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優しい旦那様に付き纏う噂

上から押し潰されるような空気の重さに、ユノは自然と身を竦めた。


アルベルトに連れられて、ユノはレストランを訪れた。王都に来てから初めての外出に、少なからずユノは浮かれていた。


己の美貌に絶大な自信を持つユノは、人前に姿を晒すことに喜びさえ感じていた。アクセサリーにアルベルトを付けていることも、ユノの鼻を高くした。


アルベルトは爵位を持っていることもそうだが、ユノの隣に並ぶに相応しい容姿をしている。ユノとアルベルトの組み合わせは完璧だ。多くの人々から羨望の眼差しを受けるに違いない。


…………と、思っていたのだが。


レストラン内は薄暗く、間接照明によって個々のテーブルがぼんやりと照らされていた。テーブルの傍に寄せられた壁は水槽になっており、ライトアップされた水の中を鮮やかな色の魚が泳いでいる。まるで深海にいるようだ。


そんな雰囲気のいいレストランの中にあって、ユノはすっかり肩身を狭くしていた。


周りの貴族達に比べてユノの容姿が劣っているとか、身なりがみすぼらしいとか、そういったことは微塵もない。ないのだか、先程からずっとヒソヒソと何事かを囁かれている。


悪意とはまた違うのが気になるが、とにかくそういった視線に晒されて、ユノは顔を赤くした。貴族達の視線はユノから自信を奪い、堂々と振る舞うことをできなくさせた。ユノはそんな自分を恥じた。


「お気に召しませんでしたか?」


ユノが魚料理をちびちびと口に運んでいると、アルベルトは相変わらずのいい笑顔で尋ねた。


「いえ…………。少し、気になってしまって」


躊躇いがちに口にする。恐らくだが、陰口を囁かれているのはユノではなく、アルベルトだ。耳を澄ましても会話の内容までは聞き取れないが、好意的ではないのは間違いない。向けられる視線が雄弁に物語っている。


赤眼の魔術師。


ユノは以前に聞いていた噂を思い出していた。


現在は乱世の時代だ。力の強いものが持ち上げられる。そんな世の中で、アルベルトのような悪魔の如き魔力を持つ者は重宝されるだろう。それと同時に、強い畏怖の念を向けられるのも避けられないことだ。


まるで周囲からの視線など感じていないかのような顔で笑っていたアルベルトは、萎縮するユノの眼差しから何かを察したのか、悲しげに眉を垂らした。


「あぁ……。これは配慮が足らず申し訳ありません。生きた魚を眺めながら魚をいただくのは、心優しいユノには辛いことでしたね」


そっちじゃねぇだろ。


ユノは奥歯で魚をすり潰して苦笑する。言われるまで気付きもしなかった。


「いえ、それは全然。生き物の命の尊さを、より噛み締めることができますから」


「さすが私のユノです。素晴らしい」


褒め方が雑すぎないだろうか。


ユノは周囲に目を向けてから、アルベルトに顔を寄せて口元を手で隠した。「内緒話ですか?」と、アルベルトは楽しそうにユノに顔を寄せる。この男は鈍感なのかわざとやっているのかわからないのがイラっとする。


「先程から注目を浴びている気がするのですが、もしやアルベルト様が赤眼の魔術師だからですか?」


「!」


回りくどい言い方をするのも馬鹿らしくなって、ユノはストレートに尋ねた。


アルベルトは驚いたように軽く目を見張った。


「ご存知だったのですか?」


「ええ……まぁ……。風の噂で小耳に挟んだ程度ですが……」


アルベルトの反応を見ると、迂闊に口にするべきではなかったと後悔した。


魔法は貴族の世界の法だ。ユノの生きていた世界には存在しない。噂なんて当然聞きもしなかった。


ユノは貴族の世界に来てから赤眼の魔術師のことを聞いた。鈍感なようで察しのいいアルベルトは、フェリから聞いたことに気付いてしまうかもしれない。


余計なことを奥方に告げ口したとしてフェリが処罰を受けたら、ますます口を割らなくなるだろう。気性が穏やかなアルベルトに限ってないと思うが、屋敷から追い出されてしまう可能性だってゼロではない。ユノにはとにかく情報が必要だ。今フェリを失うのは得策ではない。


