灰色の来訪者
刺繍が壊滅的に下手で、畑仕事で活躍出来る場もなく、山菜採りでも毒草ばかり摘んでくるユノに与えられた仕事は、子供の遊び相手になることだった。
ただ遊ぶだけでなく、読み書きも教えている。
ゾーギン村ではほとんど文字を使用しないが、この地域で一番栄えている都市に作物や刺繍を売りに出しているため、大人のうち数名だけが読み書きを習得しているらしい。
将来的にその役を引き継ぐ者にだけ、空いた時間で文字を教えるのが慣わしだそうだ。
ならば暇を持て余しているユノが代わりに教えた方が合理的だということになり、この仕事が任された。
最初は、子供を相手にするなんて……と渋っていたユノだったが、いざやってみると思いの外楽しいことに気が付いた。
子供相手のままごとなんてくだらないと思っていたのに、何事にも体当たりな子供達に触発されて、ユノも全力で遊ぶようになっていた。
狙ってやっていたわけではないが、子供と同じようにはしゃいでヘトヘトになっていれば、壁もすぐになくなるというもの。
今や子供達からすっかり人気者になり、誰が言い出したのか『ユノ先生』と呼ばれて慕われている。
「いい?男っていうのはメンツの生き物なのよ。一度プライドが折れてしまうとその後の行動が予測出来なくなってしまうから、失敗には時々目を瞑ってあげるの。あと適当に褒めてあげることも大事よ。でも絶対に調子に乗らせてはダメ」
「一体何を教えているんだ……」
男子達がお昼寝中に女子だけを広場に集めて特別講習を行っていると、シャオラが呆れた顔をして現れた。
ユノは自信満々に胸を張る。
「女の生き方講座、第八回目よ。今日は主に男の扱い方についてレクチャーしているわ。あなたも聴いてく?」
「男が男の扱い方を聴いてどうするんだ」
「あら。女が男を支配するっていうのは、腕力で劣る者が自分より強い相手を制圧するってことよ。講義の最後には力で敵わない相手を拘束する方法を実演するつもりだけれど……興味ないかしら?」
誘うように目を細めて不敵に笑うと、シャオラは苦々しく顔を顰めた。
「……それは少し、興味あるな」
「でしょう?」
ユノは一つ空席だった椅子代わりの丸太に座るよう促した。
女の子達はシャオラを見て何やらニヤニヤ笑っているが、男であるシャオラの同席を嫌がっている様子はない。
シャオラは丸太を一瞥するに留めた。
「いや、それより客が来てる」
「客?……あたしに?」
怪訝な顔をするユノに見せるように、シャオラは振り返った。シャオラの視線の先には、遅れてこちらに歩いてくる人影がある。
その人物を視界に入れたユノは、思わず立ち上がった。
「どうして……」
喉に言葉が詰まって、出てこない。
白髪混じりの薄桃色の髪に、優しく垂れ下がった黒い瞳。苦労の窺える目尻の皺。最後に会った時と同じ、地味なグレーのワンピース。
胸が詰まるような思いがして、ユノは口元を押さえた。まさかこんなことがあるなんて。
溢れる想いを噛み締めて、一直線に駆けた。
「──っ、フェリ!」
勢いのままに抱き着くと、フェリは衝撃を逃がすようにぐるりと一回転する。
抱きしめた身体は温かい。ちゃんと生きている。
ユノは深く安堵して、フェリにしがみついた。もう二度と逃がすまいと強く抱きしめるユノに、フェリもまた肩から力を抜いて抱きしめ返した。
「……どうして、こんなとこまで来たのよ。あなたはもう、クビになったはずでしょう?」
「はい。ですからこれは、年寄りの道楽でございます。わたくしの勝手で来たのですから、追い返されるいわれはありません」
ユノはもう一度口を開いたが、嗚咽が漏れるだけで言葉が出ない。どうしてアルベルト邸の使用人達は、揃いも揃ってこうなのだろうか。
目頭が熱くなって、フェリの肩に顔を押し付けた。グレーのワンピースの肩口に濃い染みが浮かぶ。
「…………会いたかった」
滲むように零れ落ちた言葉に、フェリもそっと目を閉じた。
「……はい、奥様」
言葉にならないものを伝え合うように、ぎゅっと強く抱擁する。これ以外に思いを伝える方法を知らなかった。
これ以上に相応しい方法など、きっとないだろう。
ユノは今、心の底から満たされている。
固く抱きしめ合う二人の姿をぽかんと眺めていた村の少女達は、心配した様子でユノのスカートの裾を引いた。
「ユノ先生、泣いてるの?」
「大丈夫?どこかいたい?」
ユノは獣耳を垂らした少女達に目を落とし、顔を拭ってから視線を合わせた。
「……ありがとう。大丈夫よ」
ニッコリと笑顔を作って頭を撫でてやると、少女達はコテっと首を傾げた。耳がヒクヒクと動いて愛らしい。
ユノはもう一度微笑みを落としてから、フェリに向き直った。
「来てくれてありがとう、フェリ。ここは素敵な村よ。きっとあなたも気に入るわ」
フェリはユノの周囲に集まった亜人族の少女達を眺めた。
子供の様子を見れば、その村がどんな環境なのかある程度把握出来る。
少女達は明るく無邪気で、皆ユノを先生として慕っていた。ここまで案内してくれた青髪の青年も、無愛想だが心根の優しさが滲み出ている。
何よりユノ自身が、今までで一番穏やかな表情をしていた。
「そのようですね」
フェリは眩しいものを見るように目を細め、目尻の皺を深くして笑った。
その後、広場ではフェリとシャオラを加えてお茶を囲みながら、ユノによる講義が行われた。
少女達は熱心にユノの話を聴いていたが、フェリとシャオラはゾーギン村の将来を案じて頬を引き攣らせていた。どうやら一般常識を教える必要があるのはユノも同じなようだ。
アルベルトが広場に足を運んだ頃には講義が終わっており、何故か亀甲縛りにされたまま爆睡しているシャオラが目撃された。
夕食の時間になって目が覚めたシャオラは、女を舐めない方がいいということをその身をもって知るのだった。




