第5章ー25
11月19日、連合国軍最高司令部は、レニングラードの陥落、制圧を正式に宣言した。
後に、後1日あれば、ラドガ湖が完全に結氷し、ソ連軍の救援部隊は、ラドガ湖を介して、レニングラードを救援できたのではないか、と言われる程の薄氷の時間との競争だった、という伝説が後に遺された。
だが、現実には、この頃にはレニングラードは、完全に末期的な状況だったのであり、後1日あったとしても、何も変わらなかっただろう、というのが、冷酷極まりない現実の話だった。
最終的に、レニングラード陥落時点で、連合国軍が捕虜としたソ連兵や民主ドイツ兵、または保護下に置いたレニングラード市民の合計は、約120万人といったところだった。
それでは、それ以外の兵や市民は、どうなったのか?
実際問題として、このレニングラード攻防戦において、連合国軍の包囲が始まった当初の時点で、兵や民間人が、レニングラードの中にどれだけいたのか、は極めて難しい問題である。
既述したように、レニングラード市から10代前半以下の少年少女は、ほぼ全員が脱出済みだった。
また、工場移転に伴い、工員やその家族もレニングラードから脱出していた。
その一方で、レニングラード市を守るために近隣から民兵隊として半ば徴兵されて、レニングラード防衛に当たった者もいるし、退却の果てにレニングラード防衛に当たったソ連兵や民主ドイツ兵もいる。
このために諸説入り乱れるが、比較的多数説によれば、レニングラード攻防戦が始まった時点で約320万人が、連合国軍の包囲下にあった。
そして、連合国軍の攻撃や飢餓、寒さにより、最終的に約200万人が死亡した、と推定されている。
その一方で、直接、レニングラードを攻撃した連合国軍の将兵約110万人の内、約5万人が死亡、約15万人が身体的に負傷、又は身体的な病にかかり、約10万人が戦争神経症(戦闘ストレス反応)に罹患したと推定されている。
更に。
「それは間違いないのか」
「間違いありません」
レニングラード陥落後に、アイゼンハワー将軍は、重いやり取りを、レニングラード攻略に当たった各軍司令部とせねばならなかった。
レニングラード市内にあった貴重な建造物等が、ほぼ全て破壊されてしまったのだ。
例えば、教会関係で言えば、聖イサアク大聖堂等が破壊されてしまった。
また、エルミタージュ美術館(冬宮殿)等も、完全に破壊された。
レニングラード攻略に当たった各軍司令部の報告によれば、ソ連軍は連合国軍の手に渡すくらいなら、とレニングラードの主要な建物が完全に破壊しつくせるように、爆薬を大量に仕掛けていたらしい。
そして、その爆薬は、ソ連軍によって起爆され、思い通りの効果をほぼ発揮したという次第だった。
勿論、ソ連政府は、そんなことを全く認めていない。
「人類史上最大の破壊行為が行われた。レニングラードは地上から完全に抹殺されてしまったのだ。ルーズベルト、チャーチル、米内、ペタン、ムッソリーニらは、人類史上において、類を見ない大犯罪者だ」
とモスクワ放送は、ソ連政府による全面的な非難声明を垂れ流している。
更に。
「これで、東方正教会の信徒は、ますますソ連寄りに奔るだろう」
アイゼンハワー将軍は、昏い想いをした。
レニングラードにあった聖イサアク大聖堂やアレクサンドル・ネフスキー大修道院といった東方正教会にとって、重要な建物が破壊されつくしてしまったのだ。
無神論を唱えるソ連政府は建物を別の任務に転用していたとのことだが、転用するのと破壊するのとでは、信徒に対するインパクトが全く異なってくる。
アイゼンハワー将軍の想いを、他の連合国軍の将帥も共有し、昏い想いに囚われた。
第5章の終わりになります。
次から第6章になり、南方軍集団や中央軍集団における第5章と同時期の戦いの描写になります。
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