謎多き旦那さま
屋敷の主人であるアルベルトとその妻であるユノは、揃って朝食をとっていた。
長方形の長いテーブルに掛けた二人は、お互い端と端に座っているため、とてつもなく遠い距離にいる。これが夫婦の正しい距離感なのだろうか。昨夜に夫婦の営みをやんわりと拒否されたユノは、すっかりアルベルトに対して敵対心を燃やしていた。
絶対にこちらからは話しかけないと決めていたユノは、ツンと澄ましながらベーコンエッグを口に運んだ。美味しい。思わず頬が緩みそうになるのをぐっと堪える。
「ユノ。今日は所用があるので、帰りは遅くなると思います」
ユノのトゲトゲしい空気を悟ってかどうか、アルベルトの方から話しかけてきた。
「ですので、申し訳ありませんが、夕食はお一人で召し上がってくださって結構です」
下手に出て柔らかく丁寧に話すアルベルトに、ユノはまぁ許してやろうかという気になる。というより、本当は聞きたいことが色々あった。
「アルベルト様は、これから帝国軍本部に向かわれるのですか?」
「ええ、そうです。勤め人ですから。実の所を言うと、戦況が芳しくないので明日や明後日も帰宅は難しいかと思われます」
屋敷に一人残してしまい大変心苦しいのですが……というアルベルトの呟きは聞き流した。
大陸の西に位置するエルキデ帝国は、東にあるグランキシュル王国と長きに渡る戦争を行っていた。
何度か和平条件を交わす動きがあったが、その度にどちらかが襲撃事件を起こし、その報復として争いが続いている。
そんな戦況など、ユノの知るところではない。問題はいつだって自分の身についてだ。
「今更ではありますが、アルベルト様はあたしのような卑しい身分の者を妻に、それも正妻にしてよろしいのですか?」
身一つで成り上がることを夢見ているユノだが、それが言うほど簡単なことではないとは心得ている。
貴族というのは、家柄や血というものに非常に重きを置いている。何故なら、魔力は遺伝すると思われているからだ。
魔力。
この世界には、魔法が存在する。炎を操る者、風を操る者、金属を操る者など、およそ常人では理解できない摩訶不思議な力を操る者がいる。
そして、その力を持つのは貴族だけだった。だからこそ貴族は身分が高く、純血主義である。強い魔力を持つ子孫を多く残すことができなければ、家の繁栄は望めない。
故に貴族は、家柄を存続させるための高い魔力を持つ子孫を残すことを義務としている。
例外として、高い魔力を持つ平民を迎え入れるケースもあるが、それでも側室が多いと聞く。突然変異で現れた存在だ。その子供が強い魔力を持つかどうかは、一種の賭けである。
そんな中、ユノは魔力を持っていない一般的な下層階級出身者だ。貴族が正妻として迎え入れるにはあまりにも外聞が悪い。
晩年になってから愛玩用に若い娘を召し抱えることはあるかもしれないが、アルベルトはまだ若い上に、未婚である。続く子孫が危ぶまれるため、親族からは猛反対されることは請け合いだ。社交界などの場でも後ろ指を刺されることは間違いない。どこに対しても、祝福される結婚ではないだろう。
「もしかして、今後ご結婚の予定があるのですか?」
考えてみれば失礼な質問かもしれない。
口にして気付いたのは、食堂の隅で置物のようにじっと息を潜めていたフェリの顔色が、いっそ哀れなくらい真っ青になったからだ。
ユノはどんな対応が返ってきてもいいように、腹の底にグッと力を入れて構えていたが、そんなのは杞憂だった。
アルベルトは終始穏やかな調子のまま、面白いことでも聞いたかのようにハハハと笑った。
「まさか。私が愛しているのはユノ、貴女ただ一人ですよ。しかし、私の心配をしてくださるとは、ユノはとても優しいのですね」
