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昼下がりの零下

ユノは昼食を終えてから暇になり、庭に向かった。エドワードと雑談でもしようと思った。読書よりも人と話すことの方が性に合っている。


鼻歌交じりに庭の植え込みを覗き込み、エドワードの姿を探す。しかしなかなか見つからない。


「エド?」


うろうろと庭を歩いていると、屋敷の影になっている方から何やら声がした。


ひょこりと顔を出すと、裏口の階段のところに人影が二つあった。見慣れた赤毛はエドワードのものだったが、その隣に座って楽しげに談笑している女に見覚えはない。


メイド服を着た、小柄で眼鏡の年若い女だった。薄い菫色の髪をおさげにしており、見るからに内向的でパッとしない出で立ちをしている。

ユノはムッと目を釣り上げた。


「エド!」


鋭く名前を呼ぶと、二人はパッと振り返った。目が合ったエドワードは明るく笑ってユノに手を振ったが、眼鏡のメイドはユノを見て少しだけ不快感に眉を顰めた。


「こっちに来て。靴紐が解けてしまったの」


ユノは手早くブーツの紐を自分で解いて前に突き出した。何も疑わずにエドワードが駆け寄ってくる。


「仕方ないなぁ、奥様は」


すっかりユノに対して打ち解けた様子のエドワードは、ユノの前に跪いて靴紐を結んだ。従順な態度のエドワードに微笑みかけ、ユノはその頬を撫でた。弾かれたようにエドワードが顔を上げる。


「フフッ。泥がついていたわ」


「…………あー、そうかよ」


わざと顔を近付けると、エドワードは照れたようにそっぽを向く。ユノはチラリとメイドに目を向けた。


「………………」


じっと佇んでいたメイドは、ぎゅっとスカートの裾を握ってユノを睨み付けていた。

わかりやすいその態度にユノは得意になって、エドワードの顎を掬い上げる。上向きになったエドワードの唇──その端に、リップ音を立てて口付けた。


「!」


メイドの角度からは二人がキスしたように見えただろう。

もう一度メイドに目を向けると、メイドは暫く呆然としてから、涙を溜めた瞳を伏せて逃げるように走り去っていった。

ユノは気分を良くして勝ち誇ったようにニヤリと笑う。


一方でエドワードはというと、顔を髪の色と同じく真っ赤にさせてユノを凝視していた。


「へぁ……えっ……」


ぷるぷると震えながら声を絞り出すエドワードに、ユノの方がキョトンと目を丸くする。

エドワードは腰を抜かし、まるで生娘のように顔を手で覆った。


「あああんたっ、何してんだよっ……!?」


ボッボッと頭から蒸気を噴き出させたエドワードは、キーキーと叫びながら芝生の上をゴロゴロ転がる。予想外の反応にユノは軽く引いた。


「……なにあんた。まさか童貞?」


「当たり前だろっ!そういうのは結婚してからだって、じっちゃんに習わなかったか!?」


「いや……じっちゃんには何も習ってないし……」


ユノはエドワードを満更でもなく思っていたが、ウブを通り越して初々しい少女のようになっているエドワードを前にして、そんな気も失せた。無報酬で童貞の相手をするほどユノは安くない。


ひとしきり騒ぎ立てて満足したらしいエドワードは、疲れきった顔で頭をガシガシと掻く。


「はぁ……。わかったら俺をあんまからかうな。あんたびっくりするくらい美人なんだから、こっちの心臓が止まっちまう」


ユノは目を見張った。


「あたしのこと美人だと思ってたの?」


「はぁ?そりゃそうだろ。あんたほどの美人なんか見たことないね」


「…………ふ、ふん。当たり前でしょう?」


ユノはぷいとそっぽを向いて胸を逸らした。頬は赤く色付いている。


そんな照れ隠しをしているユノにエドワードはまるで気付かず、立ち上がってくるりと振り返った。


「あれ、あいつどこ行きやがった?」


まるで鈍感なエドワードに、ユノはムスッと頬を膨らませる。

素直で裏表のない性格だからこそストレートな褒め言葉が胸に刺さるが、女心を理解しない天然さは時として無神経にもなる。プラスマイナスちょうどゼロ。


「あの子、一体誰?」


「ネルチだよ。メイドの。会ったことなかったか?」


「ないわ」


「まぁ、それもそうか」


アルベルトはフェリ以外の使用人には視界に入るなと言い渡している。それはアルベルトの妻であるユノにも同じで、使用人達は徹底的にユノの視界から逃れていた。


「ネルチはいい奴なんだよ。今度紹介するぜ」


エドワードは持ち前の無神経さを爆発させながら階段に座ると、トントンと隣を叩く。ネルチというメイドが座っていた場所に平然とユノを座らせようとする辺り、本当にエドワードは女心というものをわかっていない。


「ハンカチないの?」


階段を見下ろして尋ねると、エドワードはポケットを弄ってハンカチを出した。ユノは満足気に広げられたハンカチの上に座る。


「あんたもクッキー食うか?つっても、あんたには出せないような端っぱだけど」


エドワードの出した包みには、欠けたクッキーや切れ端で作ったクッキーがころころと入っていた。普段使用人が片付けているのだろう不良品だが、味に大差はない。ユノはぱくっと口に放り込む。


