第6章ー10
1942年の10月末まで、中央軍集団の戦区において、ソ連軍の反攻は続けられた。
これはレニングラード戦域での戦闘と、微妙に連携したものになった。
この当時のソ連軍にしてみれば、中央軍集団の戦区での戦闘が、自らにしてみれば、最も有利に当時、推移している状況だった。
実際問題として、1942年10月末時点で、連合国軍側の推定になるが、質はともかくとして、少なくとも150万人、200万人近くが投入されたソ連軍の量を活かしたこの中央軍集団の戦区における反攻は、連合国側の中央軍集団の既述の内情(実際問題として、最前線で主力として戦えるのは、英軍とポーランド軍のみしかなく、200万人程の兵力にしかならなかった)から、そう兵力差もないこと、また、英軍が一時的に罠に掛かった状況で、ソ連軍の反攻が始まったこと等から、かなりの戦果を挙げていた。
そして、レニングラードを間接的に救援するために、ソ連軍は中央軍集団の反攻に期待を掛けたのである。
だが、レヴィンスキー将軍が率いるポーランド軍の適切な介入により、スモレンスク前面までの反攻には、ソ連軍は成功したものの、それ以上の戦果を更に挙げることは困難となってしまった。
更に11月初めには反攻に投入する物資も欠乏気味になったことから、ソ連軍は気温の低下も相まって、これ以上の中央軍集団の侵攻は来春まで無いだろう、今は来春を見据えた防御態勢を構築すべきだ、と判断し、防御態勢の構築に移行した。
一方の中央軍集団にしてみれば、一応、スモレンスクを確保し、多少の進撃は果たせたものの、意気が上がらない第二次攻勢の結末を迎える結果となった。
特に主力となる英軍の意気消沈が酷かった。
予め友軍であるポーランド軍のレヴィンスキー将軍から警告を受けていたのに、無視して、このような結末を迎える羽目になったのだ。
更に北方軍集団は、レニングラードに突入し、そこを年末までに制圧するのは確実と見られている。
こちらもできれば年内にモスクワを陥落させよう、と意気込んで、第二次攻勢を開始したのに、モスクワ前面に迫るどころか、スモレンスクの確保がやっとという結果になるとは。
このために1942年の年末にかけて、英軍司令部の大幅な人事異動が行われ、来春の攻勢を新体制で行うことが決まった。
「何とか勝利を宣伝できる態勢で、年を越せそうだな」
1942年11月末、完全に気温が低下し、最高気温が氷点下という日々が恒常的となる中、スモレンスク前面に築いたポーランド軍の防御陣地の視察を行いつつ、レヴィンスキー将軍は、参謀長のソサボフスキー将軍に話しかけていた。
「全くですな。モスクワの西方の関門といえるスモレンスクの確保は何とかなりました。ですが、できればモスクワ前面まで年内に迫りたかったものです」
ソサボフスキー将軍は、そう答えた。
「できればな。だが、現実は無理というものだ。ここまでの進撃で止めたから、何とかなったのだ」
レヴィンスキー将軍は、そう言いながら、周囲を見渡した。
二人の視野の中に入るポーランド兵の面々は、完全な冬季装備を着用している。
先日、11月中旬に何とか全員分を整えることが出来たのだ。
受け取ったポーランド兵のほとんどが随喜の涙を零した。
それまでまともな防寒装備がなく、手持ちの工夫で何とかしのぐ惨状だった。
もし、モスクワ前面まで迫ろうとしていたら、このような冬季装備を整えることは無理だっただろう。
「春まで防御態勢を整えて、寒さに耐えるしかありませんな」
「その通りだ。来春には再攻勢を発動しよう」
二人は雪がちらつき出した中で、そう決意を固めた。
周囲も、その想いを無言のうちに共有した。
これで、中央軍集団の話は終わり、次話から南方軍集団、スペイン青師団が主役を務める話になります。
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