ドリームセラー
鏡の前で最後の仕上げ、お気に入りのピンクのリップを自慢のぽってりと魅惑的な唇に引く。どんな場合でもこれだけは変わらない。
さあ準備は整った。夢を売る《ドリームセラー》のできあがり。
世の中の男性は、女性に対して実に様々な想いを持っているようだ。
一番最初のお客のことは今でもよく覚えている。私も初めての仕事でどうなることかドキドキしていたけれど、とても運が良かった。彼の求めは「女子高生のような子」。丁度まだ実家に高校時代の制服があったから、おもしろ半分でそれを着ていったらとても喜んでくれた。
聞けば、まさに高校生の時憧れの女の子がいたそうだけど、自分はカッコよくもないし勉強も運動も全然ダメだったから、とてもその子に声をかける勇気なんて持てなかったそう。確かに、今の薄くなった頭に中年太りした姿を見ても、とてもイケてる感じの高校生だったとは想像し難い。せめてお腹をもう少し引っこめるくらいの努力でもしたらいいのに……。
そんな訳で高校時代の夢を現実のものにすべく、彼は私を相手にあの時できなかったデートをした。とても初々しく、今時の高校生よりも高校生らしいデートを。映画を見たり、かわいい感じのカフェでパフェを食べたり。
体の接触は手をつないだぐらいで、それ以上は何もなし。彼は照れた感じで笑いながら私が食べる姿を嬉しそうに見ていた。たるんだ顎肉が残念な感じだったけど、彼はきっとあの時高校時代に戻っていたんでしょうね。私も初仕事の緊張が初々しさに変換されて、良い感じに彼の求めに応じることができたと思う。最後は満面に笑みを浮かべて、最初の交渉以上のお金をくれたのだから。
それからまあ、みんなのご想像通り、下心見え見えのエロいおやじもいた。と言うかほとんどはそんな感じだったけど。
やたらと体に触ろうとしてくるし、視線はいつも首より下、胸と尻にしか向かない。胸に向かって話しているおやじの姿はかなり笑える。
《お散歩設定》のはずなのに、すぐに休憩したがるのよね。だいたいお散歩コースもあからさまにお決まりコースなのよ、みんな。だからすぐにピンとくる。
悪いけど私はあくまで夢を売っているのであって、体を売っている愚かな女とは違う。そりゃ時々はお好みタイプもいたりして、ちょっとつまみ食いなんかしたりもするけれど……。
でもそれは本業じゃない。だからそういう不埒なおやじ達にはきちんと教え込まなきゃならない、売春とパパ活の違いを。それにたった3、4万程度で老人臭いおやじ達が、若くてぴちぴちの女性を抱けるなんて思う方がどうかしている。あの気持ち悪いたるみ切った脂肪を想像するだけでも吐き気がするけれど、それでもどうしてもと言うなら、最低でも10万は譲れない。私にはそれだけの価値がある。決して自分を安売りはしないの。お金に困っている訳じゃないし。
なんだか嫌な気分になってきた。そういうことでこの仕事をしている訳じゃない。やりがいがあるの。充実感があるのよ、誰も信じないけど。
先日、とても珍しいお客が来た。女性よ。交渉段階で「パパ活ですよ」ってハッキリ言ったけれど、それでもお願いしたいって言ってきたので驚いた。
聞けば彼女はLGBTQらしい。でもカミングアウトはできないのだそう。独りで生きていく覚悟をしているらしいけど、時々無性に孤独に陥ってしまうそうで、その解消のために私に白羽の矢が立ったという訳。
ただ一緒にショッピングに行ったりお茶したりって、普通に女子友2人が遊んでいるだけの感じで、これで本当に役に立っているのかって不安になったけど、彼女は私が彼女のことを同性愛者だと知っていて、その上彼女の恋人設定で堂々と人前で歩けることが嬉しいって涙を流しながら言った。最後はお互いハグし合って泣いちゃった。彼女は何度も何度も「ありがとう」って言ってくれた。
世の中LGBTQって言葉は広く認知されてきた気がするけれど、まだまだ受け入れられずに苦しんでいる人がいるんだなって思う。そういう人達の役に立てる仕事なんてスゴくない?これって立派な福祉事業だよね。持続可能社会とか言う今の時代に合っている気がする。お客の夢を実現して明日への活力にしてもらう。そして私はその対価としての報酬をいただく。私はとても役に立つ仕事をしているんだって実感するわ。
さあ今回のお客が来た。彼はどんな夢を欲しがっているんだろう?
