ハルメニアの獣
アーサーにとって、ユリアは天からの贈り物と思っていた。
「アーサー様っ。」
真っ白な、絵本から飛び出してきた妖精のように、日に当たった姿が眩しく見えた。
綺麗な子だと一目で思った。
そして無邪気に笑えば、碧い瞳が宝石のようにキラリと光った。綺麗な、綺麗な、妖精のように、幻想的な子。
‘飾りの王‘。
この王家は、飾りの王なのだと誰かが言っていた。
実質的な権力は四大貴族が握り、王はただそこに座っているだけ。なのに不正などした場合は、即座に玉座から降ろされる。王は、ただ飾りの人形の如く玉座に座っていることだけを求められた。
王朝が出来たときから。
悲しかったのか、虚しかったのか。
父はいつも尊敬できる人なのに、優しく大海のような広さの心を持つ父を侮辱されたようで。そして、自分もそうなるのだと、そうしなければならないのだと悟った。なんて虚しい人生なのか。
今日は女の子の従者候補に会う。
男の子の従者候補は、クルワン家のフィリップになった。フィリップは男の子だから、従者候補とはつまり後の臣下筆頭候補ということ。でもフィリップとは友人になれそうだと思った。従兄弟同士だし、まるで兄弟のようになれると思う。
女の子の従者候補は、つまりお嫁さん候補だ。どきどきした。お嫁さんになるから、可愛い子が良いとか思った。でも、噂で聞いている。カエサル家は、少し怖い。初の四大貴族以外の婚姻になる可能性や、カエサル家の裏の噂。全部全部怖くて、僕は四大貴族以外の人の操り人形にもならなくちゃいけないのかと思った。それは嫌だなぁ…って飾りの王なのに、そんなことを思って落ち込んだ。
でも、大人たちの思いや考えとは裏腹にユリアは凄く凄く綺麗で、可愛くて、僕はすぐにユリアがお姫様になるってことに大賛成した。
ユリアは努力家だった。
器用とは言えないけれど、自分の中で試行錯誤して出来るようにしていった。
ユリアの足の爪先が実は凄く怪我とかでボロボロなのを、ユリアが転けて靴を飛ばした時に知った。ユリアの靴を拾って、履かせてあげたお母様は、恥ずかしそうに泣きそうな表情をするユリアに「素敵な、努力の証よ。貴女は立派なレディーになるわ。」と褒めていた。ユリアは凄く嬉しそうに笑ったけれど、僕はここまでボロボロになってしまったユリアの足を見て、落ち込んだ。
飾りの王に嫁ぐのに、ユリアの足をボロボロにさせた。お母様にそう言うと、おでこを叩かれた。
「飾りの王になるとか、情けないこと我が子が言わないでほしいわ。それこそ、四大貴族全部廃止して権力握ってやるー!くらい言ってくれない?」
「お、お母様!謀反です!殺されます!」
また叩かれた。
「なーにが謀反よ。王はこっちです。自分から卑屈にならないの。あと、アーサー。ユリア嬢にそれは言っては駄目よ。あの子は飾りの王に嫁ぐんじゃなくて、貴方、アーサー·ハサウェイに嫁ぐ気でいるの。」
「よく、分かりません…。それは両方とも僕じゃないですか。」
お母様は少し困ったように笑った。
「まだ早すぎるかしら。でもね、アーサー。きっとあの子は、貴方が王家ですら無くなっても、きっとずっと傍にいてくれるわ。」
「……なんで、ですか?」
「それは私の口からは言えないけれど、でも、アーサー。貴方はこの国で一番高潔な子をお嫁さんにできるの。ーーもっと、貴方こそ努力なさい。」
慈愛に満ちた目で諭された。
「そうすれば、ユリアは嬉しいですか?」
お母様は笑った。
「そうね、それは‘ーーーー‘ね!」
ユリアの努力に相応しい人間になること。それが、幼い自分にとって初めての目標となった。
「お父様は、お母様がお嫁さんで嬉しいですか?」
目標を持って、でも今でも色んな教育は受けているから、更にどんなことが必要なのかお父様会いに行き、訊ねてみた。
お父様は執務室に来た僕にめちゃくちゃ喜んで、お菓子やらを用意してくれた中でそれを言われ、お茶を噎せていた。
「ごほっごほっ、な、なんだい急に。」
「お母様にユリアに相応しい努力をしなさいと言われました。僕には何が必要なのか、お父様に聞きたくて。あと………お母様がこの結婚嫌がってたと聞いて。」
「………あぁ、聞いてしまったか。」
お父さんは悲しそうに笑い、僕の頭を撫でた。
「お母様は嫌だったと思う。これは聞いたかい?お母様は四大貴族初の女性当主になる予定だったんだよ。」
ぶんぶんと頭を横に振る。
そうか、お母様はそんなに凄い人だったんだ。
「若い頃のミアリーは、それは凄くてね。お前はミアリーにそっくりの見た目だけど、それは綺麗な黄金の髪を一括にまとめて、エメラルドの瞳をギラギラと野心と自信で輝かせて、そして騎士の格好をしていたんだ。」
「騎士ですか!?」
「ああ、それは強かったんだよ。男性の騎士も団長クラスで無ければ彼女には敵わなかったし、何よりミアリーの戦術は魔女の戦術と呼ばれるほど奇想天外で、凄かったんだよ。」
わぁー!お母様絶対にかっこいい!!
