場所とされ、王族、四大貴族ですら手出しが中々できない治外法権となっていた。
「ですが、まず、私達が入れるのですか?」
聖教師でも中々入れない、選ばれた場所だ。
「大丈夫よ。大司祭様、私の熱狂的ファンだから。」
「あ、…はい。」
恐ろしいユリア様っ。
神に仕える者すらファンにするとは、この方こそ女神なのではとミランダは恐ろしくなった。
「あと、あの……なんで私は殺されるのでしょう?それこそフィリップ様達のところにすぐ行けば」
逃亡から2日経ってやっと落ち着いてきた。そろそろ答えてほしいところだ。
ユリアは周囲を確認するが、もう草原しか見えない。馬車を運転する農夫は、居眠りしている。居眠り運動など恐ろしいが、平坦な道のりだ。ある程度は大丈夫だろう。
「ーーフィリップ様の側近、または親しい者が犯人だとして。貴女とその犯人の信頼性どっちが高いと思うの?」
ミランダは息を呑む。
そして、フィリップとの間に生まれていた犬猿の仲とはいえ絆が、揺らぐ。そういえば、そうだ。まだ侍女で囮役でしかない私と、側近の人。どちらを選ぶかなど分かりきっている。
「…まぁ、もしかするとフィリップ様は貴女を信じるかもしれないけれど。それならそれで、貴女は犯人に確実に殺されるだろうし。フィリップ様が貴女を信じなければ、貴女は彼に殺される。」
ミランダの中で、なんて冷酷で残酷な世界に足を踏み入れたのかと恐怖が全身を襲う。
「どっちにしろ、身分のない平民の貴女は、殺される運命にあったわ。何より王太子妃候補に違法薬物を飲ませた事実まで出てきてしまう。ーー貴女の無実が証明されなければ、貴女は死ぬのよ。
フィリップ様のこと、私はよく知らないけれど。まだ彼のこと信用してるわけじゃないし、何より冷酷な判断は下せることは事実として知っているの。だから、逃げたのよ。」
「……私の無実を見つけようとしてくれるでしょうか。」
「何の為に私が一緒に逃げてると思ってるの。」
「え?」
「私も一緒に逃げたなら、絶対に何故なのか意味を考え、真実を探すわ。」
ミランダはユリアを見る。
美しい容姿が少し汚れなどあるが、そんなこと関係なく美しく光る強い瞳。
この人は自分のために一緒にいてくれる。
ミランダは泣きそうになった。
「ーーだから、安心なさい。」
ミランダは泣きそうになりながらも、笑った。
その顔を見、ユリアは馬車の行き先を見据えた。
ミランダを守るために着いてきた。でも、本当は逃げたかったのかもしれない。自分の運命から。
ガタンっと馬車が大きく揺れる。
その揺れで、農民のおじさんも目を覚ましたようだ。
「おお、お嬢さん方。もうすぐクーガンだぞー!」
ユリアにとって、初めてのクーガンだった。
ハーデン聖堂の前に降ろしてもらい、農民のおじいさんは何故かハグさせてくれと言ってきたので、ハグをして別れた。
意味がわからないと思いつつ、ユリアはハーデン聖堂前に降り立った。
「あの、入らないのですか?」
ユリアは聖堂には入ろうともせず、石造りの階段に座る。
「この格好じゃ確実に兵士に入る前に取り押さえられるわ。汚いもの。ただ、もうすぐ昼時でしょう。確実に入れる方法があるの。」
「は、ぁ。あっ!」
ザワザワと周囲の音が騒がしくなる。喧騒の先には、幼い少年が多くの人に囲まれていた。
ハーデン聖堂の大司祭は聖力によって老いが止まり、幼いままだと聞いている。齢は80を超えているという。あの厳格にして荘厳な服装からして、あれがハーデン聖堂の大司祭 ユン。
昼時といえば大司祭ユンが聖堂で儀式をするのだ。
ユンは多くの民に微笑みを返しながら、ふとこちらを見た。そして大きく目を見開く。
ミランダはユリアを見ると、フードを取って、堂々とユンを見つめていた。
側にいた司祭がユンに話しかけ、ユンはやっと動き出す。それを見、ユリアはフードを被り直し、また階段に座る。
「あとは、待ちましょ。お迎え。」
「えっ!」
そうして1時間後、本当に一人の司祭が迎えに来て、二人はハーデン聖堂に入った。
ミランダはもはやユリアがいなければ自分は真っ先に死んでいたことを痛感していった。
荘厳にして聖域のハーデン聖堂は、クーガンに生まれ育ったミランダも初めて入った。
二人は身を清めてくださいと案内され、お風呂に入り、そして白の女性司祭が着る服を着用した。
ユリアのその姿は、女神のようで。
その時ミランダはあっと気づいた。ユリアの姿は、ハーデン教の女神にそっくりなのだ。
あっ!だから大ファン!?
からくりに気づいたと同時に、ドタバタドタバタと激しい足音が聞こえ、バターーン!と勢いよく扉が開く。
「我が女神ぃいいいいー!!!!!」
少年ユンが、ユリアに体当たりのように飛びつく。ユリアは踏ん張りが効かず、倒れる。
ミランダはすべてそれがスローモーションに見えた。
ドターン!!!!!
「ユリア様!!!」
ユリアは心底、ここを頼った自分を後悔した。




