最後の命令
ユリアは、次の日瞼が腫れていないことを確認し、首のアザを隠すように首までレースの生地があるドレスを着用した。
そして王宮へと足を向けた。
もう幾度と訪問し、慣れてしまった道なりを迷うことなく進み、ユリアは王宮の離れである別館へ訪れた。侍女に案内され、別館の庭に行く。
薔薇が咲き乱れた先には、池があり、大樹があった。大樹の根本にシートを引き、優雅に紅茶とお菓子を嗜む女性に声をかける。
「ハルメニアの」
「ユリアさん、良いのよ。かしこまらなくて。」
遮るように柔らかい声が彼女から出た。
「お久しぶりでございます、王妃様。」
「ええ、久しぶり。元気にしてた?」
「はい。」
隣に座るよう促され、ユリアは横に座る。
王妃は、側に控えていた侍女に紅茶を頼む。侍女に渡された紅茶を受け取り、ユリアはそれを飲まずに池を眺める。そんなユリアに王妃は、幼いときに向けてくれた笑みとは変わらない笑みを向けてくれる。柔らかく、明るい、聖母の如く慈愛に満ちた笑み。
「マグダード夫人に新しいデザインを頼んだそうね。」
そして、その慈愛に満ちた笑みで、ユリア何度も地獄に落とされてきた。
「はい。夫人のドレスを拝見する機会がありまして、浅ましいですが欲しくなりました。」
「ふふ、彼女のドレス素敵ですもの。分かるわ。私も皇后になる戴冠式の時に一着デザインをしてもらったのよ。懐かしい。」
世間話を行うようで、棘を何度も何度も叩きつけるように刺されていくのを感じる。
王妃の言葉が棘に満ちているのを気づいたのは、デビュタントを行うほんの数ヶ月前だ。それまで、ただ純粋に母のような存在として、そしてレディーの見本として憧れていた。
「………王妃様、チョウを覚えていらっしゃいますか?」
長居する気はなかった。だからこそ本題に入る。
王妃は動揺することなく、優雅に微笑む。
「勿論。私が王家に嫁ぐ前に私の専任騎士でいてくれた方よ。」
ユリアは、やはりチョウよりも、周囲にいるどんな貴族、父親よりも、この人が恐ろしいと実感していく。
「昨日、捕まりました。」
「まぁ!彼が?何をしたの?」
「……。」
「…………なーんてね。」
コロリと声色を変え、王妃は首を傾げる。
ユリアはそんな王妃と向き合うように座り直す。
「腹の探り合いも楽しいけど、今回は本音で話しましょうか。ユリアさん。」
「ーーはい。」
先程までの聖母の如く笑みが消え、彼女は毒婦の如く妖艶な笑みを浮かべ、雰囲気をガラリと変えた。
こんな女優は、世界中でも王妃様だけね。
「まずは、さすがね。ちゃーんと報告に上がる資料を見てるのね。大事なことよ、今後も。」
「ありがとうございます。」
「他の手腕も聞いてるわ。マルコス商会の幹部は捕らえられなくても、一旦営業禁止まで追い込めたらしいじゃない。素晴らしいわ。ーーとってもつまらないけどね。」
「つまらない、ですか。」
「ええ、とっても。」
王妃の専任侍女は、ただ静かに側に立ち、私達の話を聞いていた。そんな彼女に、やはりどこまでも王妃の周囲の人間は王妃を神として扱っていることを再確認する。宗教にも似た、恐ろしいまでの忠誠。
「戦争を望んでたわけではないのでしょう。」
王妃、ミアリー·シュルワは四大貴族シュルワ公爵家の姫だった。
シュルワ家は、代々男系だったが、ミアリーの代の時血筋に男児がおらず、公爵の第一子、ミアリーが公爵家を治めることになっていた。だが、彼女が正式に爵位を授与することが決まった翌日、待望の男児がシュルワ家に誕生した。
領地を治める為に育てられ、そして初の女系という歴史的名誉は、たった一つの命の誕生と共に霧散した。ミアリーの怒りや絶望は、どれほどのものであったのが想像もできない。そして、反逆の種になりそうなミアリーは公爵家にとって邪魔でしかなく、厄介払いといように政略結婚としてハルメニア王家に嫁がされた。
それが王妃、ミアリーの過去。
王妃は、凄くつまらなさそうにお菓子を摘む。
「戦争は望んでないわ。チョウは望んでたけど。でもお金かかるじゃない?武器商人しか儲からない仕事は、無駄よね。」
