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背中に傷のある男

あれから、力仕事が出来ないユノは刺繍の手伝いを、野草に知識のあるアルベルトは山菜採りをすることになった。


「痛っ!」


もう何度目になるか、ユノは針を指に刺してしまった。

慌てて手を顔の前に翳し、傷がないかを確認する。ユノにとって自身の美が損なわれることは、何よりも怖いことだ。


「ユノ様、大丈夫ですか?」


ユノの教育係になった妙齢の女性──パムというらしい──は、苦々しく笑っていた。

聞けばパムは長老の孫娘で、ピタの母親だという。なるほど癖のある茶髪は親譲りらしい。

パムは村一番の刺繍の名手であり、若い女の子にはいつも彼女が教えているそうだ。


「あたし、こういうちまちました作業って初めてなのよね」


「初めてでは仕方がないですよ。少し、気分転換をしてはいかがです?」


「……そうね。水でも汲んでくるわ」


絶望的に手先が不器用なユノに、パムが匙を投げたがっているのは明らかだった。

ユノはパムの家を出て井戸の方へと向かう。


「刺繍の他に何か出来ることを見つけないとダメね……畑の手伝いも出来そうにないし……あたしって、何も出来ないのね」


はぁ、とため息を吐き出す。

今頃アルベルトは山菜採りに励んでいるのだろう。山菜は知識がないと見分けるのが難しい。

子供の頃に、ユノは空腹に耐えかねてその辺の草を食べて数日動けなくなったことがある。それ以来、知らない草は絶対に口にしないと決めている。

同じ天涯孤独でも、他人に寄生して生きてきたユノと自分の力だけで生きてきたアルベルトとでは、根本的なところが違う。

はぁ。ユノはもう一度ため息を零した。


井戸の前に人が立っているのを見つけ、ユノは足を止めた。

こちらに背を向けていた男は、ツンと尖った耳をピクピクッと動かしてから振り返る。


「……あんた確か、赤眼様の連れか。少し待ってくれ」


青い髪の若い男だった。運動でもしていたのか、汗だくになって火照った身体を拭いていた。

露になった上半身は、よく鍛え抜かれている。美しいプロポーションをしているだけに、背中にある袈裟懸けに出来た古い傷痕が痛ましく見えた。


「別に急がなくていいわ。暇してるところだから」


ユノは手近にあった切り株の上に腰掛けて、暇潰しにじっと男を眺めた。髪の色と同じ青をした艶やかなフサフサの尻尾を思い切り撫で回してやりたい衝動に駆られる。

しかしそれが失礼なことくらい、ユノにだってわかる。衝動をぐっと堪えた。


「あたしはユノよ。あと、赤眼様じゃなくてアルベルトだから。あなたは?」


「……シャオラだ」


こちらを振り向かずに答える。なかなか無愛想な男のようだ。

ユノは背中の傷に触れようか迷って、逡巡の後に避けることを決めた。


「本当にここって、亜人族の村なのね。みんな耳と尻尾が生えてて変な感じ」


「亜人は嫌いか」


「まぁまぁね。人間のこともまぁまぁよ」


「人間からは酷い仕打ちを受けたんだろう。恨んでいないのか」


「恨んでるっていうか……まぁ王都の連中は原型がなくなるまでボコボコにしてやりたいとは思うわね」


「思うだけか」


「思うだけよ」


「どうしてだ」


「あんた会話しにくいわね……。どうしてって、現実的に考えて無理だからよ。こちとら国外追放されちゃったもんでね」


こちらを向いたままのシャオラの背中に、べーと舌を出す。

自分から聞いたくせに、シャオラは興味なさそうに生返事をした。ムッとして何か言ってやろうと口を開くと、タイミング悪く先にシャオラが話し始めた。


「こんな負け犬の村に来ることになっちまって、気の毒にな」


肩越しにちらりと視線が向けられる。

シャオラの瞳はどこか悲しげな色をしており、気が削がれてしまう。


「……あなたに同情される覚えないわよ。それに負け犬の村って、亜人族流のジョークかしら?」


ユノはあえて明るい口調で小馬鹿にするように言った。そうしなければ、ユノまで仄暗いものに飲み込まれてしまいそうな気がした。

シャオラは静かに目を伏せた。


「……戦争に行かずコソコソ森に隠れて暮らしてる亜人族なんて、戦いから逃げた負け犬だ」


「あたしが言えた義理でもないけど、さすがに言い過ぎじゃない?」


シャオラは身を清め終わったのか、井戸の近くに置いていた上衣に袖を通した。どうやら着痩せするタイプのようで、服を着るとたちまち発達した筋肉が消えてすっきりと細身に変わる。

身なりを整えると、ようやくシャオラはユノと向かい合った。


「あんた、エルキデ帝国とグランキシュル王国が戦争を始めた理由を知ってるか」


突然話題が変わって、ユノは眉を顰めた。


「……知らない。けどその『あんた』っての、やめてくれない?」


ユノの抗議をシャオラは無視して、勝手に話を進める。


「すべての発端は、グランキシュル王国が亜人族を人ならざるものとして排除しようと殺戮を始めたことだった。それを憂いたエルキデ帝国が亜人族の味方に回り、今もずっと戦争が続いてる」


マイペースなシャオラにユノはピクピクとこめかみを引き攣らせたが、そこまで聞くとおそよ話の道筋は見えた。

シャオラはぎゅっと拳を握り、憤りに肩を震わせる。


「始まりは俺達、亜人族だった。亜人族だったら失われていった同胞達のために、誰よりも先陣切って戦わなきゃならないはずだ。それなのに俺はここまで逃げて、すべてが終わんのを息を潜めて待ってる」


