オーバーヘッド外伝~龍と風と赤い悪魔~
『ようこそ。我がマンチェスター・ユニバーサルへ』
ここはイングランド・プレミアリーグの名門、マンチェスター・ユニバーサル(俗称:マンU)のクラブハウス。その応接室にて、頭髪がやや禿げあがった英国紳士が出迎えた。彼の名はキィーストン・ウィンマーベル。このチームの強化部門のトップに立つ人物である。差し出されたその手に、三人の日本人が次々と握手を交わした。三人は促されてソファーに腰掛ける。
『ウチムラ。私は君に出会えたことを神に感謝したい。アジア屈指…いや、最強のストライカーとアタッカーを同時に招き入れてくれたのだからね』
『いやいや、そこまで褒められると照れますよ。俺はただ、利害の合う両者への橋渡しをしたまでですよ』
アメリカなまりのない、純然のイングリッシュを完ぺきに話しこなす日本人は、代理人の内村宏一。そして彼がこのクラブに売り込んだのが、日本代表の看板FWコンビでもある剣崎龍一と竹内俊也である。
「すっげえな宏やん。めっちゃ英語ペラペラじゃねえか」
ポカンとした剣崎に、竹内は苦笑いでツッコむ
「いや、代理人ならそれぐらい当たり前だって。にしても、あんだけよどみなく話せるのはすごいよな。それに…」
剣崎は気づいてないようだが、笑顔のやり取りの奥に竹内は何か凍り付くような雰囲気を感じる。よく見ると、両者目は全く笑っていない。ウィンマーベルの目には怒りに近いようなものが、対する内村の目には嘲りのような色が出ていた。そして固い握手を一向に緩める気配もなかった。
『…最下位からの引き抜きというのに、相場の倍近くまで移籍金を釣り上げおって。貴様、この吹っ掛けの代償を支払う覚悟はあるんだろうな』
『なに言ってんすか。一人じゃなくて二人でこの値段だからまだマシでしょうよ。同じマンチェスター・ブルースやアーゼナルとかからもオファーがあったのは事実だし、アンタが就任してからここ数年は引き抜き合戦で後手後手じゃないっすか。アジア史上最強のストライカーとハイスピードのアタッカーをとれたんだから、ちょっとは面目躍如でしょ』
『うぐぐ…』
歴史も実績も欧州屈指の強豪であり、イングランドリーグでも「ビッグ4」の一角として数えられるマンチェスター・ユニバーサル・FC。だが、ここ数年は過渡期から抜け出せず、同じ都市を本拠地とするシティ・マンチェスター・ブルースの後塵を拝する時期が続く。選手個々の力量が高いために優勝争いは続けてはいるものの、脱落する時期が年々早くなっている。
この膠着打破の任務を受けて、前々シーズンより現職に就いたウィルカーソン氏だが、内村の言ったように移籍市場で思うような成果を上げられず首筋の涼しい日々を送っていた。内村はそこに付け込んで交渉を優位に進め、想定以上の契約を勝ち取ったのであった。
『だが、来シーズン以降の生殺与奪の権はこちら側にある。働かなかった時は…わかっているな』
『もちのろん。それなりに働いてくれるはずですから』
一通りのあいさつや住居関連、さらに生活サポート体制とその利用方法を手短に説明されたのち、剣崎と竹内はマンUの赤いユニフォームに身を包み、記者会見に臨む。未だに落ち着きを見せない新柄コロナウイルスの状況下、会見場の記者の数は少なく、多くがオンラインによるリモート参加であった。本来なら人がそれなりに集まる会見場は、無数の画面が鎮座している状況でちょっとシュールである。
『彼らの実力は去年の対戦やこれまでの映像で把握している。活躍を期待している』
二人に挟まれて、チームを率いるスコットランド人指揮官、ロバート・グレッグ・ジョンソン監督はそう期待を寄せた。なお、竹内には16番というこれまでにもなじみのある背番号が与えられた一方、剣崎には36番というかなり大きな番号が振られた。当人は「3+6で9って考えるか…」とそこまで意に介していなかったが、与えられたというより押し付けられたという感じの背番号とその与え方から、期待値はそこまで高くはないと言える。
