大佐と元帥
朝食の最中、不意にアルベルトはナイフとフォークを置いてユノと向き直った。
「まだ詳しい日程は決まっていませんが、ガドラー元帥と会食を行うことになりました」
ユノも手を止めてアルベルトの顔を見る。
「ガドラー様とは、どんな方なんですか?」
「アカデミーの頃からお世話になった上司です。とても気さくな方で、まぁ良く言えば面倒見のいい方ですかね」
アルベルトはハハハと良い笑顔を見せたが、なんとなく背筋に冷たいものが走った。あまり好ましい相手ではないのだろうか。
「はは……。楽しいお時間になるといいですね」
ユノは他人事に笑ってプチトマトをフォークに刺した。
「そうですね。まぁ、ユノがいればどんな時間も私にとって素晴らしいものになるでしょう」
「…………は?」
ぽとり。プチトマトが皿の上に落ちる。
アルベルトはニッコリと微笑んだ。
「元帥は私の妻をご覧になりたいのだそうです」
ユノの胃が急速に縮み上がった。
とてつもなく嫌な予感がするのは気の所為だろうか。
「ガドラー元帥って知ってる?」
その日、ユノは入浴後に自室でフェリにマッサージを受けながら尋ねた。
フェリはうつ伏せに寝転がったユノの脹脛に温めたアロマオイルを塗り込みながら、柔らかく筋肉を揉みほぐしていく。
「申し訳ございませんが……。わたくしは存じ上げません」
「本当に?」
首だけで振り返って胡乱な眼差しを向けると、フェリは曖昧に微笑んだ。フェリはフェリで本当に知らないのか、隠しているだけなのかわかりにくい。
「しがない使用人風情ですから……」
ユノは腕に顎を乗せて唸る。
フェリの言葉を鵜呑みにしたわけではないが、交友関係が狭いというか、悪評によって周囲の人々から恐れられ避けられているアルベルトのことだ。屋敷に人を呼ぶこともそうないだろう。
「元帥って確か、軍の中でも高い階級の人よね」
「はぁ……。エルキデ帝国軍においては、最高位に当たるかと……」
「めちゃくちゃお偉いさんじゃない」
面倒な相手だとユノは顔を顰めたが、はたと思い直す。ここで上手く取り入ることができれば、アルベルトの出世街道は安泰なのでは。アルベルトに何かあった際の乗り換え先としても利用できるかもしれない。
俄然やる気が湧いてきた。
ガドラーの情報を集め、彼に気に入られるよう尽力し、アルベルトの株価を押し上げなければ。ユノは大いなる野望に瞳を燃やす。
「にしても、気持ちい……」
アロマオイルの甘い香りとフェリの的確なマッサージに、ユノはとろんと目を蕩けさせた。
翌日。
ユノはアルベルトを見送った後、自分も馬車に乗り込んで帝国軍本部に向かった。
前回来てからは随分と日にちが開いていた。
アルベルトの悪名を耳にしてから、彼の顔色を窺って軍を訪ねるのは控えていたのだ。
ユノは馬車を降りて、ぎゅっと短剣を握り締めた。前回は門前払いを食らってしまったが、今回は通行手形を持っている。レグが約束を守ってくれていたら、彼から貰った短剣を持っているユノは中に入れてもらえるはずだ。
門に近付くと、警備をしていた兵士がユノを見てギョッと顔を赤らめた。ユノは妖艶に微笑んで、ドレスの裾を持ち上げる。
「ごきげんよう」
「はっ……これは、美しいお嬢さん。こちらに如何様で?」
「ここを通してくださらないかしら?」
ユノは兵士の前に短剣を翳した。すると、兵士は目の色を変えてユノを凝視する。
「これはご無礼を……!どうぞお入りください!」
面白いくらい兵士は腰を低くして門を開く。ユノは優雅に微笑みながら門を潜った。
「ご案内致します」
見張りの兵士の一人が恭しく敬礼をしてユノに同行する。正面から入るのは初めてだったため、その申し出はありがたい。
「ガーデンルヒト大佐の元でしょうか?それとも……」
「メルヴィン様の元まで案内してくださる?」
