第5章ー17
「それで、レニングラードにいる守備隊や市民は、どれくらいと推定されている」
アイゼンハワー将軍の発言に、同様に米軍の参謀将校が発言した。
「ソ連欧州本土侵攻作戦発動時点でレニングラード市民は周辺部の人口も併せた数字になりますが、約320万人と推定されていました。ですが、市内にあった工場の一部をシベリア方面に疎開させたことに伴い、その工員や家族も移動したことや、10代半ばに満たない子どもを脱出させたことから、レニングラード市民は約230万人程度にまで減少したものと推定されています。その一方で、ラドガ湖西方やエストニア方面からレニングラード市に逃げ込んだ避難民もいるとのことで、これも推定ですが、約40万人程度がレニングラードに流入したものと思われます。そして、民主ドイツ軍や海軍歩兵を含む推定の数字ですが、レニングラードの守備を行っている部隊は約50万人と見積もられています。つまり、結局は約320万人が我々の包囲環の中にいることになります」
このやや長い説明を聞き終えた連合国軍の将帥は、一様に渋面を浮かべた。
レニングラード市が、早期に投降してくれれば有り難いが、それは困難だろう。
勿論、連合国軍が、今や完全に孤立していると言って良いレニングラード市を攻め落とすのは、まず確実で、恐らく年内には、遅くとも来春にはレニングラードは陥落しているだろう。
だが、多くの市民を含む約320万人がいる大都市を早期に攻め落とせるか、というとそれは困難だ。
かと言って、レニングラード市を孤立させた状態のまま、連合国軍がいわゆる兵糧攻めで、時間を掛けて攻め落とすというのは。
連合国軍上層部にしてみれば、速やかに対ソ連戦を終結させるのが望みだった。
とは言え、ソ連の国土は広大であり、連合国軍が、幾ら1000万人を呼号する大兵力を集めたとはいえ、その兵力だけを活かして、ソ連全土を制圧できるか、というと不可能とは言わないまでも、極めて困難なのは間違いない話だった。
そうしたことから、連合国軍というより、連合国を構成する各国政府上層部としては、ソ連を構成している民族、各宗教の信徒に応じた分離独立を認めるという宣伝を行うことで、ソ連を内部崩壊させて、ソ連の無条件降伏を導くというのが、大国家、軍事戦略となっていたのである。
そうした観点から考えていくならば、レニングラード市は、かつてはサンクトペテルブルクと称されていた旧ロシア帝国の首都であり、現在もソ連の建国の父と言えるレーニンの名を冠した都市であることを勘案していくと、この都市を連合国軍が占領することは極めて重要な課題だった。
しかし、裏返して考えていくならば、下手な方法で連合国軍が、この都市を攻撃した場合、ソ連の国民の敵愾心を上昇させ、抗戦への決意を固めさせる危険もある、ということだった。
更に対ソ戦全体からの軍事戦略、作戦面からの観点も考慮しない訳には行かなかった。
いわゆるヴォルガ・バルト水路等を駆使できる、というのが大前提の話にはなるのだが、レニングラード市を制圧することが出来れば、モスクワを攻撃する際に、バルト海からの内陸水路も補給線として有効に活用できる、と連合国軍上層部は、かねてから考えていたのだ。
1942年春先までの連合国軍の大構想では、同年中にモスクワ陥落を果たす予定だったのだが、同年5月から開始された対ソ欧州本土侵攻作戦は、様々な齟齬が生じてしまっており、同年秋に入った現在となっては、同年中のモスクワ陥落は極めて困難、と連合国軍上層部の多くの面々が考える有様となっていたのだ。
だからこそ、翌年を見据えて連合国軍は動かねばならなかった。
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