実際のところ、現在のマンUは本場欧州でも屈指のストライカーが揃っているのである。
剣崎が本来ほしかった9番を背負うパブロ・アルディレスは、アルゼンチン代表の現役エース。もう一つのFWらしい番号の11番は、前年チーム得点王のベルギー人ハンス・ゲイリーは母国代表歴10年以上プレーし国際キャップ数は200以上を誇る。剣崎を含めた登録選手6人全員が母国の代表歴を有し、出身国のリーグ在籍時に得点王を獲得していないのは、17番を背負う最年少、アフリカ大陸から青田買いで獲得したセネガル人パトリック・ゴンザレスだけだ。そのゴンザレスも前年シーズンでは途中出場メインで6得点を挙げ、ジョーカーとしての地位を確立しつつある。
しかも、ジョンソン監督の施行する布陣は3-2-4-1で、最前線でプレーする椅子はたった一つ。スタメンで出るとすれば守備やタメを作るポストプレー、周囲に託すスルーパス技術とオールマイティーさが求められる。剣崎の決定力はそれなりに評価はあったものの、得意分野がとがっている一長一短タイプには、なかなかに厳しいハードルであった。
ライバルは強力なのは竹内も同じである。同じ右サイドを主戦場とする選手の多くは代表経験のある実力者であり、右サイドハーフのレギュラーを務めるフローデ・ウルマンは元ノルウェー代表。33歳ながらドリブル、クロスの数値は、回数及び成功率は高水準であり、昨シーズンのチーム内ではアシスト数も含めてチームトップの数字を残している。アジア人選手としては抜きんでた実績を残している二人だが、超えるべき壁は想像以上に分厚かった。
そしてその練習もまた、強烈な生存競争の繰り返しであった。
「ぐおっ!!」
合流後初めて参加したミニゲームで、剣崎はDFから実戦さながらの強烈なスライディングを浴びて吹っ飛ぶ。派手に倒れたが周囲は何事もなかったかのように攻守を切り替えてプレーを続けていた。
(チッ。無様をさらしちまったな…。反則じゃねえかと思ったが)
立ち上がりながら、剣崎はさっきのプレーと、そのあとを思い返す。はじめ、ファールをアピールしようとしたが、張りつめている空気がそれを許さなかった。ここでそんなアピールをすれば失笑ものであると本能的に察せた。この嗅覚の鋭さが、まともな英語が話せないながらも1年間プレミアリーグで戦い抜けた要素だろう。
(これがプレミアのトップレベルって奴か。どうにか一発かまさねえと…)
切り替え早くプレーに加わろうとした剣崎だが、スペースに仕掛けようとしてもコースがないし、なかなか自分のパスが来る気配もない。
だが、剣崎も初海外ではなく、降格してしまったチームとはいえ短期間でエース的地位を確立した男である。一度だけボールが来たときに足跡を残した。
(距離は遠い。コースもねえ。だが関係ねえ!!)
強引に放った30メートル弱のロングシュート。クロスバーの内側を叩き、他の選手たちの顔つきが一瞬だが確かに変わった。
「チッ。まあ、ちょっとは気にしてもらえたかな」
『ほう…』
ピッチサイドからそれを見たジョンソン監督も目を見張る。ただ、次の言葉は厳しかった。
『まあ、“悪あがき”ぐらい出来ねば話にならん。最も格下の立場なのだからな』
剣崎の試合出場への壁はとてつもなく高かった。
季節は早くも流れ、プレシーズンマッチを数試合経て、プレミアリーグは開幕の日を迎える。チームはリーグ戦5試合で2勝2分け1敗とまずまずのスタートを切った。
剣崎、竹内はいずれもベンチ入りこそしたものの、なかなか出番が回ってこない。竹内は2度途中出場したものの、出場時間は計19分にとどまり、剣崎に至っては途中交代に備えたウォーミングアップで試合を終える日々が続いた。
「くそ…。なかなか出番が来ねえなあ。去年とはえらい違いだ」
「まあ、それこそ世界最高峰のクラブの選手層ってやつだ。俺だってなかなか手ごたえが得られないよ」
試合を終え、クラブハウスにて食事をとりながら、剣崎と竹内は現状をぼやく。そこに一人の選手がテーブルに近づいてきた。
『よかったら、相席いいかな?』