「なら、何故支援を?」
マルコス商会は紹介制だ。何より元騎士ではできない点が多々あった。そこでチョウだけではなく、支援者がいることを察した。
「チョウが望んだからね。私の騎士だもの。侍女も皆、私のものになってくれた人に私は可能な限りのことは叶えてあげたいのよ。」
お菓子をほいっと行儀悪く口にいれて、王妃はもぐもぐと口を動かす。
「………望みが、戦争であっても?」
「何であってもよ。」
「なら、今回は何故叶えずに、私に気づかれるようなことを?」
ゾクリと背筋に寒気が走った。王妃に横目に見られただけなのに。
「言ったでしょ、戦争は儲からない。
それにチョウは戦争を望んでたっていうよりは、ただ死に場所を望んでいた。私が王家に嫁ぎ、護ることが出来なくなり、更には戦争で傷を負い騎士として働けなくなり、……そうね。死に場所じゃないわね。ただ……彼は、もう一度私の命令を聞きたかっただけよ。」
「ーー…。」
「そんな小さい願いのために戦争なんて起こせないし、貴女が気づかなかったらこっちで摘発する予定だった。貴女を巻き込んだのは、チョウがそれすらも望んだから。」
「え?」
「私だと思ったでしょう?違うわ。面談でしか話せなかったから、もう一度貴女と話してみたかったそうよ。」
何故と疑問に思ったが、それよりも先に王妃にお菓子を口に突っ込まれ、話せなくなる。フィナンシェだと何とか噛みながら味わう。
「憎たらしい子ね。私のかわいい騎士を誘惑でもしたの?」
まさか。と目で訴える。
じとーっと粘着じみた目で見られたが、飽きたように王妃はシートに倒れ込む。
「まぁ、あんな無愛想なオジサンでも美しい若い子には弱いってことね。あー、やだやだ。」
ごっくんと何とかフィナンシェを飲み込み、口を開く。
「………もう、二度と会えないと思いますが。」
幼い頃、まだ次期公爵として教育されていた頃に、ミアリー自ら選んだ騎士。平民階級であったこと、そしてあまりの寵愛に恋の噂も流れたことも含め、ただの護衛騎士ではなかったのだろう。
それでも王妃となって、彼女は結局、チョウを逮捕させた。
「だから?ーーー会えなくても、私の騎士よ。」
年月を重ねても、変わらない主従関係。
王妃は、ユリアに無邪気な少女のような笑みを向けた。
「貴女には分からないわよ。私は決して、チョウを裏切ってないの。これが、私達なの。」
「……。」
何がここまで自信をもたせるのか、ユリアには分からなかった。
「ほら、もう行きなさい。そろそろアーサーが待ちくたびれちゃうわよ。」
「…はい。」
ユリアはシートから立ち上がる。
「またいじめてあげるから、楽しみしててね。」
寝転がりながら、王妃は不敵に笑った。
もう勘弁してくれないかと思いつつ、彼女がユリアを嫌ってはいないことは分かっている。何より自身の経験から、四大貴族を嫌悪し、アーサーとユリアの婚約話は彼女が王を説得したことも。
ただ、ーーユリアはオモチャなのだろう。
ユリアが去っていった後、王妃は侍女に見守られながら静かに瞼を下ろす。
久しぶりに過去を懐古した。思い出せば、完膚がないほど殺してしまいたくなる人々が多いからやめていたが、久々に穏やかに懐古した。
次期公爵になろうとし、護衛を選ぶ日。騎士の叙任式で、多くの騎士が自分の騎士になることを望んで、こちらを見ていた。常に傍にいるのだから、なるべく良い顔の男にしようと思っていた。
なのに、チョウと目が合った時に目が離せなくて、無愛想で格好良くもない厳つい男を騎士にしてしまった。
王家に嫁ぐことになった日。チョウにシュルワ公爵家の人間を皆殺しにしてくれと頼んだ。どんな時でも傍にいてくれ、何でも願いを叶えてくれ、時にはパーティーのパートナーとして選んだのに、チョウはその願いだけは叶えてくれなかった。悲しそうな顔をして、ただすみませんと謝ってきた。更には専任護衛になれないと言ってきた。
許せなかった。私の願いを叶えてくれないことも、私の護衛を辞めたいと言ってきたことも。
