赤煉瓦の街
ヴェスペルティリオの案内で、ユノ達は物流都市エルモンデに足を踏み入れていた。
赤い煉瓦造りの都市までには大きな運河があり、途切れることなく船が行き交っている。活発に交易が行われているようだった。
行き交う人種も様々で、変な組み合わせのユノ達を誰も気にした様子はない。それでも、セレンディアは目深にフードを被り、肌を見られないようにしていた。
「ここは、物流都市エルモンデです。運河を利用して各地の特産品が集まるので、欲しい物は何でも揃うでしょう」
まるで観光ガイドのように、ヴェスペルティリオが右手で街を示す。歩き通しで疲れていた女性陣は、口を開くのも億劫といった様子で、ヴェスペルティリオに返す言葉も出ない。仕方ないので、ユノが代表して答えた。
「……あたし達、観光地巡りをしているわけじゃないんだけど」
一人だけ緊張感も疲労感もないヴェスペルティリオは、パーティーの中で完全に浮いていた。本人はそれを気にした素振りもなく、間抜けな顔をしてみせる。
「いえ、いえ。カトラス邸は、この先を行った丘の上にあります。まずはエルモンデで、身形を整えてから向かうと良いでしょう。今の我々の格好では、門前払いされるかもしれませんから」
言われて、自分達の格好を見下ろす。途中何度か川で洗ったものの、裾はほつれているし、泥が染み付いて落ちなくなっていた。とてもこれから貴族の屋敷を訪ねられる格好ではない。
もっとも、最初からズタボロの格好をしているヴェスペルティリオ程ではないと思いたい。
身嗜みに重きを置いているユノは、これまで気にしないようにしていたが、指摘されるともうダメだった。しかし、突き付けられる現実にただ打ちひしがれるしかない。
「そうしたいのは山々だけど、あたし達一文無しよ。カトラス家を当てにしてここまで来たんだもの」
不貞腐れたように腕を組み、そっぽを向くユノ。それを見てヴェスペルティリオは、愉快そうにクツクツと喉を鳴らした。
「ユノさんは、旅に必要な物は何だと思いますか?」
「はぁ? なんだっていうのよ」
「勿論。楽器と、美しいお嬢さんですよ」
閉じられた瞼の下から視線を感じて、ユノはひくりと片眉を上げた。
「……あたしになにかしろって言ってる?」
「いえ、いえ。滅相もありません。お嬢さんは使う物ではなく、添えるものですから。マァ、ここはそれがしにお任せあれ」
ヴェスペルティリオは得意気に胸を張ると、落ちていた空き箱を拾い、ユノに持たせた。そうして自分は、道端に積み上げてあった樽の上に腰掛ける。
視線で訴えると、ヴェスペルティリオは不敵な笑みを浮かべてみせる。どうやら見ていろということらしい。
通りは行商人のものと思しき馬車や、行き交う人々で溢れており、道端でそんなやり取りをしている一行に目を止める人はいなかった。
──次の瞬間までは。
ヴェスペルティリオは楽器を構えると、ジャンッと弦を弾いた。その瞬間、人々の視線がヴェスペルティリオに集まる。まるで魔法のように、突然現れたように思ったのだろう。変な出で立ちをしたヴェスペルティリオのことを、不思議そうに眺めている。彼のどこか浮世離れした神秘的な美貌も手伝ってか、足を止めた人は多い。
「これより吟じますは、遠く離れた砂の大地に暮らした、一人の姫君の物語──」
ヴェスペルティリオは軽妙な旋律に乗せて、とある姫の愛にまつわる物語を語り始めた。吟遊詩人というのがどういうものなのか、この時初めてユノは知った。その詩の素晴らしさも。
曲に乗せながら、時に切なく、そしてまた時に激しく変わる語り口。それは聴いているうちに段々と脳内に映像が浮かび上がってきて、まるで目の前で演劇が繰り広げられているようにさえ感じた。