声をかけてきたのは、デンマーク代表歴を持つチームの現守護神、アベル・ノーランド。チームの最年長選手(35歳)ながらマンU入団後の3年間、リーグ戦のゴールマウスをフルタイムで守り続けている。2メートル近い長身から見下ろされながら声を掛けられ、二人は一瞬戸惑ったが、温厚な人柄を感じさせる笑みに竹内が『OK』と椅子を動かした。
『君たちのことは、バドマンやウチムラから少し聞いている。どうだい、マンUでの生活はもう慣れたかい』
「ん…。バドマン監督、知ってんのか?」
『ずいぶんな驚きようだな。俺はデンマークの選手だぞ?かつての母国の代表選手、そして引退後も役職を歴任した人は知っているし面識もある。今だってSNSで交流することもある』
「確かに同じ国の同業者ならそういう交流もあったりするか」
ノーランドの口から出てきた元アガーラ監督の名前が出て剣崎は驚くが、竹内はそのつながりを聞いて納得する。ちなみに、ノーランドは英語を聞き取りやすいように話しているが、剣崎はそのほとんどをまだ理解でいていない。
『昨シーズン、サンデーランドには少しばかりやりにくさを感じた。トシヤももちろんだが、リュウイチ。君が加わってから手強くなったよ。特に、君のシュートセンスは、味方であって良かったと感じている』
ノーランドの世辞を竹内がかみ砕いて剣崎に伝える。聞いて剣崎は鼻を鳴らした。
「ヘッ。そう言ってくれんのは気分いいな。でも、今はなかなかきつい感じだ。何せ、試合に出れていない時期が長いのは、中学以来だからな」
少し口元を緩めてそう言った剣崎。竹内を介して聞き取ったノーランドは、笑みは崩さなかったがこう続けた。
『…。ふむ。だが、それは母国で実績を作って渡った者、あるいは才能を買われて欧州各国リーグからオファーを受けてやって来た者ならば、だれしも当たりうる壁だ。リーグのレベルが違えばなおのことだ。こういう時期は己を磨いたり、見つめ直すには貴重な時間だ。…もっとも、悠長に構えることも良くはないがね』
最後の言葉を発した時、笑みの奥の眼光が鋭かった。その意味に、剣崎も竹内も、その身体に緊張感を走らせた。
ただ、周囲の二人に対する評価は、決して低くはなかった。むしろ、ライバル視…とまでは行かないまでも、誰一人無視はしていなかった。
試合翌日。出場選手がリカバリー練習に勤しむ傍ら、出番がなかった選手たちはミニゲームで汗を流している。
「カモンッ!!」
剣崎が裏を抜け出しながら、パスの出し手にそう叫ぶ。応じて通ってきたパスを、ダイレクトで押し込んでみせた。あるいは空中戦での競り合いに勝ちながらヘディングシュートを打ちこむ。リーグ戦が開幕してから、剣崎は徐々にフィットの兆しを見せ、ゲーム形式の練習でゴールを決める場面が増えていた。
『なあハンス。あいつをどう思う?』
遠目の位置からそれを見ていたエースFWのアルディレスは、ゲイリーにそう尋ねた。
『あの東洋人、ケンザキのことか。まあ、まだウチで試合に出るには未熟だろうな』
『ずいぶん厳しいな。だんだんゴールを決め始めてるんだぜ?』
『逆にお前はずいぶん甘いな。ウチとサンデーランドのレギュラーのレベルを同じように見ないでもらいたいな…。しかし』
『しかし?』
『…油断はできない。そんな気はしてきた。シュートの精度が明らかに上がっている。2日後のカップ戦では出番があるかもしれん』
『だな。俺が思うに、アイツは試合でゴールを決めだすとノるタイプだ。それに、伊達にワールドカップで得点王になった男だ。張り合いがある選手だろ、本来は』
『まあ。試合に出た時が見ものだな』
二日後、主力を温存して臨んだイングランド杯のグループリーグに臨んだマンU。二人が予想した通り、剣崎についに試合出場の機会が巡ってきた。リーグ戦と違う4-4-2の布陣で戦うマンU。剣崎は2トップの一角で起用。同じく竹内も右のサイドハーフでスタメン出場。剣崎とコンビを組んだのは最年少のゴンザレスだ。
『よう剣崎。張り切れよ、やっと回ってきた出番だからな。ここで頑張んなきゃ立場がなくなるぜ?』
