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カトラス邸の双子

 からっと晴れた昼下がり。街を出て一人丘の上の屋敷に向かったユノは、大きな門の前に立ち尽くしていた。


「貴族の屋敷って、どうやって訪ねたらいいのかしら……」


 どんと威圧的に構える石造りの門には、ノッカーもなければ呼び鈴もない。周囲はぐるりと背の高い外壁に囲まれており、中の様子を窺うこともできない。来客を想定した造りとは到底思えない。カトラス邸の主人は余程の人嫌いなのだろうか。

 仕方がないので、ユノは門をベタベタと触った。どこかに仕掛けがあって開くようになっているのかもしれない。


「埒が明かないわね……。ごめんくださーい!」


 ユノはドンドンと門を叩いてアピールする作戦に切り替えた。こんな所で夜を明かすことになったら最悪だ。


《だ、誰ですか……そこで、ドンドンしてるのは……》


 門に目のような模様が浮かび上がって、暗い雰囲気の男の声がした。

 ユノは驚いて、模様をじっと見つめた。すると目は不安そうにパチパチと瞬きをする。不思議と見られている感覚はしないので、音声だけが繋がっているのかもしれない。それでもユノはニッコリと余所行きの笑みを作って、スカートの裾を軽く持ち上げた。


「突然の訪問、すみません。あたし、ここの家の養女になった者です」


《ようじょ……? あ、ああ、養女……って、え、えっ。も、もしかして、ゆ、ユユ、ユッ、ユッ》


「ユノです」


 随分とひどい吃りだ。どうやら屋敷の造りから見て取れる通り、人付き合いが苦手のようだ。


《……し、信じられない……こんなことが……す、少し待ってて》


 慌てふためく息遣いの後、男の足音が遠ざかっていく。男は使用人なのかもしれない。思えば、主人にしては若い声だった。

 暫くして、男が戻ってくる。


《ど、どうぞ。今、門を開けるので……》


 声の後、門がゆっくりと開かれた。煉瓦の絨毯が屋敷へと続き、左右を囲む花壇にはアザミが咲いていた。美しいが、どこか人を寄せ付けない雰囲気がした。

 屋敷の正門まで歩くと、階段を上った先に青年が柱の陰に隠れるようにして立っていた。ふわふわの癖っ毛頭が特徴的なその青年は、ひどく痩せ細っており、虚ろな瞳の下には濃い隈が出来ている。

