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何者かを知る

ユノとアルベルトに与えられた住居は、村から少し離れたところにぽつんと建っている家だった。昔この村を管理していた貴族が使っていたらしい。

貴族といっても、恐らくユノ達のように僻地に飛ばされた憐れな貴族だろう。

屋敷は村のそれと同じく高床式の一階建てで、家というより小屋といった雰囲気だった。普通の貴族であれば、耐え難い屈辱を感じたことだろう。


しかしユノとしては、雨風を凌げる家を与えられただけでありがたい。おまけにベッドもあるのだから、かなり贅沢といえる。

てっきり国外追放とは山奥に捨てられて、野営を強いられるのかと思っていた。


そしてこれが一番の贅沢なのだが、何故か毎日家の前に食料が配達されていた。


「今日もあるわね……」


朝起きて扉を開けると、既に野菜や木の実といったものがお供えされていた。

ありがたいことには違いないが、どうにも居心地が悪い。


この村に来てからというもの、まだ一度も村人の姿を見ていない。家の位置が村とは少し遠いため、自分から会いに行かないと遭遇することはまずないのだろう。

しかし、無闇にこちらから挨拶に行くというのもどうなんだろうか。既に萎縮されて、供物を納められているし。歓迎されている雰囲気はない。


そのとき、視線を感じて森の中に目を向けた。

サッと人影が木の影に隠れる。


「そこにいるのは誰?」


声を掛けてみたが、反応はない。やっぱり警戒されているんだろうか。

ユノは悩んだが、結局好奇心が勝って人影を追った。人影は慌てた様子で森の中に逃げていく。


「待って!」


フードを深く被っているが、背丈からして子供だ。

足の長さはユノの方が勝ってはいても、子供の無尽蔵な体力に付いていけるほどユノの脚力は鍛えられていない。おまけに慣れない獣道を走ったせいで、ユノは木の根っこに躓いてすっ転んだ。


「きゃんっ!」


幸い草の上に転んで怪我はしなかったが、もう走り疲れてしまった。

とりあえず今日のところは諦めようと思い、ごろんと仰向けに寝転がる。朝の空気は少し冷たくて、火照った身体には心地よい。

倒れたきり動かないユノを心配してか、恐る恐るといった様子で人影が近付いてきた。


「だ、大丈夫……?」


あれほど逃げ回っていたのに、自分から近付いてくるなんて。ユノは内心、口角を釣り上げた。

焦らずにじっくりと待ち、顔を覗き込まれて影が落ちた瞬間、ユノは腕を伸ばしてそれをぎゅっと胸の中に捕まえた。


「ぎゃっ!?」


「ふふん。押してダメなら引いてみろって、よくいったものね」


「は、離せー!やめろー!」


少年がじたばたと暴れたせいで、被っていたフードが脱げた。

しまったという顔をする少年を、ユノはまじまじと見つめる。


「あなた……」


そのとき、茂みを掻き分けて足音が近付く。

二人は同時にピクっと反応し、身体を強ばらせた。


「ユノ?どうしたんですか、急に森へと駆け込んで……」


姿を現したのはアルベルトだった。右腕が使えなくて上手く草木を掻き分けられなかったのか、髪にいくつか葉っぱが刺さっている。

なかなか間抜けな姿に、ユノは笑いを堪えて唇を噛んだ。

対してユノの腕の中にいた少年は、あわあわと震えてアルベルトを見上げた。


「あ、赤眼様……!」


そう呟いたかと思うと、パッとユノの腕から抜け出して脱兎のごとく逃げていく。

ユノは追いかけようか悩んだが、先にアルベルトに尋ねることにした。


「ねぇ、あの子って……」


「ええ。亜人族のようですね」


アルベルトは特に驚いた様子もなく言った。


少年の走り去った方向に目を向ける。

フードが脱げて見えた頭には、犬のような耳が生えていた。


「亜人族って、アリーズのように人間の姿と獣の姿を使い分ける種族だけじゃないのね……」


「どちらかというと、アリーズのようなタイプの方が珍しいですよ。一般的に亜人族といえば、動物の耳や尻尾が生えている種族のことを指します」


ユノはアルベルトの手を借りて立ち上がると、代わりにアルベルトの髪に絡まった葉っぱを取ってやった。


「あの子が家の前に食料を置いていったのかも。王都から来た人間だからって、怖がられているのかしら?」


「そういうわけではないと思いますよ。やれやれ、レギュモンド陛下もお優しいことですね」


「どういうこと?」


「ここは帝国領の南部に位置する、ゾーギン村でしょう。赤眼は災いを招くとして忌み嫌われることが多いですが、この辺りの地域では逆に、災いを跳ね返す神の使いとして神聖視されているんです。赤眼信仰は亜人族の村に多いため、赤眼の起源を亜人族とする学説もあるんですよ」