ユノはまるで魔法のようだと思った。目が、耳が、頭の中さえヴェスペルティリオに惹き込まれていく。
そう感じたのはユノだけではないようで、特に女性達は口元を押さえて涙ぐみ、歓喜し、手を握り合った。セレンディアでさえ、心を奪われた様子でヴェスペルティリオを見つめている。フェリなんかはどっぷりと心酔し、すっかり目と耳を奪われていた。
最後にゆったりとしたリズムで音を奏で、詩は終わった。最後に響く音の余韻が消えるまで、人々はじっと耳を傾けていた。
そして──割れんばかりの喝采が起きる。
「なんて素敵なの……!」
「ブラボー!」
歓声と共に、硬貨や食べ物が投げられる。ヴェスペルティリオはユノの肩を掴んで自分の前に立たせると、ぐいと観客の前に突き出した。すると、手にしていた空き箱の中にみるみるお金が投げ込まれること、投げ込まれること。
驚きで言葉を失ったユノは、口を開けたままヴェスペルティリオを振り返った。ヴェスペルティリオはユノを見下ろして、にっこりと微笑んだ。
ユノは凍り付く。どうしたことか、その顔がまたアルベルトに重なって見えた。もう呪いの森から出たというのに、どうしてまた幻覚が見えたのだろう。
悟られないように、ユノはお金で一杯になった箱を抱え直す振りをしてヴェスペルティリオから顔を背けた。きっと疲れているせいで、願望を見てしまったのだろう。
ユノは胸の痛みに気付かないフリをして、観客に笑顔を振り撒いた。
「まぁっ! よくお似合いですこと」
「次はこちらを試してみてくださいませ!」
仕立て屋に入ったユノは、年配の女性店員達の着せ替え人形にされていた。美しいだのお綺麗だの褒められて悪い気はしなかったユノだが、次から次に試着させられ、さすがにそろそろ疲れた頃だ。
ヴェスペルティリオ達も止めてくれればいいのに、審査員風に口出しするため、店内はすっかりファッションショーのようになっている。
「ユノさんのイメージとしては、暖色系の方が似合っていると思います」
「わたくしもそう思います。お嫌いでなければ、ビタミンカラーもお試しになられてはどうでしょう?」
「ちょっと。そんな真剣にならなくていいから。それとドレスじゃなくて、もっと動きやすいものがいいわ」
「でしたら、新進気鋭のデザイナーの逸品がございます! 少々お待ちくださいませ」
「だからそんなに張り切らなくていいんだってば……」
ユノはがっくしと肩を落とし、腰を摩った。最近ラフな格好をしすぎたせいか、コルセットが少し苦しい。どんな状況下でも日々美を研磨してきたつもりだったが、メンテナンスが足りていないようだ。美が衰えていることを感じて、少しヘコむ。
ため息一つで気分を切り替え、ユノはずっと目を付けていた紫色のワンピースを取ってフェリに渡した。
「ユノ様? これは……」
「着てみてちょうだい。きっと似合うと思うわ」
思わず受け取ってしまったフェリは、ワンピースを投げ捨てそうなほど驚いて腰を低くした。
「な、なりませんっ。わたくしが、このような贅沢……!」
「いいわよ。って、あたしが言えることじゃないけど。いいわよね、ヴェス?」
「ええ、ええ。勿論、構いませんよ。元々、そのつもりでしたから」
呆然とワンピースを見つめるフェリを、無理矢理試着室に押し込める。ずっとフェリの格好が気になっていたユノは、一仕事終えたような気持ちだった。上品に年齢を重ねてきたフェリは、生地のしっかりとしたワンピースで飾れば、内面の美しさが引き立てられるだろう。
「セレンはこれね」
次は壁際でじっと息を殺していたセレンディアに、ネイビーのローブを渡した。
「……私はいい」
セレンディアはフードの下からヴェスペルティリオを一瞥すると、フイと顔を背けた。彼に借りを作りたくないようだ。
ユノはそっと耳打ちする。
