突撃☆お仕事現場・3
艶やかな黒髪に、血のような赤い瞳。
間違いなくアルベルトその人だ。
ピシッと背筋を伸ばして立ったメルヴィンに対し、ユノはサッとその背に隠れた。帝国に仕える者と掃溜めで育った娼婦の悲しきさがである。
アルベルトは双眸にメルヴィンを映すと、パッと顔を明るくして両腕を広げた。
「メルヴィー!これはお久しぶりです。ハグをしてもよろしいですか?」
どこかの金髪碧眼男と同じようなことを言うアルベルト。
「いっ、いえっ。遠慮させていただきます……」
メルヴィンはダラダラと冷や汗を流しながら声を裏返させた。
誰に対しても態度を変えないのではなかったのか。
背中に隠れていたユノは、メルヴィンに白い目を向けた。
「おや。そちらにいるのはユノですか?」
ギクッ!ユノは肩を跳ねさせる。
「まさか私はユノに会いたいがあまり、幻覚を見ているのでしょうか……」
アルベルトは嘆くように額を押さえ、深くため息を吐き出した。メルヴィンがユノの背中をどつく。ユノはメルヴィンの足を踏んだ。
「……た、大佐。ご結婚されたという噂は本当だったんですね?」
メルヴィンが尋ねると、アルベルトはニッコリと笑った。
「はい。私にもようやく、愛というものの尊さを理解することが出来ました」
その返答は、いつものアルベルトと何ら変わりないものだった。ユノは勇気を振り絞ってアルベルトの前に姿を現す。
「アルベルト様…………」
上目遣いにアルベルトの顔色を窺う。
アルベルトはユノを見て、花が咲いたような笑顔を浮かべた。
「会いたかったです、ユノ」
アルベルトはユノの腕を引くと、ぎゅっと自分の腕の中に閉じ込めた。メルヴィンは驚愕に目を見開く。
その様子を見ていたアルベルトは、フッと妖艶に微笑んだ。
「これは私のものです。メルヴィーにはあげられません」
「!」
メルヴィンの瞳がさらに丸くなる。
ユノは恐怖で早くなっている鼓動を聞かれたくなくて、アルベルトの胸を押し返した。
「も、もうっ、アルベルト様ったら。人前ですよっ」
恥ずかしがる素振りを見せてアルベルトから距離を取る。
これが本当に魔王と恐れられている人?
ユノの胸に疑惑が浮かぶ。しかしメルヴィンの怯え方は尋常ではない。先程までのユノに対する不遜な態度が嘘みたいに、今ではすっかり小さくなっている。心做しか丸い帽子が大きくなった気さえする。
「どうしてユノがこちらに?」
アルベルトは自然な手付きでユノの頭を撫でた。思考を乱そうとしているのではとユノは深読みした。一度疑い始めると、アルベルトの一挙手一投足が怪しく見える。
「ええ……。あたし、どうしてもアルベルト様のお顔が見たくって」
ハンカチーフの件とどっちを出そうか迷ったが、ユノは一か八か自分の価値を試してみることにした。メルヴィンが『馬鹿か』と視線でうったえる。いざってときは助けてください。
アルベルトはキョトンと赤い目を丸くしてから、ゆるりと頬を緩めてユノを抱きしめた。
「私のユノは何と嬉しいことを言ってくださるのでしょう。私も早く貴女の顔を見たいと思っていました」
「アルベルト様……!」
ユノは飛び跳ねるようにアルベルトに抱きついた。よかった。地雷踏まなかった……。
チラッとメルヴィンに目を向けると、メルヴィンは信じられない光景を目の当たりにしたというように硬直していた。
「こちらまでメルヴィーが案内してくださったのですか?」
アルベルトの視線がメルヴィンに向く。ユノは一瞬迷ってから口を挟んだ。
「そうなんです。あと、アルベルト様のご友人だというレグ様にも、大変よくしていただきました」
「レグ……?」
ぱちぱちとアルベルトは瞬きをする。何か変なことを言っただろうか。
アルベルトは困惑するユノの腰を抱きながら、クスクスと可笑しそうに笑った。
「なるほど……フフッ。そうでしたか」
ユノはメルヴィンにも目を向けたが、肩を竦められただけだった。
「礼を言いますよ、メルヴィー。私の妻がご迷惑をお掛けしました」
「いえ……」
アルベルトに微笑まれると、メルヴィンはポッと頬を赤くして顔を俯かせた。
メルヴィンはアルベルトが怖いというより、アルベルトに嫌われること、見限られることを恐れているのではないか。ユノは目を細めた。
「わざわざこちらに出向いているということは、何か用があったのでは?」
「はい。元帥殿が資料を持ってこいとうるさくて」
メルヴィンは分厚い資料をパシッと叩いた。アルベルトは同情するように苦笑する。
「元帥は我々のことを未だに子供だと思っておいでですからね。元気な姿を見て安心したいのでしょう」
「俺の仕事ではないんですけどね…………。それでは、この辺りで失礼します」
「ええ。グリーンピースも残さず食べるんですよ」
「それはもう克服しましたッ!」
カッと顔を赤くして叫んでから、メルヴィンは逃げるように去っていった。
残されたアルベルトは愉快そうにハハハと笑う。
アルベルトもレグもメルヴィンのことをおもちゃだと思っているのではないか。ユノはメルヴィンを哀れに思った。