「は……?」
兵士はキョトンと目を丸くしたが、すぐさま敬礼をして城内をすたすたと歩き始めた。
驚くほど簡単に潜入できてしまって、ユノは心の中でレグに感謝した。軟派でチャラチャラした男だと思っていたが、とても役に立つ男だ。後でお礼を言いに行ってやろう。
ユノが情報収集にメルヴィンを選んだのは、彼が一番素直だからだ。質問したことには大方的確に答えてくれる。それでいてアルベルトを恐れて避けているため、余計なことを告げ口することもないだろうと踏んでのことだ。
レグの場合、おちゃらけてはいるがしっかりとした大人で、口にすべきではない情報をきちんと弁えている。ユノの聞きたい情報をはぐらかす可能性がある上に、アルベルトと親しいためユノが来たことをペラペラと話す恐れがある。
今日こうしてユノが本部に来たことは、できればアルベルトには伏せておきたい。アルベルトがユノを屋敷内に閉じ込めたがっていることはわかっている。その思惑に反してうろうろするユノを、アルベルトはよく思わないだろう。
「こちらがメルヴィン殿の研究室にございます」
兵士は扉の前でビシッと敬礼する。
「ありがとうございます。もう下がって結構です」
ユノが美しく微笑むと、兵士はポっと顔を赤らめてから、「では失礼します!」と慌てて去っていった。
これこれ。これがユノに対する正しい反応だ。
ユノは得意気に口角を上げて兵士を見送る。自尊心を取り戻したユノは、コンコンと扉をノックした。
………………。
返事がないので、もう一度ノックする。
『……………あー、待て。今出る』
長い沈黙の後に中からそんな声が聞こえた。相手が誰かもわからないのに、なんて尊大な態度だろう。
しばらく待っていると、ようやく中から扉が開けられた。白くてふっくら丸い帽子が扉の隙間から顔を出す。
ぱちり。
ユノの緑の瞳とメルヴィンの深い青をした瞳がかち合う。ユノはニッコリ微笑んだ。
バタン!
扉が閉まる。
「こんにちはぁ」
コンコンコン。
「こんにちはぁ」
『………………』
渋々といった様子で扉が開き、メルヴィンはぬっと顔だけを覗かせた。
「大佐溺愛の新妻が、こんな辺鄙な場所に何の用だ」
不機嫌を隠しもせずにユノを睨むメルヴィン。腹立たしいことこの上ないが、今日ばかりは可愛く見える。
「あたし達お友達でしょう?お茶でもどうかしら?クッキーを持ってきたのよ」
「誰が友達だ。生憎と俺はお気楽令嬢と違って忙しいんだよ」
メルヴィンがピシャリと告げた瞬間、ぎゅるるる…と腹の虫が鳴く。ユノが視線を下げると、メルヴィンはカッと顔を赤くしてユノを睨み付けた。
「く、クッキーなんかに釣られたんじゃないからな!ただ今日は、忙しくてまだ食事をとっていなかっただけだっ」
メルヴィンは扉を開けると、フンと鼻を鳴らして踵を返した。一応入室は許可されたのだろう。ユノはふふんと笑って中に入った。
部屋は壁全面が本棚になっており、収まりきらないほどの本や書類が床の上にまで積み上げられていた。正面の執務デスクや右手にある応接用と思しきソファーの上まで本の山だ。
足の踏み場がなくて二の足を踏んでいると、メルヴィンは指揮者のように腕を振った。するとぐちゃぐちゃに散らばっていた書類や本が宙を飛び交い、部屋の端に整然と積み上げられていく。
ユノは目を見張ってその光景を眺めた。
「見られて困るものは暗号化しているが、どれも軍事機密に当たる。あまりジロジロ見るなよ」
メルヴィンは指先を動かしてどこからかティーセットを引っ張り出してくると、応接用のテーブルの上に並べた。パチンと指を鳴らすとポットから湯気が立ち昇り始める。
どかっとソファーの上に腰掛けると、メルヴィンは胡乱な目でユノを見上げた。
「何突っ立ってんだ。座れよ」
