気不味い会食
ガドラー元帥との会食は、思いの外早く行われた。
夕食前に帰ってきたアルベルトと共に、馬車でガドラー元帥の屋敷へと向かう。敵地へと乗り込むのは緊張したが、アルベルトは終始穏やかに微笑んでいた。
ユノはアルベルトを見上げて、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「アルベルト様。今日は眼鏡をしていらっしゃるのですね」
屋敷を出るときから、アルベルトはノンフレームの眼鏡を掛けていた。視力は悪くないはずだ。心做しか知性が高く見えるものの、元からアルベルトは聡明そうな美形をしている。
「ああ、これですか。私なりの誠意ですよ」
アルベルトはニッコリと笑ってフレームを押し上げた。
「誠意?」
「好意的に思っている相手の屋敷を訪ねる時は、武装を解除していくものです。信用を得るにはまず、こちらがそれなりの誠意をもって信用を示さなければなりません。その点、私の目は隠しようのない武器ですからね。魔力阻害効果のあるガラスを一枚隔てることくらいはしておかないと」
「なるほど……」
「まぁガドラー元帥殿を相手にするには、ガラス越しくらいがちょうどいいですね」
ハハハと笑うアルベルトに、引き攣った笑みを返す。そういうジョークが怖いんだよ。
ユノとアルベルトを出迎えたのは、想像していた通りの巨漢だった。
「おおっ!これが噂に聞くアルベルト大佐の花嫁か!なんと見目麗しいお嬢さんだ」
ガドラー元帥は鷹揚に腕を広げ、豪快に笑った。
いかにも軍人の家系の出身であるというような、筋骨隆々の体躯。服の上からでも逞しい腕や胸板が窺える。年相応に皺を刻んだ顔は柔和な相を見せているが、顎髭をたくわえた面立ち自体は厳しい。
「元帥。こちらが私の妻のユノです」
アルベルトは穏やかに微笑んでユノを紹介した。ユノも上品にドレスの裾を持ち上げて挨拶する。
「お初にお目にかかります。この度はお招きいただきありがとうございました」
「ハハハ。そう緊張せずともよい」
ガドラー元帥はアルベルトとユノを交互に見て、嬉しそうに顔を綻ばせた。アルベルトが言っていた通り気さくな方だ。
二人はさっそくダイニングへと案内されて席に着く。円卓のテーブルで、三人はそれぞれ向き合うように座った。
元帥は余程二人が気になるのか、顎髭に触れながらじっと視線を注ぐ。
「女を知れとは申したが、まさかアルベルトが妻を迎え入れるとはな」
感慨深そうに呟く元帥に、アルベルトはニッコリと美しく笑う。
「貴方に娼館へ行けと命じられた時は、とうとう軍神と恐れられたガドラー・ガーデンハイルも色ボケに落ちたかと思いましたが……いやはや、お見逸れしました。元帥は私達のキューピットだったのですね」
ユノはゲッと頬を引き攣らせてアルベルトの顔を窺った。なんなんだこの人は。いきなり飛ばしすぎじゃないだろうか。
恐る恐るガドラー元帥の顔色を窺うと、元帥は豪快に口を開けて笑った。
「ハハハ!我輩がキューピットであるか!これまで数多の敵兵を槍で射抜いてはきたが、そのようなことを言われたのは初めてだ」
この人達怖い。
ユノが内心ビクビクしていると、さっそく料理が運ばれてきた。熱々の湯気を上げるステーキを前にしてユノの気分は高揚する。
「それでアルベルト。どこが気に入って彼女を娶ったのだ?」
ステーキを口に入れようとしていたユノは、ギョッと心臓を跳ねさせる。まったく安心して食事ができない。
アルベルトはというと、至って平然と答える。
「ご覧の通り、私の妻は世界一美しいですからね」
うんうん。わかるわかる。
ユノは満足気に頷く。
アルベルトが自分の何を気に入ったのかユノも気になるところではあるが、掘り下げるのが怖い話題でもある。この回答で満足してくれ。
「そんなことを言ったら、これまで縁談を持ちかけられた公爵家の令嬢とて美しい方々だったろう。彼女らとそちらのお嬢さんと、どう違うというのだ?」
おいコラ。あたしに何の文句があるってんだ。
ユノはこっそりガドラー元帥を睨んでからアルベルトを見上げる。一体どう答えるのか、ユノはドキドキと鼓動を速めた。
「そうですね……。理解いただけるかどうかはわかりませんが、私はユノを見た瞬間、これは運命だと思いました」
