01-02 森の魔女
蓮の心の声などを少し柔らかめにして、異世界に来たばかりで少し心細いという雰囲気に変更してみました。
白い光が薄れていくと、蓮は森の中にひとり佇んでいた。
――森の中か。
現れるところを人に見られる心配が無いからかな?
森と言っても木と木の間隔が広く、日光が差し込んでいて明るいし、それほど視界は悪くない。
足元を見てみると、蓮の前後には幅五十センチほどの草が生えていない部分が続いている。
つまり彼は、森の中に続く小径の上に立っているわけだ。
――どうやらこれは道らしいな。
狭いし、人が来る気配は無さそうだから、街道では無さそうだ。
木こりや狩人などが通る道かな?
でも、いきなり迷わないで済みそうでよかった。
蓮は次に自分の体を眺めてみた。
彼は中世が舞台の映画にでも出てくるような、庶民の服をいつのまにか着ていた。しかも、革製らしいカバンも首から掛けている。
――手足や背丈は、今ままでと同じぐらいか。
顔は、女神様がちょっと美男子にしてくれるとか言ってたから気になるな。
どこかに鏡が無いかな?
カバンの中を見てみると、ナイフに金貨らしきものが数枚。筆記用具。そして、手紙のようなものが入っていた。
――これは手紙?
彼はその手紙を取り出して広げてみると、見知らぬ文字なのに読めることに気がついた。
――この能力も神様のおまけかな?
でも、字を覚える手間が省けてよかった。
彼はそう思いながら手紙を読んでみる。
「コーエン公爵殿。鍛冶屋斡旋ご依頼の件……」
手紙の内容は、コーエン公爵という人物が王都の鍛冶ギルドに職人の斡旋を依頼して、それを受けて鍛冶職人を派遣しますのでよろしく、といった感じだった。
――つまり、僕の紹介状らしい。
でもこれで、コーエン公爵の治める町で鍛冶屋を始めることが出来るんだろうな。
あれ?
後で本物の鍛冶職人が来たりしないよな?
まあ、神様のやることだから、ぬかりはないんだろう。
そしてこの手紙があれば、町に門番がいて止められても、身分証明の代わりになってすんなり入れるに違いない。
うん。いたれりつくせりだ。
女神様、ありがとう。
蓮は手紙をカバンにしまうと、前後の道の先を見比べてみる。
――えっと。同じような景色だな。どっちに行けばいいんだ?
確か女神様は、南に行けばいいと言ってたよな。そうすれば町があるんだろう。
えっと、太陽の位置からすると、こっちか。
蓮は南と思った方向に、歩き出した。
しばらく歩いていくが、行けども行けども森を抜けない。かえって、森が深くなっていく感じだった。
――あれ? まさか、どこかで道を間違ったのか?
彼がそう思い始めていると、何か葉を揺らすような音が右前方から近づいてくる。
それも、結構速いスピードの様だ。
彼は立ち止まって、その方向を注視した。
――ここは森の中だから、まさか魔物ってやつか?
あ。でも、僕は幸運度が高いから、出会わないんじゃ。
ん? そう言えば凶暴な魔物には、とか言ってたかな?
じゃあ、大したことないかもしれないな。ウサギかも知れないし。
そう思っていると、木立の間から大きなオオカミのようなものが姿を現した。
そのオオカミは毛が銀色で、体長は二メートル半はありそうだ。
彼が遭遇したのは、魔物のフェンリルだった。
そのフェンリルは蓮から少し離れたところで立ち止まり、突然出会った彼を見定めているようだ。
――あれって、本当に凶暴じゃないんだよな?
フェンリルは唸り声を上げて、蓮の方を睨んでいる。
――これってもしかして、やばいんじゃ?
蓮は思わず後ずさる。
――何か防具とか、武器は? そうかさっきのナイフか。
でも、あんな大きなオオカミに小さなナイフで歯が立つのか?
