悪癖
本編終了後から二ヶ月半後くらいのお話です。
週に一回は開催が恒例となったお茶会で、アイリスの声が響き渡る。
「もぉぉぉー嫌っ!! 何なの!? あの男はぁぁぁー!」
そう叫んだアイリスが、美しくデコレーションされたフルーツタルトにフォークを突き立てようとした。しかしその瞬間……何故かそれが皿ごと消えた。
ふと横を見ると、涙目のクラリスがその皿を死守し首をふるふるさせている。
「アイリス様……ケーキに罪はございません……」
「クラリス……」
「ほらぁ。だから言ったでしょ? もうケーキに八つ当たりするのは、やめなって……。そもそも最近のあなたのそれは、怒りをぶち撒けているというよりも惚気てるようにしか見えないよ?」
「の、惚気っ!?」
白い目を向けながらリデルシアがそう告げると、アイリスが心外と言わんばかりに不機嫌そうな表情を向けてくる。
「アイリスの話だと……ここ最近、アレク様によるアイリスへの手や頬や首に口付けが止まらないって内容だよね? これ、惚気以外に何になるの?」
「た、確かにそういう話だけれど……でも私が訴えたいのは、それがあまりも過剰過ぎて嫌だっていう部分よ!」
「ならば、もうはっきりとそう本人に伝えれば? 嫌だからやめて欲しいって」
「伝えているのにあの男は、面白がって止めてくれないのよ!!」
キィーッとしながらアイリスが叫ぶと、リデルシアが更に呆れた。
そんな二人の様子をハラハラしながら、クラリスが固唾を呑んで見守る。
「言い方が甘いんだよ……。本当に嫌なら、こう……ゴミでも見る様な目で『不快過ぎて吐き気がするからやめて貰える?』くらいで言わないと……」
そう言って実践したリデルシアのその表情にアイリスとクラリスが凍り付く。
美しい貴公子の様なリデルシアの顔が、その一瞬だけまるで汚物でも見る様な嫌悪感むき出しの表情を浮かべたからだ。
「リデル……。一応確認するのだけれど……その対応、例のご婚約者様にやったりはしてないわよね?」
「嫌だなぁー。もちろん、しょっちゅうやってるよ?」
10人中8人の女性が確実に落ちそうな素敵な笑顔で、そう答えるリデルシア。
アイリスとクラリスは、心の底からその婚約者に同情した……。
「そもそもアイリス自身、アレク様の事どう思っているの?」
「ど、どうって……」
「だって大袈裟に嫌がってる様に見えるけど、結局はアレク様の好き勝手にさせてる訳でしょ? ならアイリス自身嫌がっていないって事じゃないかな?」
「な……っ!!」
「大体、よくよく考えたらアレク様って、アイリスの初恋の人になるよね? なら初恋が実ってよかったと思うのだけれど……」
リデルシアのその冷静過ぎる分析にアイリスが、ワナワナと震えだす。
そんな二人の様子をクラリスがハラハラしながら緊迫した表情で見守る。
「やめてぇぇぇぇぇー!! それだけは思い出したくないのだからぁぁぁー!!」
「思い出したくないって……それ、初恋がアレク様って認めてるよね?」
「嫌ぁぁぁぁぁー!! やめてぇぇぇぇぇー!!」
リデルシアの核心を突く意見にアイリスは隣に座っているクラリスに縋りつく。
「リ、リデル様っ! もうこれ以上はアイリス様が……っ!」
「クラリスは優しいなぁ。あんなにケーキに八つ当たりされたのに……。そもそも無自覚で惚気まくる人間程、迷惑な存在はないのだから、この辺でビシッと自覚させた方がいいんだよ……」
アワアワするクラリスとは違い、リデルシアがアイリスに止めを刺す。
「リデル! 前から思っていたのだけれど、あなたのその率直に物を言い過ぎる所、絶対に直した方がいいと思うわ!」
「ならアイリスは、もう少し素直になる事を覚えようね?」
「やめてよ! そんな素敵な笑顔でアレクみたいな事、言わないで!」
わぁっと自分に縋りつくアイリスをクラリスが宥めるように背中を撫でる。
するとニヤニヤしながらリデルシアが更にとんでもない事を言い出した。
「大体、アレク様のその過剰な愛情表現を止めさせるのは無理だと思うよ? だってアレク様って、幼少期の頃はキス魔だったんだから……」
するとアイリスの動きがピタリと止まり、クラリスは再び顔を青くした。
「今……なんて……?」
茫然とした表情で聞き返してきたアイリスにリデルシアが、魅惑的な程の意地の悪い笑みを浮かべる。
