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幽玄なる吟遊詩人

 目を覚ますと、室内はすっかり暗くなっていた。ボロボロのカーテンの向こうでは月が昇っている。一体どれくらい眠ってしまったのだろう。

 ユノは息を潜めながら、周囲の状況を窺った。隣にはフェリが安らかな寝息を立てて眠っており、その向こう側のベッドでセレンディアが眠っている。二人共深い眠りに落ちているようだが、特に危害などは加えられていないようだ。着衣に乱れた形跡も見られない。しかし、これから何かされないとも限らない。


「フェリ、フェリ」


 フェリの肩を軽く揺すってみたが、僅かに顔を顰める程度で起きる気配がない。セレンディアの名前も呼んでみたが、しばらくは目覚めそうになかった。二人の顔色が良くなっていることだけが救いだった。

 そっとベッドから抜け出して、ドアノブを捻る。鍵はかけられていなかったことに、少しだけホッとする。

 ヴェスペルティリオに対する印象は、フェリとセレンディアの間で割れていた。ユノ自身もまだ信じきれないところがある。彼にはなんとなく、不気味な雰囲気がある。

 二人が眠っている以上、ユノにできることは彼と話すことくらいだ。場合によっては、この手で……。ユノは胸の前でぎゅっと短剣を握りしめた。

 部屋を出て廊下を歩いていると、微かに演奏の音が漏れ聞こえた。音のする方向に歩いていくと、あの大広間に辿り着く。

 ヴェスペルティリオは月明かりに照らされながら、弦を爪弾いていた。先程聴いた曲とはまた違う、どこか哀愁の漂う切ない旋律。それはまるで、鎮魂歌のよう。ヴェスペルティリオの横顔もどことなく、誰かの死を悼んでいるように見えた。

 最後の一節が弾かれて、音の余韻がホール全体に広がり、やがて静かに溶けていく。静寂が訪れると、ヴェスペルティリオはユノの方に顔を向けた。


「ご静聴ありがとうございます、ユノさん。ご気分の方はいかがですか?」


 見えていないはずなのに、足音や息遣い、彼から言わせれば音の反響で相手がユノだとはっきりわかるのだろう。

 相変わらずの友好的な態度に、ユノは毒気を抜かれるような思いがした。それでも肩を怒らせて、ツンとした態度を装って彼の方へと歩いていく。


「あなたがぐっすり眠らせてくれたお陰で、随分スッキリしたわ」


「それは、それは。何よりのこと」


「あたし達を眠らせて、何かしようってつもりだったんじゃないの?」


 ユノは目を細めてヴェスペルティリオを睨め付ける。ヴェスペルティリオは困ったように眉を下げて、降参するように両手を挙げた。


「いえ、いえ。睡眠が一番の薬と思ったものですから。勝手に魔法を使ったこと、謝罪いたします」


「本当に敵意がないっていうなら、明日朝一番であたし達を森の外まで連れていってくれるかしら?」


「承りました。込み入った事情のあるご婦人方に力を貸すことを惜しむほど、このヴェスペルティリオは落ちぶれておりません」


 真意を確かめるように、ヴェスペルティリオの顔を覗き込む。

 彼が不気味なのは、ずっと目を閉じているせいかもしれない。目は口ほどに物を言うという通り、何かしらの感情が目には出るものだ。どんなに腹の中を探ろうと思っても、これでは見えてこない。彼の飄々とした態度も、掴み所がなくて不安になる。


「……まぁいいわ。なにかするつもりなら、もうとっくにしているはずでしょうし」


「竜王陛下に誓って、お約束いたします」


 ヴェスペルティリオは王家のペンダントを恭しく持ち上げて、軽く口元に当てた。浮世離れした彼がそんなことをすると、芝居掛かったように見えて、返って胡散臭く感じる。

 これ以上考えても無駄なことだ。ユノは壁際にあった壊れかけの椅子に腰掛けて、ヴェスペルティリオを見上げた。ただでさえ長身の彼が巨人に見える。


「さっきの曲は、なんだか悲しかったわ。もしかして、その竜王陛下とやらに捧げていたの?」


「その通り。ザフィリオ陛下……先々代竜王様にと、思いまして。あのお方は実に偉大でした。できればもっと、その詩をお聴きしたかったものです」


「今の竜王、レギュモンドとは会ったことあるの?」


「ええ、ええ。それがしが謁見した時には、まだ幼子でございましたが」


 当時のことを思い出してか、クツクツと笑みを漏らすヴェスペルティリオ。


「この楽器にご興味を持たれたようで、貸してくれとねだられ、とても困りました。これはそれがしの命。代わりにオカリナという気鳴楽器をお渡ししたら、吹き壊してしまわれて……。これが竜の息吹かと、感服したのを覚えております」