「郷に入っては郷に従えってやつよ。どこでバレるかわからないんだから、格好も帝国式に合わせていた方が安全よ」
「む……。それは、一理あるな……」
セレンディアはヴェスペルティリオをじっと睨む。視線を感じたのか、ヴェスペルティリオは彼女の方を向いて薄く微笑んだ。
セレンディアは何かを言おうと口を開いたが、結局何も言わずに試着室に入っていった。ヴェスペルティリオに対してあからさまな敵意を向けることはなくなったが、まだ心の中で折り合いがつけられていないのだろう。この二人が打ち解けるには、もう少し時間がかかりそうだ。
「本当に買ってもらっちゃっていいの?」
一人残ったユノは腰に手を当てて、ヴェスペルティリオを見上げた。ヴェスペルティリオは顎を引いて、ニッコリと笑みを落とす。
「いずれユノさんの詩も、路銀を集めるために吟じさせていただくことがあるでしょうから。いわばこれは、その使用料、とでも思ってください」
「そういうことなら遠慮しないわ。せっかくだからヴェスも、そのコート新調したらどうかしら?」
「いえ、いえ。これはそれがしの、一張羅。そう簡単に、置いて行くわけには参りません」
「気に入ってるわりには、扱いがぞんざいじゃない?」
「そんなに、それがしの服を脱がせたいですか?」
ヴェスペルティリオはふざけた様子で、両腕で胸の辺りを隠すようなポーズをとった。入り口で頭をぶつけそうになった大男がそんなポーズをすると、滑稽でしかない。
「ちょっと隣を歩かれると気になるけど、服装は好みだもの。無理にとは言わないわ」
「ユノさんのお心遣い、痛み入ります」
そんなやり取りをしているうちに、服を用意し終えた店員に呼ばれ、ユノも奥の試着室へと入った。
昼食で料理屋に入ったユノ達は、久し振りのまともな食事にがっついてしまった。魚や山菜で満足はしていたが、やはり香辛料やハーブなどで味付けされた料理には敵わない。
食事を終えたところでユノは、一つ決意していたことを三人に告げた。
「あたし、カトラス邸には一人で行こうと思うの」
満腹になって眠そうに目を伏せていたフェリとセレンディアが、驚いたように顔を上げる。ヴェスペルティリオだけは変わらずに、食後のコーヒーをちびちびと飲んでいた。
「向こうがあたしのことをどう思ってるかわからないし、そもそもどんな状況になってるかわからないもの。だからまずはあたしが先に行って、様子を探って来ようと思う。力を貸してくれるようなら、みんなのことも呼びに来るわね」
「戻って来られないような状況になったら、どうするつもりだ」
セレンディアが鋭い瞳でユノを射抜く。ユノは毅然とした態度で、色素の薄い瞳を見返した。
「その時は三人で王都に向かってほしい。ヴェスペルティリオがいれば、竜王に謁見できるはずよ」
「馬鹿な事を言うな……!」
苛立った様子で、セレンディアは拳をテーブルに叩きつけた。グラスが揺れ、何事かと周囲の人達が視線を向ける。
「もぉ〜。そんなにプリプリ怒らなくてもよくなぁ〜い?」
ユノはわざとアホらしい鼻にかかった声を出した。ただの痴話喧嘩と思って人々の関心がふっと消える。セレンディアはバツが悪そうな顔をしてぎゅっと唇を噛んだ。
「……わたくしも、賛成しかねます」
静かにフェリが発言する。その瞳には、断固として否定の意志が浮かんでいた。
「冷静に考えてよ。もしカトラス家がアーク家に乗っ取られてたとしたらどうするの? 眠らせて縛り上げておく? それとも──殺す?」
ユノが冷たい眼差しで問いかけると、セレンディアとフェリは息を飲んだ。つい先日神獣を屠ってしまったセレンディアは特に、沈痛な面持ちへと変わる。
「殺られそうなら殺りかえすっていうのは、至極真っ当な考えだと思うわ。でもあたしは、あなた達の誰かにその役目を押し付けたくない。あたしのことは、あたしがやる」
