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ベッドの上の幸福

控えめなノック音に入室の許可を出すと、アルベルトが入ってきた。いつかのように扉を背にして顔に笑顔を張り付けている。

ユノはシーツを捲って、自分の隣をぽんぽんと叩いた。


「こっちにいらっしゃいよ。手なんか出したりしないわ」


「フフ……まるで私は生娘ですね」


そう冗談めかしく言いながらも、アルベルトはどこか落ち着かない様子でユノの隣に身体を潜り込ませた。大人二人がギリギリ入れる程度のベッドでは、互いの身体がぴたりと密着せざるを得ない。

ユノは触れ合う互いの体温にだらしなく頬を緩めた。


「……アロマキャンドル、ですか?」


アルベルトは目敏くチェストの上に目を向けた。部屋に入ったときから香りが気になっていたのだろう。


「ええ、安眠効果があるそうよ。パムに貰ったの。気に入らなかった?」


ドライフラワーのあしらわれたパム手作りのアロマキャンドルを見せると、アルベルトは軽く鼻を寄せてニッコリと笑った。どちらとも取れる曖昧な表情だ。

恐らく好きではないのだろうが、何も言わないということはどちらでもいいということだろう。ユノは内心でそう解釈して、キャンドル以外の照明を落とした。


薄明かりの中、男女二人でシーツに包まるというのは、娼館の頃を思い出す。

あの頃も雰囲気作りに香を利用していた。もっとも、安眠効果とは真逆の代物だったが。

ユノの客といえばもっぱら盛りを過ぎて欲だけが膨らんだ老人ばかりだったため、ちょっとしたアシストがあると仕事がスムーズなのだ。

懐かしい思い出に浸っていると、アルベルトに軽く頬をつつかれた。


「しとねで他の男の事を考えているんですか?」


余計なところで無駄に勘のいいアルベルトに、ユノは思わず苦笑する。


「もしそうだとしたら、あなたが甲斐性なしのせいね」


「これは手厳しい」


アルベルトはクスクスと楽しそうに笑った。ユノが何をしても、アルベルトは愛らしいと甘やかすのだろう。

擽ったい気持ちを誤魔化すように、ユノはアルベルトの肩に頭を乗せた。


「……してほしいことがあったら、何でも言って。あたしはあなたのものよ、アルベルト」


上目遣いにアルベルトの赤い瞳を見上げる。

アルベルトは柔らかく瞳を細めて、ユノの髪を梳くように撫でた。


「貴女が私の隣にいてくださる以上の誉れなど、ありませんよ」


「もう……」


ユノは胸が熱くなって、ゆるりと口角を持ち上げた。アルベルトといると表情筋が変な風に引き攣ってしまいそう。

それがまた悪くないと思えてしまうから可笑しい。


ユノは甘えるように小首を傾げてみせた。


「ねぇ、何か話して?」


「何が聞きたいですか?」


「アルベルトの好きな物が知りたいわ。食べ物とか、趣味とか」


「好きな物、ですか?そうですねぇ……考えた事もありませんでした。ユノは何が好きなんですか?」


「あたしは美味しいものと、綺麗なものが好きよ。あとはやっぱり、蛇かしら。初めて食べたときの感動が忘れられないのよね」


「フフ。過酷な環境下でも逞しく生きてこられたから、貴女はそんなにも魅力的なんですね」


「ふふん。当然ね」


胸を張ってみせてから、いつの間にかユノの話へとすり替わっていることに気が付く。

アルベルトと話しているといつもそうだ。煙に巻かれてしまって、いつもアルベルトに近付くことが出来ない。

もっとアルベルトのことが知りたいのに。

ユノは恨みがましく頬を膨らませてアルベルトを睨み付けた。


「息抜きもなしに軍人やってたの?ストレスは全部仕事にぶつけて、楽しみも全部仕事だったってわけ?」


「ハハ。そう聞くと変人みたいですね」


変人みたいなのではなく、それを変人と言うのでは。


ユノは内心でため息を吐き出した。これが平常運転では、ガドラー元帥に娼館へと向かわされたのも頷ける。

アルベルトは恐ろしいまでの合理主義者だ。利益のためならぱどこまでも自分を捨てることが出来る。並の精神力ではない。


しかし、本当に自分を捨てることなど出来はしない。捨てたつもりになって、心の奥底に押し込めているだけだ。

無理矢理覆い隠したものはいつか必ず亀裂が生じ、容易く壊れてしまう。


ユノはアルベルトの服をきゅっと掴んだ。

今まで捨ててきてしまったものを取り戻してほしい。あなたを追い詰めるものは、ここにはないのだから。


「……ねぇ、明日は子供達のところに遊びに来て。仕事じゃなくて、遊びによ。あたしが遊んであげる」


ユノの言葉に、アルベルトはニッコリと美しく笑った。


「わかりました。ユノと遊んでもらえるなんて、楽しみです」


「子供達がお昼寝をしてからは、家の周りに花壇を作りましょう。あたし、アルベルトがいない間に花壇の作り方を覚えたのよ。教えてあげるわね」


「……それは、私の屋敷の庭師見習いに習ったということですか?」


「ええそうよ。どこかの誰かさんよりよっぽど甲斐性があるもの」


「……………………浮気、ですか?」


途端に低くなった声音に、ユノは小さく笑った。その感情だけは残っていたことを喜ぶべきか、呆れるべきか。


