光栄
アーサーとダンスが終わった後、二人ほど追加でダンスをし、ユリアは人目を避けるように休憩室へ向かった。疲労が通常の2倍も感じた。
それは当然考えるべきことが多かったからだ。同時にアーサーとミランダへの気持ちが思考に靄のように降りかかり、思考が停止した。
ヒールに入っている小指と踵への負担が通常よりも重くのしかかったのは、そのせいなのだろう。
頭が痛くなるわ、ねっ…?
角を曲がろうとし、視界に入った様子から慌てて踵を返す。そして壁に寄りかかり、息を潜め、耳に届く話の内容に溜息をつきそうになった。
ミランダとそれを囲むように数人の令嬢が休憩室の前にいたのが、先程見えた光景だ。
そして聞こえてくる話の内容から察するに、ミランダへのやっかみで絡みに行っているようだ。
………馬鹿ね。
囲んでいる令嬢に、社交界の意地の悪さを何たるかを説き伏せてやりたくなった。
そのように正々堂々と人目のつくようなところで、あからさまに一対複数人と見せつけるのではなく、休憩室にて談笑混じりに意地悪な言葉を散りばめてやるのだ。あくまで馬鹿にしていないと言うようにしなければ、ならない。表向きは貴族たるもの身分の差別があってはならないから。
そんなことも分からないほど、盲目的にフィリップ様をお慕いしてるのか。ただ短絡的な方々なのか。
恐らく後者であろう。
まぁ姓もない子がいきなりフィリップ様の晴れ舞台のパートナーになったのだ。怒りたくなるのも分かる。
さて、どうしようかしら。
あの場でスムーズに休憩したいと伝えたいが、さすがにそんなストレートに言ったら、アホなのかと思われそうね。アホはあちらだけども。
「ーー私は、」
あ。
「私は、ミランダと申します。姓はありません。平民ですから。今回確かに私は身分不相応にも主であるフィリップ様のパートナーとなりましたが、それは緊急による代役です。私自身、身分に相応しい行動を心がけております。ですので、主であるクルワン家の方々の命に従いました。」
………はじめて聴いたわ、彼女の声。
こんな声なのね。
好ましいと冷静に思った。高くなく、低くなく、けれどよく通る声。感情が綺麗に声に乗って、気持ちのいいくらい伝わってくる。姿は見えないが、声だけで恐らく彼女は背筋を伸ばし、真っ直ぐと令嬢達を見据えているのだろうと思った。
「私の役割は、最初のダンスまででございます。最後のダンスはフィリップ様自らお声がけされるとのこと。私などに構わず、どうぞ会場にお戻りくださいませ。」
肩が揺れた。ユリアは可笑しくてたまらなかった。
こんなにも愉快な性格をしていたのね。
ミランダの性格がどんなものなのか、結局あの物語で描かれた部分しか分からない。今回のこの場面は書かれていなかった。
結局、あの物語は何なのかしら。でもミランダがここにいる。それは真実だ。
ユリアは靴の中の小指の痛みに我に返る。
まだまだ令嬢達が騒いでいるが、あんな短絡的な人達にアホと思われようが構わないと思った。
とりあえず疲れたのだから、休みたい。
コツンっとハイヒールの音をわざと大きく鳴らし、角を曲がる。全員の視線がこちらに向き、表情が驚きと青褪めに変わる。
「あら、皆さん中に入らないの?」
自分でも白々しい問いだと思った。
「え、えぇ、私達は出たところですので。」
「そう。なら私入っても?」
バトルの光景になれていたのか、ドアマンとして控えていたメイドが静かに微笑み休憩室のドアを開けてくれる。さすがクルワン家のメイド。こんな小競り合いにも動じてなかったか。
ユリアはメイドを一瞥し、最後にミランダを見る。初めてミランダと目が合ったが、先に逸し、休憩室に入った。何となく、気になっているのだと思われたくなかった。
これじゃあそこの令嬢達と変わらないプライドね。
何と小さいプライド。
休憩室に入ると、ソファにすぐ座る。
「ホットのカモミールティーもらえる?」
「かしこまりました。」
メイドがお茶を準備している間に、ドレスの裾で隠しながらハイヒールから踵だけ出す。それだけで足全体を抑えていた痛みから解放された。
同時に身体の力が抜けた時だった。
「あの、カエサル嬢。」
溜息をつく。顔を少し上げれば、ミランダがこちらを見ていた。
追いかけて入ってきたってわけ。
「ご挨拶いいでしょうか。」