心配だったのは自分の身だが、そんなことはおくびにも出さずベーコンを口に運ぶユノ。
「ただ、やはりユノとの結婚には少々障害がありましてね。事後報告で申し訳ないのですが、ユノには我がガーデンルヒト家と親交の深いカトラス家の養女となっていただきました」
あまりにもあっさりとした口調だったため聞き流しそうになったが、聞き逃すわけにはいけない単語が耳に入ってきた気がする。
「ようじょ……?」
聞き慣れない単語に、ユノは目をぱちぱちと瞬かせる。
アルベルトはニッコリと笑った。
「養女です」
「ようじょ……」
「ですのでユノは、ユノ・ガーデンルヒトになる以前はユノ・カトラスだったということになります。あまり他人から聞かれる機会はないでしょうが、一応頭には入れておいてください」
すぐには飲み込める話ではなかったが、ベーコンと共に咀嚼することにした。見たことも会ったこともない人達と親子になってしまうなんて、貴族の世界とは恐ろしい。
ユノは気持ちを切り替えて、穏やかな微笑を浮かべる。
「わかりました。それで、あたし達の結婚披露宴はいつなさるのです?」
貴族社会の情報収集とコネクション作りに、結婚披露宴は打ってつけのイベントだ。ユノは社交界にも積極的に参加していくつもりでいた。すべては王族に名を連ねるためだ。そのためならば自分はもとより、アルベルトだって使い倒していく。
カトラス家の養子に入ったのは思わぬ副産物だったが、ガーデンルヒトの名前さえあれば、純血主義の王族の末席に入るにも壁は低く済むだろう。あとはせいぜいアルベルトが早く戦死してくれればいい。若さは武器だ。美貌はいずれ失われゆくものであると、ユノは知っている。
多いなる野望を胸にウキウキするユノに、アルベルトはニコニコと笑みを深くする。
「しません」
あまりに簡潔な言葉だったため、ユノは聞き逃した。
「え?何ですって?」
「披露宴はしません」
「あらやだ。あたしったら耳が遠くなったかしら……」
指先に髪を巻き付けたユノは、もう一度アルベルトの顔を窺った。相変わらずのニコニコ笑顔が張り付いている。アルベルトは全身でユノを愛していると示していた。そんな愛しい若い妻、見せびらかしたくてしょうがないだろう。
「披露宴は?」
「しません」
ユノは握っていたフォークを投げてやろうかと思った。
「……一体どうしてです?友人知人、ご両親にも是非、あたし達の幸せを祝福していただくべきだとは思いませんか?」
こめかみをピクピクと引き攣らせながらも、ユノは笑顔を崩さず尋ねる。
「この素晴らしい出会いは、私と貴女の二人が知っていれば良いことです。……それに、両親は私に何か期待をすることは、もうないでしょうからね」
終始笑顔を貼り付けていたアルベルトの顔が、一瞬翳ったような気がした。
しかし、それは本当に一瞬で、アルベルトはにこやかに笑うと、スッと立ち上がった。
「ユノと話すのは楽しくてつい時間を忘れてしまいそうになりますが、そろそろ行かなくては」
慌ててユノも腰を浮かせたが、アルベルトが手で制す。
「見送りは結構です。どうかいい子でお留守番をしていてくださいね」
「はぁ……」
アルベルトはニッコリと笑って、振り返ることなく食堂から出て行った。その後をフェリが追いかける。
しんと静まり返った食堂で、ユノはようやく全身から力を抜いて背凭れにだらしなく体を預けた。常に気を張っているというのはかなり疲れる。今日のアルベルトの様子からすると、もう少し気を抜いても大丈夫だろう。あれは完全にユノの虜だ。
「あー、全然食べた気しない……」
ユノはちまちまちぎってい食べていたパンを、がぶりと噛みちぎった。
フェリが帰ってきたら、この三倍を用意してもらおう。生きているとお腹は空くものだ。