差し出された手
いつも通りアルベルトを見送ってから、ユノは自室で大人しくしていた。
窓から庭を見下ろして、思い直したようにカーテンを閉める。
あれからエドワードには会いに行っていない。エドワードにどんな顔を向ければいいかわからなかった。
エドワードよりも自分の身が可愛いことを自覚してしまった。それを情けないとは思わない。けれど、胸が痛むのも事実だった。
ユノは馬車を出して帝国軍本部へと向かった。
何故だが無性にメルヴィンの顔が見たい。メルヴィンに鼻で笑われて、それに腹を立てることが出来れば、いつもの自分に戻れるような気がした。
「…………ねぇ、どこに向かっているの?」
城内を案内していた兵士は、以前通った道とは違うルートを歩いていた。
不安に思って声を掛けると、前を歩いていた兵士は肩越しに振り返って無機質に答える。
「お前が来たら案内するよう言われている」
「…………あなた、嫌な感じね。あたしがアルベルト大佐夫人だってわかってる?」
「黙っていろ。ついて来て損はない」
兵士はそれ以上ユノとは口を聞かず、黙々と廊下を歩く。
ユノも押し黙って兵士の後を追った。
兵士は周囲に目を配ってから、コンコンと扉をノックした。中から入室を許可する声がして、兵士は「女を連れて来ました」と手短に告げ、ユノの背を押して部屋の中に詰め込む。
「ちょっと!レディーの扱いがなってないんじゃなくって!」
ユノは振り返って憤慨したが、既に扉は閉められて兵士はいなくなっていた。
プリプリするユノの前で、部屋の主はクスクスと笑う。
「これはこれは。僕の部下が無礼を働いたことをお詫び申し上げるよ、レディー」
いかにも軽薄そうな声音に、ユノは睨みを利かせながら首を捻る。
そこにいたのは、年若い男だった。身に纏う雰囲気がもう少し荒々しければ、青年と称してもいいくらいに見える。
黒い髪に、深い青の瞳。
男は端正な顔立ちをしていたが、どことなく狡猾そうな目付きをしていた。
男はデスクから立ち上がってユノの前に立つと、ニッコリと笑って胸に手を当てた。
「初めまして。僕はウォルク・アークノーツ。誉高きアークノーツ家の嫡男だ。メッキの君達と違って本物の貴族、とでも言おうか」
ユノはピクリと片眉を跳ねさせる。
「…………どういう意味かしら?」
ウォルクはユノの反応を可笑しいとばかりに笑って、前髪を搔き上げた。
「どうもこうも、そのままの意味だろう?──ユノ・ゴーシュ」
「!」
ユノが目を見開くと、ウォルクはクツクツと喉を鳴らす。
「色々と調べさせてもらったよ。まったく、あの男も酔狂なお方だ。よりにもよって掃き溜めからゴミを拾ってくるなんてね。まぁでも、君達よくお似合いだよ」
警戒心を顕に睨み付けるユノなど恐れることもなく、ウォルクは肩を揺らしながらデスクに腰掛けた。
「知ってるかい?アルベルト、アイツは本物の貴族じゃない。使える人材だからってガーデンルヒト家が養子にしたんだ。まぁ、その判断は間違いだったわけだけど」
ユノは内心で酷く動揺したが、今度は表情には出さなかった。
ウォルクの思い通りになるなどごめんだ。初対面だがすでに、ウォルクに対する嫌悪感が強い。
「…………あたしにそんな話を聞かせるために、わざわざ呼び付けたのかしら?」
「まさか。これは親睦を深めるための、ちょっとした雑談さ」
ウォルクは肩を竦めて、ソファーに掛けるよう促した。しかし、ユノは一瞥しただけでその場から動かない。ウォルクは呆れたように首傾げた。
「レディーのご要望に応えてさっそく本題に入るよ。ミセス・ユノ、僕達と組まないか?」
チクチクとしたウォルクの態度から、薄々そういう誘いだろうとは予想していた。
ウォルクはアルベルトが邪魔で、どかしたいと思っている。その共犯者になれとユノに言っているのだ。
「無論、タダでとは言わない。僕達に協力してくれるなら、君を王族の側室にしてあげよう。悪い話じゃないだろう?それとも、君はあの男に個人的な感情を抱いているのかな?」
ユノは瞬きの間隔を開けて、じっとウォルクのことを観察した。大丈夫、ユノは背後に出入口を確保している。
完全に人を見下した態度をとるウォルクは、正直気に食わない。しかし、交渉に関しては悪くない。ユノという人間をよく調べてきたといえる。
それに、ウォルクは僕『達』と言った。これはウォルク一人で企んでいることではなく、もっと大きな力が働いている計画だ。そこにユノ一人で歯向かうことがどれほどの愚行かは、ユノも弁えている。
これは交渉などではない。
ウォルクが接触してきた時点で、ユノに拒否権はない。
「…………。あなたがあたしを裏切らないという保証は?」
「怪しいと思えば、いつでも旦那様に告げ口すればいい」
「は……。あなたはその旦那様の口を一生きけなくするつもりでしょう?」
「君はそこで終わるつもりかい?」
「………………」
ユノはウォルクを睨み付けた。完全に足元を見られている。
ユノは左肩を撫でて、一度心を落ち着けた。
「……何を企んでいるのか、聞かせてもらえるのよね?」
素直に頷くのが嫌だったユノは、せめてもの反抗としてあくまで対等の立場をとった。
ウォルクはユノの虚勢を見て見ぬ振りしてやるといった態度で、ニッコリと愛らしい笑顔を浮かべる。
「軍内部にも派閥がある。その中でもあの男の立ち位置は曖昧で、端的に言えばとても目障りな存在なんだ。何をしでかすかわからないモンスター……正しく魔王と呼ぶに相応しい。本当に、あの男には困ってる」
ウォルクは眉根を寄せてやれやれと肩を竦めた。
「だからこれは、意義のある魔王退治なんだ」
深海のような青い瞳がユノを射抜く。
ユノは緑の瞳を揺らしたが、閉じた瞼が次に開かれるときには真っ直ぐにウォルクを見据えた。
「あたしは、こんなところで終わりたくない」
ウォルクはクイッと口角を持ち上げる。
「歓迎するよ」
間違ってない。これでいい。
アルベルトには早く戦争に行ってもらいたい。戦場で死んでほしい。
ユノは公爵夫人ではなく、この国のお姫様になりたい。
そのためにこれは、必要なことだ。
ユノは無意識に左肩を撫でた。
忘れたはずの傷跡が、ズキズキと疼き出す。




