不吉な贈り物・2
それから気味の悪い贈り物は続いた。
朝になるとフェリがさっさと片付けてしまうが、夜更けにユノがお手洗いに部屋を出ると、扉の前にあの麻袋があった。中身は毎度同じく蛇の死骸。ユノが放置すると、朝には何事もなかったかのように片付けられていた。
わけがわからない。
ユノは試しに寝る前、扉の下に手紙を挟んでおいた。手紙の内容は『頭を落としてください』。毎日寝る前にアルベルトから読み書きレッスンを受けていたのが役に立った。こんな文章を書くことになるとは思わなかったけど。
翌日、フェリが来るより先に部屋から首を出すと、あの麻袋があった。恐る恐る中を見ると、蛇の死骸に頭がなかった。
律儀にユノの言う通りにした。嫌がらせが目的ならばそんなことはしないだろう。頭が切り落とされてたら気持ち悪いけど。
ユノは次に、『血抜きをしてください』と手紙を残した。翌日には頭のない血抜きされた蛇が届いた。ユノは調子に乗って『蒲焼きにしてください』と注文を付けた。
そして届いたのは、炭になった蛇だった。
「なんでよっ!」
ユノはご丁寧に皿の上に乗せられていた蛇の燃えカスをむんずと掴み、床に叩きつけてげしげしと踏み付けた。廊下に黒い染みができたが、後でフェリが掃除してくれるだろう。
変な贈り物も気にならなくなってきた頃、ユノはベッドで絵本を広げていた。これくらいの本ならばユノにも読めるだろうと、アルベルトがくれたのだ。
まったくアルベルトにも困ったものだ。ユノを抱かないくせに、毎夜ユノの部屋を訪ねてくるなんて。何もないのが逆にいやらしい。
ユノは読書にも飽きて寝返りを打った。何が悲しくて昔助けたカエルが実は王子様で、しがない田舎娘がお姫様になる話なんか読まなければならないのか。現実はカエルを助ける心優しい娘よりも、狡賢く貴族に媚びを売れる美女の方が幸せになれる。
時刻はまだ昼食前だったが、慣れない読書なんかしたせいでお腹が減った。
何か軽く作らせようと思って、ユノは厨房に向かった。
厨房の前まで行くと、中から何やら言い争う声がした。不審に思って扉に耳を押し当てた瞬間、内側から勢いよく扉が吹き飛んだ。
「どわっ!」
「きゃあっ!」
ユノはぺちょんと押し潰される。
「いてて……」
ユノの上に伸し掛かった赤髪は、自分の下で潰れているユノを見てサッと顔を青ざめさせた。
「わっ、わりぃ!」
パッと立ち上がったのは、エドワードだった。ユノは軽く頭を打ち付けたせいで瞼の裏に星を瞬かせた。
エドワードはおずおずと手を差し出したが、ユノはその手を叩き落として自力で上体を起こした。クラクラする頭を押さえつける。
「だ、大丈夫……ですか?」
渋い顔をするユノの前にエドワードは膝を突き、パタパタと手を彷徨わせる。ユノはキッ!とエドワードを睨み付けた。
「あたしの顔に傷でもできたらどうするのよ!あんた責任とれるの!?」
鬼のような剣幕で怒鳴りつけたユノ。
エドワードは震え上がって額を地面に擦り付けた。
「もっ、申し訳ございませんでしたぁっ!めちゃくちゃ、それはもうすっごく反省してます!」
素直に謝罪するエドワードに、ユノはフンと鼻を鳴らして腕を組む。そうだ、ユノは公爵夫人だ。もっと敬意を払うがいい。
「何してるのよ。早く助け起こしなさい」
手を差し出されるのはムカつくが、手を差し出せと命令するのはいい。やることは同じでも、されるのとさせるのとでは大きな差があった。そういった一つ一つのことで上下関係が決まっていく。
ユノは手を貸せと言ったつもりだった。しかしどうしたことか、エドワードはユノを抱き上げた。
「わっ」
急にふわっとした浮遊感に襲われたユノは、咄嗟にエドワードにしがみつく。エドワードは別段気にした素振りもなく、そっと足からユノを地面の上に立たせた。
「………………」
「?」
ユノはじっとエドワードのそばかす顔を見つめた。女の扱いなんてまるで手慣れていなさそうなのに、ユノを抱き上げる手はしっかりしていた。
狙ってやったのかとも思ったが、エドワードのきょとっとした顔は恐らく天然だろう。なかなか油断ならない男かもしれない。
「あ、あの、奥様。この間は……なんつーか……申し訳ございませんでした」
エドワードは気不味そうにポリポリと頬を掻き、意を決して深く頭を下げる。
「どうして怒ったのか、よくわかんねぇけど…………女を泣かせるなんて、男として最低だ。本当に悪かった、……です」
「………………」
腰を折ったエドワードを、ユノは片目で見下ろす。
エドワードは主人の奥方に不敬を働いたことよりも、ユノという少女を傷付けたとして頭を下げている。
