1.37 待つタイプの敵
大切な会話シーンに入らないでくれるんだから、この人優しいですよね。
先程までと違う声色。僕の全身に冷たい何かが駆け巡った。多分、悪寒だ。目の前にいる女性から放たれる、強い殺気を浴びているのだろう。
僕は震える体に鞭を打つように立ち上がろうとした。が、
「っ……ゃ……嫌ぁ……」
立てなかった。足が震え、力が入らない。
「あらら。大丈夫かしら?」
「っ! 黙って、ください!」
そして再びへたり込む僕を見て、またしても嘲笑うような言葉を投げかけてきた。
「戦意喪失。なら遠慮なく」
「あれ……」
とその時、ふと僕の鼻に、微かに刺激が走った。
「ん?」
「……何これ……?」
すぐにその刺激が、匂いの元がルルちゃんのものだと分かった。と同時に、微かに、ルルちゃんの匂いに混じって別の匂いも届いてきた。
僕はゆっくりと、その匂い――
ドドドドッ
「ひぅ!?」
「っ!?」
がする方を見ようとしたとその時、頭の中がその匂いでいっぱいになっていた僕の耳に、唐突に、静かだった部屋に激しい足音が響いた。
「え? ちょ!?」
「な、何!?」
戸惑う僕と女性。すぐにその音の方を、匂いと同じ方向を見ると、
「ぉぉおっ!」
「んぇ!? ま、何してるのです!? 待っ! 止まってです!」
マユカさんが、ミチルちゃんの静止の声を諸共せず、こちらに全力で走っていた。小さく、白い光を放っている右手を後ろに伸ばしながら。
「ぅぅうらぁ!」
そして、その右手で光っている球のようなものを、女性に向けて思いっきり投げた。
「うぇっ!?」
「なっ!? 嘘でしょ!?」
想定外の行動に驚く僕と女性。
え……もしかしなくてもあれ、レイトだよね!? いや、え、マジで!? まだ一日二日ぐらいしか経ってないよね? もうそんなことができるの!? 早すぎるでしょ! 天さ――
「っ!」
が次の瞬間、身の危険を感じたのか、女性は横へと大きく飛んだ。光の球は女性には当たらず、そのまま僕の方へと飛んできた。
「あっ!?」
「えぇ!?」
青ざめるマユカさんと、急に大きく飛んだことに驚く僕。
マユカさんの反応からして、多分僕を巻き込むことは考えてなかったのかもしれない。
でも……これくらいなら多分大丈夫だ。
僕は左腕を後ろにやり、
ズォッ
「っ」
「っ!? レン君!」
そして大きく振って、その光の球を受け止めた。野球ボールをバットで打ち返すように。
「っと。え?」
す、ごいなこれ。僕でさえ、こんなにビリビリしたもの、作れなかったのに。
もちろん、僕の左腕には刺激が飛んでくる。想像以上の痛みが僕の右腕を襲う。
「っとお!」
でも、その痛みも一瞬だけだ。このビリビリが全身に届く前に、僕はこの光の球を、進路を変更させるように、右方向へと飛ばした。
「えっ!?」
そして球は、飛ばした方向にいた女性の顔に向かって飛んで行った。
「ちょっ!?」
が、既の所で光の球が消えた。女性の目の前で、音もなく。
狙ったのに……ギリギリ届かなかったか。ちくしょう。
「ひぇ……危なっ!?」
避けたはずの光の球が進路を変え、更には自分の顔に向かってきたからか、女性は引き気味に怯えていた。
「……惜しい」
「ちょ、レン君!? 大丈夫!?」
マユカさんが駆け寄り、僕の腕を掴みながら心配の声を掛けてきた。
「大丈夫です……けど、何で来たんですか!?」
「何でって……心配だったからに決まってるでしょ!」
「そうだとしてもですよ!」
十分な理由、だけれど、納得はいかない理由だ。少なくてもマユカさんよりは自衛できる自信はあるし、むしろマユカさんの身の方が危ないでしょ。
そんなやり取りの最中、ふと前方を見ると、螺旋階段の奥の扉の前に群集が出来ていた。どうやらいつの間にか、女子も集まっていたようだ。ザワザワしている。
「どしたのどしたの?」
「ねぇあれ平気なの?」
「ん? あ、ちょ、みんなも! 戻ってです! 危ないです!」
先頭にいたミチルちゃんが、その群衆に向かって叫んだ。
あの人たち……危機感皆無すぎる……
「レンさんかっけぇ……」
「僕もあんな風に打ち返してみたいな……」
後ろは後ろでまだ男子たちのざわめき声が聞こえてくるし。何考えてるん?
