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何者でもない二人

ユノは石だらけのでこぼこ道を慎重に歩きながら、腰の高さまで生い茂る草木を掻き分けた。

さっと冷たい風が吹き抜け、肩から力を抜いて額の汗を拭う。明るくのどかな雰囲気の森の中からは、チュンチュンと可愛らしい小鳥の囀りが聞こえた。



あれから目が覚めたときには、ユノは牛車に乗せられていた。

慌てて周囲を見回すと、隣にアルベルトが横たわっていた。

ぐったりとした様子をしていたから、まさか……と顔を青くさせたが、規則正しい寝息が聞こえてひとまず胸を撫で下ろす。しかしアルベルトは治癒魔法を施してもらえなかったようで、服の隙間から包帯が覗いている。

傷だらけの姿にユノは胸を痛め、アルベルトの頬を優しく撫でた。


これからのことを考えると、休めるうちに休んでいた方がいいだろう。

ユノは無造作に置かれた毛布を掴んでパッと広げた。すると、中から何かが落ちて鈍い音を立てる。

拾い上げるとそれは、エルキデ帝国の紋章が刻まれた銀の短剣だった。


「レグ…………」


ユノは顔を押さえて、肩を震わせた。

最後までレグのことがわからなかった。他ならないユノ自身が、レグのことを恨めず、かといって許すことも出来ずにいる。

ごめんと、そう言ったレグの顔は、あまりにつらそうで……


ユノとアルベルトは未開発の深い森の中にある、小さな村に連れていかれた。ぽつぽつと高床式の木造建築が並んでいるが、村人の姿はまだ一度も見ていない。

王都から追放されてきた人間、しかも赤眼の魔術師ともなれば、警戒されるのも無理はないだろう。ユノもなるべく村には近付かないことにした。



湖畔に出ると、切り立った岩場にアルベルトの姿があった。

国外追放されてからというもの、アルベルトはすっかり塞ぎ込んでしまい、一日中ぼぅっと湖を眺めていた。その背中は抜け殻のようで、心がここにはない。


ユノは気持ちを入れ替えるように頬を叩き、ニッコリと笑顔を作ってアルベルトの隣に座った。


「アルベルト様、ここは空気が澄んでいますね」


「…………そうですね」


「さっき川で魚を見ました。山菜もありますし、食べる物には困らなそうですよ」


「………………」


「王都もよかったですけど、あたしには綺麗すぎちゃって。これくらいの方がのんびり暮らせそうです」


「……ユノ」


顔を上げたアルベルトは、すっかり窶れた顔で力なく笑った。


「無理に明るく振る舞わなくとも、いいですよ」


ユノは押し黙って、眉を下げた。

自嘲気味に薄く笑うアルベルトは、湖に目を落とした。風もなく澄み渡った水面に、赤い瞳が反射する。


「……私はこれでも、赤眼に生まれたことを嘆いたことはないんです。孤児でしたから、自分の身を守るものは自分しかなかった。赤眼が理由で捨てられ、迫害も受けましたが、生きていくためにこの力は、とても……役に立った」


おもむろに人差し指を立てたアルベルトは、指先にボッと炎を灯した。

蝋燭の火のように細く弱々しい炎は、風に吹かれてあっという間に掻き消えてしまう。


「……どうやら、メルヴィンの魔術は成功したようですね。本当に彼は、優秀な研究者です。……そのお陰で、今の私では自分の身を守ることもままならない。ユノを守ることなど、とても……」


肩を落とすアルベルトの周囲には、ジメジメとした空気が漂っていた。今日は青空で暖かく過ごしやすい気候をしているというのに、カビでも生えてきそうなほど暗い。

ユノはすっと息を吸った。森の豊かな草木の香りが肺を満たす。

心地よい日差しを浴びながら、ユノはカッと目を釣り上げた。


「もうっ、いつまでグジグジしているのよ!しっかりしなさい──アルベルト!」


突然怒鳴られたアルベルトは、弾かれたように顔を上げた。

切れ長の赤眼が大きく見開かれて、ぽかんと口が開いている。


「こんなに美しい女が目の前にいるっていうのに、どうしてあなたはそうも無視が出来るの!?娼館で会ったときもあたしをほっぽったわよね!ほんっと信じらんない!傷付いた!」


