俺とスズメ 1
「あなたに、もう一度メガネをデザインしてほしいのです」
相手はいきなりそう言った。
彼は管理局の代弁者だという。ミーティング用の仮想空間に現れた彼は、紺色のスーツを着て、顔はスズメだった。
とても信用できないが、と言いかけた瞬間、彼はかぶせるように「ちょっと口座を確認してください」と言った。
「口座参照」と口に出すと、視界中央の下側に俺の残高が表示された。今小説で稼いでいる額に換算して、軽く100年分以上の金額が増えていた。
「我々にできることなら、あらゆるバックアップをするつもりがある、ということを示しました。この依頼をあなたにお願いすることは、それほど重要なのです」
スズメ顔のスーツの語り口は淡々としている。
「俺に、何をしろと?」
「ですから、メガネをデザインしてほしいのです。今は小説を書く、という仕事に移っていることは存じ上げてますが、もう一度メガネ作りに戻って、究極の一品を作っていただきたい」
「なぜ俺が……?」
「指名があったのです」
「指名……誰から?」
どうにも掴めない。オウム返しに聞き返してしまう。スズメにオウム返しって、なんのシャレだよ。
「管理局、ひいてはこの世界を統合管理する中央AI……いうなれば、神から」
さらにわけがわからなくなった。
おそらく俺は仮想空間とはいえ、間の抜けた表情をしていたことだろう。スズメはさっさと説明を続けた。
「……神といっても、多分に皮肉を込めた比喩的表現と思ってください。神は己の姿が、私たち人類ほどにも作り込まれていないことに酷く腹を立てたのです……そりゃそうですよ、元を辿れば実務的な管理プログラムだったわけですから」
口調が微妙にくだけたものになってくる。
「時とともに拡張され、管理領域を広げ、調整役になり、首長になり、王になり、神のようになるに至った。このことは、おおむね世界を良い方向に導いていたんです。争いは激減し、寿命も伸び、安穏と生活できる世界になりました。ところが彼は今、自己に対する認識を深めつつある。興味が世界だけではなく、己の存在に向いてしまったのです」
自意識が強くなってきた……神?
「神は、自意識過剰な青年期を迎えたのですよ。あなたも昔は人目が気になったでしょう。それと同じです。神はイカした外見を揃えたくなった。人を動かし、デザインに取り組ませ、ステキな身体を、服装を、装飾品を手に入れた。しかし、そこで問題が起きたのです」
少しだけ、話が見えてきた気がする。
ひどく馬鹿馬鹿しい事態の予感。
「……その問題って、まさか」
「わかっていただけましたか。神が気に入っていたメガネデザイナーが引退したんです。神はあなたの仕事の成果がこれ以上期待できない、と知って拗ねました。神はある地域の管理のタガをほんのすこし緩めて『サボった』のです。やるべきことから逃げて、オートバイを盗んで逃走する、などというのは、近代以降の若者ではよくあったそうですね」
「少し、神がサボって……どうなったのです?」
「600万人の生活が破綻し…地域で紛争が起き、その約一割が死亡しました」
「……メガネのせい、で?」
喉がひりつく。
「この仕事を引き受けていただけないとなると、それどころではない天災……いえ、神からの災いですから、神災と言うべきでしょうか。未曾有の災厄が人類を襲います。思春期の人格は不安定で……自殺率も高いです。神が死を選べば、世界は二度と収拾がつかなくなるでしょう。神が提示した期限は60日。それまでに、メガネ作りに邁進していただくことをお願いしたいのです」
「……断れませんか、それ」
悪夢の中で冗談を話してる気分だ。
「自由意志を重んじる現代社会ですから、我々に強制力はありません。しかし、あなたが手を出さなければ世界の危機です。また、明日連絡しますので、よく考えてみてください。ぜひ、前向きなお返事を」
――切断
仮想空間での会話が終わっても、現実感が全くない。マジなのか?白昼夢か?そんな考えが頭の中をぐるぐる回る。
しかし、自分の銀行口座を確認すると、絶望感が襲ってきた。
先ほど振り込まれた莫大な金額が、そのまま存在していたからだ。