「アルベルトって他人に当たる割に、肝心な本人のことはすっぽかすわよね。雑草を抜いても、花に水をあげないと育たないわよ?」


「これでも、たっぷりと水を注いでいるつもりなんですがねぇ」


「風にでも煽られてるのかしら。あまり届いてないわ」


「おや、それは困りました。今後はこれまで以上に大切にしましょう」


「そういうところが、何だか真剣味に欠けるのよね……」


口だけは達者なアルベルトに、ユノは小さく息を吐き出す。アルベルトは常に穏やかで飄々としているから真意が掴みにくい。

いっそ手でも出してくれたらいいのに……そう考えて、慌てて頭を振る。今日は手を出さないと言ったのだから、余計なことは考えるべきじゃない。

でも普通、好きな女が同じベッドで寝ていたら我慢なんて出来ないものじゃないの?


心中の葛藤が顔に出ていたのか、アルベルトは楽しげにユノを眺めてクスッと笑みを零した。


「貴女に求められるというのもなかなか、癖になってしまいそうです」


「度が過ぎると可愛げがないわよ」


「フフ。……私からすると、ユノもまた職業病に侵されているように見えます」


「職業病?」


「男の欲望を長くその目で見てきたから、それこそが包み隠さぬ本性なのだとお思いなのでしょう。確かにそれも一つの真実ですが、そこにあるのは愛情ではなく欲情です。それらが別物である以上、私は愛情を求めたいと思うんですよ」


「……つまり、あたしには絶対に手を出さないってこと?」


「そうなりますね。ユノにも、そういう男女の付き合い方に慣れてほしいと思います。貴女はもっと、ご自分を大切になさってください」


ユノは笑い返そうかと思ったが、胸に引っかかりを覚え、それを言葉にするべきだと思い直した。

左手に目を落とすと、薬指に赤いバラが咲いている。

魔法の指輪は宝石のように煌びやかに輝いたりはしないけれど、ユノには何よりも眩しく赤々と見えた。


「……確かにあたしは、身体を売ることに慣れすぎたかもしれない。……でも、愛する人から求められないというのは、それはそれで寂しいと……そう感じるのは、おかしなことかしら」


指輪に背を押されるようにして、ユノはアルベルトと目を合わせた。

人を操る魔性の瞳は、赤い血溜まりの中にユノを映した。


「あたしはアルベルトが好きだから、抱きしめてほしいのよ。確かに、目に見える慣れ親しんだかたちを求めてるのかもしれない。でも、……寂しい」


ユノはそっとアルベルトの胸元に寄りかかって、祈るように目を閉じた。

アルベルトの心臓の音がすぐ近くに聞こえる。彼もまた生きているのだと思うと、ただそれだけのことで涙が出そうになるほど嬉しい。

それなのにもっと欲しいだなんて、人間は何と強欲なんだろうか。


「……愛とは、難しいものですね」


そう小さく呟くと、アルベルトはユノの方へと頭を傾けた。長い黒髪がさらりと揺れてユノの頬を擽る。

ユノは口元だけで笑んで、髪を指に絡めて遊んだ。


「あたしのこれは、真実の愛とは程遠いかしら?」


「さて……。いかなる魔術師であろうとも、愛を測ることなど不可能でしょう。……ですからこれは個人的な観測ですが、ユノに愛される方はこの世で最も幸せ者でしょうね」


「ふふ、そうだといいわ。あたしの好きな人は、あたしに愛されること以外に楽しみがないみたいだから」


「……ユノ。私を寝かし付けてくださるのでは?」


アルベルトはどこか拗ねたような声音でそんなことを言った。


「あなたって物腰は柔らかいけど、結構な自分勝手よね」


「否定はしません」


まだ少しモヤモヤとするものは残るが、普段は何でもユノの願いを受け入れてくれるアルベルトが唯一譲らない部分だ。ここはユノの方が折れてやるのが優しさというものだろう。

それに得意の口八丁を使って逃げ回るアルベルトは、何だか可愛らしい。

ユノは意味深にニコニコと笑った。


「仕方ないから、今日のところは見逃してあげるわ。手を出さないって約束だもの。その代わり……」


ユノはアルベルトの肩を抱き寄せて、自身の胸の中へと招き入れた。


「あたしの抱き枕になって?」


きょとっと目を丸くしたアルベルトに微笑みかけて、赤子をあやすように頭を撫でてやる。

アルベルトは少し照れ臭そうに口元を歪めたが、文句を言うことはなかった。


男女の二人でシーツに包まるだけの夜なんて、変な感じがして落ち着かないと思っていた。

でももしかしたらずっと、こんな静かな夜が来ることを願っていたかもしれない。


何もせずに、愛しい者と寄り添うだけ。ベッドの上には優しさだけが横たわり、ゆっくりと時が流れていく。

そんな穏やかな夜も、隣に眠るのがアルベルトならば悪くはない。


ユノはキャンドルに手を伸ばし、細く伸びた炎をふっと吹き消した。ゆらゆらと踊る甘い香りも吐息で吹き飛ばす。


「おやすみ、アルベルト」


ユノはアルベルトを優しく抱きしめて、穏やかな夜の海に身を委ねた。


どうか夢の中でも、あなたに会えますように。

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