今回のお客は珍しくあまり希望を出してこなかった。ただ「半日ほど付き合ってほしい」とだけ。どんな服装が好みだとか、行きたい場所だとか、すべて「特になし」。ただ昼の時間を指定してきたので、本当に単純なデートをしてみたいだけなのかも。最近ではデートを一度も経験したことのない男性も少なくないそうだし。だから服もあえて20代の子が着るファストファッション系の物を選んでみた。クロップド丈のTシャツでちょっとだけセクシーさを演出してみたけど、あくまで普通の女子学生風。
でもあまりに何の情報もなくて、正直不安だったし断ろうかと思ったけど、なんだか前回の女性のお客以来、妙にこの仕事にやりがいとか責任感とか感じちゃったりして、プロならどんな難しそうな仕事でもやり遂げなきゃって、思わず勢いで受けてしまった。
今目の前にいる彼を見て、断らなくてラッキーだった。ちょっとしたイケメン。涼し気な目元と少し伸びかけたサラサラの髪が目元にかかる様子がミステリアスな雰囲気を醸している。やせ型だけど決して頼りなさげでもない。きっと丁度いい抱かれ心地だと思う。フフ、ちょっと期待しちゃう。バイオリズムの周期なのか、今そんな気分。彼とだったらホテルに行っても良いかな。
ああ、私今回とってもはりきっている。これはプロとしては失敗なんだろうけど、こんなお客めったにいないし、普段でも出会うこともない。そもそも私の勤務先って女ばっかだし。
前金のお金を差し出した指のなんて長くてきれいな形。あの指で全身を隈なく撫でられたらそれだけで天国へ行けそう。名前を聞いた時に「名前なんて必要?」と言った低く響く声を耳元で囁かれたら、きっと全身の神経が心地良さに震えるはず。
はあ。柄にもなく甘い溜め息なんてついたりして、思わず組んだ腕に体を押しつけた。彼は何も反応していないけど、きっと私の体の柔らかさは感じているはず。自慢するけど、私のプロポーションは良いのよ。それは他のお客達で実証済み。
いつの間にやら静かな住宅街に入ってきた。確かこの先にホテルがあったはず。やっぱり彼もその気なんだ。フフ、今回は料金以上に奮発してあげよう。
「ねえ、あなたはどんな夢を見たいの?私がお手伝いしてあげる」殊更に体を押しつけて囁いてみた。
「僕の見たい夢?」彼は初めてその涼し気な視線で長々と私を見つめた。私は期待を込めた目でそれを受けた。
彼はそのまま何も言わず歩き続けたけれど、今度は私の腰に腕を回してきた。ああ、誘いに乗ってきた。期待で早くも体が疼いてくる。
ところがホテルを過ぎて、その裏手にある緑で覆われた小さな公園に彼は入った。どういうこと?もしかしてちょっとアブナイ趣味の人?でも彼だったら少しくらい刺激的でも良いかも。と言うか私の方がなんだか興奮してきた。
茂みで覆われた所にあるベンチに来た所で、彼は飲み物を買いに離れた。私はベンチに座って待つけれど、これから始まるだろうイケナイ遊びのことを思うと心臓が耳元で轟音を立てて鳴り続け、頭がくらくらする。
突然後ろから腕が伸びてきて、私の体はベンチの背もたれ越しに抱きしめられ、耳元に深みのある声と息が吹きかけられた。全身がぞくりとする。
「僕の見たい夢が何なのか、教えてあげるよ。僕の夢を叶えてくれ」
うっとりする声で体の芯がとろけそうと思った時、喉元に何かが走った瞬間、赤い液体がしぶきを上げるのが見えた。私は目を大きく見開いて、彼の方を振り返った。彼は買ってきたばかりのペットボトルの水で赤く汚れた手と、鋭く光るナイフを洗いながら私を見下ろして言った。
「人の命を奪ってみたいとずっと夢見てきたんだ。ありがとう、夢を叶えてくれて。あんたは評判通りのドリームセラーだ」
そう、私はあらゆるお客の夢に応える、ドリームセラー。今回もご満足頂けたようで何よりだわ……。