「その、大丈夫なの……?」
「のな!?」
「えと……私にも出来ることとか……」
「むしろ何もするななのです!」
「っ!?」
そんなざわめきの中、一つ、その声だけがはっきりと聞こえた。ルルちゃんの声だ。でもよく見てみると、額にハンカチを当てている。そしてそのハンカチが……
「ルルちゃん……血……出て……!」
微かに、けれどはっきりと、水色のハンカチが赤く染っていた。額から血が出ている、ということが分かる光景だ。
「ぁ……ぁぁあ!?」
「ぇ? レン君? っ! ちょ、落ち着いて!」
これだ……! この匂いだ……!
そんな悲惨な光景を見て青ざめた僕は、堪らずルルちゃんに向かって走った。
「ルルちゃん!」
「あ! ちょ、待って!」
ピイィ!
「ひぁ!?」
「んぉ!? え、えぇ、な、何!?」
そんな僕を止めるかのように、謎の音が響いた。音のした方を見ると、女性が指を咥えていた。
「っ……い、今何をした……ぇ……」
「ね、ねぇ、危なくない……? ちょ、一旦逃げようよ!」
「……あれ……?」
すぐ後ろで慌てているマユカさんを意に介さず、僕はゆっくりと、右腕を突き出しながら歩いた。ミチルちゃん達のいる方へと。
「え……レン君……?」
「……」
女性は僕が何をしたいのかが分かっているのだろうか。何もせず、黙っている。
そして歩き出してから数メートル地点。丁度、ガラスの床と普通の床との境界線の辺りの地点で、
コツン
「ぁ……ぁぁあ……」
「え……今……え?」
僕の右腕が、見えない何かに、壁のような物に当たった。それを確認した僕は、見えない壁に手をつきながら、膝から崩れ落ちた。
「多分……これ、空間スキルですよね?」
「そ」
震える声で、僕は女性に聞いた。対し、女性は短く楽観的に答えた。
「え……? 何……?」
「周りの声も、ルルちゃんの匂いも、感じられなくなりました」
「ど、ういうこと……?」
僕は立ち上がり、戸惑っているマユカさんの方を見ながら、説明する。
「多分ですけど、閉じ込められてしまいました……」
「閉じ……え!?」
ガンッ
僕は無駄だと分かっていても、目の前の見えない壁に向かって一発殴る。
つまり、僕とルルちゃん分断しやがった。あの女……! 何てことをするんだ! 悪魔かよ!
「いや……それより、助けないと……!」
「……え……?」
それでも……動かないと……やらないと……!
僕は壁に手をつきながら立ち上がる。
「ルルちゃんを、助けないと……!」
「いや、今じゃないでしょ!」
……マユカさんの言い分はご最もだ。僕だって分かってる。分断されて、声や匂いが届かないということは、外に出る手段は無いと言っているようなものなのだから。
「別にあの子、致命傷だとかそういうんじゃないんだよ!」
「だから……何ですか……?」
「……え……?」
マユカさんの、説得するような声に対し、自分でも分かるぐらい低い声を、僕は絞り出した。
それぐらい僕だって分かっている。今だって二本の足でちゃんと立っているんだから。
「致命傷じゃないから……何ですか……!」
「レ……レン君……?」
振り向きながら、僕は小さく叫ぶ。マユカさんは動揺した顔をしている。
違うんだよ。息をしているとか、落命してないからとか、そういう問題じゃない!