キックオフ直前。馴れ馴れしい感じで煽ってきたゴンザレス。何を言っているのか剣崎はほとんど理解できなかったが、「おう。任せろ」とだけ日本語で返し、親指を立てた。
移籍後初めてのスタメン出場。剣崎はキックオフからしばらくは静かに動いた。
(間違っても焦んなよ…俺。この空気を飲み込んでからだ)
対戦相手は注意に位置するウエストバムFC。向こう側も出場機会の限られている面々が起用されており、まずは互いを探るようにパスを回した。
(どこでスイッチを入れるかだな、この試合は。…ちょっと仕掛けてみるか)
右サイドでスタメン出場の竹内は、ピッチを見渡して、まずはゴンザレスに向けてロングパスを放った。ゴンザレスがそれに反応するや、彼特有のバネを活かした一瞬の抜け出しであっという間にキーパーと一対一。
『ナイスだぜ、トシ!』
飛び出してキーパーが一気に間合いを詰めてきたが、それよりも早くシュート。ゴール右隅を狙うコントロールショット。しかし、わずかに枠を外れ、歓喜の雄たけびを上げようとしていたスタジアムが、あっという間にため息の嵐となった。
『馬鹿者が…奴は確信を得るとしくじる』
落胆の空気があふれたのはベンチも同じ。ジョンソン監督もぼやかずにはいられなかった。
だが、この雰囲気で剣崎は自分にスイッチを入れた。
(やるなら。ここだ)
ちらりと竹内のほうを見やる。長年の阿吽の呼吸か、竹内も遠くからその視線を感じた。
(行きたいんだな。オッケ、頼むぜ)
竹内は右手を上げた。
その後も、試合はフラストレーションのたまる中盤のやり取りを経て膠着。30分にもなろうかというタイミングに、ようやくその時が来た。ボランチMFホームズのパスカットを起点にカウンターを仕掛けたマンU。右サイドの竹内にボールが移ったタイミングで剣崎が動きだす。
「ファーサイドか。まあ、アイツなら決めれるだろ…悪いけど」
竹内はゴール前を見やりながら、ニヤ(近く)にいるゴンザレスに視線を送る。ゴンザレスも先のチャンスの借りを返さんと、竹内にボールを呼び込む。竹内はそのゴンザレスにパスを出すような雰囲気を醸しながら、大きく蹴り上げた。
『おいおいトシ~。ちゃんと高さ考えろって~』
ボールを見上げながらゴンザレスはそうぼやいたが、反対側に飛んでいくボールを追いかけると、底にはシュートの体勢に入っていた剣崎が。
『へっ?』
待ち構えるうちは角度があまりなく、シュートを打つには無茶な位置だ。だが、剣崎は竹内からのクロスを、左足のダイレクトボレーで叩き込む。完璧な一撃の先制点に、スタジアム中が一気に沸点に達した。
これがのろしだった。
剣崎は前半終了間際にも、コーナーキックのチャンスからヘディングを叩き込んで2点目を挙げると、後半にはゴール前での混戦でこぼれたボールを右足でミドルシュートをかっ飛ばしてあっという間のハットトリック。ゴンザレスも1ゴールで意地を見せたが、この試合でまず剣崎は序列を一つ動かした。
『どう思う。ケンザキはここから昇ってくるか?』
『…今日のハットトリックだけでそう思うのは早いだろう』
スタンドで観戦していたアルディレスはゲイリーに尋ね、ゲイリーはため息交じりに返す。
『だが…最初の試合でこれだ。お前の言うように、奴は徐々に本来の姿を取り戻すかもしれん。俺たちの日々に、また緊張感が一つ増えるな。悪くないことだ』
『だな。これから楽しみだ』
移籍後初スタメンの試合でいきなり結果を残した剣崎は、二人の予想通りにジョンソン監督はじめ首脳陣の信頼を勝ち取り、3日後に行われた敵地でのリーグ戦で最初の交代カードとしてピッチに送り出される。1点ビハインドの劣勢な展開の中、あいさつ代わりのロングシュートをかっ飛ばし、出場した33分間で4本のシュートを放つ。その4本目のシュートは、ゴール前の混戦からこぼれたボールを、右足のボレーシュートでゴールを貫き、土壇場で勝ち点1をもたらした。
