突撃☆お仕事現場・1
エルキデ帝国軍本部の正面入口には、大きな門が聳えていた。その脇には鎧を着た兵士が二人、槍を構えて佇んでいる。厳重な管理体制の下にある帝国軍本部は、そこにあるだけで多大な威圧感を与えていた。
あまりの迫力にユノは気後れしたが、きゅっと目を吊り上げて馬車を降りた。
「ご機嫌麗しゅう」
優雅にドレスの裾を持ち上げて挨拶すると、兵士はポッと顔を赤くしてユノに目を奪われた。その反応にユノは気分を良くし、幾人もの男達を魅了してきた微笑みを向けてやる。
「これは美しいお嬢さん。こちらに一体何用で?」
「アルベルト様に取り次いでもらえないかしら?」
ユノの姿に見惚れていた兵士達は、アルベルトの名前を聞いた瞬間、顔色を悪くした。
「が、ガーデンルヒト大佐に……?」
「まっ、まさか貴女様は、ガーデンルヒト大佐の奥方様ですか……!?」
「ええ……まぁ……」
まるで悪魔にでも遭ったかのような顔で恐れ慄いた兵士二人は、ユノに隠れてヒソヒソと話し合う。
「大佐がご結婚なされたという噂は本当だったのか……!」
「ど、どうするんだよ。大佐のご婦人に粗相をしでかしたら、俺らの命はないぞ」
「しかしだな、いくら大佐の奥様でも部外者を中に入れるわけにはいかないだろ」
話し合いを終えた兵士二人はユノに向き直ると、ダラダラと冷や汗を流しながら不自然な愛想笑いを顔に貼り付けた。
「…………ご婦人。申し訳ありませんが、規則により中に入れるわけには……」
「そうよね。規則だものね。後でアルベルト様にもそう言っておくわ。見張りの兵士があたしを追い返したって」
「おおおお待ちください奥様……!」
慌てふためいた兵士は、ユノの機嫌をとるように腰を低くしてヘラヘラと笑う。顔は真っ青だ。
「私共もできることなら奥様にご協力したい所ですが、こればっかりは本当に、私共の一存ではなんともいかないところでして……!」
「どうか、どうかご容赦ください!ガーデンルヒト大佐にだけはご勘弁を……!」
泣きそうな顔で命乞いをする兵士に、ユノは呆れを通り越して感心さえしていた。
アルベルトの名前を聞いただけでこれだ。ユノの知る穏やかなアルベルトなら部下から慕われていてもおかしくはないのに、兵士達は恐怖に慄いて神に祈りを捧げている。
ユノは胸をモヤモヤとさせたが、これ以上押し問答を続けても兵士達は門を通してくれないだろう。諦めて門の周りを歩くことにした。
王宮と隣接しているだけあって警備は厳重だ。宮殿の周りにはぐるりと塀が建てられ、中の様子はまるで窺えない。とてもよじ登れるような高さではなく、ユノは肩を落とした。
「お嬢さん」
背後から声を掛けられて振り返る。
相手は若い男で、金色の髪に蒼い瞳をしていた。動きやすそうなラフな格好だが、生地は上質なものであると見て取れる。そこそこの名家の軍人だろうか。
男は人懐っこい笑みを浮かべた。
「さっきチラッと聞こえたんだけど、君ってアルベルト大佐の奥さんなのかい?」
ユノは警戒しながらも頷く。
「……はい。ユノと申します」
「ユノ!可愛い名前だね。僕はレグ。以後お見知りおきを」
レグと名乗った金髪碧眼の男は、恭しくユノの手を取ると、その甲に口付けを落とした。戸惑うユノに、レグはカラッと笑う。
「アルに会いに来たんでしょう?案内してあげるよ」
レグはユノの手を引いて、鼻歌交じりに歩き出す。……門とは反対方向に。
「あ、あの、レグ様……」
一体どこに連れて行かれるのか気が気ではない。もしや変質者に目を付けられてしまったのではと焦り始めたユノに、レグは少年のような笑顔を向ける。
「様はいらないって。敬語もナシナシ。アルは僕の友人なんだからね。その奥さんとも、僕はフランクな関係になりたいな」