内心ハラハラしながらアルベルトの言葉を待っていると、アルベルトは愛おしむように目を細めてユノを見つめた。


「私が赤眼の魔術師だと知りながら、貴女は私と目を合わせてくださるのですね」


心底嬉しそうに笑うアルベルトに、ユノは気を削がれてしまった。


二人の視線が絡み合う。

ユノの薬指にはまった真紅の宝石と同じ色をした瞳は、ユノを映して赤々と燃え盛っている。


「アルベルト様の瞳は、美しいです」


気付けばユノは、無意識のうちにそんなことを呟いていた。


アルベルトはキョトンと目を丸くしたが、一番驚いているのはユノだった。ユノは機嫌をとるためにアルベルトを褒めたのではなく、純粋に思ったことを口にしていた。自分らしくない言動に、ユノは鼓動を速くした。


「………………この瞳の赤は、私の罪の証です」


唇を歪めて笑ったアルベルトは、指先で瞼に触れると、吐き出すように呟いた。


ユノは言葉を聞き取れず小首を傾げたが、アルベルトはすぐさま明るくニッコリと笑ってみせた。


「美しいというなら、ユノの方ですよ。貴女の瞳はまるでエメラルドのように、見る者を魅了する。一目見た瞬間、私は貴女の瞳に囚われてしまいました」


ユノはいたずらっぽく口角を上げた。


もっと褒めてくれて構わない。ユノは世界で一番美しいのだから。




食事を終えてユノを馬車に乗せると、アルベルトはユノの手の甲に口付けを落としてその場に残った。


「名残惜しいですが、仕事に向かわねばなりません。先に戻っていてください」


ユノはアルベルトに見送られて馬車を走らせた。


道がすべて舗装されている王都では、馬車は揺れることなく進んでいく。ユノは一人座席に足を組んで、ぼんやりと宙を見つめた。


アルベルトがユノを外に連れ出すことに何の躊躇いも持たなかったのは、自身の評判を知っているからだ。


何やら良くない噂の付き纏うアルベルトの隣に連れ添っていては、誰もユノに手出しはしない。ユノの美貌以上に、アルベルトという存在は強大なのだ。


ユノが思っていたよりずっと、アルベルトの地位は高いのかもしれない。爵位や軍の階級などではなく、もっとアルベルト自身に何か特別なものがある。


赤眼の魔術師という称号もそうだ。ユノが認識している以上に、そこには大きな意味があるのかもしれない。


屋敷に着くと、待ち構えていたフェリが扉を開けてユノを出迎えた。


しかし、ユノはぼんやりしたまま馬車から降りてこない。フェリは困り顔でユノに声を掛けた。


「あ、あの、奥様…………?」


ぱっちりと目は開いている。

眠っているわけでもなく、ユノは前を見据えながらぎゅっと唇を引き結んでいた。


「出してちょうだい」


「は……?」


オロオロとユノの様子を窺うフェリに、ユノはニヤッと笑ってハンカチーフを掲げた。


「旦那様の忘れ物を届けに行くのよ」


ユノは馬車から降りる際、どさくさに紛れてアルベルトの懐からハンカチーフを抜き取っていた。


どのようにでも使うつもりだったが、やはり今欲しいのは情報だ。アルベルトに一番近いメイドが口を割らないのなら、アルベルトの仕事場に乗り込んで現地調査するしかない。


フェリはユノとハンカチーフとを交互に見比べると、サッと顔を青くさせた。


「お、奥様。お言葉ですが、帝国軍本部は王都の中枢機関でございます。そのような場所に奥様が参られるのは…………」


「昨今は戦乙女もいると聞くわ。女子禁制というわけでもないでしょう?それとも、アルベルト大佐の奥様という肩書きは低いかしら?」


「それは…………」


口を噤んだフェリに鼻を鳴らし、ユノは馬車を走らせた。


勿論ユノだって、のこのこと軍を訪ねて手放しで歓迎されるとは思っていない。身の程知らずと罵られたり、夫であるアルベルトの評価を落とすことにもなりかねない。


しかし、時として大胆にならなければ一介の娼婦風情が王族の末席に名を連ねることなどできるはずもない。


帝国軍の本部は王宮とも繋がっている。アルベルトがチャンスをくれないというのなら、自ら捻り出してやるまでだ。


ユノはフンと意気込んでハンカチーフを握り締めた。


「大丈夫よ。どうせアルベルト様はあたしを咎めやしないんだから」


左手の薬指にある真紅の宝石がキラリと光る。


傷一つないユノの小さな手は、微かに震えていた。

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