アルベルトは眼鏡のブリッジを押し上げて、ニッコリと笑った。
「出会うべくして出会った。結ばれるべくして結ばれた。私はそう思ったのです」
いつものアルベルトのロマンチスト節だ。
体良くはぐらかすような響きのある言葉だったが、ユノは口元を覆ってキラキラと目を輝かせてアルベルトを見つめる。
「アルベルト様……」
「愛していますよ、ユノ」
アルベルトもユノを見つめて微笑む。二人は愛の宇宙を創造して二人だけの空間に閉じこもった。どうだ、勘弁しろ。
運命の恋によって結ばれた二人を演出するユノとアルベルトを見て、ガドラー元帥は興味深そうに目を丸くした。
「ほぅ……あのアルベルトがな……」
低く呟いたガドラー元帥は、すぐさま人の良い笑顔を浮かべてみせる。
「それで、子作りの方は順調か?」
ピシッ。
ユノとアルベルトの顔が笑顔のまま凍り付く。
「ハハハ……ガドラー元帥。どうやら貴方は生まれてくる時に、デリカシーというものを母君のお腹の中にお忘れになったようですね」
アルベルトは背後からゴゴゴ…と黒いオーラを覗かせた。
横で見ていたユノは本能的な恐怖を感じたが、オーラの矛先であるガドラー元帥は気にした素振りもなくワインに口を付ける。これくらい肝が据わっていないと帝国軍の元帥は務まらないのかもしれない。
「グズグズしていてはならんぞ。北の情勢によっては、貴様はまた軍艦を指揮して前線へと赴くことになる」
──え?
ユノはアルベルトを見上げた。
軍人であるアルベルトが戦地に出るのは当然のことだ。むしろユノは戦場に行ってほしいと思っていた。ユノが欲しいのはガーデンルヒトの名前と財産であり、アルベルト個人ではない。
それなのに何故か、アルベルトが戦場に出ると聞いて、純粋に驚いていた。
「ガドラー元帥。私は参謀としても優秀だと自負しております。僭越ながら、まだ本部でお役に立てることが残っているかと」
アルベルトは微笑を浮かべたまま、冷静に告げた。
しかし、ガドラー元帥の瞳は鋭くアルベルトを見据える。
「確かに貴様は優秀だ。我輩が大将へと推しただけのことはある。しかし貴様は出世に興味がないと、今の地位に留まったな。それは自身を置くべき最善の場所が見えていたからではないのか?」
「私が我が身可愛さで戦地に赴くことを拒んでいると?」
アルベルトの赤い瞳がガラス越しにガドラー元帥を睨む。障害物を一つ隔てたところで、アルベルトの血のように赤い瞳の鋭さは和らぐことはない。
二つの視線が交差する。
ユノは喉元に嫌なものが込み上げるのを感じた。
ユノの戦場は柔らかなベッドの上だ。行われるのは男と女の一対一での甘い駆け引き。
アルベルトとガドラー元帥が行っているのは、何千何万という兵を率いての戦争だ。自分の体一つしかもたないユノとは規模が違う。
元帥の瞳がすっと細まる。
「あの時戦争を終結させておけばよかったと、後悔しているか?」
沈黙が落ちる。
先に目を逸らしたのはアルベルトだった。
「やれやれ……。またその話ですか。ガドラー元帥まで、私をお疑いになるのですね」
アルベルトは肩を竦めて、心底辟易したように首を振る。
「その件は査問会でクリードル大尉が自白なさったことで終わったでしょう。あの場には元帥もご出席なされていましたが、お忘れで?」
「貴様が赤眼でなければ、我輩も素直に受け入れられた」
「私がクリードル大尉の心を操ったと?」
「違うか?」
「ええ。そのようなことは決してありません」
「ではあくまで貴様は帝国のために尽くし、終戦を望むと?」
「勿論。それが帝国軍人の務めですから」
「フン。であれば次に和平条約の使徒として向かわせるならば、貴様になろう。締結をもって身の潔白を証明するといい」
「帝国の為ならば喜んでお引き受けしますよ」
ニコニコと微笑むアルベルト。
ガドラー元帥は釈然としない顔でワインを一息に煽った。
「…………。どうにしろ、指揮官としての能力も高く、武力に関しては一騎当千と謳われる貴様を本部などで腐らせておくわけにはいくまい。それとも今度は我輩を操るか?」
「仰っている意味はわかりませんが、貴方が私を快く思っていらっしゃらないことは理解しました」
「憎くは思っていない。ただ、悲しんでおる」