「はぁ……?」
あっけらかんと笑うレグに毒気を抜かれ、気の抜けた返事をしてしまう。レグに何か裏があるようには見えない。
そもそも、名前を出しただけで恐れられるアルベルトの友人を名乗るだなんて、嘘だとしたら随分と命知らずだ。ここに来て初めてアルベルトに対して恐怖以外の感情を向ける存在に、ユノは興味を引かれた。
「んー。この辺かな」
門が見えなくなる場所まで歩いてきたレグは、塀を見上げて何かを確認すると、おもむろに塀に手を当てた。
すると、何の変哲もなかった石造りの塀に紋章が浮かび上がり、人一人分が潜れる門が出現した。
ギョッと目を剥くユノに、レグは「どうぞ」と促す。二人が潜ると、門は音もなく消えてただの塀に戻った。
「一体どうなっているの?」
興奮気味にユノが尋ねる。レグは敬語が抜けたことに満足気に微笑んだ。
「ここは色んな魔法が張り巡らされている特殊な場所なんだ。防衛も勿論だけど、いざって時に逃げられなくても困るだろう?」
「へぇ……。王都ってすごいのね」
「誰にも言ってはいけないよ」
「秘密なのね?」
唇に人差し指を添えて微笑むと、レグも人差し指を立ててシーと笑った。人懐こい男だ。ユノは秘密にすると約束した。
レグは秘密の抜け道を使ってあっという間に本部の中に入った。
中は交差ヴォールトの高い天井に、磨き上げられた石の床が広がっていた。廊下にはどこからともなく足音が響き、緊張感が漂っている。
場違い感にユノが身を竦めると、レグはポンと肩を叩いた。
「楽しい冒険はここからだよ」
正面玄関を通らなかった時点で予想はしていたが、二人はコソコソと隠れながら移動していた。
柱の影に隠れて通行人がいなくなるのを待ちながら、ユノはレグの裾を引いた。
「どうしてレグも隠れているの?」
「サボりだからね。見つかったら怒られちゃうんだ」
「まぁ」
「よし、行ったみたいだ。こっちだよ」
ちょこちょこと柱の影を縫うように移動する。
レグはユノよりも年上であるはずなのに、まるで子供のようにウキウキとはしゃいでいた。あまり軍人っぽくない。
ユノはじっとレグを見つめた。視線に気付いたのか、レグが振り向く。レグはパッと笑顔を浮かべた。
「新婚生活はどう?アルにいじめられてない?」
「とんでもない。アルベルト様はとてもお優しい方よ」
「はは。さすがのあいつも、好きな子には甘いんだな」
ニヤニヤと笑うレグの口振りからして、二人は親しい関係にあるのだろう。ようやくアルベルトについて有益な情報が得られるかもしれない。あわよくばレグと親しくなって、人脈作りに役立てよう。
「レグから見て、アルベルト様はどういう人なの?」
屋敷の誰に聞いても曖昧にはぐらかされてしまう質問を口にする。ドキドキと心臓を跳ねさせながら言葉を待っていると、少し唸ってからレグは言った。
「完璧主義者……かな。僕とアルは同じアカデミー出身なんだけど、アルは昔っから優秀でね。何をやらせても大人顔負けだったよ」
求めていた趣旨とは少し逸れていたため、ユノは曖昧に笑った。アルベルトが優秀な人間であることは見てればわかる。
「もっと率直な意見を聞かせてくれないかしら?」
ユノはレグを上目遣いに見つめて、さりげなく腕に触れた。レグは蒼い瞳を丸くする。満更でもないという反応だ。ユノは一歩距離を詰めた。
「んー…………。取り立てて僕が話すようなことはないかな。残念ながら、アルには恥ずかしエピソードもないんだ。真面目すぎるのも考えものだよ」
レグはユノから一歩離れると、降参するように両手を挙げて肩を竦めた。少し攻めすぎただろうか。ユノは空気を変えるために明るく笑ってみせた。
「そうね。アルベルト様には隙がなくって、時々不安になるの」
