無慈悲な宣告
昼下がり。
花壇をじっと眺めていたユノの側へ、アリーズが歩み寄る。
「奥様。今日の食事はいかがいたしましょう。焼く、蒸す、煮る、なんなりとお申し付けください」
無表情で淡々と告げるアリーズに、ユノは苦笑いを向けた。
「得意気に言ってるけど、それ全部ジャガイモの調理方法の話よね?」
あれから厨房を任されたアリーズはジャガイモを大量に発注し、連日ジャガイモを蒸かしていた。籠城でもするつもりなのか、食料庫はジャガイモでパンパンだ。
「肉と魚の串焼きも出来ます」
「いくらなんでも野生すぎるわよ……」
ユノはやれやれと頭を振って、ふと思い付いたように袖捲りをした。
「今日はあたしが腕をふるってあげるわ」
きょとっと小首を傾げたアリーズに、ユノはウィンクを飛ばした。
ドーランとエドワードを呼びにアリーズを遣わせると、程なくして二人は厨房へと現れた。
テーブルの上に並べられた料理の数々を見て、二人の口から感嘆の息が漏れる。
「ようこそ、あたしのキッチンへ!」
ベーコンポテトパイに、ハッシュドポテト、マカロニとあえたポテトサラダ。フルーツを絞ったドリンクも用意した。
ここ数日ジャガイモの変異系しか見ていなかったため、余計に豪勢に見えただろう。エドワードは目をキラキラと輝かせている。
「えっ、もしかしてあんたが作ったのか?……大丈夫、なのか?」
「何よ。心配ならエドは食べなくていいわ」
「いやいやいただきますって。なんだ、アリーズのより断然美味そうじゃん」
エドワードは茶化すような視線をアリーズに向けた。
それまで無表情だったアリーズの瞳が、きゅっと細まる。
「貴様……。奥様が寛容だから許されているものの、その言葉遣いはどうにか出来んのか」
「おっと、おっかねー」
両手を挙げて降参するポーズをとるところまで、アリーズをおちょくっているのがよくわかる。鈍いアリーズにもわかるのか、銀色の髪がゆらゆらと逆立った。
さすがにからかいすぎたと悟ったエドワードは、誤魔化すようにヘラヘラと笑ってユノの影に隠れた。
「これ、食堂に運べばいいのか?」
「面倒だし、ここで食べちゃいましょう」
ユノが人数分のナイフとフォークを用意すると、エドワードとドーランはぽかんとした。それから眉を困らせて互いに顔を見合わせる。
「何か問題でも?」
きゅっと目を細めて二人を睨む。エドワードは気不味そうに頬を掻いて、チラチラとユノの顔を窺った。
「いや……奥様がここで食べるっつーなら、俺達は外にでも行くぜ。使用人と同じ場所で食事をするのは、よくないことだ」
ユノは内心で目を丸くしていた。
そういえば貴族社会には厳格なルールがある。メッキのユノよりエドワードの方がその点を弁えていた。
悩んでから、ユノは彼に背を向けて泣き真似をした。
「酷いわ……。あたしは娼館から連れ去られて以来、まともに人とお喋りも出来ない。あそこで食事といえば、友達との団欒の場だったのに。あたしはこれからずっと、一人寂しく食事しなければいけないのね……」
わざとらしく鼻を啜って、恨みがましくエドワードを見上げる。
「ああっ、もう……!わかった!わかったって!だから泣くなよ!」
エドワードは大慌てで腕を振り回して、顔に取って付けたような満面の笑顔を浮かべてみせた。
「あんたがそんな寂しい思いをしてたなんて知らなかった。……師匠、いいよな?」
「奥様がよろしいのなら」
ふふん。チョロいもんだ。
「どうする?ネルチも呼ぶか?」
何気なく落とされたエドワードの言葉に、ユノは信じられないものでも見たかのように大きく目を見開いた。
「……あの子、まだこの屋敷に残ってたの?」
てっきり料理人達と共に出て行ったと思っていた。
ネルチはエドワードに気があるようだったが、ユノやアルベルトのことをあまりよく思っていない様子だった。
後ろ髪を引かれるような思いはあれど、こんな格好の機会を逃す理由にはならないはずだ。
「そりゃあ、ネルチは屋敷の守護者だからな」
さも当然かのように言われて、ユノは眉を顰めた。
「屋敷の守護者?」
「屋敷付きの防衛魔術師のことだ。この屋敷はネルチの魔法によって守られてて、招かれざる客は侵入出来ないようになってるんだよ」
驚いて、ユノは他の二人に目を向けた。特に驚いた様子もなく、どうやら知らなかったのはユノだけのようだ。
この屋敷のことやこの世界の常識を、アルベルトは教えてくれなかった。アルベルトが教えてくれたのはせいぜい文字の読み書きだけ。アルベルトは徹底的にユノの目を隠し、自身の腕の中でのみ可愛がっていた。
何も心配しなくていい、何も知らなくていいと、ぬるま湯のような愛だけを注がれた。
