第5章ー9
だが、この伝単の直接的な効果としては、レニングラード方面の防衛に当たっていた民主ドイツ軍の急速な崩壊を招いたことだった。
この当時、残存していた民主ドイツ軍のほぼ全部が、エストニアやラトヴィアの残部に展開して、レニングラード防衛の任務に当たっており、ソ連軍としても防御の一翼を担ってくれる、と期待していたところに、その防衛線が急激に崩壊するという事態が起きたのだ。
「ここまで効果的なものになるとはな」
この伝単によって引き起こされた事態を聞いたアイゼンハワー将軍を始めとする日本以外の連合国軍の将帥の多くは単に感嘆したが、この伝単を発案した石原莞爾中将に言わせれば、
「四面楚歌の故事を使っただけだ。故郷の民の多くが敵に心服したのを知らされては、兵の士気は阻喪する」
とうそぶいたとのことである。
ともかく民主ドイツ軍の防衛線は、ズタズタになった。
折角、築き上げた堅陣も、それを築いた兵が投降し、弱点を自発的に日本軍に告げてしまっては、その効果が激減してしまう。
中には投降を拒否する指揮官を射殺して、部隊ごと投降を決断する事態さえ発生した。
これに対して、慌ててソ連軍最高司令部は増援部隊を送ることで対処しようとしたが。
「今こそ好機」
中央軍集団を構成する英軍等は、スモレンスクを目指した攻勢を発動した。
それこそスモレンスクが抜かれては、モスクワが連合国軍の直接の脅威にさらされることになりかねない。
そういったことから、中央軍集団に対処していた部隊ではなく、南方軍集団に対処していた部隊が、急きょ転用されることになったが、言うまでもなく移動が更に長距離になるという問題を引き起こすし。
「我々も限定攻勢を展開する」
仏伊等からなる南方軍集団も、こういった状況から、予定を繰り上げて攻勢を発動した。
連合国軍にしてみれば、後方整備の問題から、止むを得ず順次、攻勢を展開するという事態が招来されてしまった訳だが。
ソ連軍最高司令部にしてみれば。
「連合国軍司令部の時間差に伴う攻勢発動計画に翻弄されてしまった」
と臍を噛む事態としか、言いようが無かった。
民主ドイツ軍に生じた混乱を積極的に活用することで、9月10日、日本陸軍と海兵隊は共同して、旧エストニアとソ連との国境沿いに建設されていた国境陣地帯(いわゆるスターリンラインの一部)の突破に成功していた。
一部の部隊をエストニア全土の制圧に割かねばならなかったとはいえ、自動車化、機械化をかなりの面で果たしている日本軍にしてみれば、最早、レニングラードは指呼の間といえる距離にあり、こういった状況から、フィンランド軍等と対峙している、いわゆるカレリア戦線からも、ソ連軍は部隊を引き抜いて日本軍に向けねばならない状況に陥った。
この状況に鑑みて、カレリア戦線における連合国軍の総司令官に就任していたマンネルハイム元帥は指揮下にある部隊に対して、攻勢に転ずることを命令、レニングラードは徐々に連合国軍の攻勢にさらされるようになった。
スターリンラインが崩壊した今、レニングラードを防衛するソ連軍にとって、地形を活用して日本軍の攻勢を防ぐための防衛線を築くとなると、ルガ河が最も頼りになる地形障害になる。
このためルガ河沿いに住む住民のみならず、レニングラード市民まで動員して、ソ連軍はルガ河沿いに防御陣地を急造することとなった。
だが、それだけでは、とても兵力が足りない。
連合国軍のソ連欧州部侵攻作戦が発動される以前から、ソ連国内では主に都市部の住民を中心として民兵隊の編制が進められていたが、このレニングラード攻防戦においては、レニングラード市民の大規模な動員が行われることになった。
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