ただ得点を決めただけでなく、チームの勝敗に直結する結果をもたらしたことで、まず剣崎はジョーカーの地位を不動のものとした。リーグ戦前半18試合の内、すべて途中出場ながら11試合に出場。エースアルディレスに並ぶ5ゴールをマーク。カップ戦はハットトリックデビューを飾りながら、リーグ戦はすべて1試合1得点と物足りなさは残ったが、決めた試合の戦績は3勝2分け。「勝利を呼ぶ切り札」としてその存在感は際立っていた。
『ジョンソン。なぜ剣崎をスタメンで使わないのだ?』
前半戦ラストの試合を終えた翌日、強化責任者のウィンマーベルはジョンソン監督をクラブハウスの幹部室に呼び出し、開口一番にそう問いただした。
『前半戦は久しぶりに優勝を狙える位置で折り返すことになった。それにはケンザキの活躍が大きいだろう。サッカーは得点を競うスポーツ。より多くのゴールを挙げたチームが勝つ。ならば、その可能性が最も高い男を、なぜ90分使おうとしないのかね』
そう言ってウィンマーベルは机をたたく。ジョンソン監督は眉一つ動かさず淡々と返した。
『確かに。今我々は首位のシティ・ブルースとの勝ち点差は3の3位。ここ5年で一番いい状態と言える。それを導いたケンザキの働きが称賛に値することはあなたと同じ意見だ。カップ戦もグループリーグ突破を果たしたわけだしな。だが、ケンザキをスタメンで使うのは、現場から言わせれば無茶であると言いたい』
『無茶?それはどういうことだ』
『ケンザキの得点感覚が優れているのはわかっている。だが、それ以外があまりにお粗末。今の時代、FWはゴールさえ奪えればいいというものではない。前線からの守備やタメを作る役割、2列目から飛び出した選手への正確なスルーパス…。正直言って、その動きは今のうちのFWの中では誰よりも劣る。アジアで猛威を振るっていたという空中戦の競り合いも、フィジカル任せで拙さがぬぐえない。もしゴール以外に秀でているものがあるとするなら、それは最後まで戦意を失わない精神力、闘争本能ぐらいだろう。こういう血の気は、スタメンよりも切り札として使ったほうが効果的だ』
『ぬう…』
現場監督にここまで断言されては、その上の立場と言える役職のウィンマーベルと言えど反論はできない。さらに…
『それよりも、私がリクエストしている、ボランチとサイドプレーヤーはまだか?薄いとは言わないが、我々の戦力はシティ・ブルースやジェルシーらと比べて盤石とは言いきれん。このところ芳しい情報を聞かないが、今年もあなたはその職務を全うできそうなのか?』
『ぐぐぐ…』
指揮官にすごまれ、ウィンマーベルは冷や汗を垂らす。
『スタメン起用に意見するのなら、せめて私が求める兵士を貰いたい。冬の移籍市場が閉じるまでに一つは願いをかなえてもらいたい。では』
そう言い捨てて、指揮官は部屋を出た。ウィンマーベルは拳を握りしめ、身を震わせる。
実際、ここ数年の停滞は、補強のトップを担う彼の力量不足によるところが大きいというのが世間の見方で会った。今シーズンから獲得した剣崎と竹内がそれぞれに結果を残していものの、市場価格からすれば、むしろ「金をかけすぎ」という声もあり、『監督の求めるカードがあと2,3枚揃えられるのなら、ジョンソンはプレミアの頂点に立てる。だが、それを用意できるかははなはだ疑問だ』とも書かれたりした。
そういう成果の差があってか、ジョンソン監督との力関係はやや逆転気味。自分の首を繋ぐか切るかの権限を有する人間に、あそこまで痛いところを突いてすごめるのは、本来ならばおかしな形である。チーム上層部のパワーバランスは、かろうじて表沙汰にはなっていないが、小さからぬ歪を作っていた。
しかし、剣崎にとってそんなことは知る由もない。今はただ、彼なりに準備を整え、結果を残すだけを考えていた。
「不満?まあ、ないわけじゃねえさ。やっぱスタメンで出たいね。実際俺今エースと同じだけ点と取ってるんだし」
ある日の夕食。様子見がてらクラブに立ち寄った内村に誘われた食事の席で、剣崎は現状を尋ねられてこう答えた。
「だけど、ある意味今の使われ方は性に合ってる。監督は俺のこと分かってるぜ」