無いよりマシか。
彼はフェンリルから目を離さないようにしながら、手探りでカバンからナイフを取り出す。
そして、鞘からナイフを抜くと、ナイフを持った手をフェンリルの方に突き出した。
でも、手と足が少し震えている。
日本にいたときは熊などの動物が人を襲う話をニュースで見たことがあったが、蓮は実際には一度もそういう場面に遭遇したことはなかった。
この世界に来て初めてそういう経験をするのだから、震えが走るのはしょうがないだろう。
その間にも、フェンリルはじりじりと蓮の方に近づいてきた。
――これってもしかして、かえって怒らせてしまったのか?
どうしたらいいんだ?
背中を見せて逃げたら、後ろから襲われそうだし。
ああ、あの牙で噛まれたら痛いだろうな。というか死ぬよな?
この世界に来たばかりなのに、もう死ぬことになるのか?
女神様ーっ!
すると、フェンリルは蓮に向かって飛びかかってくる。
彼はナイフを持った手にできるだけの力を入れて突き出し、目は思わず閉じた。
それとほぼ同時に、
「アイス・ランス」
と、左の方から女性の声が聞こえたような気がした。
次の瞬間、蓮にはフェンリルの体がぶつかり、彼はそのまま後ろに倒れ込む。
「わっ!」
体を打ち付けて転がったようたが、噛まれたような痛みは伝わってこない。
蓮はそっと目を開けてみた。
今彼は横向きに倒れていて、すぐ目の前にはフェンリルの開かれた大きな口がある。
彼は驚いて思わずそこから離れようとするが、足が立たなくて尻もちをついたまま後ずさった。
でもそのフェンリルは、そのまま動かない様だった。
――もしかして、死んでいるのか?
助かったのか。
フェンリルを改めてよく見てみると、その胸には彼が持っていたナイフが突き刺さっている。
それともう一つ。フェンリルの脇腹に棒状の氷が刺さって、貫いているようだった。
――そういえば、目を閉じた瞬間に誰かの声がしたような。
蓮がそう思って辺りを見回すと、いつの間にか彼の左手の方に二人の人影が佇んでいた。
二人共フードをかぶっていて、顔はよく見えない。
「これは、俺の獲物だ」
背の高い方がそう言ってきたが、声は女性のような感じがする。
「え?」
蓮が聞き返した。
「お姉様。彼のナイフが胸に刺さっているから、彼の物でもあるわ」
と、背の低い方からも女性の声。少しかわいらしい声だ。
――そうか。このオオカミの所有権を言ってるのか?
でも、お姉様ということは、この二人は姉妹みたいだな。
「いや、見ていたぞ。こいつは目をつむり、震えてナイフを突き出していただけだ。たまたまナイフが刺さっただけで、このフェンリルを倒したのは俺の魔法だ」
「フェンリル? 魔法?」
蓮は聞き返した。
――やっぱり異世界なんだ。
「そうだ。これはフェンリルで、倒したのは俺の氷魔法だ」
彼女はそう言いながら、フードを勢い良く後ろにはねのける。
美人だった。肌は白く、髪は茶色で肩までの長さ。歳は蓮より少し年上の二十ぐらいに見える。
――どんな人かと思ったけど、僕とそんなに変わらない歳の女の子じゃないか。
白人は少し年上に見えるから、もしかしたら同い歳かも知れないな。
蓮がそんなことを考えていると、背がわずかに低い妹と思われる方もフードをゆっくり外した。
「この状況では、あなたにも所有権は有りそうだけど」
蓮にそう言ってきた。
妹の方は、姉よりも二、三才若く見える。長そうな金髪はマントの中に収まっていて、その全ては見えていない。
顔立ちは美人というより、可愛らしい。
「あ、あのー。このフェンリル? は、どうぞ差し上げます。僕は、怖くてナイフを突き出していただけなので」
蓮が言った。
「それ見ろ。やはりナイフが刺さったのは偶然だ。こいつがそう言ってるのだから、これは貰っていこう」
「本当にいいのね? あとで文句を言っても遅いからね?」
姉の言葉に対して、妹が蓮に念を押してきた。
――そう言うってことは……。
「もしかしたら、これって希少なんですか?」
「ええ。このフェンリルの牙は町で買うなら大金が必要よ。銀のフェンリルだから」
――そういえば、銀色をしているな。
しかし、今これを僕が貰っても、どうしたらいいかわからないしな。
それなら、代わりに何かを……。
でも、この世界の常識がまだわからないな。
あまり大きな要求をすると、面倒くさいと言って殺されたりするかも知れないし。
簡単なことにしておこう。
「差し上げる代わりに、ひとつ希望を言っていいですか?」
「なに?」
「町へ行く道を教えてくれますか?」
「そんなことでいいの? それなら、この道を向こうに歩いて行けばいいだけよ」
蓮はそう言われて、妹の指した方角を見る。
――あれ? 僕が来た方か?