「アレク様って昔、小さくて可愛い庇護欲がそそられそうな対象によくキスしまくってたんだよ。例えば……セラフィナ様が飼われている猫とか、中庭で保護したヒナ鳥とか……。あと人間だと2~3歳頃のフィーネリア様とか、アズリルと……双子の姉はユリアエール様だっけ? その三人とか結構頻繁に『かわいい~!』って言われて頬や頭にキスされてたよ?」
リデルシアのその話にアイリスが、口をあんぐりさせる。
「あの男……ロリコンの気質もあったのっ!?」
「ち、違います! その頃はアレクシス様もまだ8歳前後のお子様でした!」
アイリスのとんでもない勘違いに間髪入れずにクラリスが弁護する。
そのやり取りを見てリデルシアが声を上げて笑った。
「アレク様は基本、今でも小さい子供は父性的な意味で好きみたいだからね。今の年少組巫女達も凄く可愛がられてるよ? アイリスだって妹のマーガレット様がアレク様に凄く懐いてるから知ってるでしょ?」
「うちの妹の場合だと、私の情報収集する為に餌付けされてた気が……」
「「確かに……」」
偶然リデルシアとクラシスの声が同時に重なり、三人とも吹き出してしまう。
するとリデルシアが何かを思い出した様に口を開く。
「そういえば……アレク様のその悪癖、急にピタリと治まったんだよね……」
「確か……先程申し上げた8歳くらいの頃ではありませんせしたか?」
「クラリスよく覚えているね? 流石、同年齢!」
「いえ、そういう訳では無く、その、思い当たる出来事があったもので……」
「ああ! そういえばそのくらいだよね? あの悪癖が治まったのって」
二人にはその切っ掛けの出来事が分かる様なのだが……アイリスにだけ、それが何の事なのかサッパリ見当が付かない。
「何よ……。私だけ仲間外れ? 私にも教えてよ!」
アイリスのその抗議に何故か二人が、にっこりした表情を浮かべて答える。
「ちょうど、その頃なんだよ」
「アイリス様が雨巫女としてお披露目式をなされたのは」
すると、アイリスが大きな琥珀色の瞳をパチクリとさせた。
「何故……それとアレクのキス魔が治る事が関係しているの?」
するとリデルシアはガックリと肩を落とし、クラリスは苦笑した。
「アイリスって……自分の事になると途端に頭回らないよね……」
「な、何でよ!」
「要するに! その悪癖を実行する対象が一人に限定されたからだよ」
「対象が一人に限定って……それって私の事!?」
「どう考えてもアイリス以外いないでしょ?」
「でも! あの時のアレクは私の事を絶対見下してたはずなのよ!?」
「確かにアイリスを怒らせてしまった時はそうかもしれないけれど……その後、アレク様は3ヶ月も会ってもくれないアイリスの許に通い、読まれもしない手紙を4年間も送り続け、何だかんだで今ここまで和解するまで10年も掛けたんだよね?」
するとアイリスが、グッと息を呑むように黙ってしまう。
「10年も掛けて許しを請うぐらいなのだから、どう考えても愛玩対象でしょ? そんな10年ぶりに解禁された悪癖は、そう簡単には治らないと思うよ~?」
「何で今更解禁されるのよぉ……。一生封印されてれば良かったのに……」
すると、ずっと二人のやり取りを見守っていたクラリスが口を開く。
「それだけアイリス様がアレクシス様に愛されているという事だと思います」
まるで慈愛の女神の様な優しい微笑みを浮かべて、そう告げるクラリス。
そんな純粋過ぎる眩しさを放ったクラリスにアイリスが盛大に肩を落とす。
「クラリス……あなたって普段は寡黙だけれど、いざ口を開くと相手の心にグッサリ刺さる言葉を放つのは、無自覚での事なのかしら……?」
するとクラリスが再び顔を青くする。
「も、申し訳ございません! その……とても素敵なお話だと思ったので、つい口に出さずにはいられなくて……」
「分かったわ……。やはり無自覚なのね……」
そう言ってアイリスが更に肩を落とした。
その二人のやり取りを笑いを堪えながら見ていたリデルシアだが、再び面白い事を思い付いた様で、アイリスにある質問を投げかけた。
「ねぇ、アイリス。そんなにアレク様のキス魔の餌食になるのは嫌?」
「嫌に決まってるでしょ!! 所かまわずそういう事してくるのよ!? 鬱陶しいし、恥ずかしいし、何よりも私の反応を面白がってる事が腹立たしいわ!」