しかし、メルヴィンは会いに行っても歓迎されないと言っていたが、そんなことはなかった。相手がメルヴィンだからか、ユノがいたからかはわからない。ユノは何を信じればいいのか頭が痛くなってきた。
アルベルトはユノに目を向けると、ニコニコと笑った。
「さて。もう仕事も終わりましたし、屋敷に帰るとしましょうか」
ぎゅっとユノの手を握って、アルベルトは軽い足取りで歩き始める。
その背中に、躊躇いがちに声を掛ける者がいた。
「あ、あの…………」
「ユノ、今日の夕食は何が召し上がりたいですか?」
「あのっ、アルベルト大佐……」
「………………」
ユノは困惑しながらアルベルトと背後の男とを交互に見比べた。兵士の格好をした男は、泣きそうな顔でユノに助けを求めている。
仕方ないといった様子で足を止めたアルベルトは、スっと瞳を鋭くして振り返った。
「一体何の用ですか?」
男はヒッと悲鳴を上げてから、おずおずと書類を差し出す。
「急ぎ確認していただきたいと、フォード隊長から……」
「………………」
アルベルトは書類を受け取って目を走らせると、ニコッと笑って突き返した。
「認可出来ません」
「えっ」
話は終わりだとアルベルトは踵を返す。男は慌てて食い下がった。
「お待ちくださいっ!い、一体どこに不備が…………」
アルベルトは笑顔で振り返る。後ろで一つに束ねた黒髪がさらりと揺れた。
「不備だらけです。私の口から一つ一つ説明しなければいけませんか?」
笑顔の圧力に圧されて、男は押し黙った。
横で見ていたユノも、自分に向けられているわけでもないのにアルベルトの笑顔からプレッシャーを感じて身を竦めた。
「この程度であればサジ君に任せて平気でしょう。彼ならまだ部屋に残っているので、そちらで確認してください」
アルベルトは穏やかにニッコリと笑っている。それなのに何故か、背後にドス黒いオーラが見えた。
同じ幻覚を見ていた男は怯えた様子で深く頭を下げ、一目散に逃げていった。角を曲がる際に転んで、慌てて立ち上がって駆け出す。
何が起こったのか、ユノにはよくわからなかった。
アルベルトは終始笑顔を浮かべ、丁寧な言葉遣いをしていた。特別おかしいことなどなにもなかった。それにも関わらず、上から押し潰されるようなプレッシャーを感じた。
息が詰まるような空気の鋭さ。
ざわりと心臓を直接愛撫されたかのような悍ましさ。
わからない。けれど本能が警鐘を鳴らしていた。
この男は、何かが違う。
「ユノ」
アルベルトはユノを見下ろして、ニッコリと笑った。
「夕食は何が召し上がりたいですか?」
先程までの威圧感は消えて、アルベルトはほわっとした空気を纏っていた。ユノの知るいつものアルベルトだ。
ユノは唇が引き攣らないよう注意しながら微笑み返す。
「…………アルベルト様は、何の気分ですか?」
「私ですか?そうですね……。強いて言うならば肉がいいですかね」
「私もです」
ユノはアルベルトの腕に抱きついて頬を寄せた。表情を作れそうにないから、悟られないよう見えない位置に傾ける。
漠然とした恐怖に囚われていた。漠然としている。ユノはアルベルトの奥底に眠る獣の影しか見ていない。しかしその影は大きく、獣本体の大きさも窺い知れた。噛み付かれたらひとたまりもない。
何をしたらアルベルトの逆鱗に触れるのか、これから見極めながら生活していかなければならない。もしアルベルトに捨てられたらユノに次はないような気がした。死よりも惨い仕打ちを受けるような予感に、ぶるりと身震いする。
「どうしましたか?」
アルベルトはユノを見下ろして優しく微笑む。
この全幅の信頼が潰えたとき、ユノの身も破滅するのではないか。
娼館の主人があの日ユノを急かしたのは、アルベルトが怖かったからだ。アルベルトが公爵だからでも大金を積んだからでもなく、魔王と囁かれている軍人だと知っていたからユノを売った。
娼館の主人にとってアルベルトは、ユノを手放してでもお帰り願いたい相手だったのだろう。
「いえ……。急に押しかけてご迷惑ではありませんでしたか?」
「まさか。予想外に貴女と会えて嬉しいですよ」
ニッコリ笑顔が返ってくる。
アルベルトはユノに好き放題させてくれる。
ハグをすれば喜ばれるし、手紙を書けば感動される。無断で職場まで会いに行っても歓迎される。床を共にしていないことを除けば、至って順調な結婚生活だ。
ユノは表情筋を引き攣らせながらも、ニヤリと口元に笑みを浮かべた。
大丈夫。あたしなら絶対に乗りこなしてみせる。むしろ乗りこなせなければすべてが終わりだ。
リスクは果てしなく大きいが、アルベルトを陥落できたとき、ユノは大きくステップアップできる。悪名名高い冷血軍人のアルベルトを攻略できれば、もう何も怖いものなどない。アルベルトに比べたら王族を騙すくらいわけないだろう。
いいわよ。魔王上等じゃない。
ユノは左肩を撫でて、胸に強い炎を燃やした。
この先に待つのは間違いなく、ユノの勝利だと信じて……。