「レグが子供の頃って……あなた一体いくつなの?」


「さて、さて。それがしは、興味のないことに関しては、まるで無頓着な質でして」


「埃まみれの屋敷に、埃まみれになりながら暮らしてるくらいだものね」


 せっかく見目が美しいのに、ヴェスペルティリオには自身の外見を気にする素振りがない。髪はボサボサだし、着ているのもツギハギだらけのコートだし。いくら目が見えていなくたって、もう少し整えることはできるだろう。

 しかし、思っていたより随分と年らしい。レグとアルベルトは年が近いので、つまりアルベルトよりもうんと年上ということだ。それにしては肌艶が若々しい。

 こんなに美に対して無頓着なのに、一体どういう魔法だろうか……。


「気になりますか」


「え?」


 さすがに不躾な視線を送り過ぎたかと心臓を跳ねさせたが、ヴェスペルティリオはどこか遠く──部屋の奥に顔を向けた。


「先程から、あちらを気にされているご様子。ユノさんも王家の紋章に導かれたのだとしたら、あの部屋を指し示されたのでしょう」


「えっと、ん? なに、あの部屋って……」


 そういえばこの屋敷に来たとき、短剣がどこかを指し示すように光っていた。気付けば、握りしめた短剣が熱を放っている。


「それがしも、これを返さなくてはなりませんから。一緒に行きますか?」


 ヴェスペルティリオは袖の中から、古ぼけた黒革の手帳を取り出した。

 何か嫌な予感がした。女の勘だ。腹の底がむずむずとするような、気持ち悪い感覚。

 それでもユノは、確かめなければならないような気がした。


 大広間の奥には、ただ壁があるだけだった。しかし近付くと、二人の持つ王家の宝具が淡く光を放った。この光景を以前にも見たことがある。

 ヴェスペルティリオがペンダントを壁に掲げると、竜の紋章が浮かび上がり、時空が歪むようにして穴が出来上がる。そこを潜ると、上に続く螺旋階段があった。ヴェスペルティリオは躊躇なく階段を上っていく。慌ててユノも後を追った。

 階段の先には、書斎のような部屋があった。円形に囲まれた壁には大きな本棚が置かれ、頭上遥か高くはガラス張りになっており、幻想的な星空が見える。目を凝らすと、天井は吹き抜けになっているようだった。

 部屋の中央には、天蓋付きの大きなベッドがあった。まるでお姫様が眠るような美しいベッドなのに、ユノの心はまるで弾まない。何か恐ろしいものを、見てはいけないものを見てしまったような感覚に襲われる。


「ここは……」


「アレリア、という娘が監禁されていた部屋です」


 ヴェスペルティリオは何度も来ているのか、慣れた様子で本棚に手帳を戻していた。


「アレリア……?」


「遥か太古、アレリア嬢は竜王に求婚されたようですが、彼女には他に愛する男がいた。恐れ多くも竜王を拒んだアレリア嬢は、両親からも想い人からも引き離され、この森に閉じ込められてしまったようです。日記にそう記されていました」


「竜王の逆鱗に触れた娘って、そのアレリアのことなのね。それが真実なら、とてもひどい話だわ」


「愛とは時に薬にもなりますが、身を蝕む毒にもなる。このアレリア嬢の詩は、胸打つ悲劇として語られるに相応しい」


 ヴェスペルティリオはどこか満足気に微笑んで、弦を撫でていた。それがとても不謹慎に見えて、ユノはムッとした。


「他人の不幸をネタにするなんて、いい商売ね」


「それがしは、忘れ去られる方が虚しいと思います。生きている間にはこの呪いの森から出られなかったアレリア嬢を、せめて人々のお心の中に……。さすれば、永遠に近い時を誰かと共に生きられる。傲慢かもしれませんが、これがそれがしの弔い方」


 天空を見上げるヴェスペルティリオにつられて、ユノも吹き抜けの天井を見上げた。


「竜王はこの空のみを与え、自らのみが愛されたいと思った……。愛情深い竜の愛されなかった末路がこれとは、それもまた悲劇」


 独り言のように呟くヴェスペルティリオ。

 ユノは何度見ても、手の届かないあの場所が吹き抜けになっているのが不思議でならなかった。


「どうしてあんな所が開いてるのかしら。雨が降ったらびしょ濡れじゃない」


「ん? ああ、あれは竜の道でしょう」


「竜の道?」


「竜王陛下がお通りになられる通路です。陛下はあちらから参られる方が速かったのでしょう」


「え? 空でも飛んで来たっていうの?」


 ユノは冗談を言ったつもりだったが、ヴェスペルティリオはきょとんと首を傾げた。


「竜王陛下は天空の支配者。空は陛下の庭です」


「それって何かの、ものの例えみたいな、そういうことじゃないの?」


「比喩ではありません。竜王陛下は空飛びます」


「ええぇ……」


 まるで一般常識かのような態度に、ユノは愕然とする。レグがふわふわと空を浮遊する姿を想像をして、まぁあり得なくはないか、と納得した。この世には色々な魔法がある。空くらい飛んだって何もおかしいことはない。