促されておずおずとメルヴィンの正面に座る。視線に押されて持ってきたバスケットの中からクッキーの包みを出してテーブルに広げると、間髪入れずにメルヴィンは手を伸ばして口の中にぱくぱくと放り込んだ。余程お腹が空いていたらしい。
三分ほどしてから、メルヴィンは指先をクイッと振ってティーポットを動かした。怪奇現象のようにひとりでに紅茶を淹れるポットをじっと見つめる。メルヴィンはなんてことないようにまた指先を動かして、ティーカップを自分とユノの前にスライドさせた。
「メルヴィンって、魔法が使えるのね…………」
ユノが感心したように呟くと、紅茶に口を付けたメルヴィンは変なものでも見るような目をユノに向けた。
「俺を何だと思ってるんだ。宮廷魔術師だぞ」
「そっか。魔術師を名乗ってるくらいだから使えて当然ね」
「お前は使えないのか?」
メルヴィンが驚いたような顔をしていたから、ユノはどう答えるべきか悩んだ。しかし、メルヴィンに嘘を吐く理由もないと思って正直に答える。
「ええ。使えたら便利でしょうけどね」
苦笑してクッキーを摘む。
メルヴィンは眉を顰めてユノを見つめた。
「……大佐が?魔力のない女を?」
失礼な、とは思ったが、メルヴィンの疑問はもっともだ。実際ユノ自身も何故アルベルトに見初められたのかよくわかっていない。
「きっとあたしが絶世の美女だったからね」
「あの大佐が色仕掛けに屈するわけがないだろ」
「あたしにデレデレなアルベルト様を見たでしょう?」
「むぅ…………」
メルヴィンは顎に手を添えてじっとユノを観察する。まるで珍獣にでも出くわしたような視線にムカッとした。
こんなに美しい女を前にして、メルヴィンは照れるとか見惚れるとか、そういった雄の反応を示さない。ムカつく。
「それで、お前は今日も大佐に会いに来たのか?」
メルヴィンは珍獣の観察を諦めてクッキーをもさもさと食べる。既に半分も胃の中に消えていた。
「いえ。今日はメルヴィンに聞きたいことがあって来たのよ」
本来の目的を思い出したユノは、密談をするようにメルヴィンに顔を寄せた。近付いた分メルヴィンが後ろに下がる。
「ガドラー元帥って知ってる?」
その名前を聞いた瞬間、メルヴィンは露骨に顔を顰めた。
「…………元帥殿がどうかしたか?」
「知っているのね?どんな人か教えてくれない?」
「大佐に聞いたらいいだろ」
「あなたは知りたいことがあったとき、アルベルト様とあたしのどっちに聞く?」
「………………」
メルヴィンは嫌そうな顔をして視線を下げた。テーブルの上のクッキーはメルヴィンによってほとんど消費されている。
買収されたことに気付いたメルヴィンは、深くため息を吐き出した。
「どんなも何も、ただの迷惑オヤジだよ。暑苦しくて強引で声がデカイ」
「見事に悪口しかないわね」
「嫌いだからな。あの人は俺のことをいつまでも子供扱いする」
ケッと吐き出して紅茶を啜るメルヴィン。ここまでふてぶてしいと、いっそのこと清々しい。
「何が好きとか、何が嫌いとかは?」
「さぁな。脳味噌が筋肉でできてる人間のことなんて、俺には理解できない」
「脳筋……」
ユノの脳内で筋骨隆々の男の像が思い描かれていく。メルヴィンの話を聞く限り、ガドラー元帥は武力全振りであまり細かいことは気にしない人なのかもしれない。恐らく多大なる偏見が入っているだろうが。
口元を引き攣らせるユノの前でクッキーを貪り食っていたメルヴィンは、何かを悟ったように瞬きをした。
「ああ。大佐もついにガドラー元帥を躱しきれなくなったのか」
ユノが首を傾げると、メルヴィンは心底同情したような顔をした。
「元帥は大佐のことも自分の子供のように思っているからな。結婚したなんて噂が耳に入ったら、是が非でも相手の顔を見ようとするはずだ。さすがの大佐も、あの暑苦しいバカ上官には折れるしかないだろう」
ついにバカって言ったよこの子。