ずっと護ると誓ったのに。
それを叶えてくれないことに、私を女だからと切り捨てたシュルワ公爵家と同じくらい、いや、それ以上に憎たらしくて腹立たしかった。
王家に嫁ぎ、私は彼を捨てた。そして彼は死に場所を求めるように戦地に赴き、そして騎士でさえ無くなった。
嫁いだ後、一度も連絡すら取らなかったチョウから手紙が届いた時は驚いた。更には、とてつもなく精神が病んでいることも驚いた。正気も理性も失えたら良いのに失えず、戦うことを望んでいる文面から、侍女を使い支援することにした。
王妃として失格だが、公爵家に惨めにも捨てられた日から、この国が衰退しようが気にしていなかった。だから、どんな結末になるのか気になった時、チョウから悩みが来た。
どうすれば、レディー·カエサルに再び会えるか。
驚いた。私の娯楽の一つが、まさかチョウに関わっていることに。
だから、今回のことを思いつき、チョウに伝えることにした。同時に一度だけ最後に会いたかったから、侍女に協力してもらいと二人で王宮を抜け出し、チョウに会いに行った。
チョウを30年ぶりに見たとき、お互い老けたなぁと思った。何より想像していたよりも、チョウの目が荒んでいて、思った以上の変化に…傍でその変化を見れなかったことが残念だった。
「とゆうことで、あの子にバレたら貴方重罪で刑務所行きだけど、それでも…やる?」
「ええ。………お嬢様、ありがとうございます。」
「もう、お嬢様じゃないけど…。そう、なら後は好きにやんなさい。全くあの子に年甲斐もなく一目惚れするなんて」
「違いますよ。」
荒んだ目が一瞬、柔らかくなる。
その柔らかさが懐かしくて、目を奪われる。
「ーーあの方は、貴女の若い頃に似てるんです。」
そうだ。私の傍に常にこの目はあった。
「家の重圧に縛られているようで、でも強く、そして望みがある。貴女にそっくりだ。」
ずっと、傍にあったのに。もう、いない。
「……私みたいに望みがあるって?」
「一度だけ施設の支援金の話で王宮の手当をもらいにうかがった時に、アーサー殿下とレディー・カエサルを見かけました。」
「…ああ。」
何を指すのか分かった。
「お前は、そうゆうのに疎いと思ったけど?」
「ー分かりますよ。」
チョウは苦笑した。
「30年前、貴女の傍を離れた理由です。」
「は?」
意味が分からず聞き返し、そして段々と意味が分かって目を見開いた。手先が震えた。信じられない事実が明かされた。
「…、お前っ……馬鹿なのっ?」
こんなに動揺したのは、それこそ30年ぶりだった。
チョウに詰め寄り、胸倉を掴む。
「お前っ………おまえっ…」
「すみません、お嬢様。すみません。」
30年前と同じ謝罪。腹立たしくて、憎たらしくて。ずっと、ずっと、馬鹿らしくて。
「お嬢様が俺を想っていないこと知ってました。ただの部下としか見てないこと。それでも傍にと思ってましたが、あの日、公爵家の皆殺しを頼まれた時、ーーお嬢様が壊れてしまうと思いました。
憎悪で見えなくなっていましたが、お嬢様は公爵家を愛してましたから。そして、自分はお嬢様を王家よりさらってしまいたいと考えてしまった自分に気づきました。」
「、……」
それでも良かった。攫ってくれたら、良かった。
でも、自分でも分かっている。チョウが恋人として好きなわけじゃないこと。ただ自分の運命から逃れたかった。
「ーーその後は、荒みました。貴女のためにやはり戦いたかったから。嫌なものしか、見れなくて。地獄のような場所から生き抜いて…………そんな時に、レディー·カエサルと出会って、貴女を思い出した。欲が出ました。」
チョウの目を見直す。やっぱり、もう昔と同じ目ではなくて。荒んで、空虚だ。
「ーーー貴女から、命を受けたい。」
私の騎士。私のかわいい騎士。
チョウの頬に手を添えた。
「是、よ。」
始まりが私なら、終焉もまた私が導く。
私が生かして、私が殺すの。
ほら、見て。
「ありがとう、お嬢様。」
騎士になれと命じた時と、同じ目をした。