「ゆ、ユノ……?」


「あたしがいるじゃない!」


ユノはアルベルトの胸倉をぐっと掴んだ。鼻先が触れ合うほど近く顔を寄せて、真正面からしっかりと目を合わせる。


「あなたが自分の身を守れないっていうなら、あたしが代わりに守ってあげる。あたしだって、今まで一人で生きてきたのよ。身の守り方も、自分の使い方も、よく知ってる」


呆然と目を見張るアルベルトに、ユノは小さく笑ってみせた。今のアルベルトはまるで、道に迷った子供のような顔をしている。


「……ねぇ、よく見て。あなたの目の前には、あなたを愛してやまないあたしがいる。あたしはずっと、あなたの傍にいるわ」


ユノはアルベルトを胸の中に抱いた。氷でも抱いているかのように、抱きしめた身体が冷たい。これではまるで死人だ。

ユノはぎゅっと身を寄せて、冷たい身体に自身の温もりを移していく。


「あなたは今までよく頑張ったわ。でももう、いいじゃない。あたしはあなたと一緒にいられる今の方が、ずっといい。あたし達夫婦なのよ。ハネムーンにはまだ間に合うでしょう?」


アルベルトの長い黒髪を撫でていたとき、ユノは茂みの中で動く影を見つけた。


「あっ!」


パッと立ち上がって茂みの中に入る。シュルシュルと地面を這うそれを、勢いよく鷲掴みにした。

ユノは興奮してアルベルトを振り返る。


「見てっ、アルベルト!蛇よ!少し小さいけど、とっても美味しそう!今日の夜は豪勢ね」


「っ、ユノ……!」


蛇を腕に巻き付かせてキャッキャとはしゃぐユノの姿を見たアルベルトは、泣きそうな顔をしてユノを抱きしめた。


「アルベルト……?」


「貴女という人は、本当に……」


強く抱き寄せられて、ユノもアルベルトの背に腕を回した。

アルベルトの右腕は今も動かず、ユノもまた右腕に蛇を巻き付かせていた。愛し合う男女の抱擁としてはかなり奇妙な姿に違いない。しかしユノは、この上ない幸福で心を満たされていた。


「ユノがいたから、私はここまで来られました。貴女は私の、心の支えなんです。……それに比べ、格好悪いですね、私は」


「アルベルトは格好つけなのよ。あたし達はもう何者でもない。ただのユノと、アルベルトでしょう?」


ユノが微笑みかけると、アルベルトも落とすように笑った。

赤い瞳が柔らかく細まって、頬を親指で撫でられる。


「こんな……格好悪くて何も持たない私でも、傍にいてくれますか?」


その言葉にニッコリと満面の笑顔を咲かせたユノは、蛇を投げ捨てて両腕でアルベルトの首に飛び付いた。バランスを崩して数歩たたらを踏んだアルベルトは、うっかり足を滑らせて湖に落ちた。

水面に浮き上がったユノは、同じくぷかぷかと浮かぶアルベルトを見てプッと噴き出した。


「あははははっ!」


弾けるような笑い声を響かせて、ユノはアルベルトに水を引っ掛けてやった。アルベルトは驚いたように目を瞬かせて顔を拭う。

バシャバシャと水を掛けているうちに、アルベルトも笑みを零した。


「本当に……。私のユノは、可愛い人ですね」


「そんなの知ってるわ」


ユノはアルベルトの顔に張り付く濡れた髪を掻き上げてやった。赤い瞳はユノを愛おしそうに絶えず見つめている。

ユノもまた、アルベルトを愛おしく見つめた。


「あたしは、あなたと生きたい」


水の中で全身をずぶ濡れにしながら、二人は固く抱き合った。まるで最初から二人は一つの身体をしていたというように。

もう二度と、離したくない。

重なり合った心臓の音に耳を澄ませて、そっと目を閉じた。

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