「ネルチはちょっと不安定なとこがあるけど、防衛魔術師としての責任感を持ってる。この屋敷をそう簡単に出て行ったりはしないさ」
「…………そう。皮肉なものね」
ユノはテーブルの上のナイフに目を落とした。銀製のナイフは鏡のように光を反射させ、ユノの顔を縦に切り取って映した。
忌々しい娼婦め。
記憶の中のネルチの瞳が、眼鏡越しにユノを鋭く睨み付ける。
魔法は鎖だ。ユノの心をアルベルトに繋ぎ止めたのが魔法なら、アリーズの肉体をアルベルトに繋ぎ止めたのもまた魔法だ。意味合いは違えど、魔法とは強く人々の間に奇妙な糸を紡ぐ。
それが持って生まれた者の宿命だというのならば、あまりに残酷だ。
ネルチは誰よりもこの屋敷から離れたがっているのに、離れることが出来ない。許されない。
「……それなら、食事を持っていってあげて。エドも向こうで彼女と食べてくればいいわ」
エドワードはきょとんと目を丸くして、「でも……」と口にしかけた。ユノは言葉を遮るように言う。
「あの子は絶対にここには来ない。使用人とは、そういうものなんでしょう?……一人で食べるのは寂しいだろうから、行ってあげて」
譲らない姿勢を見せると、エドワードは頷いて皿を二人分持って厨房を出た。エドワード一人がいなくなっただけで、厨房はしんと静まり返る。
「……すみませんな。我らにお気を使わせてしまって」
ドーランが僅かに目を伏せた。
ユノはそれに答えず、椅子に座った。律儀に立って待っていた二人にも掛けるよう促す。
厨房に年若い夫人と年老いた庭師と仏頂面のメイドが顔を付き合わせて食事を囲むなんて、おかしな絵面だった。
しかしこのちぐはぐさがアルベルト邸には相応しい。何せ屋敷の主人が一番ちぐはぐだ。
ユノは皿の隅に乗ったポテトサラダをフォークで潰しながら、不安を打ち明けるように口を開いた。
「……ねぇ。グランキシュル王国って、そんなに遠いのかしら?」
ユノは大陸の地図を見たことがない。今まで気にしたこともなかった。エルキデ帝国が西にあって、グランキシュル王国が東にあるという、ざっくりとした知識しかない。
ドーランを見上げると、躊躇うように顔を伏せられた。アリーズまで眉根を寄せている。アルベルトが発ってからもう二週間以上も経過していた。
「五日もあれば、到着するかと」
長い沈黙を破ったのは、アリーズだった。
ユノは呆然として、フォークを取り落とした。皿の上で跳ねたフォークはぐちゃぐちゃになったポテトサラダを掬って、床へと滑り落ちていく。
カランカラン。鈍い音を立てて転がったフォークをアリーズが拾って、代わりに新しいフォークを渡された。
「国境付近は激しい戦闘になっているとお聞きします。足止めを食らっているのかもしれません」
ユノを気遣うようにアリーズが言葉を付け足す。それが慰めでしかないことは、本人にもわかっていただろう。
「……ありがとう」
落とすように微笑む。ユノもまた、そう返す以外に言葉が見つからなかった。
空気が重い。今まで誰も口にしなかったが、皆漠然とした不安を胸に抱えていた。形のない恐怖が、日を追うごとに大きくなっていく。
奇しくもそれは、ユノの植えた花が日ごとに大きく育っていくのと同じように……
そのとき、弾かれたようにアリーズが立ち上がった。
椅子が倒れて厨房に大きな音が響く。ドーランも険しい顔をして窓の外に目を向けた。
ユノだけが、わけもわからず二人の顔を見比べた。
「来客のようです」
「どうして、わかるの……?」
「屋敷の結界に反応がありました。攻撃の意思はないのか、門の前に留まっています。奥様はここでお待ちを。私が行きます。──ドーラン殿、奥様を任せてもよろしいか?」
「承った」
アリーズは瞳を鋭くさせて、外に繋がる扉から出て行った。残ったドーランは扉に鍵をかけ、窓にも施錠する。
「ドーランにもわかるの?」
「もうあまり感覚は鋭くないですが、ワシにも魔力の残滓がございますから」
ドーランはゆったりと椅子に掛け直した。
「魔法……それで、フェリはどこにいてもアルベルト様の帰りを察知していたのね……」
漸く合点がいって、ユノは深く息を吐き出した。
「ねぇ、ドーラン。あたしに魔法を見せてくれる?」
ユノは気を紛らわせたくてそんなお願いをした。
懇願されたドーランは一瞬躊躇するような素振りを見せたが、次には鷹揚に頷いた。
「……では、お手を拝借して」
ドーランは食材棚にあった豆を一粒ユノの手に落とし、人差し指でつんとつついた。すると、むくむくと震え始めた豆が殻を割るようにして芽を伸ばす。
