沈黙するメイド長
屋敷の主人であり旦那様であるアルベルトが出掛けてから、ユノは暇を持て余していた。
娼館にいた頃は、毎日誰かしらが談話室にいて、思い返せば大して面白くもないようなことをゲラゲラと話してバカみたいに笑っていた。あの頃が懐かしい。
ノスタルジックな気分に耽ってみたが、ホームシックになるような可愛い性格もしていない。ユノはベッドから起き上がって自室を出た。
この屋敷にはメイド長のフェリの他に、メイドが数名いる他、料理人と庭師がいることは間違いない。この広大な屋敷の掃除と管理、庭の手入れをするには、フェリ一人ではとても手が回らないだろう。
となれば、少なくとも四人、アルベルトについて知っている人がいるということだ。ユノは自身の夫であるアルベルト・ガーデンルヒトについて情報を集めることにした。それくらいしかやることがないのが悲しい。貴族の夫人とはこんなものか。つまらない。
廊下を歩いていたユノは、不意に足を止めて窓から外の景色を眺めた。
駆け回れるほど広い庭に、絶えず清浄な水を吐き出し続ける噴水。その向こうには美しい街並みが広がり、
さらにその向こうには要塞のような巨大な城が佇んでいる。
エルキデ帝国王都。
その名の通り、ここには王が住んでいる。
恐らくこの街のどこからでも見えるあの大きな城は、国王が暮らす宮殿だろう。そのすぐ側に帝国軍の本部が設けられている。
なんて美しいのだろう。
肺一杯に息を吸い込むと、空気までもが新鮮で清潔な気がする。ユノは王都の空気をすんすんと吸い込んだ。肺の中の不浄なものが循環され、体が作り変えられていく気さえする。
ついにここまで来た。あたしはやったのだ。
誰にともなく叫び出したい気持ちになる。
娼婦街で生まれ娼婦街で育ったユノが、貴族と結婚して王都に住んでいる。娼婦街の誰もが王都に憧れ、いずれは王都に住みたいと言って死んでいく。
それをユノは叶えた。夢物語にしなかった。
ユノは興奮を落ち着けるように左肩に触れた。こんなところではしゃぐな。自分はまだ、こんなところで終わるつもりはない。
止めていた足を動かして、ユノはフェリを探すことにした。アルベルトから一番の信頼を得ているフェリならば、アルベルトの深いところまで知っているだろう。
歩き始めてすぐに気が付いたが、アルベルトが不在の屋敷は、どことなく人の気配が漂っていた。
人の気配に敏感だというアルベルトのために、使用人達は息を潜めるように生活しているのだろう。このときのユノは、あまり深く考えていなかった。
フェリはすぐに見つかった。
屋敷の構造をまだあまり把握していないユノは、自室と食堂、そしてアルベルトの寝室の場所しかわからない。そのためまずアルベルトの寝室に向かうと、フェリはそこで掃除をしていた。
フェリはユノの姿を捉えると、サッと表情を消して深く頭を下げた。
「何かご所望でしょうか、奥様」
まるで貴族のような扱いに、ユノはむず痒いものを感じた。『奥様』という呼び方にもまだ慣れない。
ユノはソワソワと周囲に視線を巡らせてから、フンと顔を傾けて胸を逸らした。ユノの思う貴族の振る舞い方だ。
「あなた、ここに来てからは長いのかしら?」
「わたくしは三年になります」
「それは長いの?」
「はい、まぁ……。わたくしがこの屋敷で一番長く奉公させていただいております」
ユノの感覚としては、三年は短いような気がした。貴族ならば、それこそ生まれた時から世話をされ、そのままずっと同じ従者を従え続けるのだと思っていた。
家から出ると違う使用人を雇うものなのだろうか。それとも、アルベルトが選り好みをしている?
そうなると、伴侶も選り好みをしている可能性がある。アルベルトが高い地位と美貌を兼ね備えているのに未だに独り身なのは、これまで取っ替え引っ替えしてきたからなのかもしれない。結婚披露宴を行わないのも、結婚と離婚を繰り返していて外聞が悪いから?
ユノは不安に苛まれ、フェリに詰め寄った。
歴代の女達がそうなのであれば、ユノも同じ運命を辿るかもしれない。ここまできて捨てられるなんて、絶対にあってはならない。
「アルベルト様は、これまでに女を作ったことはあるの?女癖が悪いとか、外に女を作っているとか、そういう噂はある?」
ここでアルベルトに捨てられるわけにはいかないと、ユノはグイグイとフェリに詰め寄る。しかしフェリは曖昧に首を傾げるばかりだった。
「さぁ……わたくしの口からは、何とも……」
「じゃあこの屋敷に女が来たことはある?」
「わたくしの口からは……」
フェリは何かを恐れるようにユノから目を逸らし、適当にはぐらかす。ユノは、まったく答えの得られない押し問答に苛立ちを募らせた。
「ならいいわ。他の人に聞くから。この屋敷にはあなたの他に使用人がいるのよね?紹介して」
ぷんすと鼻を鳴らして腕組みしたユノに、フェリは困ったように首を傾げる。
「旦那様が、何とおっしゃるか…………」
ほとほと困り切った様子で囁くフェリ。昨日から思っていたが、フェリはアルベルトを異様に恐れている。
一変してユノは穏やかな笑みを浮かべ、優しくフェリの肩に手を添えた。
「フェリ、あなたから聞いたなんて誰にも言わないわよ。あたしはあなたの敵じゃないわ」
宥めすかすように柔らかい声で告げて、フェリの白髪混じりの髪を指先で撫でる。アルベルトが怖いのなら、ユノは飴になる作戦だ。ユノは緑の瞳をキラリと輝かせてフェリの言葉を待った。
「わたくしの知る限りですが…………この三年間、旦那様に女性の影はありません」
これ以上はご勘弁を、と深く頭を下げるフェリ。その姿があまりにも哀れで、ユノはそれ以上の詮索をするのはやめた。おどおどとユノを、その背後のアルベルトを恐れるフェリは、実年齢よりもだいぶ老け込んで見えた。
アルベルトは一体どんな人間なのだろう。こうまで頑なに口を閉ざされると、暴きたくなるのが人間というものだ。
ユノはアルベルトの寝室を出ると、庭に向かった。
先程窓の外を見たときに、庭師がいるのを見かけたのだ。