「よく分かってる…ねえ。俺からしたら、見切りをつけられてるようにも見えるがな」
「でも、結果を出してからは明らかに使われる頻度が変わりましたし、こいつはそれに応えてるんだから大したもんですよ。俺はまだまだくるしい立場ですけど」
苦笑する内村に、同席していた竹内はそうフォローする。内村は竹内に話を向ける。
「そういうお前はどうなんだトシ。やっぱザンデーランドとは、求められるものもプレッシャーも違うだろ」
「ええ。レベルはすごく高いですし、今サッカー人生で一番きついです。でも、その分得るものもありますよ。やっぱり、フットボールの母国、そこで永らくトップクラスの地位を保っているクラブは違うなって」
「そうか…。何かしら収穫はあるんだな。まあ安心した」
内村が漏らす安堵に、竹内でなく、剣崎も何か違和感を感じた。二人から向けられる視線を感じ、内村はニヤリとする。
「おいおいどうした?なんか含みを感じたのか?」
「…感じねえのなら顔を見ねえよ。ヒロやん、俺たちの契約、なんかあんのか?」
「ん~…。まあ、特にお前らには影響はないよ。今のシーズンを全うすることだけ考えてくれ」
「影響ないって…そんな言い方だとかえって不安になりますよ」
「気にすんなって。少なくとも、お前らの邪魔になるようなものじゃない。ま、やってみて手のお楽しみってことでな。じゃ、勘定払っとくから適当に帰れよ」
最後まではぐらかしたまま、内村は伝票を手に立ち上がった。
一夜明けて練習場。内村の一言はいささか気にはなったが、剣崎は目の前の日々に全力を注ぐことを決め、練習に臨んだ。
(どうあろうとまずはただ結果を残すだけだ。ヒロやんのアレだって今の俺にゃ単なる雑音だ。集中集中!)
シュート練習に込める力はいつもと変わらず。キーパーは反応するも弾丸のような一撃に触れ不ことすら敵わない。点取り屋として名門で足跡を残しつつある剣崎に、『味方で良かった』と認める選手は確実に増えている。特にキーパーたちからは恐れも混じった敬意を向けられるようになった。
『いつぞや、アイツのシュートを片手で弾いたことあるけど、まるで手首ごと捥がれたかのような威力だったぜ』
『ああ。あいつの足のシュートは、まるでボーリングの玉みたいに重い。ひょっとしたらパブロ以上かもしれん』
『よしケンザキ。今度は俺が相手してやる。こいよ』
若手キーパーたちがそう雑談する中、ノーランドが剣崎を呼びつけ対峙する。
「…オッケー。ぶちかましてやるかんな!」
不敵に笑ったノーランドに対し、剣崎も自信満々の表情で助走を取り、右脚を振り抜く。ドンピシャで反応し、ノーランドは両手を差し出してシュートを受け止めるが、その重さに舌を巻く。
『!!?』
しかし、反応できていることは事実であり、シュートはゴールマウスの外へ弾きだされた。さすがノーランド、と周囲は声を上げ、剣崎も負けを認めたように笑った。
「ちぇ。反応できてやんの。さすが守護神だぜ」
『だが、いいシュートだった。これからも頼む』
ノーランドは笑みを浮かべながら親指を立てる。英語なので言ってることはわからなかったが、ニュアンスで褒められていると感じた剣崎も、歯を見せながら拳を突き出した。
だが、肝心のリーグ戦は残り5試合を残しているにも関わらず、終戦モードの雰囲気が漂う。首位を走るブルースが今節勝利した時点で、2位以下の結果に関わらずリーグ制覇が決定する。マンUは現状4位に甘んじ、欧州各リーグ王者と上位チームに与えられるチャンピオンズカップ出場権の圏内の末端。この地位を5位以下のチームと争うのだが、その差は現在2。未だ予断を許さない状況であった。
そしてその直下のチームである5位のレンスターを迎え撃つ今節。竹内、そして剣崎がスタメンに名を連ねた。
ホームスタジアムのビジョンにその名が映し出されると、スタジアム中が大歓声に包まれた。剣崎の期待値と信頼が高いことの証左だろう。ただ、一部のコーチ陣に不安は残っていた。