「苦しんでるんですよ! 痛がってるんですよ! だったら、少しでも、和らげて」
「っ! どうやって! 閉じ込められた私たちじゃ、そもそも届かないじゃん!」
「こん……なの、こわ、壊せば……!」
「ねぇまだぁ?」
そんな僕の心境なんて知ったこっちゃない、といった声色で、女性が言った。
ダメなら……やっぱり、あの女をどうにかしないと……
と、ふと前方に目を向けた時、
「……んぇ……?」
誰かが走ってくるのが見えた。
音が全く聞こえないけど、あれは……ミチルちゃん……!?
「――――!」
ミチルちゃんが、全力疾走で壁に近づいてくる。全く聞こえないが、何か叫んでいる。
「え……何する気なの!?」
「あら?」
そして壁の目の前に来たその時、壁に向かって、僕の真横に向かって、大きく右腕を振り下ろした。
「――!」
ゴチン
「え、あ! ちょ!」
が、鈍い音が小さく響いただけで、何も起こらなかった。ヒビ一つ入らなかった。
「――――!」
右腕を抑えながら、ミチルちゃんは悶えている。が、何も聞こえない。
「ちゃ、凄い鈍い音が聞こえたんだけど!?」
「……脳筋すぎるわ……この子……」
「だ、大丈夫!?」
「――――!――?」
僕は、目の前で自分の右手に息をかけているミチルちゃんに声をかける。が、何も聞こえなかったのか、こちらを見て首を傾げた。
「あ、えっと……」
そうだ、声がダメなら……
僕は虚空からノートと鉛筆を取り出す。床にノートを置き、伝えたいことを鉛筆にのせて書き記す。
「え……何でそんなもの持ってるの?」
「ん……? 何してるのかしらあの子?」
今ここには、自衛はともかく、他人を守れる人は僕とミチルちゃんしかいない。騎士や側近を探したいけど、まだ他にも敵がいたら危険だから……
「多分この壁簡単に壊せない」
「――――」
ミチルちゃんに見えるように、両手でノートを掲げる。ノートに書かれた文字を見て、ミチルちゃんはウンウンと頷いた。
「えっと、次に……」
僕はノートのページを捲り、鉛筆で言葉を綴る。
今更だけど、急いで書いたから結構汚い字になっちゃってるな……
「ミチルちゃんは皆の避難をお願い」
分断され、別行動を強いられているこの状況で、僕はミチルちゃんにそうお願いした。
壊せる……とは、正直思えなかった。実際、今のミチルちゃんの一振だって中々に痛そうだったし。それでビクともしないんだから……
「……」
「……」
ノートをガン見しているから、伝えたいことはちゃんと伝わったはず。だから後は、ミチルちゃんが……
僕は一度振り返り、女性を見る。
「ん。ハロハロ」
敵……そう判断してもいいはずなのに、呑気に手を振ってきた……余裕なのか……?
僕は再度、鉛筆を走らせる。
「こっちは何とかなるから。そっちは避難に集中して。食堂とか、そこら辺に」
「……」
「出来れば男女一緒に。まだ他にも誰かいるかもしれないから」
「……」
そして、今度は少し長い文をミチルちゃんに見せた。今は僕の心配よりも、特にまだ自衛がままならない人を優先してほしいから。
「ん?」
僕のノートを見て、少し考え込んでから、うつむいた。そしてため息を一つする。
これは……呆れてる……? え、何故?
「――、――」
「っ!」
すると、ミチルちゃんは口パクで何かを言ってきた。
これは……多分、「勝て」って言ったね。
「うん。分かってるよ」
「……」
どっちにしろ、今は僕が何とかしないとダメなんだから。
頷きながら発した僕の言葉を聞き……読み取り、僕をじっと一睨みしてから無言で立ち上がった。
「――――――――、――」
「……ごめん。それは守れる保証は無いや」
「……」
そして一言、守れそうにない約束をしてから振り返り、女子達の方へと走っていった。
「ぬおぉっ!」
「ふっ!」
「ねふるっ!」
「ふぅふぅ! んぬ?」
「ふぬふぬ」
「勝て、です」
「無理だけはするな、です」
ってミチルちゃんは言ってました。
次回戦闘シーン。ジャンルが恋愛からファンタジーになった決定的瞬間です。見逃したい人は見逃せ。




