プロローグ・1
部屋を彩るのは絢爛豪華な調度品。
見上げるほどに高い天井には見るも眩いシャンデリアが吊るされている。天蓋付きのベッドは、いくらでも寝返りが打てるほど大きい。
まるで童話に出てくるお姫様の部屋を再現したような室内には、これまた童話に出てくるお姫様のように美しい少女がいた。
ぱっちりと大きな瞳はエメラルドのように輝き、肌は陶器のようにつるりと滑らかで抜けるように白い。
腰まで伸びたふわふわの髪は緩くウェーブがかかっており、ストロベリーブロンドをしている。
ビスクドールのような愛らしい面立ちをした少女の名は、ユノ・ゴーシュ。
ユノはふかふかのベッドで心地よく眠っていた……わけではなく、ぶくぶくに肥太った年寄りの相手をしていた。
ここはお姫様の住むお城ではない。
上流貴族御用達の娼館だ。
そしてユノは、お姫様ではなく娼婦である。
「はぁ〜、お腹いっぱぁ〜い」
テーブル一杯に並べられていた料理をぺろりと完食したユノは、満足気にため息を吐いてお腹をさすった。
ユノの食べっぷりを横で見ていた娼婦仲間のサラは、呆れたような感心するような眼差しをユノに向ける。
「ユノもよく食べるわよね」
ため息混じりにサラが呟く。
ユノより二、三歳上に見えるサラは浅黒い肌をしており、癖ひとつない黒髪を腰まで伸ばしていた。豊満な胸とお尻に対して、腰はきゅっと細い。そのナイスバディを存分に見せつけるような、ぴっちりとしたドレスを着ていた。
ユノは気にした素振りもなく、唇の端についたソースを親指で拭うと、ニッコリと笑ってみせた。
「だぁって、運動した後ってお腹空かない?」
「運動って……。アンタはお気楽そうでいいね」
「サラだって売られてここに来たわけじゃないでしょう?なのになんでいっつもしかめっ面してるの?」
「確かに借金はないけど、生きてくにはお金が必要なのよ。お金を得るためには学が必要。学がなければ、体を売るしかない。そういう風に作られてんのよ。生まれた瞬間すべてが決まる。クソッタレの貴族が作った、忌々しい階級社会だ」
サラはどこか熱っぽく吐き出すと、テーブルの上で握りしめた拳をわなわなと震わせた。
「なのに……なのに私は、クソッタレの貴族共に消費されてる。こんなの、悔しいよ……」
この娼館には二種類の女の子がいる。
一つはユノやサラのように、娼婦街からスカウトされてきた一流の娼婦だ。持ち前の美貌に加えて客を相手にする上手さを買われ、上流貴族を相手に高値で体を売っている。
そしてもう一つは、借金返済のために身売りされた女の子だ。この娼館は貴族御用達の高級店であるため、美人な少女達だけを集めてはいるが、そういった素人の女の子達は皆拙く芸がない。まずは安値で中流階級の貴族を相手にさせられ、見込みがあれば上にランクアップしていくという制度を採っている。
ぎゅっと唇を噛み締めるサラを横目に、ユノは葡萄酒に口を付けた。
「あたし達は消費されてるわけじゃないわ」
さらりと投げ付けられた言葉に、サラは首がちぎれるような勢いでユノを睨み付けた。ユノはグラスをくるくると揺らし、どろりとした紫色の液体をかき混ぜていた。
「なに?ユノは魂まで貴族に売ったわけ?」
「まさか。あたしが売ってるのは体だけ。あたしを一番高く買ってくれたのが貴族ってだけで、あたしは誰かの物じゃない。金を吐き出す豚に体を売ってあげてるだけよ」
ユノはグラスに残っていた葡萄酒を一口に煽ると、ニヤリと笑う。
「あたしの体には大金を払うだけの価値があるって、あいつらも認めてるのよ。どんな貴族もあたしを前にすると浮かれてはしゃいで、子供みたいに求めてくる。いい、サラ。ここではね、あたし達が男共を支配してるのよ」
その言葉は、サラの瞳に強い光を灯した。
美貌に恵まれ男に媚びるのも上手いユノは、この娼館で一番の人気を誇っている。そしてこんな場所にいながら、ユノには気高い精神があった。
しかしその魂は、誰の物でもない。
誰もがユノの心を手に入れようと必死に大金をはたく様を、ユノはまるで貴族のように上から見下ろしている。
サラも困惑混じりに、ニヤリと頬を引き攣らせた。
確かにそれは、愉快かもしれない。
話が終わったと見ると、ユノは食堂に集まっていた娼婦達に声を掛けた。
「ほらほらあんた達も、しみったれたように食べてるんじゃないわよ。あんた達がしっかりしてくれないと、あたしまで低く見られるじゃない」
虚ろな眼差しでもそもそとパンを食べていた娼婦達は、恨めしそうにユノを睨み付ける。
しかし、何も言うことはなかった。言葉を発する気力もないのだ。
ユノは、食堂の隅に控えてユノ達娼婦を監視していた給仕を呼び付ける。
「この子達にもっと良いものを食べさせて。あたしの報酬金を使っていいから、服ももっと上等なのを用意して」
「は……?」
「早くしなさい!」
キョトンと目を丸くしていた給仕は、ユノの剣幕を見て慌てて食堂を飛び出していった。
「相変わらず、ユノは面倒見がいいわね」
サラがクスクスと肩を揺らして笑う。
「そんなんじゃないわ。あたしははした金には興味ない。ここの水準を並み以上にして、あたしの価値も上げるのよ。ここを上流貴族でも手が伸ばせないくらいの娼館にして、あたしは王族の末席に名を連ねるの」
ユノはフンと豊満な胸を逸らした。
あまりにも壮大な夢に、サラは驚愕よりも呆れが勝った。しかし、いつかユノならやり遂げてしまうのではという予感もあった。
ユノが来てからこの娼館の質が向上しているのは事実だ。
以前よりも上流階級の貴族が足を運ぶ回数が増え、サラも存分に稼がせてもらっている。
「ユノならいつかなるかもね、本物のお姫様に」
サラの言葉に、ユノは挑発的な笑みで返す。
金や学なんていらない。
必要なのはこの体一つだけ。
この体だけで、成り上がってみせる。
食堂を出たユノと入れ違いに入ってきた給仕は、腕に大量のドレスと食材を抱えていた。ドレスを手にして無邪気な少女のようにはしゃぐ声がユノの背に届く。
「ユノ」
名前を呼ばれて顔を上げる。
廊下で待ち伏せていたのは、この娼館の主人だった。
後ろに撫で付けた白い髪にしわくちゃの顔をした壮年の主人は、大きなアメジストの指輪をした手を杖の上で組んでニヤリと笑った。
「お前さんに客だ」
主人と同じように、ユノもニヤリと口角を持ち上げた。
「今宵も極上の夢をご用意して差し上げますよ。
──あたし、娼婦なので」