『監督、大丈夫なのでしょうか。ケンザキは得点能力こそ高いですが、戦術に対する理解度はそれほどとは言えません。彼がキックオフからピッチにいることで、そのバランスが崩れることは…』
ジョンソン監督は、その不安に意に介さない。
『今日の我々は3ポイントを得ること。それ以外は許されない。0に守り切ることより、2点取られても3点取り返すことを考えれば、この選択しかない。奴の決定力は、今やエースのパブロに引けを取らん。もしケンザキが間違いを犯したとしても、パブロなら十分フォローできる。まず45分は信じる』
ジョンソン監督の賭け。これは前半は裏目に出る。
「ゲッ、やべ!」
前半の中盤。拮抗した試合展開の中、マンUが攻勢に出ているタイミングでボールを受けた剣崎。だが前を向こうとしたタイミングでタックルを受けてボールをロスト。これを拾われてレンスターが前線にロングボールを放り込まれる。そのままあっけなくDFラインの裏に抜け出されて、仕留められた。
「やっべ…。これやっちまったなあ」
膝を突いたり、芝生を蹴り上げるチームメートを見て、剣崎は罪悪感に駆られる…が、すぐに自分の顔を叩いて鼓舞する。
「まあいい!やっちまったもんはしょうがねえ。取り返すまでだ!」
その様子を近くで見ていたアルディレスはフンと鼻を鳴らした。
『すぐに切り替わったようだな。まあ、あれぐらいの居直りは、引きずるよりは悪くない』
そして実際に、すぐに結果を出す。前半40分、味方のロングボールに反応した剣崎。相手DFとともにボールに向かい、先に奪わんとそのDFを追いこす。だが、前からはキーパーも飛び出してきて挟み込んできた。
(ちっ!これじゃシュートもヘディングも無理だ。…だったら!)
剣崎は大きく弾んだボールに対して飛びかかり、頭を合わせる。そして、それを左サイドに流した。
『よく見ていた』
キーパーも相手DFもひきつけている状況で、エースのアルディレスがシュートを外す理由も可能性も皆無だった。がら空きのゴールに蹴りこみ同点。剣崎の積極性と反応の早さがもたらしたと言える。そしてアルディレスが舌を巻いたのは、意外なほど剣崎が周りが見せているということ。ボールを浮かせる瞬間、剣崎はほんの一瞬だが周囲を見、アルディレスが追走していることに気づいた。だから自分が囮役を引き受けるべきだと本能的に察し、パスを選択したのである。この冷静なプレーに、チームメイトやジョンソン監督はじめ首脳陣、そして竹内が誰よりも驚いていた。
(すげえ…。あいつ、すっかりたくましくなってる。周りを使うプレーが咄嗟に出るなんて、変われば変わるもんだな。誰かに言われたわけでもないのにできてるし)
だが、剣崎の奮闘が実ったのは、このシーンだけだった。
同点に持ち込んで前半を終えたが、後半はそれ以上に試合が膠着。勝ちたいという意識がお互いに発揮ししすぎていて、要所でのトラップミスや、詰めの部分のスルーパスのミスがお互いに見られ、なかなかゴールがこじ開けられない。剣崎も彼らしく打開すべく長距離シュートを何度か蹴りこんだがいずれも空砲に終わり、試合終了間際にはオーバーヘッドシュートも狙ったがこれも不発。
結局、ボーダーライン上下のチーム同士が争った一戦は痛み分けに終わった。
この後、剣崎はスタメンに定着していったが、残り試合もマンUは苦戦が続き辛うじてチャンピオンズカップの出場権を確保したが、リーグ戦は4位に終わったのであった。
そして剣崎の名門での挑戦も唐突に幕を閉じることになったのである。シーズン終了と同時に、マンUはジョンソン監督の解任を発表。返す刀で、一部選手との契約非更新及び打ち切りを通達。その中に剣崎と竹内も含まれていたのである。ザンデーランドと同じ結末を迎えた二人は唖然としたが、代理人の内村は二人にすぐに告げた。
「もう移籍先は用意してある。代表招集もあったしな。とりあえず、日本に戻るぞ。話はそれからだ」
クラブからの解雇通達から数日後、二人は日本に帰国。もともとW杯の最終予選に向けたテストマッチに召集されていたために帰国することは自然な流れだった。だが、宿泊するホテルの一室で急遽リモート通信を行うことになった。その対面相手は…二人が見知った顔だった。
