亜人族の村
早朝。
野菜を腕いっぱいに抱えた少年は、タッタッと駆けて村の外れにある家へと向かった。
足音を殺して階段を上がり、玄関先にそっと野菜を置く。
ひと仕事を終えてホッと息を吐いた少年は、ぬっと背後から現れた人影にビクッと肩を揺らした。
恐る恐ると振り返った少年と目が合ったストロベリーブロンドの髪の女は、ニンマリと唇に弧を描いた。
「ぎゃあああああああああ!」
静かな朝に、少年の絶叫が鳴り響く。
「まったくもう。こんな美しい女を前にして悲鳴を上げるだなんて、失礼しちゃうわ」
ユノはぷんすと頬を膨らませ、腰に手を当てる。
隣にいたアルベルトは苦笑を浮かべ、亜人族の少年を見下ろした。
「しかしまさか、気絶してしまうとは……」
突然背後に現れたユノに相当驚いたのか、少年は目を回して倒れてしまった。
気絶した少年を見下ろして、ユノも多少の罪悪感に口元を引き攣らせる。
「ま、まぁ……あたしの美しさは人並み外れているから、気絶してしまうのも無理ないわね。これからは美しすぎないよう気を付けるわ」
「是非そうしてください」
「ともかく。これから村の人達に挨拶しに行こうっていうのに、こんなお土産は印象最悪ね……」
「単なる事故ですから、気にしないで平気ですよ」
心配するユノを他所に、アルベルト自身は本当に気にしていない様子でひょいと少年を抱き上げた。ぴょこっと生えた耳と尻尾も相まって、まるで子犬を抱いているようである。
「……怪我、大丈夫?」
軽々と抱き上げてみせたが、アルベルトは未だ満身創痍の状態だ。右腕だってまったく動かない。
案ずるように上目遣いでアルベルトを見上げるユノに、アルベルトは相好を崩す。
「怪我よりも、ユノの可愛さの方に参っています」
相変わらずのアルベルトの軽口に、ユノはプクッと頬を膨らませる。
「もうっ、茶化さないで!いっつもそうやってはぐらかそうとするんだから」
「ハハ。すみません。ですが事実ですから」
ニコニコ笑みを絶やさないアルベルトにユノの方が先に折れ、肩を竦める。
可愛い可愛いと褒めそやされるのは、ユノが可愛いから当然ではある。むしろもっと言ってくれてもいい。
しかしユノが可愛いことを利用して何でも誤魔化そうとするアルベルトには、こっちこそ参っている。
「………………あたしはただ、あなたが心配なのよ」
恨みがましくボソッと呟く。
それをアルベルトが聞き逃すはずもなく、顔に浮かべた笑みがますます濃くなる。
「私はとんだ果報者ですね。腕が自由であれば、抱きしめてキスをしたいくらいです」
「そう。だったら右腕が治る願掛けに、ハグもキスもお預けにしましょうか」
「それはなかなか寂しい提案ですが、大切なものを対価にしてこそまじないの力は増しますから、それもありですね」
「ずっと聞きたかったんだけど、アルベルトって本当にあたしのこと愛してる?」
「ええ勿論。愛していますよ」
ユノは生温い視線をアルベルトに向ける。ニコニコニコ。いい笑顔が返される。
まぁいいかと、ユノは今日の目的である村の方へと向かった。気絶した少年を抱きかかえたアルベルトがその後に続く。
内心ビクビクしながら村に行くと、ユノ達は村の長老だという年老いた男の家へと案内された。
囲炉裏を間に挟んで、敷物の上に腰を下ろす。アルベルトが正座していたのに倣ってユノも同じ格好をしてみたが、こんな姿勢を続けていたら足が痺れてしまいそうだ。
顔に出ていたのか、長老は目尻の皺を深くして「どうぞ、楽になさってください」と声を掛ける。
「そう?」なんて言ってる間にユノは足を崩した。隣でアルベルトがクスッと笑う。アルベルトは綺麗に背筋を伸ばしていた。
「こちらからご挨拶に伺わず、大変申し訳ございませんでした。わたくしがこのゾーギン村で長老と呼ばれております、ポセと申します」
ポセと名乗った小柄で背中の曲がった老人は、礼儀正しく頭を下げた。
ユノは好奇心には抗えず、頭に生えた耳を凝視してしまう。
年齢の割に豊かな白髪を掻き分けて覗く丸い耳は、時折ピクピクと動いていた。奇妙な姿ではあるが、それはきちんと耳として機能しているらしい。