「不要よ。ミランダ嬢。姓はない、今回のラッキー…いえ、アンラッキーな方で良いかしら。」
ミランダは照れ臭そうに苦笑した。ユリアが全て聞いていたことを察したのだろう。
その笑みを見、何となくだがアーサーに似たものを感じた。明るくて、何故か人に好かれる天性のタラシ。私には一切ない、良心さを感じた。
「失礼だけど、得にもならない方とこれ以上話す気はないのだけれど。」
「ぁ。」
ユリアは小首を傾げ、目の前に立つミランダを優雅に微笑んで見上げた。
「ーー今日はミランダ嬢、でもいつもは?」
「侍女、です。」
「そう。それで、ご挨拶をって、貴女が?私に?」
ミランダは羞恥心で真っ赤になりそうになった。
どこかで令嬢になった気になっていたが、いつもはただのミランダだと、身分不相応な行いはしないのだと先程他の令嬢に言った。しかもそれを目の前のユリアに聞かれていたのに。なのに、それを忘れて挨拶をしていいかと言ってしまった。
ユリアが先程現れた時に雰囲気が凍てついた。誰もが畏れ戦いた。彼女はただ休憩室へ入っただけだと言うのに。
美しかった。ただ、美しく、部屋に入るまでの最後の髪の靡きまでも見つめてしまうほどに。
噂には聞いていた。
王太子妃候補は、たった一人しかいない。それがどれほど異常なことなのかは、ミランダには分からない。けれど平民にさえ聞き及ぶほど、異常で。
そして、ユリア・カエサルはそれは怖いくらいに美しいのだと噂になっていた。
悪名も高かった。傲慢で、強欲。人を下に見ている態度。いじめられて社交界にいられなくなった令嬢が数名もいると。
その一方で慈善活動にも着手し、孤児院、介護施設の建設に、女性専用の学校も設立。慈善家、経営者、流行を作るファッションの中心。
彼女は、この国で最も注目を浴びている令嬢。
気が大きくなっていた。
助けられた気になって、貴族令嬢に貴族令嬢のように声をかけてしまった。間違いなく、クルワン家の品位さえ落とす行為を犯したのだ。
しでかしたことを実感し、羞恥で真っ赤になった顔が青褪めた。次は身体の末端から一気に冷え切っていった。
青褪めたミランダを見、ユリアはつまらないといった風に息をついた。
さっき立ち向かっていた意思の強い女は居なくなったわね。まぁ今回は自分が愚かだと思い知ったからだろうけども。
このままいじめるのも、フィリップ様に処罰を望むのも良い。父が知ったなら鬼の寝首をとったが如く張り切るだろう。
「……………貸しにしとくわ、傲慢な侍女ミランダ。」
「ぇ、」
ユリアは丁度部屋に入ってきたメイドからカモミールティーを受け取る。カモミールの香りが、荒ぶった苛立ちを鎮めるのを感じる。
「私が一つお願いをしたら、その時は全力で叶えなさい。お前の持てる全てを持って。」
お前、そんな言い方が似合う女性は稀だ。ミランダは無意識で頷き、そして深々とユリアに頭を下げて去っていった。
ユリアはやっと落ち着けると思って、カモミールを飲む。そして少しだけ目を見開く。
「これ、貴女が?」
メイドは、はいと答えた。
「……そう。美味しいわ。」
先程まで表情を乱さなかったメイドが少し驚いた表情をし、そして柔らかく微笑んだ。
「光栄にございます、カエサル嬢。」
「……一つ聞いてもいい?二人だけだもの。」
「なんでしょう?」
「貴女方こそ、ミランダに嫉妬はしてない?」
メイドはまた少し驚き、その後に少し考える素振りをした。でも答えは決まっていたのだろう。
「カエサル嬢に嘘は通じないと思いますので、本音を。これから大変だろうと思います。」
「大変、ね。そうね、言うとおりだわ。」
これからミランダの行く末は大変だ。
「あと、私の妬ましさはありましたが、消えてしまいました。」
「消えた?妬ましさが?」
「はい、先程のカエサル嬢とのやり取りを少し見ただけですが。社交界で私は生き抜けないと思いました。すると、妬ましさよりも同情が勝ちました。」
「まぁ?私、優しくしてあげたのに。」
ユリアはカモミールティーに視線を落とし、そして素直に言ってきたメイドがおかしくて、気に入ってしまった。
「ふ、ふふ。ここで貴女と話していた方が楽しいわね。」
「それは、誠に光栄です。」
クルワン家より高い給金を払うと言いたくなるが、やめておこう。
このメイドのお陰で少し混乱と疲労していた脳が、落ち着いた気がした。