「へぇ……。物の価値は、環境によって大きく変化するってことね。それにしても、随分と酷い話だけど」


「持つ者というのは、何かと苦労が付き物ですから」


聞きながら、随分と他人事のように話すんだなとユノは思った。

アルベルトは常に冷静で上品に振る舞っているけれど、それだけにあまり熱がない。

多分アルベルトは意識的に余分な感情を削ぎ落としているのだろう。それが無意識でも出来るくらいに、長い時間をそうやって生きてきたに違いない。

まるで狂いなく研ぎ澄まされた刃のようだ。自らの害となる者を迷いなく切り捨てる冷徹な剣。


アルベルトのいた世界は暴力が支配し、力のみが正義だったのだろう。暴力が支配する世界で真っ先に捨てるべきものは心だ。

そういうところは、ユノとよく似ている。

ユノとアルベルトは、永く独りだった。


ふとしてアルベルトを見上げると、ユノに葉っぱを取ってもらったからか上機嫌にニコニコ笑っていた。

長く物思いに耽ってしまったユノは、誤魔化すように笑ってアルベルトの前髪を整える。


「……それなら、村の人達と仲良く出来るってことね」


不敵に笑ってみせると、アルベルトはユノの考えを察して目尻を緩めた。


「慣れない環境下でこの先二人だけで生活していくのは、何かと苦労するでしょう。私もまるで役に立ちそうもありませんし。村の住民達から力を借りるというのは、良い提案だと思いますよ」


ただ、と言葉を区切るアルベルト。


「怖くはありませんか?」


柔らかく細められた赤い瞳が、真っ直ぐにユノを射抜く。

そのとき、さっと風が吹き抜けた。顔にかかった髪を、アルベルトが左手で優しく耳にかける。

そのままアルベルトは指先でユノの輪郭をなぞり、顎を軽く掬った。


「亜人族とは見た通り、姿形が人間とは異なります。彼らはそれが理由で、人間達から迫害されてきました。ユノは彼らが恐ろしくありませんか?」


血が滴るように赤いアルベルトの瞳が、ぬらりと妖しく光る。

ユノは脳裏に、獣の姿に変身したアリーズを思い出した。身体はとても大きく獰猛で、こちらの意思などまるで伝わりそうもない恐ろしい姿だった。

今見つめ合っている赤眼のことだって、本当は心のどこかで怖いと思っている。疑いようもないほどに、それは力だ。

しかしアルベルトは、一度だってその力をユノには使わなかった。


「……怖くないわけじゃない。でも同じ人間だって、簡単に裏切る。簡単に力で支配しようとする。重要なのは姿形でも、瞳の色でもないわ。何を思って、何をするかよ」


ユノはアルベルトの頬を両手で覆って、こつんと額を当てた。


「アルベルト、あなたがそうでしょう?あなたはとても優しい人。だってあなたは、その赤い瞳を悪戯に使おうとしないもの」


ユノは答え合わせをするように口元に弧を描いた。

なかなかどうして、アルベルトの誘導は上手い。

この会話は最初からすべてアルベルトに仕組まれていた。


「どうして貴女はそう、私が喜ぶ言葉ばかり言うんですか」


アルベルトは満足そうに目を閉じて、くしゃりと笑った。

ユノもまた微笑む。


「だってあたしは……」


──娼婦だもの、と口をついて出そうになった。


もう何者でもなくなったはずなのに、無意識に自分を娼婦のユノと思っていることに愕然とした。

まさかこれも、娼館にいた頃のような相手を喜ばせるための演技なんだろうか。

相手の心に擦り寄って甘い言葉で誘惑するのは、ユノの専売特許だ。だからこそユノは高級娼婦としてここまで上り詰めて来られた。

嘘だらけの、空っぽな人形。


変われないのだろうか。

所詮は卑しい娼婦なんだろうか。

アルベルトに優しくするのは、優しくされたいから?愛するのは、愛されたいから?


不意にアルベルトから頬を撫でられて、ぼんやりとしていた視界が鮮明になる。

顔を上げると、アルベルトは柔らかく微笑んだ。

ユノを見つめるアルベルトの瞳は、朝日のように赤々として、目覚めを促すように温かい。


そこでユノは、自分が何者かを思い出した。

すとんと胸に落ちて、血管を巡って全身に染み渡るような気がした。


ユノは得意気に胸を張って、ニッと歯を見せて笑った。


「──あなたの、妻だもの」

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