芽はあっという間にユノの手の平に絡み付くようにして蔓を伸ばし、葉の上にパッパッと花を咲かせた。目を輝かせているうちに花は落ち、枯れ果てて風と共に霧散する。
「すごい……」
ユノは感嘆の息を漏らす。
この世界に来てから色々な魔法を見たが、ドーランの見せてくれた魔法が一番美しかった。
「こんなこと、エドも出来るの?」
「いえ……。エドは我々の家系で唯一、魔力を持たずに生まれた子供ですゆえ」
予想だにしなかった言葉に、ユノは表情を凍らせた。余計なことを言ってしまったと深く反省する。
ドーランは力なく微笑み、過去を思い出すかのように自身の手に目を落とした。
「……我々の家系は植物を成長させる魔法を得意としており、代々庭師をしております。息子もまた魔法を操り、庭師として奉公に出ておりました。……しかし、息子の妻、エドワードの母親は、魔力を持たぬ者でした」
「…………」
「息子の妻は、自身が庭師の血を途絶えさせてしまうことを酷く恐れておりました。そして、恐れていた通りのことが起きてしまった。……大層気に病んだのでしょう。息子の妻は、自ら命を断ちました。息子は妻の死を無駄にしないために、新たに妻を娶りました。そして望み通りに、庭師を受け継ぐ子供を授かった」
ユノも顔を伏せ、植物の跡が微かに残る手の平を見つめた。
仕方のないことだ。人間に個体差がある以上、そこに格差が生まれる。優れたものを望むのは人の定めだ。
しかしそれは、とても罪深い。
「息子は、エドワードをワシに預けました。エドワードを見ると、前の妻のことを思い出してつらいのでしょうな」
「……そのこと、エドは知っているの?」
「いえ……。エドワードには、両親は事故で亡くなったと嘘を言っております。幼かったゆえ、両親の記憶も残っておらぬようです。……ワシは時折思うのです。魔法は本当に必要なものなのかと。魔法は人々に多くの恩恵を与えましたが、その裏で多くの悲劇も生んだ」
ユノは手の平を返し、薬指で赤く光る指輪を撫でた。
アルベルトは赤眼があったからガーデンルヒト家に養子入りし、多くの人から畏怖と尊敬の念を送られる軍人になった。もしアルベルトに赤眼がなければ、この王都に居を構えることはなかっただろう。
そしてユノもまた、魔法によって生かされた一人だ。魔法の功罪は大きい。
ドーランはテーブルの上でぎゅっと手を握り合わせた。長く生きた分だけの後悔が、ドーランの肩に重く伸し掛っているように見えた。
「例え魔法が使えなくとも、真心を込めて育てれば花は応えてくれる。ワシはそれを、エドワードに教えてやりたかった。エドワードは必ず庭師になれると、あの子の両親に証明してやりたかった……」
「もう、なっているわよ」
ユノはドーランの手を優しく包んだ。皺だらけの、働き者の大きな手。
「エドはあたしの花壇を世話する、立派な庭師だわ」
顔を上げたドーランは、真っ直ぐにユノの瞳を見つめた。ユノは心から労るように目を細めてはにかむ。
「…………有り難きお言葉です」
ドーランは肩から力を抜いて、ふっと落とすように笑った。
一瞬の静寂が落ちた後、外に繋がる扉がノックされた。アリーズの声がする。
立ち上がろうとするドーランを制して、ユノが扉を開けた。立っていたアリーズは棒でも入れているようにピンと背筋が伸びていたが、その表情は強張り、視線がユノと合わない。
「…………誰……だったの?」
胸騒ぎがして、ユノは唾を飲み込んだ。
アリーズははっきりしない態度のまま、右手に持っていた封筒をユノに渡す。
「…………帝国軍から、手紙を……」
封筒を止める蝋には、エルキデ帝国の紋章が押されていた。剣を携えた竜の紋章。
ユノは震える指先で封を切ったが、手紙の文字を認識出来なかった。ただの形の羅列にしか見えない。
「アリーズ、読んで……」
手紙をアリーズに押し付けると、膝に力が入らなくなってそのままアリーズの胸に倒れ込む。アリーズは抱きかかえるようにユノの肩を掴んだ。
「…………もし旦那様がこちらに顔を出せば、即刻出頭させるようにと。帰還次第、軍法会議にかけられるそうです。場合によっては、爵位の剥奪だけでは済まされないかもしれません」
「どうして……」
アルベルトは戦争を終わらせてくると言った。国同士の争いも、軍内部の権力争いも、アルベルトなら終わらせられると思った。
信じていた。彼の、待っていてほしいという言葉を。
まるで、絵本の中の少女のように。
息を詰まらせるユノと、アリーズは漸く目を合わせる。ユノは真っ直ぐに射抜くような紫色の瞳に囚われた。
アリーズは一度だけ躊躇うように唇を噛んでから、はっきりと告げた。
「──旦那様に、グランキシュル王国皇女殺害の容疑がかけられました」