アルベルトはキョトンと目を丸くする。
ガドラー元帥は目を伏せて、空いたグラスにワインを注いだ。
「……貴様がそうなってしまったのは、我輩の責任でもある。我々大人が、アルベルト・ガーデンルヒトという男を作り上げてしまった」
並々と注がれたワインは、血のようにどろりと鈍い光を反射させる。
「これは元帥としての言葉ではないが……。我輩個人としては、アルベルト、貴様の願いを聞き入れてやりたい思いもある。貴様が何かを欲したのはこれが初めてだ。あのアルベルトが他人を愛し、傍にいたいと願ったことを、素直に嬉しいと思う」
ガドラー元帥は顔を上げ、真っ直ぐにアルベルトを見つめた。その目はまるで、行く末を案じる親の目をしていた。元帥にドーランの姿が重なる。
「しかし、我々は軍人だ。我欲を捨てよ、アルベルト」
きゅっと瞳を強めてから、ガドラー元帥はユノに目を向けた。ユノはドキリと心臓を跳ねさせる。
「ユノ。そなたの前で聞き苦しい話をしてすまなかったな」
「いえ……」
「案ずるな。アルベルトは必ずや戻ってくる」
「元帥。まだ先の話でしょう。私はまだ旅立っておりません」
「いいではないか。貴様は我輩に意地悪をして、なかなかユノと会わせてくれなかっただろう。言いたいことは今言っておかなければ、次が来るとも限らん」
「意地悪をしたつもりはないのですがねぇ」
アルベルトが苦笑すると、ガドラー元帥もフッと空気を緩めた。
ユノはようやく息を吸えた。
空気が重すぎて窒息死するかと思った。
「気に食わんところもあるが、息子は永遠に息子だ」
ガドラー元帥の言葉にアルベルトは口を挟もうとしたが、野暮だと思ったのか微笑だけ返す。
元帥はワイングラスを掲げた。
「遅れたが、我輩は貴殿らを祝福する。どうか貴殿らの歩む道に、竜の息吹があらんことを」
アルベルトに倣ってユノもグラスを掲げる。三人は乾杯をしてワインに口を付けた。
ユノとアルベルトは一口煽っただけだったが、ガドラー元帥はゴクゴクと一気に飲み干してしまった。その豪快っぷりに二人は顔を見合わせて苦笑する。
ガドラー元帥は最後には再び笑顔に戻り、大きく手を振って二人を見送った。
馬車の中でユノはようやく一息吐く。まるで食べた気がしなかった。
「疲れるでしょう、元帥のお相手は」
隣に座っていたアルベルトが、ユノを見下ろして苦笑する。心做しかアルベルトも疲れたような顔をしていた。
「……アルベルト様は、戦場に行かれるのですか?」
ユノは躊躇いがちにアルベルトを見上げて、ぎゅっと腕を掴んだ。
「そうなるでしょうね」
淡白な口調でアルベルトは頷く。
ユノがもう一度口を開こうとすると、アルベルトが唇に人差し指を立てて制した。
「何も聞いてはいけませんよ」
馬車の窓から差し込んだ月明かりが、アルベルトの顔を青白く照らし出す。
アルベルトは眉を下げて、フッと微笑んだ。
「貴女にはこちら側に来てほしくない。私は何があっても自己責任ですが、貴女は違う。最後まで何も知らなかったで通してください。そうすれば心優しい陛下は、貴女のことだけは見逃してくださるかもしれない」
「…………。アルベルト様は、何をなさろうとしているのですか?」
ユノは瞳を揺らしてアルベルトに追い縋る。
アルベルトの腕を強く握ると、シャツに皺が寄った。
「私は軍人です」
ニッコリと笑って、アルベルトはユノを腕の中に閉じ込めた。
「私のなすべきことは、ただ一つ。──帝国に勝利を。そして、陛下に栄光を」
ユノはアルベルトの胸に頬を寄せて、ぎゅっと抱きついた。
「…………それじゃあ、二つですよ」
今日は月夜だからわけもなく悲しくなるのだ。ユノは自分自身に言い聞かせた。
アルベルトがいなくなることはいいことだ。
むしろ戦死してくれなければ、未亡人となって王族に嫁ぐことができない。ユノはアルベルトを終着点にするつもりは毛頭ない。
もっとアルベルトが裏表なくユノを可愛がるお気楽貴族であれば違ったが、アルベルトは悪名名高い帝国軍人だ。ユノにさえ心を開かない相手に、どうして操を捧げられよう。
「私は欲張りで負けず嫌いなんです」
アルベルトは微笑んで、ユノの額に口付けを落とした。
どうせなら唇を奪ってくれればいいのに、この日もアルベルトはユノを抱かなかった。