ふと、拳から力が抜ける。それでもシャオラの手は震えていた。

怒りも勿論あるかもしれない。

しかし一番にシャオラの胸を占めているのは、恐怖だ。


「……この背中の傷だって、戦いで負ったものじゃない。故郷が襲われた時に、俺は真っ先に逃げ出したんだ。仲間を見捨てて、敵に背を向けて、自分だけ助かろうとした。俺は一生この恥を背負って生きていかなきゃならない。……負け犬なんだよ」


自嘲的に唇を歪めたシャオラ。

ユノはすっと視線を外し、左肩に触れた。

劣等の烙印をその身に刻み、自分を臆病者の負け犬と称するシャオラは、メルヴィンとよく似ている。今までずっと思い出さないようにしていたのに、王都での記憶が一気に脳裏を駆け巡る。

あの後、メルヴィンは苦しんだだろうか。彼の小さな身体を抱きしめてくれる者はいたのだろうか。

アリーズは無事だろうか。エドワードは、ドーランは……


ユノは小さく息を吐いてから、シャオラと向き直った。

今出来ること、したいことを一つ一つ片付けていくべきだ。それしか出来ないのだから、焦ってはいけない。

ユノは多くの人達に支えられ、今の自分になることが出来た。

彼らのことを思うなら、次はユノが繋ぐ番だ。


「亜人族だからって、戦わなきゃいけないなんてことはないわ。始まりは亜人族が原因だったかもしれないけど、今の帝国に亜人族を守る気持ちなんてない。もしかしたら最初からグランキシュルと戦争するための、都合のいい大義名分にされたのかもしれないし」


「…………それでも、俺は……」


「それでも変わりたいと、そう思うのなら……今からだって遅くはないわ」


シャオラの瞳が弾かれたようにユノを捉える。

ユノは苦笑混じりにはにかんだ。


「シャオラ、あなたはまだ生きてる。後悔しながら生き続けることも、命を投げ打ってでも後悔なく生きることも、同じ人生よ。……あたしはそう、教わった」


ユノは大切なものに触れるように、きゅっと胸元を押さえた。


「…………あんたは、後悔なく生きられてるのか」


迷い犬のような顔で、シャオラはユノを見つめた。

ユノは落とすように微笑んでから、キッと目を釣り上げた。


「だから『あんた』って呼ばないでくれる?あたしのことを『あんた』呼ばわりしてもいいのは、生意気な庭師見習いだけなのよ。自分のことを負け犬だっていうなら、少しはへりくだってみせなさいよ」


突然プリプリと怒り出したユノに、シャオラはきょとっと目を丸くする。その顔は随分と幼く見えた。

それからシャオラは、ふっと笑みを零した。


「変な女だな、……ユノ」


可愛いの間違いでしょ、とユノは言おうとした。

しかし口を開くより先に背後から肩を掴み寄せられて体勢を崩し、とんっと誰かの胸板へと収まる。


「私の妻に、何かご用ですか?」


頭上から降り注いだ声に、ユノはやれやれと肩を竦める。どうしてこうも彼は絶妙なタイミングで気配を消して現れるのだろうか。

正面に立っていたシャオラは、ユノの背後に立つ人物にぎょっと目を剥いていた。


「あっ、赤眼様……!?」


既視感のある光景。もう同じ惨事は繰り返したくない。

ユノはアルベルトの腕から逃れ、シャオラを庇うようにして立ち塞がった。


「彼に酷いことしたらダメよ、アルベルト様?」


「ホォ……」


心なしか、アルベルトの纏う雰囲気に棘が増したような気がする。

まさかユノに手を上げるなんてことはないだろうが、額に嫌な汗が浮かんだ。


「い、いいから行きましょ。あたし、お腹すいちゃったわ」


手が付けられなくなる前にと、ユノはアルベルトの腕を抱いてグイグイと引いた。アルベルトは大人しくユノに従う。

こっそり肩越しにシャオラを振り返ると、まだぼけっとしているようだった。


「ユノ」


ビクッと肩を震わせる。

見咎められただろうかと恐る恐る顔を上げると、予想に反してアルベルトは困ったように眉を下げていた。


「誘惑するのは、私だけにしてくださいね?」


まるで拗ねた子供のように、甘えた声でアルベルトは言った。

ユノは一瞬ぽかんとしてから、くっと口角を持ち上げる。


「……あたしの誘惑には乗らないくせに」


「ハハ。ユノは手厳しいですね」


楽しげに笑うアルベルトの横顔をじっと見上げる。

アルベルトはユノに対して無条件に優しい。甘すぎるくらいだ。

しかし未だに、その真意は掴めていない。

ユノはアルベルトの優しさを、これまでと違った意味で怖いと思った。


アルベルトのすべてを知ってもなお、向けられる優しさは変わらないのだろうか。

この優しさは、愛は、永遠なのだろうか。


「……アルベルトはどうして、あたしに手を出さないの?」


アルベルトの赤い瞳が、ユノを見下ろす。

瞳に映ったユノの顔は不安げに揺らいでいた。


「ユノは、真実の愛とは何だと思いますか?」


ふっと、アルベルトの瞳が細まる。

ユノにはその問いに対する答えを見つけられず、早々に降参した。


「何なの?」


「さぁ、何でしょうね。私にも分かりません」


納得のいかない顔をするユノにアルベルトは誤魔化すように美しく微笑んで、頭を撫でた。


こういう時のアルベルトは何を聞いても無駄だ。

ユノは頭をアルベルトの方に傾けて、もっと撫でてもらうことにした。

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