僕がキラキラと感動から目を輝かせると、お父様は可笑しそうに笑った。
「……誰もミアリーがシュルワ家当主になることを認めた時だった、お前も会ったことあるだろう?シュルワ家に男児が誕生した。ジャン・シュルワだ。」
「ぁ…」
シュルワ家のジャン公爵。お母様の年の離れた弟。僕より12歳年上。まだまだ若い20代の若き公爵。
優しい穏やかな人。お母様が苛烈なほどの快活さなら、彼はまるで公爵よりも学者が向いているほどに穏やかだった。
「ミアリーとの縁談が持ちかけられた時、私は無理だと思った。ミアリーからしたら屈辱的な婚姻で、私は彼女を御せる自信などなかった。でも、努力したんだよ。」
「…努力ですか?」
「ミアリーが傷ついているって、知ったから。」
僕はお父様のこんな表情を知らない。
恐らくお母様しか見たことがないだろう。
「ミアリーとは深くはないが、友人だった。友人がひどく心を傷つけて私の元へ来た。彼女の努力も何もかも知っていて、私はそれでも何もしないとは言えなかった。ーー彼女が少しでも王家に嫁いたことを良かったと思えるように、私は努力をしたよ。」
「どんな努力ですかっ!」
「足りないと思ったら、努力しなさい。現状に満足するな。足りないと渇望しなさい。そうしたら、アーサーはユリアお嬢様をきっと幸せにできるよ。」
お父様の慈愛に満ちた微笑みは、お母様とそっくりで。頭の中にお母様の言葉が浮かぶ。
‘そうね、それはとても嬉しいわ。私も経験して、とても嬉しかったものね!‘
お母様は不幸せな結婚だったものが、幸せな結婚に変わった。お父様の努力で。
努力!努力をするぞ!!足りないところをいっぱいいっぱい無くして、ユリアの努力に相応しい王様になるぞ!
ーーそんな幼い僕の決意とは裏腹に、ユリアは静かに、そして深く疲弊していった。
「ユリア、もう来てるの?早く行かなくちゃ!」
「あ!殿下!走らないで!」
侍従の声も無視して、王宮を走る。
剣術の稽古に時間を取られてしまって、慌ててユリアが待つ庭園に行った。
木陰に座っているユリアを見つけて、僕は声をかけようとした。でも、ユリアの表情を見、口が声を出すのを止めた。
人形のように空虚な、消えそうなユリア。
「………。」
ユリアは、会う度に表情を失っていった。
人の上に立つものは、表情を消さなければならない。感情を表に出し、悟られてはいけない。淡々と客観視しなければならない。と、アーサーは帝王学で学んだ。アーサーもそこまで心を開いていなければ、こんな表情をくるくる変えることはなくなったけれど、ユリアは……まるで感情そのものが消えていくようで、ーーーひどく痛々しかった。
「ユリアー!お待たせ!」
振り切るように、笑顔を作り、ユリアに声をかければ、ユリアはこちらを向き、無表情ながらも瞳に光が戻る。少しだけ和む表情に、いつもホッと安堵した。
まだ、まだ、ユリアは大丈夫。
壊れていく、疲弊していくユリアを守る術が分からなかった。僕が、私に変化していく思春期の中で、アーサーはただただ努力とは違うところで無力感を痛感していた。
ユリアが離れていくのは、やだなぁ。
でも、ユリアが壊れるのは、もっと嫌だ…。
彼女の助け方は、何なのか。
アーサーにとって、それがよく分からなかった。
ユリアは年々、美しくて、そして棘すら備えた、誇らしい花に変化した。
アーサーにとって、そんなユリアはとても自慢で。フィリップにいつも自慢していた。
でも、いつも感じていた。ユリアは自分を大切に思ってくれていて、恐らく心を開くのは自分にだけ。そんなユリアに仄かに独占欲のようなものが湧き出るのは自覚していたが、そんなユリアの心の叫びのようなものをアーサーはしっかりと感じていた。
早く終わりにしたい…
ユリアは、早く終わらせたがっているように見えた。それは妃教育なのか、実家を出ることなのか、或いは人生をなのかは分からない。
でもひどく疲れて、藻掻いているように見えた。
大切な、愛しい友人。
君の努力も、献身も、何も否定する気などない。
でも、あの日、お姫様になることを、ずっと傍にいてくれると言ってくれた少女が、ユリアの中で殺されていくのを私は見ていることしか出来ないのだろうか。
君が自由になりたいと言うのなら、自由にするから。お願いだ、ユリア。
‘アーサー様‘
ーー自分を殺さないでくれ。
「アーサー、とりあえずレディー·カエサルとミランダを探すぞ。」
「フィリップ。クルワン家は使わなくていい。君の家は調査対象だ。私の私兵を使う。」
「は?私兵?」
フィリップの驚いた表情に、アーサーは笑う。
「うん。私兵。」
フィリップはアーサーの笑顔から不気味さを感じ取った。私兵とは王家の騎士ですらないということ、そして私兵を持つことは法律上禁じられていた。どんな身分であってもだ。
「……お前…」
「王になるために、努力してきたんだ。」
フィリップは、アーサーの力を知っている。その努力も。でも、見誤っていたのかもしれない。
「大切な人を、守るために。」
ただの優秀な穏やかな男ではなかった。
アーサーの目は、徹底的にしてやるというと獣のような目をしていた。それは、いつか聞いた王妃の若かりし頃の異名に相応しい目だった。
‘ハルメニアの獣‘