「そっち?」
「そうよ。反対に進むと、もっと森の奥に入ってしまうわ」
「えーっと……そうだ、そこはコーエン公爵のいる町?」
「そうよ。ベリエの町」
「じゃあ、南って?」
「南は、町のある方向」
「え? 太陽がある方が南じゃないの?」
「太陽は北に上がるものだけど……もしかして、あなたは遠いところから来たの?」
「あ、うん」
「それで、わかったわ。でも、今から町に行くには、もう日が暮れるのでやめたほうがいいわ。夜にこの森を抜けていくのは危険よ」
「え?」
――そういう自分たちだってここにいるのに……。
そうか、おそらく僕みたいな素人では危ないわけだ。
この姉妹は、魔法を使えるから大丈夫なんだろうな。
でも、日が暮れるからやめた方がいいと言われても……。
「じゃあ、今晩うちに泊まる?」
「お、おい!」
姉の方が焦っているようだ。
妹が姉の方に向き直る。
「そうすればこの方も安全だし、フェンリルの牙代にしてはだいぶ安いけど、宿代ということでこの銀のフェンリルを譲ってもらうお礼もできるわ」
「うーん。でも弱いと言っても、こいつも男だぞ。夜中に夜這いでもされたらどうするんだ?」
「そんなことしません!」
蓮は思わず言った。
「ふん! まあ、そんな度胸もないか。じゃあ、帰るぞ」
姉はそう言うと、銀のフェンリルに手をかざす。
すると、フェンリルの死体が消えた。
――え?
蓮が驚いていると妹が、
「姉の空間魔法で、収納したのよ」
と、言ってきた。
「もしかして、アイテムボックスとかいう?」
「知ってるの?」
「あ、名前だけは」
――よくゲームであるからな。
「では、私たちの家に案内するわね。こっちよ」
「あ、ありがとう」
――あれ? こっちの方向は……。
彼女たちは森の中に住んでいるのか。
蓮はいつの間にか落ちていたカバンを拾い上げ、二人の後について森の奥に入っていった。
――森に住む、魔女の姉妹か。
童話で、森で迷った子供が魔女に食べられそうになる話があったっけ。
まさか、夜中に殺されて食べられたりしないよな?
いやいや、それなら今だって殺すチャンスはいくらでもあった。
きっと、いい人たちなんだろう。
そう思うことにしよう。
僕の幸運値は高いはずだから、きっと大丈夫。
「お前まさか、あんな奴が好みだったのか? 確かに男にしては、かわいい顔だが」
姉が歩きながら、隣を歩く妹に聞いた。
「ま、まさかー。そういうお姉様こそ、ああいう弱々しい男が好みだったんじゃ?」
「そ、そんなことあるものか」
――聞こえているんですけど。
でも僕って、そんなに弱々しく見えるのか?
まあ、あのフェンリルにおびえていたのは事実だからしょうがないか。
でも、あんなのに会ったのは初めてなんだからさ。