「そっかー。じゃあ、時間は少し掛かるけれど、高確率でそれを止めさせられる対策法があるんだけど……聞く?」
するとアイリスがもの凄い勢いで食い付く。
「そんな方法あるのっ!?」
するとリデルシアが、にんまりした笑みを浮かべる。
「あるよー。しかもアイリスがこの先、絶対に担わなければならない事で」
「私の担うべき……事?」
「それは凄く単純な方法だよ。要するにアレク様の愛玩対象をアイリス以外に移行させればいいんだよ」
「もしかして……アレクに側室を薦めるとかっ!?」
「それ……これから先、アイリスが絶対に担わなきゃいけない事?」
「ち、違うわよね……。ちょっと言ってみただけよ……」
あまりにも酷いアイリスの予測内容に思わず半目になるリデルシア。
しかし、それを仕切り直す様に咳払いをした。
「ではその方法を教えてあげよう!」
「ええ! 是非!」
「愛玩対象を増やす……すなわち! アイリスがアレク様と挙式後、さっさとお世継ぎを儲ければいいんだよ!」
その自信満々のリデルシアの対策法を聞いたアイリスは、石像の様に固まった。
そしてかなりの時間差で、顔を真っ赤にして激怒する。
「何でそうなるのよぉぉぉぉー!!」
「だって……アレク様って子供好きでしょ? それが自分の子供だったら尚更、溺愛しそうじゃない? そうすればキスは全部子供が担ってくれるから、アイリスは解放されるよ? あっ、それならお世継ぎよりも姫君の方がいいか!」
好き勝手にペラペラ語るリデルシアをアイリスが、物凄い鋭さで睨みつける。
「そういう問題じゃないわよっ!! リデル、あなた……初めから私をからかうつもりだったわねっ!?」
そう言ってアイリスは、抗議するようにお茶席のテーブルに両拳を叩きつけた。
「ごめん、ごめん! 最近、ちょっとアレク様の気持ちが分かるというか……。アイリスって、すぐいい反応してくれるから、つい……」
「『つい』じゃないわよっ!! クラリスあなたからも何か言ってやってよ!!」
するとクラリスは目をキラキラさせて、こう呟く。
「ああ……お二人のお子様ならさぞ愛らしいお顔立ちでしょうね……」
「「クラリスっ!?」」
「アイリス様、その際は是非わたくしにもお子様を抱かせてくださいませ!」
そのクラリスの言葉についにアイリスがテーブルに突っ伏す。
対してリデルシアは、ケタケタと涙まで浮かべて笑い出した。
「どうして……クラリスまで悪ノリするのよぉ……。信じてたのに……」
「わ、悪ノリだなんて! ち、違うのです! そういうつもりではなく……本当にお二人のお子様なら、さぞ可愛らしいと……」
「ぶっは! ク、クラリスっ! もう止めてあげて! このままだとアイリス、泣いちゃうからっ!」
「このくらいじゃ泣かないわよっ!!」
テーブルから顔を上げて、キッとリデルシアを睨みつけるアイリス。
そんなアイリスにアワアワしながらクラリスは何度も謝罪する。
その光景が面白すぎて涙まで浮かべて大笑いしていたリデルシアだが……最後には、ちゃんとアイリスを労う言葉を掛けた。
「まぁ、さっきの対策法を使う前にアレク様の悪癖が先に治っちゃうかもしれないし、気長に様子を見ればいいんじゃないかな?」
しかしその後、アレクシスの悪癖は一切改善される事はなく……。
しかもリデルシアが今回提案した対策法は、全く意味の無い物となる。
4年後、アイリスは天使の様に愛らしく美しい見事な女の子を出産した。
しかし、夫であるアレクシスの愛玩対象は移行するどころか追加される形となり、アイリスは引き続き娘共々、夫の悪癖の被害に遭い続ける事となる。
そんな夫は、やれ「まだ世継ぎがいない」やれ「補佐役に男の子がもう一人欲しい」等と色々と理由を付け、実に子作りに熱心だったとか……。
そして最終的にアイリスは、二男一女の愛すべき子供達と共に夫アレクシスの悪癖の被害に生涯、遭い続ける事になったという……。
以上で『雨巫女と天候の国』を完結させて頂きます。
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※他サンライズの巫女のお話もそちらにリンク張っております。
全30話もあるお話にお付き合い下さいまして、本当にありがとうございました!




