第5章ー11
こうしたソ連第2打撃軍の奮戦があったことから、ソ連軍のルガ河防衛線への攻撃は、攻撃する日本軍にとっても、防御するソ連軍にとっても、お互いに微妙に不本意なものにならざるを得なかった。
なお、日本軍には、遅れていた米第3軍や第7軍、第9軍も順次、駆けつけて、ソ連軍のルガ河防衛線への攻撃に加わっている。
しかし。
「補給のために3本のルートが使える筈が、リガ経由とクルストピルス経由の2本しか使えない。主要ルートの1本であるダウガフピルス経由のルートが基本的に使用できないとは」
北方軍集団の兵站担当の上級士官は、ルガ河沿いでの戦闘が始まって早々に、頭を痛めるようになった。
ダウガフピルスを主に目指していた第2打撃軍は、後退しない覚悟を内外に示すために、最後の頃には、自らの補給路ともなる鉄道をできる限り破壊していた。
いざとなれば、徒歩で各人が退却するまで、ということである。
このために、第2打撃軍が崩壊した後、米第1軍や第5軍が前進し、補給を維持するのには、大変な苦労をする羽目になった。
そのために。
「正直に言って、余り壊さないでくださいね。補修用の部品が微妙に足りません。リガには、無事に届いているのですが、ここまで運ぶのに苦労しているのです」
「分かった」
防須正秀少尉の忠告を、(顔には出さず、内心でだが)渋い顔で土方勇中尉は聞く羽目になった。
戦車というのは、稼働させるだけで壊れる代物なのである。
それなのに、補修用の部品が不足しているというのは、戦車乗りとしては不安に駆られる話だった。
また。
「擲弾筒用の89式榴弾が定数通りにはありません。最悪の場合、手榴弾を撃たざるを得ないかも」
「戦場では思い通りに、物資が届かないのが当たり前だ」
岸総司大尉は、部下の川本中尉の不安をそれとなく宥める羽目になった。
このような感じで、ルガ河防衛線への攻撃を、日本軍が発動する前、各部隊においては、様々な物資の欠乏を不安視する声が部隊内にあったのである。
それでも、日本軍総司令官の北白川宮成久王大将が、ルガ河防衛線への攻撃を、半ば強行したのは、言うまでもなく泥濘期が迫っていることを、自身や周囲が不安視したためもあるが。
同時に、防衛線を守っているソ連軍の内実も、余り芳しいものではなく、下手に攻撃を遅らせることで、その内実が改善されるのではないか、という判断を下したこともあった。
実際、ルガ河防衛線は不十分なものだった。
エストニア方面に展開する民主ドイツ軍部隊が急激に崩壊した結果、ルガ河防衛線に急きょ展開できたのは、カレリア戦線等から急派された8個狙撃師団に加え、レニングラード市民や近郊の住民によって編制された民兵隊(数的には4個師団相当)に過ぎなかった。
他にエストニア方面から退却というより敗走してきた民主ドイツ軍部隊が、それなりにはいたが、その実態はというと。
8月中旬の時点で、民主ドイツ軍部隊は、連合国軍の対ソ欧州侵攻作戦に伴う緒戦の損害から、対ソ欧州侵攻作戦発動直前の頃よりも兵力を大幅に減らしており、100万人を呼号していた兵力が、60万人程度の兵力にまで減少していたらしい。
(この損害も、民主ドイツ軍の将兵の厭戦感情を招いていた一因だった)
だが、日本軍の撒いた伝単(なお、米軍にも、この伝単は早速、採用されて撒かれた)により、約20万人が、ルガ河防衛線に対する攻撃を日本軍が開始する前に投降していた。
更に、現地の住民に紛れ込む(なお、60万人の中には、現地の住民からの志願を受け入れた兵もかなりいたとのことで、こういった兵は脱走して住民に戻ろうと図り、実行した例が多々あったという)ことでも減っていた。
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