「へぇ。ガドラー様って親みたいな人なのね」
「まぁ実際、同じガーデンの一族だからな。親類みたいに思っているんだろう」
「ガーデンの一族?」
「知らないのか?元帥はガドラー・ガーデンハイル。大佐のガーデンルヒト家と同じ血脈にある一族だ」
ユノは貴族界の基本情報など知らない。知っているとしたら娼館時代にユノを抱いた貴族達の名前くらいだが、ここに来てから何一つとして役立っていない。
無知も同然のユノにとって、メルヴィンの話は一々興味深いものだった。
何も知らないというユノの顔を見て、メルヴィンも驚いたように目を丸くする。
「魔法も使えないし、ガーデンの一族も知らないって、どんな田舎貴族だよ」
いっそ感心さえしているメルヴィンに、ユノはムスッと唇を尖らせる。
「何よ。そんなに血筋が大事?」
「は」
メルヴィンはかぱっと口を開けた。
しまった。余計なことを言った。ユノは口を閉じたがもう遅い。
間抜けな顔を晒したメルヴィンは、次の瞬間にはクイッと口角を持ち上げた。
「初めてお前と気が合ったな」
メルヴィンの笑った顔を見るのは初めてかもしれない。可愛い顔して可愛くない笑顔だ。
メルヴィンは先程までよりリラックスしたような雰囲気で、クッキーを齧りながらソファーに背中を埋める。
「お前がどういうつもりで元帥のことを聞きに来たのかは知らないが、別に気にするほどの人じゃない。大佐が上手くやるだろう。ただ……」
言葉を切ったメルヴィンは、すっと目を細めて空を睨み付けた。
「ガドラー元帥は大佐のことを、今でも疑っているかもしれない」
重苦しい空気に、ユノは口を開くのを躊躇った。
疑う?何を?
メルヴィンはユノの視線に苦々しく口元を歪め、両手を握り合わせて俯く。
「……俺の口からは詳しく言えない。ただ、もし、元帥の身に何かあったとしたら、俺は真っ先に大佐のことを疑う。そんなことをすれば大佐も今度こそ言い逃れはできないだろうから、大丈夫……だとは思うんだが」
メルヴィンの手は、微かに震えていた。メルヴィンは何かを恐れている。一体何を?
「何……それ。アルベルト様が、ガドラー様を……」
「言うな。それ以上、口にするな」
「………………」
メルヴィンの態度が、ユノに実感を持たせる。
アルベルトは恐ろしい魔王なのだと、深く刷り込まれていく。
本当に?
全部メルヴィンの嘘で、アルベルトはユノの知る温和な優しい人そのままで、メルヴィンこそが大嘘吐きなんじゃないの?メルヴィンのことを信じてもいいの?
ユノの心が現実逃避を始める。そうだ、これは逃避だ。本当はわかっている。メルヴィンの言葉こそが正しいんだって。
メルヴィンは固く握り合わせた手の上に額を当てると、深くため息を吐き出した。
「大佐をどう思うのかはお前の勝手だ。だが、忘れるなよ。あの人に付いたあだ名は、鬼や悪魔では飽き足らず、『魔王』なんだ。この国で『王』なんて呼び名がつくのは、陛下の他には大佐しかいない。それがどういう意味か、よく考えるんだな」
顔を上げたメルヴィンは、恐怖に顔色を悪くしながらも、ユノを案ずるように瞳を揺らしていた。
ユノは困惑しながらも、フッと微笑む。
「メルヴィンも、親代わりのガドラー様に似たのね」
「はぁ?」
「お人好しでお節介。そうでしょう?」
ユノの言葉に、メルヴィンはぽかんと目を丸くした。
そして、嫌そうに唇を曲げながらも、満更でもなさそうに頬を赤く染める。
「誰が……」
なんとなく、メルヴィンは親というものを知らないような気がした。アルベルトもそうだ。エドワードのような、親に愛されて育った者特有のオーラを感じない。
ユノがメルヴィンに感じていたのは、同族嫌悪の念だったのかもしれない。
ユノは自嘲気味に微笑んで、紅茶に口を付けた。
紅茶はすっかり冷めてしまっていた。