ため息混じりに呟くと、レグも同意する。
「優秀すぎるが故に、早いうちから大人にさせられてしまったからね。アルは鎧の脱ぎ方を知らないんだ。ユノの前でもそうなの?」
「ええ。いっつもニコニコしてて、まるで心を見せてくれないわ」
「あー、あれね。いつからか処世術の一環として始めたんだけど、笑顔なのが逆に怖いよね。だから変なあだ名付けられるんだよ」
「変なあだ名?」
「聞いたことない?あいつ……」
「何してんだ?」
二人はハッとして声のした方に目を向けた。廊下の真ん中に、白いローブを着た少年が立っていた。
少年はレグよりもずっと若く、あどけなさの残る輪郭をしていた。黒い髪の上には、ローブと同じ金の刺繍が施されたふっくらと丸い帽子が乗っている。
少年は愛らしい顔をこれでもかと歪めて、壁に張り付いていた二人を不審なものでも見るかのような目でジトっと睨んでいた。
心臓をバクバクと跳ねさせるユノに対し、レグはパァっと顔を輝かせて両手を広げ、少年に歩み寄る。
「メルヴィー!君が出歩いているなんて珍しいじゃないか!ハグさせておくれ」
テンションの高いレグに、少年は瞳の温度を下げて心底嫌そうな顔をした。
「その呼び方はやめろって言っただろ!言っとくけどな、お前が知らないだけで俺はちゃんと外にも出るし仕事もしてる。お前に構ってる暇なんてないんだよ」
少年はフンと鼻を鳴らして抱えていた分厚い書類を持ち直す。その様子にレグは唇を尖らせたが、思い出したようにユノの背を押した。
「そうだメルヴィー、紹介するよ。彼女はユノ。アルの奥さんだ。どうだい可愛いだろう」
我が物顔で自慢するレグに、ユノと少年は揃って目を向けた。瞳に浮かんだ感情は、ユノは困惑であり、少年は軽蔑である。
「…………アルベルト大佐の?」
レグに対して言いたい言葉をぐっと飲み込んだ少年は、ユノの存在に今気が付いたように、ジロジロと上から下までを見下ろした。
「いや嘘だろ。大佐がこんな頭の悪そうな女を気に入るはずがない」
バッサリと切り捨てられた。
聞き捨てならない言葉にレグはムッと頬を膨らませたが、レグより先にユノが憤慨した。
「いきなり失礼ね。あたしのどこが頭悪そうに見えるっていうのよ」
相手の地位もわからないのに反撃するなんて愚行だとはわかっていたが、様々な手練手管を用いて男を魅了してきた高級娼婦としてのプライドが許さなかった。
ユノが反論してくるとは思わなかったのか、少年は驚いたように目を見張った。しかしすぐさまきゅっと目を吊り上げる。
「まず顔が下品だろ。男を手玉に取ることしか考えてないって顔だ。それに負けん気も強いみたいだな。いいとこナシじゃん」
「なによ!……まぁ、あたしの魅力はボウヤにはまだわからないかしらね?」
「誰がボウヤだ!お前みたいな女に大佐の妻なんて務まりっこないな」
「見る目がないのね。アルベルト様はあたしのことを大層気に入ってくださっているわ」
「嘘つくな」
「嘘じゃないわよ」
バチバチと火花を散らす。
お互い本能的に察知していた。
コイツ、嫌いだ。
剣呑な雰囲気で睨み合う二人の間に、慌ててレグが割って入る。
「どうどうどう。落ち着けメルヴィー」
「俺はメルヴィンだ!いつまでも子供扱いするな!」
「わかったわかった」
レグは少年を宥めすかすと、改めてユノに紹介した。
「彼はメルヴィン。この若さで宮廷魔術師をしている優秀な男だ」
メルヴィンと紹介された少年は、自慢気に顎をしゃくった。その様子をレグはにこやかに見守りながら、ユノにだけ聞こえるように声を潜めて「ちょっと反抗期だけどね」と付け足す。
「聞こえているぞ」
レグはペロッと舌を出した。
メルヴィンは怒る気も失せたのか、肩を竦めるとジト目でレグを睨み付けた。