「ようおつかれ。お二人さん。ずいぶん面構えも様になってるじゃねえか」
「お、オヤジ!」
「今石GM?まさか、内村さんが用意してくれた移籍先って…」
「そゆこと。戦力外は『通告された』というより『してもらえた』というわけだ。実質0円移籍だから、和歌山レベルの資金力でもなんとかなるって寸法だ」
二人に対しての戦力外は、内村がウィンマーベルに持ち掛けたものだった。もともとジョンソン監督とそりの合わなかったウィンマーベルは、彼の解任を画策するなかで重用していた選手ももろとも整理しようと考えていた。それを感じ取った内村は「売る気がないならクビにしてくれないか?後始末はこっちでするよ。ジョンソンの息がかかった選手は、あんたにとって虫唾が走るだけじゃねえか?」と持ち掛けた。
だが、冷静に考えて、普通は売りに出して移籍金をいかにしてとるかを考えるのだが、ウィンマーベルは想像以上に“子ども”であり、なんと二つ返事で承諾を得たのである。
「しかし、ずいぶんたくましい面してるじゃねえか、剣崎」
「ああ。向こうに行ってよかったぜ。この経験、絶対和歌山で弾け出して、アガーラを優勝させてみせるぜ!」
今石に言われてそう返し、笑みを浮かべる剣崎。金銭的な条件は剣崎にとって二の次であり、この交渉はスムーズにいくだろう。
一方で、竹内のほうは複雑だった。
「やっぱ、まだあっちでやりたい。そんな顔だな」
内村に尋ねられて竹内は頷いた。
「正直言って、二回もクビになった形ですけど、どちらかと言えば政治的ないざこざに巻き込まれたって感じで、俺自身は通じなかったとは思っていません。できるなら、ドイツなりイタリアなり、もう少し移籍先を模索してほしかった…それが正直なところですよ」
「だが、その心情を知ったうえで、あえて頼みたい。竹内、可能なら戻ってくれないか?」
剣崎の時と対照的に、真一文字に口元を引き締めて画面越しに頭を下げる今石。しかし、竹内は即答しなかった。
「快く俺を送り出してくれたこと、それ以前に、浦和のユースに上がれず進路に迷っていた俺にプロとしての道を作ってくれたこと、そして俺を欧州で通用する選手にしてくれたこと、すべて感謝してるしその恩返しをしたい気持ちもあります。…でも、俺はまだまだ向こうで挑戦してみたい。その気持ちはまだくすぶってます。それに…チームを強くする策として、出戻り選手に重きを置いていく方針は…正直、首を傾げちゃいますよ。このオファーが今の俺、“サッカー選手の竹内俊也”を評価してのものであったとしてもね」
忌憚のない竹内の物言いに、今石も眉を動かさずに見つめる。剣崎は戸惑いつつも、そのやり取りを見ている。
「それに、いまそっちには父が強化部長として携わってますよね。その状況で俺が和歌山に帰ったとしたら、そういう声も避けれませんよ。それでも、僕にオファーを出したってことは、覚悟の上ですよね」
「もちろんだ。お前の親父さんにも同じことをそれ以上に強く言われた。だが、総合的に判断したんだ。剣崎を活かしつつ、自分も点を取れる。剣崎への理解も深い。即効性のある補強としてお前以外の適任者はいない。なんかクラブに変な意見が出るのなら、全部俺が矢面に立つつもりだ」
平然と言いきる今石。竹内はしばらくにらみ合ったが、やがて笑みを浮かべた。
「分かりました。お世話になりますよ、今石さん。この代表戦が終わったら、二人と一緒に和歌山に帰ります」
その後、親善試合を経て数日が経過。アガーラ和歌山のクラブハウスにて、記者会見が行われた。かつて着ていたユニフォームと、同じ背番号をつけた剣崎と竹内はそれぞれに活躍を誓った。
特に剣崎の目は爛々(らんらん)と輝いていた。イングランドで得たものを、早く和歌山に還元したくてうずうずしているといった体だった。
日本のJリーグは、すでに開幕し2か月が経ち、早くも川崎連覇の空気が充満している。そこに風穴をあけたくて仕方ない。そんな顔だった。