ご機嫌取りでもなんでもなく、人としての倫理観に基づいての行動。
やはり、癪に障る奴だ。
「…………。気にしなくていいって、庭師に伝えたつもりだったけれど」
「俺は気にする」
エドワードの真っ直ぐな瞳に、ユノはたじろいだ。純粋で美しいエドワードの灰色の瞳を見ると、自分がとても汚らわしく思えてしまう。
すっと視線を逸らすと、床の上に見慣れた麻袋が落ちているのが見えた。
ユノはハッとしてエドワードの顔を見る。
「あなただったの?」
まじまじと見つめられたエドワードは、バツが悪そうに目を逸らして後ろ首を掻く。
「あんた様は蛇なんか食うんだろ?もう俺の顔なんて見たくないだろうから、お詫びにと思って……」
ユノはここでようやく、エドワードと蛇が美味しいという話をしたことを思い出した。エドワードの存在を忘れたいと思うあまり、記憶の奥底へと追いやってしまっていた。
「はぁぁぁぁぁ…………」
深くため息を吐き出したユノは、両手で顔を押さえてその場にしゃがみ込んだ。その様子にエドワードも慌てて膝を突く。
「おっ、おい、さっきどっかぶつけたか?」
「ええ……後頭部を打ったわ……」
「えぇっ!?」
エドワードは慌てふためいて、躊躇いがちにそっとユノのストロベリーブロンドの髪に手を伸ばした。しかし、その手が後頭部に触れるより先にユノがパッと顔を上げる。
「よかったぁ。修道女があたしに呪いをかけてたわけじゃないのね」
心の底から安堵してふにゃりと笑うと、エドワードは息を飲んだ。
呆然と魂が抜けたような顔でユノを見つめるエドワードに、ユノはキョトンと小首を傾げ、肩に軽く拳をぶつけた。
「ほんっとに。あんたって信じらんない」
ユノはクスクスと笑いながら立ち上がる。肩を殴られてぐらりと体勢を崩したエドワードは、後ろ手を突きながらボケっとしていたが、ハッと正気を取り戻すと素早く立ち上がった。
「俺は料理なんてからっきしだ。見たろ、あの蒲焼き」
「見事に燃えカスだったわね」
「だから料理長に頼もうとしたんだが、俺にそんなゲテモノ作らせんなーって、殴り返されちまった。……んで、さっきあんたが下敷きに」
なるほど。
ユノは腕組みをしてフンと胸を張った。ちょうど小腹も空いていたところだ。
「網と火鉢を借りてきなさい」
「え?」
「あたしが教えてあげるわ」
「うぅ……俺は血が苦手なのに……」
庭に出たエドワードは芝生の上に膝を突いて、くしゃくしゃに顔を歪めながら体の前で十字を切った。神に祈りを捧げてから、まな板の上の蛇を捌いていく。
ユノは近くのテラスで優雅に紅茶を飲みながら、嫌だ嫌だと泣くエドワードを楽しげに見守っていた。
「男なのに情けない声出してんじゃないわよ」
「んなこと言ったって、苦手なもんは苦手なんだよ……」
エドワードはヒィヒィ言いながらも、落ち着いた手捌きで蛇を開いた。刃物の扱いには慣れているらしい。適度な大きさに切り分けて串を刺し、炭を焚いた火鉢の上に乗せる。
「いい?タイミングが肝心なのよ」
「うす」
「返事はイエッサーよ」
「イエッサー!」
ノリのいいエドワードに、ユノはクスクスと笑みを漏らす。
エドワードは気に食わないところもあるが、ここに来てから一番話しやすい相手なのも確かだ。適度にフランクで適度に従順なのがいい。情報収集を抜きにすれば、雑談相手として最適だ。
一人くらいそういう無駄な存在がいてもいいだろう。どうせアルベルトのことに関して口を割らないんだったら、楽しくおしゃべりをした方が有益だ。
蛇はじゅうじゅうと香ばしい煙を上げる。
ユノは頬杖を突きながらエドワードを見下ろして、ふとその足元に目を止めた。相変わらずエドワードは女物のようなピンヒールのブーツを履いている。
「ねぇ。どうしてそんなブーツ履いてるの?」
「ん?」
エドワードは何気なく自分のブーツを見下ろした。
「ああ、これな。俺は床を汚すからってじっちゃんが。面積が少なけりゃ泥もそんなつかないだろ?」
あっけらかんと言うエドワードに苦笑する。
「女物みたいよ、それ。背を高く見せたいのかと思った」
「いーんだよ。庭師には外見なんか関係ないからな」
ぶっきらぼうに言ってから、エドワードはハッとして眉を困らせた。
「…………わりぃ」
「は?なんで謝るのよ?」
「……だって、外見とか……。あんたがどうこうってわけじゃ……」
思い詰めたように唇を引き結んで黙々と蒲焼きを返し始めたエドワード。その様子から、どうやらユノが娼婦だったのを気にしているのだと察した。
ガサツなのか気にしいなのか。
ユノはフンと鼻を鳴らして足を組んだ。