 青年はユノと目が合うと、丸まっていた背中をピンっと伸ばした。


「はじめまして。お会いできて光栄です」


 ユノは丁寧に頭を下げて挨拶をした。相手はとても屋敷の主人とは思えないが、使用人の雰囲気とも少し違う。ひとまずユノは相手の出方を探ることにした。


「…………」


 青年は、ユノを見つめてぼぅっとしていた。


「……な、なんて、美しい人なんだ……これじゃ、ね、姉さんが選ばれなくても……ヒッ! ぼ、僕は、何を考えてっ……姉さんに、し、叱られる……!」


 ブツブツと独り言を口にする青年。

 怪訝な表情をするユノに気付くと、ポッと頬を赤らめてモジモジしだす。


「アッ。ご、ごめん……こんなに、う、美しい人を見るのは、初めてで……って、な、何言ってるんだろ、僕は……す、すみません。と、とりあえず中に、ど、どうぞ」


 青年はテンパった様子でヘラヘラと笑い、いそいそと玄関を開けた。ユノは青年に案内されるがまま、その後を追いかける。

 とぼとぼとゆったり歩くくせに、後方を歩くユノを気にして頻繁に振り返るから、なかなか先に進まない。顔にこそ出さないが、ユノは内心イライラした。


「あなたがあたしのお義父さん、ってわけじゃないですよね。カトラス家の息子さんですか?」


「ぼ、僕は、ただのゴミカス野郎だから……で、でも、姉さんが、新しく、ここの主人になったんだよ。双子なのに、姉さんは僕より頭が良くて、強くて、き、綺麗で……」


「それであなたは誰なのよ?」


「ヒィッ!」


 まどろっこしくなってぐっと顔を近付けると、青年は飛び退いて床にダイブしてしまう。まさかそこまで驚かれるとは思わず、ユノは目を丸くした。


「ご、ごめんなさい。おどかすつもりはなかったのよ」


 ユノが手を差し出すと、青年は青白い顔面を更に青くさせた。


「だ、ダメだよっ。僕みたいなのが触ったら、よ、汚れちゃう……!」


「なに言ってるのよ。ほら、早く」


「あうっ」


 いつまでも手を取ろうとしないので、ユノの方から手を掴み、ぐっと引っ張り上げた。見た目通り骨と皮しかないのか、男の割に軽い感じがした。

 それと、少し粘ついていた。


「や、柔らかかった……ヒッ、イヒヒッ……いい匂いがする……」


 先程ユノが触れた手の平をうっそりと見つめながら、ニヤニヤと薄気味悪く笑う青年。

 そして、次の瞬間。

 何を思ったのか、青年は手の平をベロベロと舐め始めた。

 あまりの奇怪な行動に、ユノは凍り付いてしまう。


「ん……? ああ……キミの触れたとこ、すごく甘いよ。き、キミ自身は、もっと甘いんだろうなぁ……」


 青年がユノの方に一歩踏み出した瞬間、ユノは弾かれるように背を向けて逃げ出した。この男は危険だと、全身が警鐘を鳴らす。


「あっ! ま、待ってよ……!」


 青年は慌てた様子でユノを追いかけ、咄嗟に髪を掴んだ。


「きゃあっ!? 痛いっ!」


 全速力で走っていたところをそれ以上の力で後方に引かれたため、グンッと強い衝撃が頭皮を襲う。背中から転んだユノは、頭の皮が剥がれたかと思った。


「ご、ごめん。でも、き、キミが悪いんだよ。急に、逃げようとするからさぁ……」


 青年は申し訳なさそうな顔をしてユノを見下ろすも、髪を掴んだ手は一向に離そうとしなかった。ブチブチと、髪が抜ける嫌な音がする。


「痛い! 離して!」


「だ、ダメ。だって、キミ、絶対逃げるでしょ……?」


「いいから離しなさいよッ!」


 ユノは青年の手をガリガリ引っ掻いた。


「い、イタイ。イタイ。こ、これで、おあいこってこと……? それなら、ぼ、僕も、気が少しラクだな……」


 青年は一人納得すると、髪を掴んだままユノをズルズル引き摺った。ユノと同じくらい細い手首をしているのに、力だけは一丁前に男のものだ。抵抗らしい抵抗はできず、ユノは青年の手首を掴んで痛みを緩和することだけに専念した。

 何度か角を曲がった先の部屋に、まるで物のように放り込まれる。顔を庇ったせいで肘を擦り剥いてしまったが、安い代償だ。

 そこでユノは、視界に誰かの爪先があることに気が付いた。ゆっくりと顔を上げていくと、優雅にソファーに腰掛け、ティーカップを傾ける女がこちらを見下ろしていた。


「つ、連れて来たよ、……姉さん」


 青年とは対照的に、さらりと長い髪をした女だった。肌艶は瑞々しく、唇はぽってりとしている。勝ち気なつり目でユノを見下ろし、優雅に扇子を扇ぐ。自身の美貌に絶対の自信を持っていることが、全身から滲み出ていた。


「ふぅん? これがアルベルトの選んだ女ねぇ……。なぁんだ。頭悪そうだし、品性の欠片もないし、大したことないわね。私の方がずっと強くて美しいわ。ねぇジャック?」


 女は静かに足を組み替えながら、足元に膝をつくユノを嘲笑った。視線を向けられた青年──ジャックは、ビクッと肩を揺らす。


「……ね、姉さんがそう言うなら、そう……なんじゃない、かな……」


「もっとハッキリ言いなさいよ!」


 もごもごと口籠るジャックに、女はティーカップを投げつけた。ティーカップはジャックの額に当たって砕け散る。


「あうっ。ね、姉さんの方が美しいですっ!」


「ふん。最初からそう言いなさいよ。まったくダメな弟ね、ジャックは」


 前髪から紅茶を滴らせながら、ジャックはシュンと肩身を窄める。随分と対照的な性格をしている双子だ。

 女はソファーに深く背を預けると、肘をついて再びユノを見下ろした。弟相手に苛烈な行動を見せた女を前に、ユノは震える指先を隠すように握り込む。


「もう察しが付いてるわよね。私達はカトラス家の人間じゃないわ」


 女はまるでユノを脅威と思っていない様子で、悠々と口にする。


「私はジャンヌ・アークヘイル。待っていたわよ、汚い子ブタちゃん?」


 ユノはきゅっと唇を引き結び、女──ジャンヌを睨み上げる。それがユノにできる精一杯だった。ジャンヌもそれがわかっている様子で、勝ち誇ったように笑みを深くする。


「あなたがここに来たってことは、あの男は返り咲くチャンスを窺ってるのかしら。ねぇどうなの?」


「…………」


「どんな甘言で言い包められたのか知らないけど、あなたが一人で来たって時点で、あの男はあなたを大切にする気はないわよ。カワイソーに。捨てられちゃったのね」


 ユノは何も答えまいと、きゅっと口を閉ざした。アルベルトがどんな状況にあるのか、この女達はまだ知らない。何も答えるわけにはいかない。それさえ果たせられれば十分だ。


「じっと黙っちゃって。お利口さんね。いいわ、それなら取り引きしましょうよ」


 ジャンヌは優しい声を出して、両手を合わせた。


「私達が憎いのはアルベルトであって、あなたじゃないわ。あなたがアルベルトの計画を話してくれたら、また王都で生活させてあげる。どう? 破格の条件じゃない? 私ってば、なんて優しいのかしら」


 ジャンヌは自分に酔った様子で、クスクスと笑った。

 吐き気がする。まるで、昔の自分を見ているようだった。初めて顔を合わせた瞬間から、お互いに同族嫌悪を感じている。


「……臭い口を閉じなさいよ、ブス」


 ユノは我慢できず、そんなことを言っていた。


「……………………………あ?」


 瞬間、場の温度が急激に下がったような気がした。ユノの背後でジャックがガタガタと震えている気配がする。

 そしてユノは、気付いたら床を舐めていた。


「──今何つったこのブタァ! その顔ズタズタに切り裂いてブタ小屋に売り飛ばしてやろうかッ! アァ!?」


 獣のようにジャンヌが吠えている。

 意識がはっきりした瞬間、ユノは右頬に激痛を感じた。ジャンヌに顔を蹴り飛ばされて、一瞬気を失っていたのだ。


「……いけない、いけない。ストレスは美容に良くないわ。私の美しさが曇ることなんて、あってはならないもの」


 全身が痺れたように動かない。指先さえも思い通りに動かせず、嗚咽を漏らすことすらできない。引き攣った肺をどうにか動かして、かろうじて酸素だけを吸っているような状態だった。


「まぁいいわ。とりあえず地下牢にブチ込んで、反応を待ってみましょう」


 ジャンヌはユノの前に立つと、爪先で器用に顎を持ち上げた。無理矢理上を向かされた先で、ジャンヌは唇で弧を描いている。それはとても人間のする表情ではなかった。

 ──まるで、バケモノ。


「言っておくけど、私の拷問はツライわよ。子ブタちゃん?」

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