「いやおかしいでしょ……」


「それはそうと、それがしはユノさんの詩も気になります。あなたも王家の宝具を授かり、こんな場所に迷い込んだのです。これはまさしく運命。実に詩興が唆られます」


 ヴェスペルティリオは軽く手を叩き、ニヤニヤとユノを見つめた。まるで好物を前にした犬のようで、ユノは軽く一歩下がる。油断すると頭から噛み付かれそうな気がした。


「そういえばそんな約束だったわね。別にいいけど、興醒めかもしれないわよ」


「物語なき歴史などありません。どうぞお聴かせください」


 促されて、ユノはここに来るまでの出来事を掻い摘んで話した。こうして改めて自分の人生を誰かに話す機会などなかったため、どこか気恥ずかしくもあり、自分自身を振り返るきっかけにもなった。


 すべてはあの娼館で、アルベルトと出会ったことから始まった。もしもユノの姉がアルベルトを救っていなければ、アルベルトがユノを救っていなければ、ガドラー元帥がアルベルトを娼館に行かせなければ……。

 様々な偶然が重なり合って、今に繋がっている。ユノが無鉄砲にも帝国軍本部に行っていなければ、偶然レグに会っていなければ、あの時短剣を貰っていなければ、こうしてヴェスペルティリオに会うこともなかった。

 運命とは不思議なものだ。どこで何が繋がっているのか、後になってわかることもある。ここでヴェスペルティリオと巡り合ったことも、何か意味があるのかもしれない。

 気付くと、ヴェスペルティリオは俯いてぶるぶると震えていた。


「え、ど、どうしたの?」


 驚いて手を伸ばした、その時だった。


「──素晴らしい!」


 急にヴェスペルティリオは立ち上がり、高笑いを浮かべながら両腕を広げた。


「ああっ、なんと悲しくも美しい詩なのでしょう……! これほど詩興が湧く詩は何年振りか……いや、初めてかもしれない! ああ、なんと、なんと良いこと……。いや、いや。ぜひともそれがしに詩わせてはくれませんかっ」


「えっ、あっ」


 勢いに押されて面食らうユノの手を、ヴェスペルティリオはぎゅっと両手で握りしめる。しかも鼻息が荒いし顔が近い。目が見えていないせいで距離感がバグってるとしか思えない。


「ムムッ! なんとこの手触り……吸い付くほどに瑞々しい……滑らかでずっと触っていたくなる……」


「いやエロオヤジかっ!」


 手の甲をいやらしく撫でられて、ユノは咄嗟にヴェスペルティリオの股間を蹴り上げた。急所にクリティカルヒットを受け、ヴェスペルティリオは声にならない声を上げて床に崩れ落ちる。


「なんと……美しくて、強いお嬢さんだ……さすが、愛する人のために剣をとったお嬢さん……イタタタ……」


「あたしは自分のこともよく知ってるけど、男のことだってよく知ってるのよ。あんまり舐めると後悔するわよ」


「まだ、舐めてはいなかったのですが……」


「は?」


「いえ、いえ……。それがしはただ、詩興のヒントになるかと思い……ヒヒッ」


 ヴェスペルティリオはニッと歯を見せて、引き笑いをした。あまりの不気味な笑顔に、ユノは二の腕を摩った。


「なんか昔の客を思い出したわ……。画家だったんだけど絵にしか興奮できないタチで、何時間もずっと同じポーズさせられた挙句、勝手に一人で……。あたし芸術家キライ」


「そんなこと言わないでください。これから、長いお付き合いになるのですから」


「は?」


 ヴェスペルティリオは胸に手を当て、恭しく跪いた。


「このヴェスペルティリオも、ユノさんの旅に同行させていただきます。あなたの旅の結末がどうなるのか、しかとこの耳で聴かせていただきます」


 急な展開に、ユノはぽかんと口を開けた。


「ええぇ……あんまり嬉しくない……」


「それがしはかつて、世界各地を一人で旅しておりました。お役に立てることは多いかと」


 確かにヴェスペルティリオは旅慣れていそうだし、男手が入るのはありがたい。どうやら魔法も使えるようだし。

 吟遊詩人というのがどういうものなのかユノはよく知らないが、ヴェスペルティリオは有名人らしいし、王家とのコネクションも持っている。最悪の場合、ユノがアークノーツ家に阻まれたとしても、ヴェスペルティリオだけは竜王に謁見できるかもしれない。

 しかし……


「ヒヒッ」


 ヴェスペルティリオはまた、不気味な引き笑いをした。


「……もう、なるようになるしかないわね」


 ユノは深くため息を吐いた。

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