無礼な庭師見習い
「確かこの辺りだったはず…………」
ユノは庭の花壇がある場所まで歩いてきたが、既に人影はなかった。
花壇はよく手入れされていて、赤や白やオレンジ色など、色とりどりの花が咲いている。垣の向こうには、見事なバラの庭園があった。自然とユノの足は庭園へと向いた。
背の高さまである草木の壁に囲われ、まるで迷路のようだ。しかし、バラのいい香りで満たされている。ユノはたっぷりと息を吸い込んだ。
「いい匂い」
真っ赤なバラを指先で撫でる。蔓には棘があって、とても触れそうもない。
「お前も娼婦なのね。水が欲しいから美しい花と香りで人を惹きつける。棘があるだけの草では、人からは愛されないことを知っている」
ユノは自嘲的に唇を歪めた。
「大丈夫よ。あたし達は選ばれた」
柔らかな風が吹いて、バラは返事をするようにさわさわと揺れた。ユノは微笑んで踵を返す。
そのとき、サッと人影が隠れるのを見た。
「誰かいるの?」
ユノは慌てて駆け寄ったが、人影は素早く角を折れていった。負けじとユノも追いかける。
迷路のようなバラ園の中をぐるぐると駆け回っていると、ユノは履き慣れないヒールのせいで足首を捻って転んでしまった。
「あいったぁ!」
どてーん!と盛大に転んだユノは、悔しさで芝生を握りしめる。うるうると瞳に涙を溜めて唇を噛み締めていると、ユノの前に影が落ちた。
「お、おい。大丈夫か……、……ですか?」
顔を上げると、赤髪の青年が困惑した面持ちでユノを見下ろしていた。ユノはハッと目を見張る。
青空を背に立つ青年は、なかなか整った顔をしていた。頬にはそばかすがあるが、輪郭はきりりとシャープな線を描き、鼻は高い。こざっぱりと短く切られた赤髪も、彼の持つ爽やかさを引き立てている。
庭師だろうか。腰に下げたポーチからは、大小様々な鋏が頭を覗かせていた。それと、何故か女物のようなピンヒールのブーツを履いている。
ユノはそれらを一瞬のうちに視界に捉えていたが、それよりもユノの目を引いたのは、青年が右手に握っていた一匹の蛇だった。
「それ…………」
ユノの視線に気付いた青年は、自分の右手に握られたものを見た。少しの間沈黙してから、ハッとして顔を青くする。
「あっ、あぁっ!すまん!じゃねぇ、も、申し訳ありません!こんなものを奥様の前に……!」
青年は慌てて蛇を背後に隠し、だらだらと冷や汗を流した。
「あんた、じゃねぇ、なんつーんだっけか……。ともかく、あんた様は、新しく来たっていう奥様、です、よね……?」
おぼつかない敬語でユノの顔色を窺う青年に、ユノは立ち上がってずいと顔を寄せた。青年は喉の奥で悲鳴を上げる。
「それ…………美味しそう!」
ぎゅっと目を瞑った青年は、予想外の言葉にぽかんとした。ユノは涎でも垂らしそうな顔で青年の背後の蛇を見つめている。
「は?あんた、蛇なんて食うの……?」
青年から白い目を向けられたユノは、憤慨したように胸を逸らして腰に手を当てた。
「蛇は蒲焼きにすると美味しいのよ。知らないの?柔らかいお肉もいいけれど、蛇のあのコリコリした食感がたまらないのよね……」
うっとりと目を蕩けさせるユノ。
青年は瞳から温度をなくし、蛇を見つめた。蛇は危険を察知したのか、青年の腕にぐるぐると体を巻き付けて怯えている。
「何をしておるか、エド」
青年の背後から、白髪の老人が歩いてくる。
くるりと振り向いた青年は、老人を見てパッと顔を明るくさせた。
「じっちゃん!」
「エド。ワシのことは師匠と呼びなさいと、いつも言っておるだろう」
「あ〜そうだったそうだった」
青年は適当にケラケラと笑いながら老人に歩み寄り、サッと背後に隠れてユノを睨み付けた。まるで猛獣にでも遭ったような態度に、ユノはムッと頬を膨らませる。
老人は、そのとき初めて気が付いたようにユノを見た。
「おや。これは美しいお嬢さん。こんな所でいかがされた?」
老人の物腰は柔らかく、人柄の良さが窺えた。しかし、ユノを警戒してか瞳の奥に鋭さがある。
ユノは一瞬の思考の末、ニッコリと笑顔を作った。
「初めまして。あたしはユノ。もしかしてあなた達は庭師かしら?」
「ええ……まぁ……。ワシはドーランと申します。これは庭師見習いのエドワードです」
庭師のドーランに紹介されると、見習いのエドワードはおずおずと顔を出しながら軽く会釈した。
エドワードは口元を隠しながらドーランに耳打ちする。
「マズイって師匠。あの旦那様の奥方だぞ。早く追い返せって」
「ちょっとあんた、聞こえてるわよ」
「ギクッ」
ユノが睨むと、エドワードは肩を跳ねさせて、取り繕うようにヘラヘラと笑った。
「なんでみんなあたしのことを邪険にするのよ?」
ユノはむくれながら小首を傾げた。歓迎されていないにしても、やけに使用人達はユノを避ける。
エドワードは困ったようにガシガシと頭を掻く。
「別にそんなつもりじゃねーけど、しょうがないだろ」
「しょうがないって?」
ユノが食い下がると、エドワードは助けを求めるようにドーランを見た。釣られてユノもドーランに視線を向ける。
ドーランは豊かな顎髭に触れて、目尻の皺を深くした。
「旦那様は、気難しいお人ですからなぁ」
はっきりとは言わなかったが、フェリと同じようにドーランもまた、アルベルトの機嫌を気にしてユノを遠ざけたいようだった。
ユノは思案するように眉を顰めて唇を引き結ぶ。
押し黙ったユノに、エドワードはビシッと指を向けた。
「わかったら、今後一切俺と師匠には関わんなよ!」
ドーランが深くため息を吐き出す。
「人に指を向けるなと、何度言ったらわかるんじゃ」
エドワードはふんすとユノを睨み付けたまま、サッと指を下ろした。ドーランが二度目のため息を吐く。
「ご覧の通り、せがれは手に負えない馬鹿ではありますが、どうかご容赦ください」
ユノに向き直ったドーランは、深々と頭を下げた。隠れる盾を失ったエドワードも、合わせて軽く頭を下げる。
ユノは胸にモヤモヤとしたものを抱いたが、ムスッと口を閉じた。
使用人は主人の言いつけを破ることができない。いくらユノが主人の妻であったとしても、主人の機嫌を損ねるような頼みは聞けないだろう。特にアルベルトの使用人達は、主人に忠実だ。
であれば、アルベルトにアプローチをかける他にはないだろう。アルベルトの言葉以上に使用人達を動かすものはないのだから。
しかし、エドワードならうっかり口を滑らせそうだ。何かあれば彼を使うことにしよう。
ユノは一人、ニヤリと不敵に笑った。