「いつもこうしてあの子とおしゃべりしているの?」


「たまにな。こっそりネルチがクッキー持ってきてくれて、お互い愚痴なんかを話すんだ。お互いドジばっかなんだけど、二人で笑ってるうちにどうでもよくなんだよ」


「ふぅん」


自分で聞いておいて、他の女の話をされるのは面白くないと思った。


「あたしも愚痴くらい聞いてあげるわよ?」


ユノは膝の上で頬杖を突いて、エドワードにニッコリと微笑みかける。エドワードはわかりやすくドキッと頬を赤くさせた。


「……いや、あんた様には聞かせられねぇよ。一応奥様だし」


「じゃああたしの愚痴聞いてくれる?」


「おう。ドンと来い」


「使用人の一人がやけにあたしに馴れ馴れしいのよね。アルベルト大佐夫人のあたしにタメ口なのよ?信じられる?」


「それって俺じゃん」


何も面白くなんかないのに、二人は馬鹿みたいに笑った。話す内容なんてどうでもいいのだ。ただ二人が一緒に笑えればそれでいい。


ユノは足を伸ばして爪先を付けたり離したりしながら、躊躇いがちに口にした。


「…………アルベルト様が近いうちに、戦場に出られるみたいなの」


何故かはわからないけれど、ずっと胸の内に引っかかっていたことを吐き出した。

エドワードの顔を見ると、彼は悲しげに眉根を寄せてユノを見ていた。そのグレーの瞳に映るユノの顔も、不安気に歪んでいる。


「旦那様なら、大丈夫だよ。あの人がやられるなんてことは、万に一つもありえねぇって」


エドワードは励ますようにはにかむと、ユノの手の上に自分の手を乗せた。大きくて温かい手。

ユノはエドワードの手に指を絡めた。エドワードは拒むことなく、求め合うようにユノと指を絡める。


その時だった。



「ユノ」



二人してハッとして振り返ると、そこにいたのはアルベルトだった。


どうしてこんな時間に。


朝出掛けたアルベルトが昼頃に帰宅することは、今までにないことだ。だから油断していた。

ユノは咄嗟のことに動けなかったが、エドワードは素早く立ち上がって頭を下げた。


「お、お帰りなさいませ……旦那様」


遅れてユノも立ち上がり、顔色を窺うようにアルベルトを上目遣いに見上げる。アルベルトは美しい顔でニッコリと笑うと、鷹揚にこちらに歩み寄ってきた。そして、


──バチンッ!


エドワードの頬を裏手で殴り付けた。


「っ!」


目を剥いたエドワードは、勢いのまま芝生の上に倒れた。ユノは思わず口元を手で押える。声は出なかった。


「使用人風情が……。よもや私のものに手を出そうとは」


地獄の底から響くような、冷たい声音でアルベルトが呟く。アルベルトの赤い瞳は軽蔑の色をしてエドワードを見下ろした。


「………………」


「ああ、ユノ。すみません。貴女には少々刺激が強過ぎましたね」


左肩を握りしめてガクガクと震えるユノを、アルベルトは優しく抱き竦めた。先程エドワードを殴ったのと同じ手で、ユノの頭を撫でる。


何か、エドワードを庇うような言葉を、言わなければならない。このままではエドワードが屋敷から追い出されてしまうかもしれない。


頭ではわかっていた。

しかし、ユノは何も言うことができなかった。


怖い。


アルベルトが怖い。怖い。怖い。


アルベルトは暴力を振るう人なのだ。力を振りかざして、他人を支配しようとする人なのだ。そんな人に、どうしてユノが立ち向かえよう。どうしてエドワードなんかを庇って自分の身を危険に晒せよう。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。ユノは殴られたくなんかない。


「あ……ある、……」


ユノは笑おうとした。愛されるために。

しかし、笑うことができない。言葉を発することができない。


ユノはアルベルトの胸に頬を寄せて、ぎゅっと抱きついた。他人に媚びることは、ユノの身に染み付いた、自分を守る手段だった。


「体が冷えていますね。屋敷に戻りましょう」


アルベルトは柔らかく微笑んで、何事もなかったようにユノの肩を抱きながら踵を返す。


ユノはエドワードの様子を気にする余裕もなかった。自分がアルベルトから嫌われないために、擦り寄ることしかできない。振り返ることなんてできない。


アルベルトは、怖い人なんだ。


気に入らないことがあれば手を上げる人。恐ろしい人。


「アルベルト様…………」


ユノは踵を上げて、アルベルトの頬にキスをした。卑しい娼婦の真似事をした。怒りを宥める手段を、ユノはこれしか知らない。


アルベルトはニッコリと微笑んで、子供をあやすようにユノの頭を撫でた。


「愛していますよ、ユノ」


ユノもへらっと唇を歪めて笑顔を作る。


「あたしも……アルベルト様を、愛しています」


愛してる。


だから、殴らないで。

お願いだから痛いことをしないで。

ユノは左肩に爪を立てて震えを止めた。


大丈夫。あたしはもう、失敗なんかしない。


一陣の風が吹き荒ぶ。

ユノの頬を、真っ赤なバラの花弁が撫でていった。

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