そのとき、長老の背後からひょこりと先程の少年が顔を覗かせる。
ここに来る途中で目を覚ました少年は、ユノを警戒してか長老の影に隠れて出て来ようとしなかった。しかしばっちり耳が見えている。
「こちらこそ、お気遣いに感謝します。私はアルベルトと申します。こちらは妻のユノです」
にこやかに自己紹介をしたアルベルト。
その横顔をこっそり窺ったユノは、これが外交用の顔かと感心する。アルベルトのいつになく穏やかな微笑みには、好感以外の感情を抱かない。
それにしても、やけに目を閉じて笑っていることが気になった。ユノは内心で小首を傾げ、ふとガドラー元帥との会食の時を思い出した。
あの時に確か、相手に好意的に思ってもらうには武装を解除して行くべきだと言っていた。隠しようがない武器である赤眼には眼鏡を一枚挟むとも。
もしかしてこれも、アルベルトなりの気遣いなのだろうか。
長老はそれを知ってか知らずか、真っ直ぐにアルベルトの瞳を見ていた。
「王都で何がありましたかは、お聞きいたしますまい。ここゾーギン村では、赤眼様は神様も同然の存在でございます。我らはあなた様方を歓迎いたします。必要なものがございましたら、何なりとお申し付けください」
アルベルトに対して畏まる人間は数多く見てきたが、その中で怯えを見せない人間というのはかなり珍しい。
王都の人間達は、操られるということに対して強い恐怖を抱いていた。それは恐らく、失うものがあるからだ。
他者に操られてしまえば、何か損害を被るようなことをさせられるに違いないと、そう思い込んでいる。
長老はアルベルトに対して畏敬の念を抱いているが、怯えてはいない。そもそもそんな発想すらないのかもしれない。
赤眼信仰のゾーギン村にとって、赤眼のアルベルトは神に等しい存在なのだから。
ユノは頬を緩めた。ここでなら穏やかに暮らしていけそうだ。
アルベルトとアイコンタクトを交わしてから、長老に微笑みかける。
「あたし達は楽して暮らそうなんて思っていないわ。爵位は剥奪されてしまって、もう貴族でも何でもない。あなた達と同じように生活するのが当然でしょう?」
「それは……我らと同じように働きたいと、そういうことですか?」
「ええ。といっても、あたしは力仕事なんて出来ないし、アルベルトも療養中だからあまり無理出来ないけど」
ユノの提案が予想外だったのか、長老はぱちぱちと瞬きを繰り返した。つぶらな瞳がユノとアルベルトを交互に行き来する。
「……いえ、しかし……赤眼様がこの村にいてくださるだけで、我らにはありがたいことです」
「その赤眼様っていうの、やめてくれる?」
ユノは我慢出来ず指摘した。
「彼にはアルベルトって名前があるわ。よく見て、アルベルトはちゃんとここに生きてる。信仰とかあたしにはよくわかんないけど、アルベルトを無視しないでちょうだい」
きゅっと眉根を寄せて長老を軽く睨む。
長老は呆気にとられた様子で、ぽかんと口を開けた。
その様子を隣で見ていたアルベルトは、場を取り持つようにクスッと笑った。
「長老。私には災厄を打ち払う力などありません。ですから、あてにされても困ります」
その言葉を最後に沈黙が落とされる。
真意を探り合うように視線が交錯し、息をするのも躊躇われるほど空気が張り詰める。
誰もが口を閉じて見つめ合っていると、やがて長老は目を閉じて笑んだ。頭上の耳も少し垂れ下がったような気がする。
「これは大変、失礼いたしました。……お二人は、良き夫婦なのでございますね」
長老は満足そうに豊かな顎髭を撫で付けると、自身の背後に隠れている少年を振り返った。
「ピタ、村を案内してさしあげなさい」
ピタと呼ばれた少年は、おずおずと姿を現した。
きゅっと服の裾を握りしめ、アルベルトの顔を窺い見る。その頬は赤く、ピタもまた赤眼信仰の一人だとわかった。
「……あ、あの……おれ……」
もじもじしていたピタは、一度目をぎゅっと閉じてから、覚悟を決めた顔でアルベルトと向かい合った。
「おれをっ、弟子にしてください!」
ユノはきょとんと目を丸くしてアルベルトを見上げる。
アルベルトはニッコリと、今日一番の笑顔を見せた。
「嫌です」