「それで、お前は大佐の偽嫁と何を遊んでいるんだ。さっきセバスが血眼になってお前を探していたぞ」
「おや、それは大変だ。そろそろセバスの目から本当に出血するやもしれん。しかし困ったな。ユノをアルの元に届けるというミッションをまだ達成していない」
「部外者だろ。追い返せよ」
「これはいいところにいたねメルヴィン。僕の代わりにユノを」
「断る」
メルヴィンはレグの言葉を遮ってピシャリと言い放つ。しかし、レグはにこやかに笑ってピシッと指を突き付けた。
「命令だ、メルヴィン」
「!」
メルヴィンの瞳が大きく見開かれる。そして次には半分閉じられて、ぎゅぅっと眉が寄せられた。
「…………職権乱用だ」
「そうだね。でも、君のためを思ってのことでもあるんだよ」
「俺のため?」
レグの言葉に、メルヴィンは訝しるように片眉を跳ねさせた。
「メルヴィン、君はまだ子供だ。だから子供のままでいい。誰でもいつかは大人になれるが、子供に戻ることは誰にもできないからね」
メルヴィンは『子供』という単語に顔を顰めたが、先程までとは打って変わって『大人』の顔をするレグに、言い返すのを躊躇った。
押し黙ったメルヴィンに、レグは深い慈愛に満ちた笑顔を向ける。
「君が大人の中にあって自らの地位を保持しようと必死にもがいていることは、ちゃんとわかっている。でもね、自分の本当の気持ちを履き違えてはならない。早く大人になりたいというのなら、まずは素直になるところから始めたまえ」
おちゃらけた雰囲気を消したレグには、まるで民を導く王のような風格があった。まさかね、とユノはその想像を打ち消す。
メルヴィンの沈黙を了承と受け取ったレグは、満足気に腰に手を当てた。そしてユノに向き直ると、申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんね、ユノ。最後まで送り届けることができなくて」
成り行きを見守っていたユノは、すぐに微笑みを返した。
「いいえ。ここまで連れてきてくれてありがとう、レグ。あなたに会えてよかった」
人脈が一つ増えればあとは芋づる式だ。アルベルトと親しいみたいだし、いっちょ盛大に釣り上げてやろう。
「僕も君に会えてよかったよ。できればアルが奥さんを前にしたときの反応が見たかったなぁ。あー惜しい。非常に惜しい」
レグは本気で悔しそうに拳を握り締めた。美形で位も高いようだが、こういうところが残念だ。
「ああそうだ。ユノにこれをあげるよ」
葛藤を断ち切ったレグは、懐から短剣を出してユノに渡した。何気なく受け取った短剣を見て、メルヴィンがギョッと目を剥く。
「ちょっ。そんなもん譲って大丈夫なのか?」
銀で作られた短剣は、ずっしりとユノの手の中に沈んだ。
柄には細かい細工が施されており、鞘にはエルキデ帝国の紋章が刻まれている。武具の類には詳しくないユノでも、この短剣の価値は窺い知れた。
レグは後腐れなくニッコリと笑う。
「このご婦人は丸腰でエルキデ帝国軍の本部に乗り込んだんだよ。その気概を僕らも買うべきだ」
レグはユノの手を掴んで短剣を握らせると、ふっと小さく微笑んだ。
「また遊びにおいで。その短剣を持っている者は僕の友人としてここに入れるよう手配しておくよ」
透き通るような蒼い瞳に圧されて、ユノは何も言えずに短剣を握り締めた。レグはその様子に満足そうに微笑んで、「後は任せたよ、メルヴィン」と彼の肩を叩き、二人に背を向けた。
最後までレグのペースに飲まれてしまったユノは、廊下の角を曲がって消えたレグの背を呆然と見つめながら呟く。
「…………なんなの、あの人」
同じくレグの背を見つめていたメルヴィンは、感情を押し殺すようにため息を吐き出した。
「変人だな」
ユノは心の中で同意した。