フェリは泣きそうな顔で、口元を押さえた。
「そんなの……随分、勝手だと思いませんか……?」
セレンディアも非難するように目付きを鋭くする。
「私達に、死にに行くのを見送れというのか?」
二人の言葉を受けて、ユノは泣きたい気持ちだった。しかしその瞳が濡れることはない。
指先も、瞳も、髪の毛の一本までも、ユノは思い通りに動かせる。それがあたし。
「……そうね。でもあたしはこれまで勝手にしてきたわ。だからこれからも、勝手にしようと思う」
冷え切ったエメラルドの瞳で二人を見据える。まるで突き放すかのような言葉に二人は揃って口を開けたが、唐突に瞳の焦点をずらす。くらりと目眩を起こすように頭を揺らすと、そのままテーブルに顔を伏せて眠ってしまった。
ユノは胸の谷間に忍ばせていた小瓶を取り出して、テーブルの上に置いた。こっそりと飲み物の中に睡眠薬を混ぜていたのだ。以前シャオラにも使った手だ。仕事柄何をされるかわからないユノは、面倒な客にはこんな風に、睡眠薬を盛って逃げていた。
「遊んでたら、遅効性の薬は使いきっちゃった。結構高かったのよ。まぁ、即効性の薬ほどじゃないけど」
薄く微笑み、指先で小瓶を弾く。
そして、これまでずっと静かにコーヒーを啜っていたヴェスペルティリオに目を向けた。
「それで、どうしてあなたは眠ってないのかしら。全員に盛ったつもりだったんだけど」
「それがしまで眠ってしまったら、この二人の今晩の寝床は、テーブルの上になってしまいますが?」
「店主にお願いしておいたから大丈夫よ。あたし、親切な人って目を見ればわかるの」
「目を見つめて、手を握っておりましたね」
相変わらず、見えていないくせによく見ている男だ。ユノはヴェスペルティリオの盲目は嘘なんじゃないかと常々思っている。
「……まぁなんだっていいわ。ヴェスはあたしの邪魔はしないわよね?」
ユノの問いに、ヴェスペルティリオは考えるように顎を揉んだ。
「マァ、そういう冒険も構いませんが……。身の危険を感じた際は、笛を吹いて報せてください。ここで終わるようなら、実に無様……という他、ありませんから」
いつになく厳しい言い方に、ユノは少しだけ緊張を感じた。
「もし、あたしが死んだら……二人を竜王の元まで連れて行ってくれるわよね?」
この前提がなくなれば、ユノは安心してカトラス邸に行くことができなくなる。
それを、ヴェスペルティリオもわかっている。
「さて、さて。ここで頷くことは、それがしには出来ませんね。この詩を、ノイズにはしたくないですから」
ヴェスペルティリオは終始穏やかで優しい雰囲気をしているが、この時は少し気が立っているように感じた。そこでユノは、以前もこんな空気を感じたことを思い出す。
あの時、呪いの森でヴェスペルティリオをアルベルトと重ねて見たときも、ヴェスペルティリオはほんの僅かに苛立っているようだった。逃してしまいそうなほど僅かな揺らぎだったが、ユノには確かに感じられた。
蔑ろにされることや、気に入った詩を取り上げられることが、彼には我慢ならないことなのだろうか。
ヴェスペルティリオはよくわからない男だが、彼にとって自分がそれなりに価値のあるものであることは自覚している。
そして、自分の使い方もユノは心得ている。
ユノは決意を秘めた瞳で、ヴェスペルティリオを見据えた。
「あたしはそう簡単に死ぬつもりはないわ。自分の使い方も、他人のどかし方も、よくわかってるもの」
「いえ、いえ。それを聞いて、安心しました」
ヴェスペルティリオは薄く微笑み、王家の紋章を象ったペンダントに恭しく手を当てた。
「どうか、ユノさんの歩む道に、竜の息吹があらんことを」




