青い瞳の少年
「メルヴィンは…………敵、なの?」
ユノは無意識に扉の方に目を向けた。
アリーズのことだ、すぐ近くに控えているに違いない。ユノが声を上げればすぐにでも飛び込んでくるはずだ。
そこまで確認して、ユノはどうするべきかすぐには判断が出来なかった。
「心配するなよ。…………俺はとっくに、アークノーツ家から勘当された身だ」
警戒するユノを前に、メルヴィンは自嘲的に笑って肩を竦めてみせた。
「元より俺は、あの家が嫌いだった」
「……家柄争いには、興味がないってこと?」
「そう言ったら聞こえがいいが、本当はそうじゃない。……俺は、あの家じゃ劣等だった」
メルヴィンは俯きがちに目を伏せて、自身の右腕に触れた。
「……アークノーツ家では、生まれた時に名前と共に子犬を贈られる。俺は子犬と共に育った。遊ぶ時も寝る時も常に一緒で、俺にとってそいつは家族も同然の存在だった。……六歳の誕生日を迎えるまでは」
過去を思い出すように瞼を閉じたメルヴィンは、唇の震えを押し殺すように強く噛み締めた。
「六歳の誕生日を迎えた時、剣を贈られた。父親は俺に言った。──これで犬を殺せ、と」
ぎゅ、と強く握られて、シャツの右袖に皺が寄る。
「……アークノーツ家では、生まれた時に名前と共に子犬を贈られる。そして、六歳の誕生日にその子犬を殺す。家族も同然に愛し、共に育った生き物を、自らの手で殺めるんだ」
「…………。それで、メルヴィンは……」
「………………俺は、殺せなかった。殺せるはずがない。だが逃げることを、アークノーツ家は許さなかった。怯える犬に魔法を放ち、俺に牙を向けさせた」
メルヴィンはシャツを肘の辺りまで捲り上げた。不健康な白い肌が晒される。見ると、手首の上辺りに古い傷跡があった。
貴族の世界では、跡形もなく傷を癒すことが出来るはずなのに。
「俺は犬に腕を噛まれた。痛くて、大量に血が出て、このままじゃ殺されると思った。それでも俺は、殺せなかった。……これはその証として残された、失格者の烙印だ。当然だろう。俺は戦いから逃げた。……腰抜けなんだよ」
唇を歪めて、自分自身を嘲笑うメルヴィン。
白いローブも帽子も剥ぎ取られたメルヴィンはとても小さく、その薄い肩を孤独が包んでいた。
「……アークノーツ家の恥晒しの俺が宮廷魔術師でいられるのは、ガドラー元帥とアルベルト大佐の後ろ盾があるからだ。だがそんなんじゃなくて、俺にとって大佐は…………」
喉を詰まらせるように言葉が途切れ、青い瞳がユノを映す。
泣き腫らしたメルヴィンの目尻は赤く、痛々しい。
「…………なぁ。俺は、どうしたらいい……?」
母親に乞うような声音で問われて、ユノは視線を彷徨わせた。
メルヴィンもアルベルトと同じく、対立する勢力のどちらにも属することが出来ない外れ者だ。その境遇には同情する。
しかしメルヴィンが劣等なら、ユノは何だろうか。
地位も腕力も魔法もないユノは、貴族からしたら存在しないものと同じだ。そんな女に一体何を望んでいる。
無理だ。あたしには何も出来ない。あたしに出来るのは、せいぜい強い方に擦り寄ることくらい。
ユノは曖昧に微笑んで、丁寧にメルヴィンの袖を下ろしてやった。触れた指先はあまりに冷たく、温もりを分けるように柔らかく握り込む。
「温かいものを飲んで、ベッドに入ったらいいわ。……泊まっていく?」
「……いや、いい。もう一度あの人の顔を見たら、今度はどんな恥を晒すかわからない」
いくらか気分が落ち着いたのか、メルヴィンはそっとユノの手を振りほどいた。
「アルベルト大佐は、陛下の懐刀だ。あの人なら陛下の意志を正しく汲んで、帝国のためにベストを尽くす。例えどんな障害があろうとも。……そう信じてるから、陛下も大佐を行かせることにしたんだろう」
抑揚のない、沈んだ声だった。
メルヴィンの中でまだ決着がついていないのは明白だ。
「大丈夫よ」
ユノはメルヴィンのためだけに、とびきり美しい笑顔を作ってやった。
相手が求めているだろう言葉を掛けてやって、求めているだろう表情を作る。それはユノが生まれてから一番初めに覚えたことだ。
娼婦の微笑みを受けたメルヴィンは、ぎこちなくも少しだけ肩から力を抜いて笑った。
大丈夫。
ユノは自分自身にも言い聞かせた。
このままいけば、犠牲になるのはアルベルトだけだ。流れる血は少ない。
今はつらくとも、いつかは癒える。魔法なんかがなかったとしても。
人間とは慣れる生き物だ。どんなに大切な存在を失ったとしても、自分の身が引き裂かれたような痛みを感じようとも、いつかは無いことに慣れて、忘れることが出来る。
この胸の痛みだって、いつかは消えてなくなる。