「あたしは確かに苦労してきたわ。酷いこともされたし、酷いこともした。生きるために必死だった。
でも見て、これがその結果よ。こんな綺麗なドレスを着て、こんな高価な指輪もしてる。あんたみたいなのを顎で使ってるのよ。これのどこが不幸に見えるの?あたしの方があんたより絶対に幸せよ」
ユノは自慢気に腕を広げ、嘲るように顎を逸らした。
その姿を見て、エドワードは悲痛に顔を歪めた。
「他人とどっちの方が幸せかなんて、比べる必要ないだろ」
「は?」
エドワードはユノと向き直ると、真っ直ぐなグレーの瞳でユノを見上げた。
「俺はじっちゃんの跡を継いで立派な庭師になりたい。じっちゃんを安心させてやりたいんだ。それが俺のなりたい姿で、俺の幸せだ。あんたの幸せと形が違うのは当然だろ?俺とあんたは違う」
「………………」
「あんたは今、本当に幸せなのか?綺麗な服着てアクセサリーつけて、アルベルト公爵様の伴侶になることがあんたのなりたい姿か?」
エドワードの言っている意味がわからない。
わかりたく、ない。
「…………当たり前じゃない。あたしは幸せよ。これがあたしのなりたい姿。ずっと追い求めてきた姿なの」
ユノは無意識に左肩を撫でていた。心臓がドクドクと早鐘を打つ。
エドワードは曇りのないグレーの瞳でじっとユノを見つめて、次にはニカッと白い歯を見せて笑った。
「ならいい。よかったな」
含みもなく本心からそう口にするエドワードに、ユノは背筋をむず痒くさせた。
「…………あんたってバカなのね」
「はぁ?」
エドワードは笑いながら蒲焼きを返した。面倒くさいと言いつつ甲斐甲斐しい。
ユノは頬杖を突いてカップの中の紅茶に目を落とす。水面に映った少女は、痛々しく見えた。
炭にされる前に引き上げさせて、料理長から貰ったタレを塗った。ジュワッと香ばしく跳ねさせる蒲焼きに、エドワードはゴクリと唾を飲み込んだ。
「蛇なんだよな、これ……。なんか美味そうに見えてきた……」
「美味しいって言ってるじゃない。あんたも食べなさい」
向かい側の席に座るよう促すと、エドワードは躊躇する素振りを見せたが、「命令よ」とユノが言うと諦めたように腰掛けた。
「旦那様に殺されねぇかなぁ…………」
「テラスに座ったくらいで怒るの?」
「そりゃあ、旦那様は……」
エドワードは言いかけて、ハッとして口を押さえてユノを睨んだ。
「その手には引っかかんねーぞ」
「ふん。アルベルト様に告げ口するなら、蛇の死骸送り付け事件とどっちの方がいいかしらね〜?」
「ぐぬぬ……やっぱ嫌な女だ……」
白旗を上げたエドワードは、憤りをぶつけるようにパクッと蛇の蒲焼きに齧り付いた。目をくわっと見開いて顔を上げる。
「なんだこれ。意外とイケる」
「でしょ?」
得意気に笑ってユノも齧り付く。肉質で歯応えがあり、パリッと焼けた皮が香ばしい。
「顔を合わせた瞬間だった」
エドワードが何の脈絡もなく口にした。
もごもごと口を動かしながら顔を見つめて続きを待つと、エドワードは俯いたまま呟く。
「前の主人が亡くなってから、紹介状を頂いてアルベルト様の屋敷に奉公することになったんだ。お噂は兼々耳にしていたが、旦那様は俺の顔を見た瞬間、視界から消えろって…………」
「………………」
「旦那様は他人の存在を受け入れられないんだよ。誰のことも信じてなくて、敵だと思ってて、常に気を張ってる」
エドワードは深く傷付いたような顔で笑って、ユノの瞳を見た。
「あんたは一体どうやってあの旦那様に気に入られたんだ?本当に…………あんたをすごいって思う」
冗談やお世話、ましてや嫌味や皮肉でもなく、エドワードは純粋にユノをすごいと言った。
ユノはエドワードから目を逸らして、蛇を齧った。
「………………もしかしたら、あたしとアルベルト様は似てるのかも」
「え?」
柔らかな風が吹いて、ユノのストロベリーブロンドの髪とエドワードの赤毛が揺れる。
ユノの髪は手触りのいいふわふわの毛並みをしているのに、まるで自身を守る鋼の鎧のようにユノの小さな肩を包んでいる。
気高くて美しい娼婦の少女。
しかし、ユノにも赤い血が流れている。
ユノは左肩を撫でてから、パッと明るく笑ってエドワードを見た。
「あたしは娼婦だもの。どんな男だって落としてみせるんだから」
エドワードはユノの笑顔に違和感を覚えたが、気の所為だと思って微笑み返した。
「今更働きやすい環境なんざ望んじゃいねえけど、クビにだけはしてくれるなよ?いやマジでお願いします」
「それはエドの誠意次第じゃないかしら?」
「ぐあー……ちゃんと敬語マスターしよ……」
二人は残さず蛇の蒲焼きを食べた。




